エレーナがエルンスト中隊と共同訓練を始めてから、二週間ほどが経った頃、帝都から新兵を引き連れて先生が帰ってきた。
「エレーナ大尉、留守中は世話をかけたな!」
「いいえ。こちらも大変良い経験をさせていただきましたわ」
二人が帝都からやってきた新兵たちの前を歩く、彼らは皆一様に、緊張した面持ちで整列していた。
「どうだ? お前たちほどじゃないが、帝都で可愛がってやったから、いい面構えになっただろう!」
「ええ。皆様、とても素晴らしいお顔をしていらっしゃいますね」
豪快に笑うエルンスト大尉と、どこまでも淑やかに微笑むエレーナ大尉。
二人の上官を前にして、新兵たちの緊張は最高潮に達していた。
エルンスト大尉といえば、帝都で知らない者はいないとされる騎兵科の猛者だ。
そして、今やその名を広く知られる、白百合中隊を率いる、エレーナ大尉。
そんな二人を前にして、新兵たちに緊張して立ちすくむ以外の選択肢はなかった。
「はぁ……帝都は、どうにも息が詰まってまいった」
エレーナの執務室に戻るなり、先生はソファへ深く腰掛けた。
「お疲れ様です、先生にも苦手な場所があるのですね」
エレーナがくすくすと笑う。
「ええ、意外でしたわね」
クラリスも同意するように微笑みながら、二人の前にお茶を出していく。
「意外なものか。俺は家が苦手で飛び出して、戦車乗りになったんだぞ?」
その告白に、エレーナとクラリスは思わず笑ってしまった。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」と言い残し、クラリスは静かに部屋をでていった。
「マクワイリから聞いたが、随分とお前たちのことを買っていたな。……何か得るものはあったか?」
「ええ。先ほども申し上げましたが、本当に貴重な経験をさせていただきました。マクワイリ曹長も、三人は十分な練度にあるとおっしゃってくださいました」
「そうか」と短く応じ、先生はカップに口をつけた。
「久しぶりに見た帝都はな、まさに戦時といった様相だったな」
道路には荷を積んだ車両が途切れることなく走り回り、運河には各地から集められた船がひしめき合っている。
役所の壁面には戦意高揚と志願兵募集の巨大な垂れ幕が掲げられ、街全体がまるで、これから祭でも始まるかのような有様だという。
「祭り……ですか。まぁ、帝都の民の気質を考えれば、想像がつきますけれど」
エレーナが相槌を打つと、先生は頷いた。
「そうだ。一般的な帝国民にとって、戦争なんてのは特大の祭りのようなものだからな」
「帝国が新たな領土を獲得し、武威と名声が高まり、さらなる繁栄が始まる……。連中が考えているのは、おおかたそんなところだな」
帝国はその歴史の始まりから今日に至るまで、一度も戦争に敗北したことがない。
勝てなかった戦争はあっても、最終的には相手と和睦を結び、時が経てばその土地は帝国の色に染まり、やがて版図の一部となってきた。
戦争は命がけのものではあるが、それは繁栄へのさらなる一歩である、皆そう思っているのだ。
この戦争を最前線で見た二人、中央回廊の有様を知る二人の間に、しばしの沈黙が流れた。
「まぁ、悪いことばかりじゃない!」
先生は室内の空気を払うように、努めて明るい声を響かせた。
「今の帝都には帝国全土、いや、南大陸からも物資が集まっていて、手に入らない物は無いと言っていいほどだ! お前らが申請していた土産も、大体は手配できたからな!」
「後日ここへ届くから楽しみにしておけ!」
そう言って先生は笑った。
「ありがとうございます。皆、楽しみに待っておりますわ」
エレーナは笑い、しかしすぐに小首を傾げた。
「それにしても……南大陸からも荷が届くとは、少し驚きましたわ」
南大陸は、帝国や連邦が存在する北大陸と、浅い内海を挟んだ南側に位置する大陸だ。
