その日、帝国軍基地には普段と違うエンジン音が響いていた。
「こうしてみると、案外小さいのね」
エレーナはそう呟いた。
白百合中隊の面々の前にある、一台の戦車。
それは普段、照準器越しにしか見ることはなかった相手、連邦軍の戦車だった。
共同作戦の折に鹵獲されたうちの一台である。
「……外から見て小さいと思ったけど、中に入るともっと狭いわね……」
エレーナは砲と弾薬の隙間に体を押し込んだ。
「でも、弾頭と装薬が分かれているので、装填は楽そうですよ」
普段は狭い車内で重い弾薬を振り回している装填手のルルが言った。
「この辺りが、野砲を走らせた、と言われる所以かしらね」
「アンナ、少し動かしてみなさい」
「了解」
普段と違い戦闘室と操縦室を遮るものはなく、エレーナの足元にはアンナの背中が見えていた。
「アンナ、変速機を中立にして少し吹かせ。回転が合わないと弾かれるぞ」
ハッチから整備兵が覗き込んだ。
「……了解」
少し緊張したアンナの声。
ごうごうとエンジンが唸りをあげる。
鈍い衝撃が車体から伝わり、全体が揺れ出した。
「行きます!」
アンナの声とともに、戦車が動き出した。
「……ずっと揺れているわね」
「ヴィクトリアとは違いますね……」
エレーナの呟きに、ルルも頷いた。
「視界も狭いし、照準線も揺れる。どうやって戦うのよ、これは……」
照準器を覗いたエレーナは、もはや呆れていた。
車長席のペリスコープの視界は極めて狭く、照準器は暗い上に補助線などもない簡素なものだった。
「操縦は案外楽ですよ! エンジンが粘ります! 変速機はだめ!」
操縦席からアンナの声が響く。
「大体わかったわ!アンナ、戻りなさい!」
「了解!」
辺りを一回りした戦車は、整備場へと戻った。
「ふぅ……」
狭い車内から脱出したエレーナは、大きく息を吐いた。
「皆も中を見てみなさい」
中隊の面々にそう告げると、整備場の隅に腰を下ろした。
「お疲れ様です」
クラリスがそう言って、カップに入った水を手渡す。
エレーナは一息にそれを飲み干した。
「初めて戦車を動かした時と同じくらい疲れたわ……」
「そんなにですか?」
「あなたも後で乗ってみれば意味が分かるわ」
エレーナはカップに口をつける、中身はもう空だった。
狭い、暗い。
それが全てだった。
初めて3号に乗った時も、なんて狭くて暗いのだろうと思った。だが、連邦の戦車はそれ以上だった。
一度乗ってしまうと、身動きはほとんど出来ない。砲と弾薬と機械、それらの隙間に人が詰め込まれている。
戦車は人を守るのではなく、ただの部品として飲み込んでいる、そう感じた。
「どうして連邦があんな戦い方をするのか疑問だったけれど、今日よく分かったわ」
「目的地まで進む、止まる、撃つ。それしか出来ないんだわ」
エレーナはどこかで「連邦の戦車兵は勇敢だ」と思っていた。
だが、今日それが間違いだと知った。一度あの戦車に詰め込まれてしまえば、指示通りに動くしかないのだ。
それが例えどんなに危険でも、どんなに恐怖しようとも、そうするしか生き残る術はない。
「一通り検分が終わったら報告書をまとめるわ。皆を資料室に集めておいて」
エレーナがそう告げると、「承知しました」とクラリスは再び連邦戦車の元へと戻っていった。
「それでは、あなたたちの感想を聞かせて」
資料室に集まった隊員たちは、各々が感じたことや技術的な面について報告していった。
各車の車長たちが乗員の報告をまとめていくが、どの報告も概ね同じような内容になった。
「私はそれほど悪く感じませんでした。変速機の使いにくさはありましたが」
操縦手としての感想を述べたアンナに続き、他の操縦手たちからも似たような評価が上がった。
操縦性自体にはさほど問題はなく、変速機などの難点も訓練によって解決できるだろう、というものだった。
「実際に装填動作を試したわけではありませんが、ヴィクトリアよりも作業は楽だと思います」
ルルをはじめとする装填手たちの感想も一致していた。
弾頭、装薬、雷管と手間はかかるものの、それぞれが小さいため負担は軽いという。
5号に乗り換え、重く長い弾薬に悩まされてきた彼女たちらしい着眼点だった。
一方で、車長たちの評価は分かれた。
「私は視界の悪さと、照準器の使いにくさが気になったわね」
エレーナの率直な感想と同様に、内部の窮屈さや視界の狭さを指摘する声も多かったが、異なる意見もあった。
「実際に戦闘に参加してみなければ分かりませんが、姿勢の低さから来る低視認性は、戦闘において有利かと思われます」
