「あんな仕事はつまらんだろう? 整備所に贈り物を用意してある!」
「さっさと怪我を治して、皆で行ってこい!」
痛む手を抑え、睨みつけるエレーナに対し、先生は去り際にそう言い残していった。
山のように積まれていた書類がだんだんと減っていき、ついに最後の1冊の翻訳が終わった。
ここから先は軍の仕事だ。ようやく解放されたエレーナは、先生のあの言葉を思い出し、整備所へと足を向けた。
しかし、整備所に到着したエレーナは、思わず目を見張った。
自分たちの戦車が整備所の外に固めて置かれていたからだ。
共同作戦が終了した時からその姿は変わっておらず、すべてそのままに放置されていた。
なぜ修理が行われないのか。エレーナは通りかかった整備兵に問い詰めた。
「部品がない」
整備兵が口にした最初の一言は、あまりにも素っ気ないものだった。
「部品がない?」
「あぁ、そうだ」
怪訝な顔をするエレーナに、整備兵は言葉を続ける。
「それだけが理由じゃないんだがな。部品はあるにはある、3号と4号は大まかな部品が共通だからな」
それならどうして修理を、と言いかけたエレーナの言葉を、彼は手で遮った。
「だがな、もう3号自体の生産は終わりかけだ。残っている部品は、4号に回したい」
整備兵が顎で整備所の一角を示す。そこには、修理を待つ4号戦車が並んでいた。
「それに、お前たちの乗ってる3号はもう限界だ、車体が歪んじまってる」
彼は腰の袋からハンマーを取り出すと、白百合中隊の戦車を叩いた。
カンカンとした音、キンキンとした音、それに混じるジリジリとした鈍い音。
「こんな感じだ、ここは亀裂が入っている」
整備兵は状態を淡々と説明する。
「3号をこんなになるまで運用したのはお前らが初めてだ、早々に4号が出て、オーブンを嫌がって乗り換えちまったからな」
彼はボロボロになった戦車を分厚い皮手袋で撫でた。
それなら、私たちはこれからどうすればいいのか。
エレーナが途方に暮れたような顔をしていると、整備兵は「ついてきな」と整備所の奥へと歩き出した。
「それで、お前らは今度からこれだ」
倉庫の薄暗い奥に、巨大な布の塊があった。整備兵がその端を少しめくると、巨体が姿を現す。
ほんの一部が見えただけだったが、その正体はすぐに分かった。
第5世代戦車「ヴィクトリア」勝利の名を冠した、帝国の主力戦車だ。
この戦車の生い立ちは複雑だ。
当初は第6世代の補助車両として計画されていたものの、本命である第6世代の開発が遅延したため、急遽、主力戦車として表舞台に立つことになった。
一時的ではあったが、激動の時期に帝国の軍事力を支え切った名車である。
そして現在でも、帝国軍の準主力として戦場を駆け巡っていた。
「わたくしたちにこれを?」
エレーナは驚きのあまり声を漏らした。
「あぁ」と、整備兵は頷く。
「6号と6号2型の数がそろってきたからな、前線にいた騎兵戦車隊の連中が機種転換をしたんだ。それで、こいつがお前らに回ってきた」
彼はエレーナを振り返り、珍しく笑みを浮かべる。
「この前もそうだが、お前らずいぶん評価されてるぞ。こいつを十分使いこなせると思われたんだ。もちろん、エルンスト中尉殿の推薦もあったみたいだがな」
ここで先生の名前が出てくるとは思わず、エレーナは再び目を丸くした。
「中尉殿がおっしゃるには、『これから戦況はさらに忙しくなる。今のうちに機種転換を済ませてしまえ』とのことだ。こいつは最初はじゃじゃ馬だったが、中尉殿が飼いならして、今じゃすっかり名馬だぞ」
整備兵は我が事のように自慢げに告げた。
「これが、わたくしたちの新しい鉄の馬……」
