「それではエレーナ様はこちらにいらっしゃってください」
「えぇ、任せたわね」
エレーナがそう言うとクラリスは静かに執務室を後にした。
静かになった執務室で机の引き出しから一通の手紙を取り出す。
宛名は
「白百合中隊中隊長 エレーナ中尉殿」
日付は数か月前のものだ。
差出人は
「ストレガ男爵夫人」
白百合中隊3号車車長、ソフィアの母親だった。
「ストレガ夫人、いまだ戦時ゆえ、十分にご注意ください」
マリアは小銃を担ぎ、班員と歩き出した。
よろしくお願いいたします。
そう小さく言うと、ストレガ婦人は歩き出し、護衛の武官と侍女がそれに続いた。
少し離れた場所からは戦車に乗ったクラリスが無言で見守っていた。
「娘の墓に参りたい」
手紙にはそう記されていた。
帝都で溜め置かれていた手紙が届いたのは、共同作戦が終了し、やっと戦況が落ち着いたころだった。
どう返信するか悩んだエレーナだったが、自分の身を守れるならば、という条件で了承した。
それからはクラリスが対応し、ストレガ夫人が中央回廊に訪れることとなった。
当初、エレーナは自分が直接対応するつもりでいたが、クラリスや他の隊員から止められたため、このような形となった。
男爵夫人の「お願い」に侯爵家次期当主が直接応じては、家格の秩序が乱れると判断したためだ。
「こちらが、ソフィア嬢が乗っていた車両です」
マリアは焼け焦げた車体を手で示す。
黒く焼け焦げた車体は数か月の時が経ち、赤黒く錆びていた。
「弾薬が残っている恐れがあります、お手を触れないように」
マリアがそう告げると、ストレガ夫人は少し離れた位置から静かに焼け焦げた戦車を見つめていた。
「あの子のお墓はどちらにありますか?」
ストレガ夫人はマリアたちに尋ねる。
一瞬の沈黙の後
「四人はあの辺りに埋めました」
マリアが示したのは少し離れた小さい丘だった。
「あの頃は辺りに灌木が茂る丘でした」
静かに話し始める。
「私たちは灰を袋に詰め、木の根元へ埋めたのです」
辛い記憶を思い出しながら。
「そのあとすぐにここは激戦地となりました」
小さな丘を取り合う激戦。
「今では面影は残っていません」
そして何もなくなった。
静かに話を聞いていたストレガ夫人は、マリアが示した方へ歩き出した。
だが、
「お待ちください」
マリアが声をかける。
「あちらは軍の管理下に入っております、また不発弾があるため立ち入りが出来ません」
あと少しの距離がとてつもなく遠い。
その言葉を聞いて、ストレガ夫人は膝から崩れ落ちた。
あわてて侍女が体を支える。
護衛と侍女に支えられながらトラックへ乗り込み、ストレガ夫人は軍の用意した宿泊施設に戻っていった。
翌日、昨日のお礼をしたいということで、クラリスとマリアは宿泊施設へ呼ばれた。
「昨日は大変ご迷惑をおかけいたしました」
ストレガ夫人は二人に深く礼をした。
「こちらは、我が領で作らせた膏薬でございます、皆様でお使いください」
側に立つ侍女が手に持った箱をテーブルに置き、蓋を開く。
箱の中には綺麗に磨かれた貝殻が並んでいる。
夫人は懐から同じ貝殻を取り出すと、貝を開いた。中には薄桃色をした膏薬が詰まっていた。
「ストレガ領は帝国の最西部にございます。その海岸には、赤く香りのよい花が咲いておりまして、その花びらを練りこんだ膏薬が当領の名産となっております」
「とても良い香りがしまして、肌荒れによく効くのです」
夫人は貝殻から膏薬を手に取り塗り広げる、すると部屋にさわやかな良い芳香が広がった。
「良い品をありがとうございます。ここではなかなか手に入らない貴重な品、皆も喜ぶでしょう」
クラリスは夫人に礼を言った。
「帝都の方にそう言っていただけると、私も嬉しく思います」
ストレガ夫人は少しぎこちない微笑みを浮かべる。
「あっ、私としたことが、お茶も出さずに失礼いたしました」
「あなた、すぐにお茶を」
夫人がわざとらしく侍女に告げると、すでに準備されていたのか侍女が茶器をもってすぐに現れた。
「失礼いたします」
ティーカップを配り終えると、その中へ小さな赤い球のようなものを入れた。
「こちらは?」
クラリスは前に置かれたカップを見つめる。