イザベラがそう評したように、外観の低さによる隠蔽性を評価する車長もいたのだ。
攻撃力を重視するのか、あるいは敵からの見つかりにくさを重視するのか、車長の性格が表れる結果となった。
そして、すべての乗員に共通していた感想が「不自由さ」だった。
自分の意志で動ける範囲が極めて少ない。それは「戦車とは馬であり、戦場を共に駆ける仲間である」という帝国陸軍の戦車兵に共通する思想とは、かけ離れたものだった。
「私は、これに命を賭けたくはないわ」
エレーナがそう言うと、白百合中隊の面々は深く頷いた。その不自由さは、戦車兵にとっては到底許容できないものだった。
「それでは私はこれを持っていくわ。今日はこれで終わりだから、明日の朝までは自由に過ごしなさい」
報告書をまとめ終えたエレーナが資料室を出ていく。隊員たちは姿勢を正してそれを見送った。
とある執務室の戸を開けると、一人の士官がいた。
男は立ち上がって敬礼を送り、エレーナも敬礼を返す。
「他に人はおりません、どうぞ今まで通りに」
エレーナがそう言うと、男は姿勢を崩した。
彼は帝都で彼女たちに戦車の基礎を叩き込んだ、かつての教官だった。
「子供のお守りだと思っていたが、こっちが頼っているようじゃ世話ねぇな」
教官はエレーナから受け取った報告書に目を通すと、苦笑いを浮かべた。
「大体読ませてもらったが、お前の口から直接聞きたい。どうだ、使えそうか?」
「……難しいでしょう」
エレーナは言い切った。
「形こそ似ていますが、あれは我々の物とは違います」
「車長の中には評価している者もいたようだが?」
教官が報告書に目を落としながら言う。
「ええ、姿勢の低さを評価している者もおりました。ですが、あれで戦場を駆けることは無理だとも言っておりました」
エレーナがそう告げると、教官は報告書から目を離して彼女を見た。
「その結論になるだろうな。今さらあれに戦い方を合わせるなど無駄だ。惜しいことだがな……」
そう言うと、教官は報告書をテーブルに置いた。
共同作戦によって、多数の連邦戦車が弾薬と共に鹵獲されていた。その数は2個中隊を運用できるほどであり、その実戦評価を白百合中隊が任されていたのだ。
「予定通り、要塞に固定しての運用が良いだろう」
「ええ、それが良いと思います。誤射の危険もありますので」
「わかった。この報告書は俺から上に回しておく」
「よろしくお願いいたします」
用件が済み、エレーナが立ち上がろうとした時、ふと教官が何かを考え込んでいるように見えた。
「まだ何かございますか?」
エレーナが声をかけると、教官ははっとした顔をした。
「いや何、大したことじゃない。俺ならあれでどう戦うか、ちょっと考えていただけだ」
「戦い方、ですか?」
エレーナはそう聞き返すと、目を瞑った。自分なら、あの不自由な戦車でどう隊を動かすか。
しばしの沈黙。
それを先に破ったのは、エレーナだった。
「私なら、隊を二つに分けます」
「ほう?」
教官は先を促した。
「先行して敵に突撃する部隊と、後方で足を止めて砲撃を行う部隊です」
「先行部隊は攻撃を行わず、全速で敵の陣形を突き抜ける。敵がその突撃を止めようと陣形を乱したところを、後方部隊が仕留めるのです。私たちの『移動と射撃』の応用ですね」
エレーナは手振りを交えて説明した。
「確かに、それなら行けるかもしれないな」
教官は納得したような表情を浮かべた。
「連邦では全車が突撃した後に停止して射撃体勢に移るが、その役割をあらかじめ分担させるわけか」
「連邦の戦車は停止した後の車体の揺れが収まるのが遅い。私たちはそこを狙ってきたわけですが……」
エレーナが補足を加える。
「大尉のその戦術を取られると、こちらとしては厄介だな……」
教官は腕を組んだ。
「突撃してくる部隊を無視するわけにもいかない。しかし、足を止めれば後方の部隊に狙い撃ちにされる……」
教官はしばらく考え込んでから言った。
「後方に指揮官車を置いて、先行部隊を誘導する形か」
「やっていることは今と変わらないのですから、向こうが気づけば十分に可能でしょうね。照準器の不利もそれで補えます」
エレーナはそう締めくくった。
「簡単にだが、大尉のその運用論について上に上げていいか?」
「ええ、私は構いません」
「それでは私はこれで失礼いたします」とエレーナが告げて部屋を出ようとした時も、教官はまだ、何事かを深く考え込んでいた。