エレーナは歩み寄り、そっとその装甲に手を触れた。
新しい鉄の馬を前にした白百合中隊の面々は、興奮を隠しきれずにいた。
何人かが車体によじ登り、大きな覆い布をめくりあげる。
3号戦車とは比べ物にならないほど巨大な車体。
圧倒的な装甲の厚みを予感させる重厚なシルエットと、長く、鋭い威圧感を放つ主砲。
新車ではないものの、隅々まで整備されていた。前線で使い込まれたからこその、凄みのある力強さがそこにはあった。
布がすべて取り払われ、その全貌があらわになると、少女たちの間から「わぁっ!」と歓声が上がった。
その中でも、普段はおとなしいアンナが、興奮ししていた。
彼女はその手で、優しく主砲を撫でる。
「エレーナ様!」
「この砲なら……この砲なら! 敵の戦車だって軽々と撃ち抜けますわ!」
お嬢様の口から、お嬢様らしからぬ内容の、お嬢様らしい喜びが放たれた。
「なんですかそれは」
「ティーカップを褒めるのではないのですよ?」
「はしたないですよ?アンナさん」
「たまには砲手をやってみてもいいのよ?」
「えっ!あの決してそのような意味では…ただ、その…」
興奮で思わず口走ってしまったことをアンナはしどろもどろに取り繕った。
その微笑ましい姿を見て、白百合中隊の面々は、久しぶりに帝都のサロンにいるかのような朗らかな笑声をあげた。
エレーナも笑った。
賑やかな彼女たちの前には、第5世代戦車。
そして、整備所の外には、役目を終えた第3世代戦車が佇んでいる。
小さい。
今まで自分たちが乗ってきた戦車が、こんなにも小さかったのかと、驚いた。
まだドレスを着ていたころ、帝都で初めて3号戦車を見たときは、恐ろしさすら感じたものだ。
それが今では、とても小さくかわいらしく感じる。
帝都を出たころはまだ角ばって見えた車体も、今では角は丸くなり、どこか真っすぐでないような、そんな形をしている。
「だいぶ……減ってしまったわね」
エレーナはぽつりと呟いた。中隊の仲間も、車両も、多くのものを失ってきた。
「休みなく働きましたからね、ここまで来られたのですから、上出来でしょう」
隣に並んだクラリスが、エレーナの呟きを拾った。
「そうね。私たちは、ここまで来られた」
エレーナはそっと瞳を閉じ、その言葉を噛みしめた。
現在の帝国戦車の主流は「第6世代」だ。
3世代も型落ちした骨董品で戦い抜いてきた白百合中隊と3号戦車は、お世辞抜きで、本当によく働いたと言えるだろう。
エレーナはひとり、3号戦車へと歩み寄った。
装甲に残る弾痕
別の車両から持ってきた間に合わせの修理
砲も弱い、装甲も弱い
車内は熱く快適とはいいがたい
しかし、古い戦車ゆえに整備方法が確立されていた。
快適でなかったからこそ、前線の兵士に敬遠され、状態の良い車両が残っていた。
そして小型だったからこそ、どんな悪路や狭い地形にも適応できた。
数多の偶然、白百合中隊の奮闘、そして整備部隊の努力。
そのどれが欠けても、彼女たちが今日という日を迎えることはできなかったはずだ。
ふと、古い書物の一節が浮かんだ。
そこにあったのは、帝国領となる前の北部山脈地域の記録、そこでは武具に命が宿るという考えがあったのだという。
帝都に生まれたエレーナにはその考えはなかった。
だが今ならわかる気がする。
かつて屋敷の書斎で、頭に詰め込んだ古典の記憶。
当時は苦行でしかなかった古い物語が、エレーナの心にすうっと溶けていくようだった。
エレーナは、傷だらけの装甲を優しく撫でた。
「お前たち、いままでありがとうね」
それは子供をなでる母親のような手つきだった。