「こちらはストレガの花茶でございます」
夫人がそう言うと、侍女がカップにお湯を注ぐ、すると、カップの中で花のつぼみが開いていった。
「このようにカップの中で花が咲くのです、花の色とその香りをお楽しみください」
二人はカップに口をつける。
夫人はその様子を平静を装いながら伺っていた。
「まぁ、見た目も美しいですが、とても良い香りですわね」
クラリスが感想を述べた。
だが、夫人はまだ緊張した様子を隠せなかった。
クラリスは誰にも気づかれないため息を吐くと、一言付け加える。
「とても良い品ですね。これは帝都で待つ家族も喜ぶでしょう、おひとついただけますか?」
そして、ほほ笑んだ。
それは存分に「帝都」を強調した言い方であった。
「まぁ!ありがとうございます!」
ストレガ夫人の表情に安堵の感情が一瞬浮かぶと、慌ててそれをほほ笑みで隠した。
クラリスの「一言」の後からは部屋の空気が緩み、和やかな会話が始まった。
「最初は他の皆さまと一緒にこちらへ伺おうと思ったのですが……大所帯ではご迷惑になると思いまして、私が代表で伺いました」
「娘たちの一部でも連れて帰れればと思っておりました」
ストレガ夫人は相変わらずほほ笑んでいる。
だが、クラリスは表情を取り繕うのに慣れていないな、と感じていた。
3号車の乗員はみなストレガ近辺の者だ。
この中央回廊までは遠い。皆でお金を出し合ってなんとかやって来たと言うところだ。
それでも身の危険があるこの地にまでやってきて、せめて故郷まで連れて帰ってやりたいという思い。
みな故郷では愛されていたのだろう。
「エレーナ様、皆様方のご配慮には感謝しております。我が家も娘も帝都で立場を作ることが出来ました」
礼を述べるその表情は、感謝というより先ほど見せた安堵と同じものであった。
戦死したソフィアの家に宛て、エレーナは手紙を送っている。
内容は、その働きを称え、貴族の矜持を果たしたと言うものだ。
また、白百合中隊が新聞に載った際には、五名の戦死者の名前も載せるように指示していた。
侯爵家の次期当主が称え、また中央回廊の英雄として帝国中で知られている。
地方に生きる貴族にとって、それは「家を繋ぐ」ということに何より重要であった。
「娘が家を出た後、帝都より手紙が届いておりました、皆様方と厳しい訓練に挑んでいると」
「パレードで我が領の近くまで皆様がいらっしゃったときは、家族で見に伺いました」
「久しぶりに見た娘の顔は、とても逞しくなったように思いました」
何かを吐き出すように語る夫人の話を二人は静かに聞いていた。
だが、マリアは何か不穏な雰囲気を感じていた。
それが何かはわからない、しかし、いつもとは違う。
何もすることが出来ないまま夫人の話は続く。
「帝都から手紙が届きました、身支度を整えるように、と」
「私はすぐに帝都へ向かいましたが、娘は中央回廊へ発った後でした」
「手紙を書きましたが返事はありませんでした。」
「そして、娘の戦死を知らせる手紙と遺書が届きました」
夫人はドレスを握りしめた。
重い沈黙が流れる。
マリアは夫人の話がもう頭に入ってこなかった。
気づいてしまった、クラリスの様子が明らかにおかしいと。
見た目は何も変わらない、穏やかな笑み。
しかし、同じ死の淵を歩いたものしかわからない、その感情。
夫人は全く気付いていないようだった。
いつか猛獣の尾を踏んでしまうのではないか、マリアは表情こそ取り繕ったが穏やかではいられなかった。
「それから数か月がたったころ娘の手紙が届きました」
「皆様と中央回廊にいると」
「私たち家族、家、領地、領民のために戦っていると」
「心配しないでほしいと」
ストレガ夫人は下を向き何も語れなくなってしまった。
わずかな沈黙。
しかし、明らかに雰囲気が違う。
「ストレガ夫人はソフィア嬢のことを深く愛していらっしゃったのですね」
クラリスの口から紡がれた、母の愛を慈しむ言葉。
だがその言葉は凍り付いていた。
その言葉を聞いた時、マリアは衝動的にクラリスを見てしまった。
初めて怖いと思った。
夫人は猛獣の尾を踏んだのだ。
マリアはクラリスのことを、優しく包容力がある副隊長、そう思っていた。
