「エレオノーラ様、またお願いしてもよろしいでしょうか……」
ひとりの兵士が、戦車の陰で煙草をくゆらすエレオノーラに声をかけた。
「故郷の幼馴染のあの子でよかったかしら? いつも通り煙草一箱よ」
「それから、私に『様』はいらないわ。明日までに書いておくから、また取りに来なさい」
エレオノーラがそう言うと、どこか幼さを残した兵士は笑顔で煙草を手渡した。それから自分の近況や、相手を心配する気持ち、早く帰りたいといった胸の内をひとしきり語り、「よろしくお願いします」と言って去っていった。
代筆屋エレオノーラ。
それがここでの彼女の副業だった。
帝国各地から集められた兵士たちには、文字の読み書きが達者でない者が少なくなかった。
読み書きができるという者でも、自分の名前と出身地、そして今日あったことを単語で並べて書くのが精一杯、というものが大半だったのだ。
そのため、帝都やその他の地域でも、大事な手紙を送る際に代筆屋を頼むということは至って普通のことだった。
ある時、手紙を書いていたエレオノーラにある兵士が頼み込み、手紙を代筆してもらった。
お代は煙草一箱。
それが、代筆屋エレオノーラの始まりだった。
もっとも、エレオノーラは白百合中隊の支給煙草を独り占めしているため、お代の煙草にそれほど意味はない。
今でも続けているのは、趣味のようなものだった。
今やってきた兵士には、故郷に幼馴染がいる。
隣の農家の娘で、お互いに好意を寄せ合っており、結婚の約束をしているそうだ。
志願兵となったのは、お金を貯めて畑を買い、彼女と結婚するためだという。
またある兵士は、故郷の母と弟へ自分の無事を知らせる手紙を書いてほしいと言ってきた。
別の兵士は、残してきた妻と子供たちからの手紙を読んで聞かせ、その返信を書いてほしいと言ってきた。
借金取りに「今は戦争中だからちょっと待ってくれ」と書いてくれ、なんていう兵士もいた。
それぞれに、さまざまな人生がある。そこにエレオノーラが手を添え、言葉を届けていく。
それが何とも面白く感じられたのだ。
帝都にいた頃は、手紙が嫌いだった。
良いことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、すべてを包み隠しながら書かれている貴族の手紙。
季節の挨拶や華やかな日常、楽しげなことしか書かれていないのに、その文面からは殺気しか感じられない。
そのような世界にいたからこそ、純粋な想いをそのまま伝える兵士たちの手紙に、エレオノーラは惹かれたのだった。
「さて、どのように書こうかしら」
エレオノーラの代筆屋が人気なのには、もう一つ理由があった。
ただ言葉を書き写すだけでなく、話を聞き取り、そこから感じ取った感情をうまく盛り込んだ手紙にしてくれるのだ。
本人がうまく言葉にできなかった気持ちが、そこには込められている。
受け取った相手からの返事にも、「相手の距離を近く感じることができた」と好評だった。
鉛筆を持ち、軍用の簡易な便箋を手に取ったところで、いつもの声が聞こえた。
「よお、エレオノーラ! 今日も繁盛しているな!」
煙草仲間のレノア少尉だった。
「『様』をつけなさいよ、エレオノーラ『様』よ」
エレオノーラは腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。
「あいつらには『様』をつけるなって言ってただろ?」
「敬意を払いなさいということよ。あの方たちはあなたと違って礼儀があるわ」
「それは大変失礼いたしました、エレオノーラ様」
レノアがわざとらしく敬礼をし、エレオノーラもそれにわざとらしく「それならばよろしい」と頷いてみせる。
「それで、私に何か用かしら?」
「すげーものを手に入れたんだよ! ほら、これだ!」
レノアはそう言うと、鞄の中から封の切られていない煙草の箱を取り出した。
「太陽……砂漠……海……えっ? これ、南方の煙草じゃないのっ?」
その絵柄を見て、エレオノーラは驚きの声を上げた。
「こないだ南の武官が前線視察に来てただろ? その案内役を俺が務めたんだよ。そうしたら『煙草を交換してくれ』って言われてさ」
海の向こうにも煙草好きはいるんだなーと、レノアは思い出したように話し出した。
「それで? 私に見せるということは、それを献上してくれるのかしら?」
エレオノーラがいたずらっぽく言う。
「交換な! 交換! 俺だって吸いたいのを我慢して我慢して持ってきたんだぜ! お前の10本と、これ10本だ!」
敬意も礼儀の欠片もないレノアの口の利き方にエレオノーラは眉をひそめたが、その手はすでに自分の煙草ケースへと伸びていた。
二人は新しい煙草を口にくわえた。レノアがマッチを擦って自分の煙草に火をつけると、その残り火をエレオノーラに差し出す。
二人は同時に吸い込み、そして同時に煙を吐き出した。
そして、
「「まずい」」
感想も見事に一致した。
「あれ? まずい……よな? これ?」
期待が大きかった分、その落差にレノアは自分の味覚が分からなくなっている。
「いや、まずいわよこれ。癖が強いとか、そういうのじゃないわ」
レノアの困惑した反応で冷静になったエレオノーラには、そのまずさがはっきりと理解できた。
「なんだよこれ! 失敗した!」とレノアが頭を抱えて嘆く。
「そもそも、これ本当に煙草なの? 燃え方もおかしいけれど」
エレオノーラは火のついた煙草を見つめた。
それはパチパチと音を立てて爆ぜていた。
レノアももう一口吸ってみるが、やはりパチパチと音がする。
「慣れたら案外いける……か? いや、やっぱりだめだ!」
帝国の洗練された煙草に慣れてしまった二人には、南方の煙草は到底合わなかった。
そもそも南方の大地は煙草の栽培に向いておらず、かさ増しのために香草を加えているため、もはや煙草とは言えない代物だったのだ。
「ねえ?」
頭を抱えているレノアに、エレオノーラが声をかける。
「いらないなら、その煙草の箱を頂戴よ」
「あぁ! やる! 全部やるよ! 俺のとっておきを交換したのに!」
相変わらず「失敗した!」と嘆きながら、レノアは箱ごと投げ渡してきた。
まずい煙草。
それでも、二人はそれを手放さなかった。
まずい、まずいと言い合いながらも、煙草はパチパチと音を立てて短くなっていく。
最後にひと吸いすると、二人はそれを地面に落とし、靴の裏で踏み消した。
「今度はうまい煙草を持ってくる!」そう言い残して、レノアは去っていった。
「まずいですって」
エレオノーラは思わずクスリと笑ってしまった。
帝都にいた頃は、「まずい」などと言葉を直接相手にぶつけることは決してなかった。
自分の思ったことをそのまま口にする、そのなんとすがすがしいことか。
「内容は決まったわ」
エレオノーラは再び便箋と鉛筆を手に取った。
『ここの食事は味気なく寂しい。君の手料理が恋しいよ』
そう心の中で呟きながら、便箋の上を滑らかに鉛筆を走らせていった。