第31話:美味しそうなもの
「なんだ、そんなことか? 土産と一緒に届けるよう言っておく」
先生はそう言うと、執務室を出ていった。
「届ける?」
エレーナは先生のその言葉に疑問を感じたが、開いたままになっていた書類に向き直った。
さらさらとペンを走らせる音が執務室に響く。
そして、書類の最後のページを書き終えると、綴りを閉じた。
「向こうもそろそろ終わったころかしらね」
そう呟くと、点検するように伝えた戦車の状態を確認するため、整備場へ向かった。
整備場に着くと、伝票をめくりながら内容を確認しているクラリスの姿があった。
「クラリス、どこまで終わった?」
「点検は終わりました。異常ありません」
クラリスは伝票の束を小脇に抱えると、木板に挟まれた点検記録を差し出した。
「……本当に丈夫ね」
エレーナが点検記録をめくる。その殆どは消耗品の補充だけであった。
「ええ、本当に……。毎日毎日、修理と交換で……3号には苦労させられましたね」
クラリスは感慨深げに呟いた。
「後は何が残っているの?」
「あとは外の荷物の確認ですね」
「それなら私も一緒に行くわ」
点検を終えたエレーナとクラリスは、整備場の外へ出た。
積み上げられた荷物の方へ歩いていくと、ふわりと煙草の香りが漂ってくる。
「ん、また吸っているのね」
「そうですね、注意しますか?」
「別に構わないわ、好きにさせなさい」
エレーナはクラリスにそう告げると、物資の確認をしていた隊員から目録を受けとり、目を通した。
「なんでみんなは、こんなに美味しいものを吸わないのかしらね」
木箱に腰かけ、煙草をくゆらす少女、エレオノーラはひとり呟いた。
白百合中隊唯一の愛煙家。だが、彼女も元々は愛煙家ではなかった。
どちらかと言えば煙草の匂いは苦手で、美味しいお菓子が大好物な少女だったのだ。
それが変わったのは、中央回廊にやってきてからだった。
帝都での訓練はつらいものではあったが、彼女が好きな美味しいお菓子に困ることはまずなかった。
辛い訓練を終えて宿泊施設に戻れば、温かい食事と美味しいお菓子が彼女を迎えてくれた。
しかし、中央回廊へやってくると全てが変わってしまった。
毎日毎日、小さな丘を敵と味方が命がけで取り合う。敵を殺し、仲間が死んでいく日常。
そこには温かい料理も、美味しいお菓子も存在しなかった。
食事と言えば、灰色の紙に包まれた歯の折れるほど固いパンと、冷え切った塩水のようなスープだけ。
美味しいお菓子など望むべくもない世界だった。
そんな世界で、エレオノーラは「美味しいもの」に飢えていたのだ。
そうしてエレオノーラが見つけたのが、煙草だった。
きっかけは、何気なく目に入った男性兵士たちだ。
彼らは休憩中に懐から煙草を取り出して火をつけた。煙草を吸い、煙を吐き出した瞬間、ほんの一瞬だが、疲れ果てた彼らの顔が「美味しいもの」を食べたときの顔に変わったのだ。
その瞬間に、この灰色の世界に色がついたように思えた。
灰色の世界で見つけた、唯一の「美味しいもの」。
エレオノーラはさっそく試してみることにした。
兵士に支給される物品には必ず煙草が含まれていた。
もちろん白百合中隊のものにも含まれていたが、煙草を吸う者がいないため、今までまとめて仕舞い込まれていたのだ。
倉庫に置いてある木箱を開けると、そこには色とりどりの煙草が詰まっていた。
支給される物品のほとんどが灰色や茶色の紙に包まれているのに対して、煙草は帝国で売られているものがそのままの色合いで詰められていた。
「見つけた……」
私が見つけた、美味しいもの。エレオノーラはそう思った。
箱の中から青地に白い城が描かれた箱を手に取ると、手荷物の中に忍ばせた。
任務と任務の間の、わずかな休憩時間。
硬いパンを塩水で流し込むと、整備場の隅に腰かけた。
手荷物の中から煙草を取り出す。
さっそく吸ってみようと思ったが、どうすればいいのか分からない。箱を見ても説明など書いていなかった。
何とか封を開けて煙草を手にとってみたものの、どうやって火をつければいいのやら。
煙草を睨みつけているエレオノーラに、声をかけた男がいた。
「おっ、珍しい煙草をもってるな! 今はそいつ、配給されてないんだよ!」
身なりもだらしなく、いかにも軽薄そうな男だった。
エレオノーラが怪訝な視線を向けているのも気にせず、男は話し出す。
「なんだ、煙草は初めて吸うのか? よし、それじゃあ俺が教えてやるから1本よこしな」
エレオノーラが了承する前に、男は煙草を1本奪っていった。
「こいつは詰めが甘いからな、ちょっと叩いてやるのがコツだぞ」
そう言って煙草を掌の上にトントンと軽く叩きつけ、懐からマッチを取り出した。
「軽くくわえて、少し吸いながら火をつけて……すぅーと吸い込んで、はぁーと吐く」
その時、男の顔に「美味しそうな」表情が浮かんだ。
「こんな感じだ、やってみな!」
相変わらず怪訝な顔を崩さないエレオノーラであったが、男の表情を見て期待が膨らんだ。
「やっと美味しいものに出会えた」
そう思った。
男の言うとおりにやってみる。
「すぅーと吸い込んで……」
そして、盛大にむせた。
「げほっ、げほっ! よくこんなもの吸えるわね! げほっ……」
「まぁ、最初はそんなもんだ! で、どうだ?」
男が味の感想を聞いてくる。
「まずい」
エレオノーラは正直に答えた。
「そりゃあ残念。もういらないなら、俺がもらってやるぞ!」
男がにこにこしながら聞いてくる。
その時、なぜだかエレオノーラは煙草を手放したくないと思った。
やっと見つけた「美味しそう」なものを、手放したくなかったのかもしれない。
「いやよ、これは私が吸うわ」
げほげほと咳き込みながらエレオノーラがそう言うと、男は一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻った。
「おっ? そうか! 煙草仲間が増えるのは歓迎するよ! うまい煙草があったらまた分けてくれよ!」
そう言いながら、男は去っていった。
その時出会った軽薄な男、海軍少尉レノア。
その男は今……。
「よぉエレオノーラ! 今日は何吸ってるんだ?」
相変わらずエレオノーラに煙草をねだりに来る。
以前と違うのは、
「今日はこれよ」
太陽に鉄道の絵が描かれた煙草の箱を見せる。
「私のも1本あげるから、あなたのもよこしなさい」
「あぁわかったよ、1本ずつな」
そう言ってお互いの煙草を交換する。
レノアはさっそくもらった煙草に火をつける。
「おぉ、やっぱりこいつは癖強いなー」
「帝都で人気がないのが来るのかしら? みんな癖強めよね」
煙草の感想を言い合う煙草仲間が、そこにいた。