「わたくし、家では淑やかにしなさいと叱られていましたの」
「でも私は剣を振るうのが好きでして、いつも外で遊んでいましたわ」
そう言って、マリアは笑った。
白百合中隊は、基地の夜間警戒任務にあたっていた。
戦況が落ち着いている今、監視中はともかく、休憩中の人員にとっては穏やかな時間だった。
焚火で湯を沸かし、兵士たちは茶を飲みながら火を囲んでいる。
郷愁を誘うのか、一人、また一人と自分の故郷や過去の話を始めていた。
マリアの家は「剣の家」と言われている。
初代当主がかつての中央回廊において目覚ましい活躍を見せ、その功績によって貴族に列せられたのだ。
帝国貴族の中では、比較的歴史が浅い部類に入る。
歴史の古い貴族では、エレーナの「百合の家」や、クラリスの「楓の家」のように植物が象徴となっている。
その次の年代に興った家には動物が。
そして、帝国貴族で最も新参にあたる家には、剣などの武具を象徴する名がつけられていた。
帝国貴族はさらなる武勲を求める。
だが、時代が、あるいは本人の資質がそれを阻むことがある。
マリアの家は、まさにそれにあたった。
武に優れた者が生まれた時には戦場がなく、戦場があっても武の才に恵まれない。
そのような不遇な時代が続いてしまっていた。
だからと言って家が蔑まれるようなことはない。
戦場において功績をあげた、それがたとえ過去のことであっても、帝国では皇帝が認めた功績というのは絶対なのだ。
しかし、当人たちはまた別だ。
武によって取り立てられたのに、その武を示せない。
そこには静かな焦りがあった。
「鉄の馬に乗ったのは、わが家では私が初めてなのです。おじいさまたちが見たら、一体何と言うでしょうか」
屋敷の広間に並ぶ先祖の肖像画は、どれもみな勇ましい姿をしていた。
「エレーナ様、私もいつか、あそこに並べますかね?」
そう言ってマリアは笑った。
剣を振るな、淑やかにしろと言われて育った少女が、今や最も武を示している。
それは何とも皮肉なことだった。
「あなたなら、きっとその列に並べるわ」
エレーナはそう言った。
夜の雰囲気がそうさせたのか、普段の彼女にしては軽い物言いだった。
「でしたら、皆で一緒に描いてもらいましょう! エレーナ様を中心に据えて!」
「それはいいね」
「私もよろしくね」
焚火を囲む者たちから、次々と賛同の声が上がる。
「楽しみなことができましたね」とマリアが笑うと、エレーナは静かに言葉を返した。
「この戦いに勝ったら、私の家に来なさい。肖像画を描いてあげるわ」
エレーナの言葉に、その場の空気が一瞬で静まり返った。
「それは……さすがに恐れ多いです……」
さきほどまでの威勢はなくなりマリアが一回り小さくなった。
「あら? 別にいいじゃない。私たちはみんな仲間でしょう?」
仲間外れにしないでほしいわ、とエレーナは付け加える。
「大変ありがたいお話ではあるのですけれど……」
マリアはまだ恐縮して小さくなっている。
「ふふ、ではそれは帰ってから決めましょうか」
エレーナは優しく微笑んだ。
「今はみんなで帝都に帰る、それだけで十分よ。大変だけれど、頑張って頂戴ね」
「もちろんです、エレーナ様!」
「がんばります!」
頼もしい声が夜の空気へと響いた。
「それじゃあ、私は少し様子を見てくるわ。あなたたちはここで待機していなさい」
そう言ってエレーナは立ち上がり、警戒中の部隊がいる方へと歩いて行った。
焚火の明かりが遠ざかり、闇が増す。
それにつれ、先ほどまでの微笑みも消えていく。
「あの子たちを煽ったようで、嫌な感じね」
エレーナはぽつりと呟いた。その言葉は、中央回廊の深い闇の中へと溶けていった。
暗闇に目が慣れてくると、戦車の影が見えてきた。
「クラリス、今夜は動きそう?」
ハッチの上に腰掛けていたクラリスに尋ねる。
「星がとても綺麗に見えますよ」
クラリスは夜空を指さした。
「真面目にやりなさいよ」
エレーナは幼馴染を窘めたが、自身も夜空を見上げた。
月のない夜空には、空をを埋め尽くすほどの星が輝いていた。
その明かりで大地が照らされるほどだった。
「静かね」
「向こうのも、そう思っているんじゃない?」
クラリスは笑った、その時だった。
「…………?」
戦車の中から、くぐもった声が響いた。
「エクメア、どうしたの?」
クラリスが素早くハッチから車内へと体を滑り込ませる。
「見える? ……わからない?」
「エレーナ、砲手が何か見えると言ってるわ」
クラリスは顔だけ出すとエレーナにそう伝えた。
「何が見えるの?」
「暗すぎてよく分からないみたい。けれど、人影のように見えるって」
「人影……」
エレーナは目を細めた。
「指揮所にこちらの前方に味方がいるか確認して。発砲は確認が取れるまで待機。各車に通達して」
エレーナが指示をだすと、空気が一気に張り詰めた。
「……前方に味方の部隊はいないみたい」
クラリスの表情にも、緊張が満ちていた。
「……照明弾を要請。こちらの合図で発射させて。全車、エンジン始動」
「了解、エンジン始動」
エレーナの指示が伝わると、先ほどまでの静寂は、低く響くエンジン音によって掻き消された。
「エレーナ様! 何事ですか!」
異変を察知し、休憩していたマリアたちが慌てて駆け戻ってきた。
「まだわからないわ、車内で待機して」
「了解!」
マリアたちは即座に向きを変え、自分たちの戦車へと飛び込んでいった。
「エレーナ、照明弾準備完了、いつでもいける」
クラリスがハッチから告げる。
「照明弾が上がっても暗くて見えないわ、同軸機銃を使いなさい」
「クラリス、指揮はあなたがとって、私は少し離れて様子を見るわ」
「了解、指揮を引き継ぎます」
クラリスはそう言うとハッチを閉めた。
エレーナが自身の1号車へと戻ると、すでに戦闘準備は完了していた。
「少し距離を置いて、観測位置へ移動するわ」
「了解」
操縦手が応じ、戦車はゆっくりと動き出した。
『2号車から各車へ。榴弾装填、照準は同軸機銃。射撃開始の指示を待て』
クラリスの無線が聞こえる。
「1号車了解。観測位置についた」
エレーナは無線に返信する。
各車からも次々と了解の返事が返る。
「白百合中隊より指揮所へ。照明弾発射せよ、照明弾発射せよ」
『了解、照明弾発射』
返事があると同時に、遠方でドスンという発射音が轟いた。
一瞬の静寂の後、月明かりに照らされたようにあたりが青白く照らされた。
2号車から曳光弾が放たれ、赤い筋が木々の茂みに吸い込まれていく。
近い。
主砲は放たれると同時に着弾した。
地面が爆ぜ土塊が舞い上がった。
「テラ、何か見えた?」
エレーナは砲手に尋ねた。
「主砲が着弾する直前、縦列のような影が見えた気がしますが……はっきりとは捉えきれませんでした。照明弾も、落ちました」
テラが答える。
「そのまま注視、遮蔽物も確認して」
「了解」
テラは再び照準器を覗き込んだ。
エレーナはハッチをあけ身を乗り出すと双眼鏡を覗いた。
暗い闇の中に土煙が見える。
照明弾の明かりが消え、空には満天の星が戻ってきていた。
「今日の夜は長そうね」
エレーナはそう呟き、車内へ身を沈めた。