かつて帝国がもっとも版図を拡張した時期には、その沿岸部も帝国領となっていた。
「今では直轄領もありませんし、今の季節は内海が荒れて、荷を食らうと聞きます」
エレーナは素朴な疑問をぶつける。
「そうだな。だが、あそこは今なお半ば帝国領みたいなものだ。俺も一度行ったことがあるが、帝国の田舎と大して変わらん」
それにな、と先生は言葉を付け加える。
「向こうの連中としても、流石にこの戦争を黙って見ているわけにはいかんのだろう」
「連邦の動きが気になるようだ」
「帝国を通して動向を知りたいというのがあるんだろう、商人だけでなく、南の武官らしき姿もちらほら見かけたよ」
「動向……。私が知っていた戦争とは、ずいぶんと様相が異なるものだと思います」
実家の書庫で読んだ過去の戦記、あるいは年長者たちから聞いた戦争。
そのどちらとも違う、戦争の形がそこにあった。
「時の流れ、戦場の流れ……時代が違う、という一言だけで片付けてしまって良いものなのか……」
エレーナの呟きに、エルンスト大尉も無言で頷いた。
「…流れ、か。貴族にも新しい流れがあるな」
その言葉に、部屋の温度が下がったような気がした。
「エレーナの家や、うちのようないわゆる古いの流れを汲む帝国貴族は、まぁ主戦派だな」
エレーナは静かに頷く。
自分たち貴族の本分は、戦場に立つということだ。
「新しい流れ……中堅の貴族が色々とやっているようだ」
「うちらが此処で忙しい分、帝都で声がでかいそいつらは……そうだな、防衛派とでも呼ぼうか」
「何をしていると思う?」
先生の問いにエレーナは無言を返した。
「帝都防衛の部隊を立ち上げたそうだ」
「笑えるだろ?」
先生は彼らを見下すように笑った。
エレーナも同じ気持ちだった。
「貴族が何故戦わない」
「帝国をただでくれてやるつもりか?」
「陛下の首に縄が掛かってからどう戦うというのだ……」
再び沈黙が訪れる。
先生は懐から小さな写真立てのようなものを取り出し、エレーナの前に置いた。
「今、帝都で流行っている物だそうだ。開けてみろ」
先生の真剣な表情に、エレーナは緊張した手つきでそれを開いた。
「なっ……!」
そこには、先ほどまで真面目な顔をしていたエルンスト大尉はいなかった。
はねっかえりの聞かん坊のいたずら男がそこにいた。
「帝国で一番の女性だそうだぞ!」
先生はもう笑いを隠そうともしない。
開いたそれには、新聞に載ったエレーナの写真と、どこで撮られたのかドレス姿のエレーナの写真があった。
クラリスや他の隊員のものもあるらしい。
エレーナの手が震えた。
「笑ってしまうだろ!俺のもあるらしいぞ!」
先生は笑う。
「帝都の平民には白百合中隊が大人気だそうだ!」
そして、と続ける。
「面白いのは、防衛派からは白百合中隊が嫌われているんだそうだ!」
エレーナの顔に疑問が浮かぶ。
「俺もよくわからんが、戦う女のお前たちに、腰抜け共の矜持が刺激されるんだろうな」
先生はひとしきり笑うと、エレーナに向き直った。
「とまぁ、俺が言いたいのはな、帝国民なんてこんなもんだってことだ」
「ほら、木の葉は河に流れて、何とかと言うだろう?」
「木の葉の身は揺蕩へど、大河の流れを憂へず。ただそのままに心地よし」
エレーナは古典の一節を暗唱した。
「そう!それだ!」
「いいか、エレーナ。あんまり気負いすぎるなよ。気楽に行け。」
「どうにもならなくなったら、お前の好きなようにしてしまえ!」
先生はこの日一番の笑顔を浮かべた。
「はい……」
エレーナは小さく呟いた。
「先生の写真があるのならそちらも見てみたいものですね」
そう言ってエレーナも笑った。
話したいことは話した、そう言って立ち去ろうとする先生を、エレーナは引き留めた。
「実は、先生にご相談したいことがありまして」
エレーナは小声で話し始めた。