「エレオノーラ様、少しお時間をよろしいでしょうか」
海軍将校の制服に身を包んだ男が声をかけた。
「あら? 本日は少尉でいらっしゃるのね?」
エレオノーラは笑いをこらえながら返事をする。
「えぇ、先日の件で部隊長より指導をいただきまして。貴族の方に礼儀を払うように、と」
男は努めて真面目な表情を崩さない。
「お前が少尉でなければ営倉送りか、帝都なら縛り首だ。そのように温かいお言葉をいただきました」
「今日のあなたはとても素敵に見えますわ」
エレオノーラはもう笑いをこらえきれなかった。
「……もういいだろ? いいもの持ってきたんだ。あっちに行こうぜ?」
真面目な海軍少尉レノアはそう言って、小さな物置小屋を顎で示した。
「あー、息が詰まる……」
襟元を緩めてレノアは大きく息を吐いた。
「それで?」
「ん?」
「良いものって何よ」
レノアは「あぁ」と言って鞄の中から封の切られた煙草を取り出し、エレオノーラに手渡した。
その煙草の箱には、険しい山並みに杉の木が描かれていた。
「北部山脈に……三本杉……」
「あら? 産地は知らないけれど、普通の帝国煙草じゃない。私も吸ったことあるわよ?」
エレオノーラは肩透かしを食らったと思った。
「エレオノーラが吸ったことあるのはコイツだろ?」
そう言ってレノアはもう一つの煙草の箱を手渡した。
その箱にも北部山脈に杉の木が描かれていた。
だが、
「えっ?」
エレオノーラは驚きの表情を浮かべる。
後から渡された箱には杉が一本、最初に渡された箱には三本の杉が描かれていた。
よく似てはいるが、印刷の色合いは微妙に違っていた。
頭の中に疑問が浮かぶエレオノーラに、レノアは一つ答えを与える。
「連邦の煙草だ」
その言葉にエレオノーラは驚愕した。
「連邦じゃ煙草は育たないんじゃなかったの!?」
「あぁ、俺もそう聞いていたんだが……」
レノアは煙草の箱を指さした。
「俺には読めないが、エレオノーラなら読めるだろ?」
エレオノーラは煙草の箱を裏返し、「連邦語」を読み始める。
「北部山脈の冷涼なる恵……」
「杉の家に伝わる伝統の味……」
確かに箱の裏に書かれていたのは連邦語だった。
エレオノーラの頭にはさらに疑問が浮かぶ。
「でも、どうして? この煙草の作りは帝国のものそのものよ?」
手元の煙草に目を移す。箱の作り、口の切り方、煙草の大きさは帝国の物と全く同じだった。
「それに……これに描かれているのは北部山脈よ?」
煙草の箱に描かれているのは、連邦の山並みではなく帝国北部山脈だった。
北部山脈、高く連なる山並みに雪が積もり、青々と輝くその様は古来より名勝として知られている。
茶器などにも描かれる独特の意匠は、帝国に住む者ならば誰でも知っているものだった。
「なぜ、連邦の煙草に北部山脈が……」
レノアはぼそっと口を開いた。
「まぁ、泥棒貴族だろうな……」
「泥棒貴族」
その言葉を聞いてエレオノーラは口をつぐんだ。
それは帝国貴族に身を置く者として、口にするのも憚られる恥部だった。
しばしの沈黙が流れる。
「とりあえず一本吸ってみろよ」
沈黙を嫌ったレノアはマッチに火をつけ、差し出した。
まだ顔に疑問を浮かべているエレオノーラだったが、箱から煙草を取り出し火をつけた。
そして煙を吸い、吐き出した。
「美味しい……」
思わずそう呟いてしまった。
「だろ? なんだかわからない香りだけど、うまいんだよな」
いつもの軽薄さを取り戻したレノアは、エレオノーラの手から煙草を一本取ると火をつけた。
しばしの間、二人は静かに煙草を味わった。
「どんなところで作っているのかしら? 一度見てみたいものね」
「あぁ、そうだな。こんなに美味いなら……」
帝国でも売れそうだ。そう言いかけたレノアは口をつぐんだ。
「……皇帝陛下の威容に、かの土地もすぐに帝国となりましょう」
エレオノーラに貴族の仮面が下り、先ほどの発言を即座に上書きした。
あまりにも不用意な言葉。
以前だったら決して口から出ることはなかっただろう。
戦場という極限の環境。そして、そんな場所で出会った気の合う煙草仲間との、安らぎの時間……。
「今の俺らにはまだまだ口に合わないな」
「そうね」
素直に「不味い」と言い切れない二人。心にある口に出せない想いが、言葉の切れ味を鈍らせていた。
「また、面白い煙草を持ってくるわ」
「ありがとう」
煙草を分け合い、二人は静かに小屋を出た。
