定期哨戒を終え帰還した白百合中隊は、整備所へ戦車を入れた。
「いつものように燃料の補給と点検をするように」
「点検が終わったら大休止」
「クラリス、私は報告へ行くわ」
「わかりました、あとはお任せください」
クラリスがそう言うと、エレーナは指揮所に向けて歩いていった。
報告を終えたエレーナが整備所に戻ってくると、整備所近くの木陰に人が集まっていた。
その見慣れた光景に、エレーナは少し離れた場所の木箱に腰掛けた。
人だかりの中心には、ひとりの少女がいた。
「帝都から北へ、そうですね……2か月ほど馬車で揺られたところでしょうか」
イザベラがぽつりぽつりと語る周りには、目を輝かせた兵士たちが何人か座っていた。
いつからだろうか、休憩中のイザベラの周りには、自然と兵士たちが集まるようになっていた。
「私の家は帝国の最北、北部山脈の向こう側。目の前には北の荒れた海が広がり、背後には北部山脈が迫る、そういった場所でした」
「帝都に出るまでは隣の貴族領までしか行ったことがなかったので、旅の途中で立ち寄った都市の大きさに驚いたものです」
そう言って、彼女はふふっと笑った。
彼女の領地は帝都から遥か離れたところにあり、帝都に向かう道すがらに見た風景や各地の名物などを語るうちに、それが兵士たちの娯楽になっていたのだった。
帝都から始まった旅情の思い出は、ついに彼女の故郷までたどり着いたようだ。
今日は、イザベラの故郷について語っている。
「秋になると干し魚を作ります。最近、スープに入っているあのお魚です」
「北の海はとても荒れます。その荒れた海に、漁師たちは船で出ていくのです」
「浜に帰ってきた船には、魚が山積みになっています」
「領民も私たちも、毎日毎日、魚をさばいて干して……」
「保存食とする分と、帝国に収める分。それをすべて作らなければなりません」
「とても忙しくて大変でしたが、領地が一番活気のある時期ですからね、楽しかったです」
「今日の魚も、もしかしたら私の姉妹が作ったものかもしれませんよ?」
そのお茶目な言い方に、周りを囲んでいた兵士たちから小さな笑い声が漏れた。
「冬は、秋から打って変わってとても静かな季節です」
「雪が人の背より高く降り積もり、一日中薄暗く、日がほとんど上りません」
「冬の間は外に出られませんから、家の中でお仕事をしました」
「父は木彫りの食器を作り、母は編み物。私たち姉妹は春の市で売る刺繍を作りながら、春を心待ちにしていました」
「帝都に出てすぐの頃は、雪の降らない短い冬に驚いたものです」
長い冬の静かな暮らしの話を、兵士たちはしんみりと聞いていた。
「北の春は、とても遅くやってきます。帝都に夏の風が吹き始める頃でしょうか」
「冬を越えた木々が芽吹くころ、野に出て山菜の芽を摘みます」
「干し魚と山菜のスープ。久しぶりに食べる保存食以外の食べ物は、体に染み渡る美味しさです」
「春には、お隣の領と一緒に市が開かれます」
「冬の間に作った物を並べて、家族で売るのです」
「遠い都市からやってくる方もいらっしゃるので、とても盛り上がるのですよ」
長い冬を乗り越えた喜びを嬉しそうに語るイザベラを見て、兵士たちはほほ笑んだ。
「夏は遅く来て、早く過ぎていきます」
「木々の葉も、短い夏を楽しむように鮮やかに野や山を飾ります」
「森の中には赤や紫の木の実が実り、姉妹でその実を摘み、色取り取りの甘い瓶詰を作ります」
「母が枝パンを焼いてくれて、そこに甘い果実を乗せて食べると、とても幸せな気持ちになりました」
「それから、北部山脈が青く輝き、とても美しいのです」
「私は、夏が好きですね」
季節を思い出すように、兵士たちは静かに話を聞いていた。
遠く離れた故郷を懐かしむように、イザベラの語りは続く。
話を聞いていた兵士たちのほとんどは、自分が生まれた場所で生き、生まれた場所で死ぬ。
遠く離れた場所へ旅をする事など一生無い。
彼らはイザベラの語りによって、自分が訪れることのない場所へと旅をさせてもらっているのだ。
少し離れた場所で聞いていたエレーナは、見事な語り口だなと感心した。
そうして、小さく手を叩いた。
それにつられるように、イザベラを囲む兵士たちからも温かい拍手が巻き起こる。
その中心の少女は少し顔を赤らめ、はにかむように頬を抑えた。
「元々は教師となるために帝都まで出てきたと聞いたけど、納得ね」
エレーナはぽつりと呟いた。
エレーナと同じく、少し離れた場所に腰かけ、手仕事をしながら聞いている兵士がいた。
整備中隊の伍長で、イザベラの語りには毎回顔を見かける男だった。
イザベラは語りの途中で、ちらりとその男の方を見ては、すぐに視線を戻していた。
たまに目線が合うのだろう、その時は少し慌てながら視線をそらせていた。
「あら、そろそろ休憩の時間が終わりますね」
イザベラがそう告げると、周りに集まっていた者たちが立ち上がり、服の埃を払って各々の持ち場へ歩き出す。
皆、名残惜しさと次の語りへの期待を表情に表していた。
整備中隊の伍長も立ち上がり、先ほどまで作っていた木彫りの小物をイザベラのそばへ置いた。
「イザベラ様、稚拙なもので申し訳ありませんが、私の故郷のお守りです」
「家に帰れる、そのような願いが込められたものです」
伍長は静かに言った。
「とてもかわいらしいお守りですね。これは何かの動物でしょうか?」
イザベラは、手のひらに乗せたお守りに顔を近づけて言った。
「南部の水辺に住む生き物を模しています」
「古代語の発音ですと『無事に帰る』、それに似た音になるそうです」
伍長は自らのお守りを手のひらに載せる。
「私の物は母が作ってくれました。旅立つ者の無事を祈る、故郷の風習です」
それを聞いたイザベラは、あぁなるほど! という顔をした。
「昔読んだ本に書いてありました」
「私の故郷にはいないのですが、こういった姿をしていたのですね」
手のひらのお守りを見つめる目には、好奇心があふれていた。
「ありがとうございます。大事にしますね」
そう言ったイザベラの表情は、今日一番輝いていた。