確かにカップに花が咲くころはそうだったのだ。
だが、今は違う。
自らの役割を演じていたのだと気づいた。
上級貴族の生き方というものを、まざまざと見せつけられた気分だった。
「自分のために涙してくれる人がいる、そのような者は幸せですね」
クラリスは淑やかに笑った。
ストレガ夫人は、あまりにも彼女たちの境遇について無知だった。
愛する家族から見送られた、ソフィアたちのようなもの。
そして、愛する家族を守るため、身代わりとして送られた娘。
白百合中隊にはどちらも存在した。
「愛する娘を失った、だが帝都で名が上がり、娘も家も立場を作ることが出来た」
夫人の言葉は、身代わりとなった娘たちを侮辱していた。
「彼女たちに良い精霊の導きがあったことを祈っております」
クラリスは穏やかな笑みを浮かべている。
ソフィアたちは残念だったが、私たちの中には死を期待されている者もいる。
その現実を暗に伝えるような笑み。
ここまで来て夫人も様子がおかしいことに気づいた。笑顔は張り付いているが、顔色は青くなっていく。
「ご家族の皆様が幾久しく健やかに過ごせることを願っておりますわ」
一方でクラリスの表情と言葉には一切の揺らぎがない。
「……白百合中隊の皆さまのご活躍を、遠い西の地からお祈りしております」
張り詰めた雰囲気の中、ストレガ夫人はなんとか締めの言葉を口にすることが出来た。
それは白百合部隊の誕生前夜、ある少女の新しい誕生日。
その男は一通の書状を見つめていた。
そこには白百合の紋章。
封をはじくと無言で読み進め、一通り目を通すとため息を吐いた。
「どうしたものか……。おい、お前も読んでみろ」
そして、使用人に書状を手渡した。
使用人も無言で書状を読み進める。読み終えた書状を封筒に戻すと主人に手渡した。
「お嬢様を送られるのですか?」
その言葉に男の顔は酷くゆがんだ。
「バレンシュタイン家も娘を送ると書いてある……断れば我が家など名も残らん……」
書状を握りしめると深く項垂れる。脳裏には娘の顔が浮かんだ。
男は娘のことを深く愛していた。
たとえお飾りの兵であったとしても、あの美しい手に銃を持たせることなどできなかった。
言葉をなくした男に使用人が蔑んだ視線を送るが、男は娘の未来を悲観し気づくことはなかった。
使用人は先々代の当主に拾われ、今までこの家に仕えてきた。
先々代も先代も、まさに帝国貴族を体現した人物であり、それに仕えたことは彼の誇りであった。
しかし、当代の男。
ぬるま湯につかるこの男に、もはや貴族の息遣いを感じることはなかった。
(娘を守るために最悪の手段を選ぶのではないか……)
彼は恐怖した。
何としてでも家を守り、かつて受けた恩をお返しする。
それが彼の矜持であった。
たとえそれが許されざる行為であったとしても。
代を繋ぎ、春を待つ。
そして、彼は禁断の一言を口にする。
「……ソブラニ家に、お嬢様と同じ歳の娘がおります」
その言葉を聞き、男は顔を跳ね上げた。
「そうだ……!早く!早く便箋を持て!」
その言葉を受け使用人の視線は視線は、更に冷ややかなものとなった。
使用人から奪い取るように便箋を受け取ると、その勢いのまま筆を走らせた。
「おい!娘の名は!」
「ヘレン・ソブラニ嬢でございます」
主人に向ける視線、そこにはもはや何の敬意も残っていなかった。
「ソブラニには貸しがある!奴も断れんだろう!」
そう言って男は笑った。
平和の時代を生きる貴族、その生き方は様々だ。
双方の家とも爵位こそ同じだが、そのあり様は大きく違った。
男の家は商才に恵まれた。
元は私兵を維持するために始めた商売であったが、平和により富が富を呼び規模は膨れ上がった。
一方でソブラニ家は苦境に陥っていた。
戦いでしか身を立てられぬ無骨なものに、平和のぬるま湯は、戦場の煮え湯のようであった。
決して誰も語らないが、金の力による上下が確かに存在した。
「おい!侯爵家にはヘレン・ダウニーを送るとお伝えしろ!」
男はもう使用人を見ることすらなく、文を書き殴った。
「承知いたしました、ダウニー男爵様」
使用人の顔には仕える主を間違えた後悔が滲んでいた。