二人だけの静かな時間だったが、その場にいたのは二人だけではなかった。
連邦の煙草をこっそりと吸った翌日、エレオノーラはエレーナに呼び出された。
「エレオノーラ、エレーナ様がお呼びです。執務室へ向かうように」
クラリスがそう告げたのだ。
顔面蒼白になったエレオノーラは手早く服装を正すと、執務室へと向かった。
「エレオノーラ、参りました!」
戸を叩く音とともに緊張した声が響いた。
「入りなさい」
扉の向こうから声が聞こえる。
エレオノーラがドアを開けると、そこにはいつもの軽薄な男ではなく、糊の効いた制服を着て身なりを整えた男が立っていた。
その姿を見てエレオノーラは一瞬固まる。
「エレオノーラはそこに立ちなさい」
「はい!」
若干上ずった返事をすると、エレオノーラはレノアの横に立った。
「最初に言っておくけど、これは軍からの命令じゃないわ。私からのただのお説教だから安心しなさい」
エレーナは二人が全く安心できないお説教を始めた。
「二人が同じ趣味で話をしているのは知っているし、それに何か言うつもりはないわ。好きにしなさい」
エレーナは怖い笑顔を張りつけながら二人に話しかける。
「でも場所は考えなさい」
そして、ちゃんとわかりやすく教えてあげた。
「エレオノーラ」
「はい……」
ひと回り小さくなったエレオノーラが返事をする。
「婚約者のいる貴族令嬢が男性と二人きりになる。この意味が分かるかしら?」
「はい……」
エレオノーラがまた小さくなって答える。
少し驚いた顔をしたレノアにエレーナが話しかける。
「レノア少尉」
「はい……」
こちらは更に背筋が伸びたレノアが返事をする。
「あなたも元貴族なのだから、この意味が分かるでしょう?」
「はい!」
背筋が完全に伸びて棒のようになって答えるレノアを、エレオノーラは驚きながら見つめた。
エレーナは机に肘をつき、頭を支える。
いつもと全く違う雰囲気の中隊長に、二人の緊張はさらに高まった。
はぁ。
ため息を一つ吐くと、エレーナは話を続ける。
「私のところに報告があったわ。自分のところの人間が白百合中隊の方と逢引しているようだ、とね」
もはや二人は身動きが取れない。
「今の二人の反応を見て、私は海軍司令に問題はなかったと報告するわ」
安心しなさい、とエレーナは安心できない言葉を重ねていく。
「私は別に煙草をやめろとも、二人で会うなとも言うつもりはないわ」
でもね、と言うと、
「私がまたお説教するようなことが無いようにしなさい」
今日一番怖い笑顔でそう告げた。
「二人ともわかったかしら?」
「「はい!」」
二人の声は揃っていた。
「よろしい、では行きなさい」
エレーナがそう言うと、二人はとぼとぼと部屋を出た。
「エレーナ様はお優しいですね」
クラリスは微笑みながら部屋を出る二人を見送った。
エレーナは、もうクラリスに返事をするのも面倒だった。
お説教の後、補給所で作業する二人の姿があった。
弾薬箱を運ぶ二人。
「あなた貴族だったのね」
エレオノーラがつぶやく。
「元な、元」
レノアはぶっきらぼうに答えた。
「俺の曽祖父がな、戦場で貴族を守って戦ったんだ。それで一代貴族の爵位と家名をもらったってわけだ」
「それなら貴族じゃない」
エレオノーラが言う。
「貴族なのは爺さんだけだ。そのあとは家名はあるけど平民だ。俺だって普通に試験を受けて士官学校に通ったしな」
レノアは答える。
「それにしてもエレオノーラはその歳で婚約者がいたんだな。さすが貴族様だ」
そう言いレノアは笑った。
「すごいでしょ?」
エレオノーラは悪戯っぽく笑う。
「会ったこともないし、顔も知らないけれどね」
少し暗い。
「手紙のやり取りもあったのだけれど、戦車に乗るようになってからは、手紙の返事はこないわ。男みたいに戦車に乗って、戦場を駆けまわって、そんな女、扱いに困っているんでしょうね」
エレオノーラは笑顔を顔に張り付けた。
「さすが、貴族様だ」
レノアの言葉に先ほどまでの軽薄さはなかった。
弾薬を運び終えると、二人は木陰に腰を下ろした。
「一服するか?」
「えぇ、そうね」
レノアは懐から最後になった連邦の煙草を取り出した。
「最後の2本だ。一本やるよ」
そう言ってエレオノーラに煙草を差し出した。
「いいの? もう手に入らないんでしょ?」
エレオノーラは聞く。
「あぁ」
「でも、怖いお説教も乗り越えた煙草仲間だからな!」
そう言ってレノアは笑った。
エレオノーラも笑った。