「クラリス、あまり皆を怖がらせないでよ」
エレーナは執務室に入ってきたクラリスに開口一番そう告げた。
マリアから話を聞いた白百合中隊の皆は怯えていた。
「エレーナが優しいのをみんなに教えてあげただけだよ」
クラリスは実に楽しそうだった。
「やりにくくて、しょうがないわ……」
白百合中隊の噂では、ストレガ夫人の不遜な言動にクラリスが激怒した、という話になっていた。
そして、青白い顔で休憩室まで帰ってきたマリアによって、それは裏付けられた。
「あんなに温厚なクラリス様を激怒させるなんて……」
そんな噂話は人を経るたびに移りかわっていった。
そして、
「そんなクラリス様を御せるエレーナ様とは一体どれほどの……」
というところで落ち着いた。
そのため、エレーナが話しかけるたびに、猛獣の前に連れ出されたように隊員たちは固まっていた。
「はぁ……」
「まぁいいわ、私は少し離れるから後を頼んだわよ」
そう言うとエレーナは席を立ち部屋から去った。
「エレーナ様もお好きですね」
主のいなくなった部屋でクラリスはぽつりとつぶやいた。
エレーナが目的地に着いたころ、お目当ての物はすでに終わっていた。
一人の少女を囲んでいた人の群れは徐々にほぐれ、自分の持ち場へと散っていく。
「……遅かったわね」
その原因は、会う隊員すべてに妙に丁寧な挨拶をされ、それを無下にできなかったためだ。
散らばる人影の中に、イザベラと整備中隊の伍長の姿があった。
その二人をちらりと見ると、エレーナは執務室へと足を向けた。
イザベラの青空教室
その終わりにあるいつものやり取り、でも今日は少し違った。
「少し、お時間をいただけますか?」
立ち上がり持ち場へ帰ろうとする伍長を呼び止めたのだ。
伍長は懐から時計を出すと、その針を見た。
今日はいつもより話が短かった、まだ休憩時間はありそうだ。
「えぇ、私でよければ」
伍長はそう答えた。
「私の故郷は帝国北部、北部山脈の向こう側、冬はとても寒く、荒れた海と深い森、そんなところなのです」
「ウィシウス伍長のところは南部とうかがいましたが」
ふとした世間話からイザベラの故郷の話になり、今度はウィシウスに話の主導権を渡した。
「えぇ、私は帝国南部の出身です」
ウィシウスは言葉少なめに返した。
「どのようなところなのか、伺ってもよろしいですか?」
イザベラの問いに伍長が静かに話し出す。
「私の故郷は帝国南部の内海に面した山がちなところです」
「暖かく海の幸が豊かな場所なのですが、私の家は山の斜面の葡萄畑の中にありました」
「鍬を入れると火花が散るような、土の中に石が転がっている荒れた土地です」
「その石を一つ一つ拾い、積み重ねて風よけを作る、子供の頃はよく手伝いをさせられたものです」
「荒れた土地ですが、幸いなことに良い葡萄が採れるので先祖代々ワインを造ってきました」
「今は祖父が葡萄畑を耕していまして、退役したら私が継ぐ予定です」
静かに、それでいて南部の風の匂いが伝わるような温かい話をウィシウスが紡いでいく。
「南部のワインの評判はわたくしも聞き及んでおります。とても良いところなのですね」
そう言うとイザベラはほほ笑んだ。
「良いところだなんて、ただ土臭い風が吹くようなところです」
ただの田舎、ウィシウスはそう答えた。
「私もその風を感じてみたいですね」
優しく、しかし何処か心をざわつかせる、そんな口調。
「……イザベラ様は貴族であられます、田舎の土臭い風はお身体に悪いでしょう」
ウィシウスはが何処か寂しい、身分を弁えた返答をした。
「ふふふ」
イザベラは悪戯が成功した子供のように笑った。
「わたくし、本当ならもう貴族ではないんです」
イザベラが自分の過去について語り出す。
「わたくしの実家はそれほど裕福では無いので、娘たちみんなを嫁に出すほどお金は無かったんです」
「一番上の姉は婿を取りまして、二番目の姉は少し離れたところの名主の家へ嫁ぎました」
「私と妹の番になったのですが、両親から申し訳ないが嫁に出す金銭を用意できない」
「すまない、と言われました」
ウィシウスは黙ってイザベラの話を聞いた。
それはいつもの「楽しい話」ではなかった。
「それならばと思い、帝都で教員として生きていこうと決めたのです。幸いに勉学の成績が良かったものですから、学園からお金の工面をしていただけました」
「そして、教員には元皇族や元貴族の方もいらっしゃるので、何か縁があるかもという打算も」
「教員過程、教養過程も卒業しまして、帝都の学園に内定が決まりました」
それでは何故?
そう聞いてしまいたい想いを、ウィシウスは胸の奥に沈め込めた。
理由など全てわかっている。
「丁度そのころ、貴族子女を戦意高揚のために、というお話がございました。当家にも上から依頼があったのですが……帝都に人を送る余裕が我が家にはありません」
「姉たち夫婦からも帝都までの旅費をいただいていましたから、これ以上は……」
イザベラは手をぐっと握りしめる。
「……わたくしが丁度、帝都におりましたので手を上げさせていただきました」
彼女は家の都合で家を出ざるを得なかった、しかし、自らの努力で身を立てた。
そして、貴族の都合で努力の成果を捨てさせられ、また家に戻された。
都合が良かったからだ。
ウィシウスは静かな怒りに震えた。
目の前にいる才覚ある美しい女性の人生をもて遊ぶ存在に。
「両親は本当に申し訳ないと言っておりました」
「それでも悪いことばかりでもありません。わたくしが学園の方と縁をつなげまして、妹は嫁に行くことが出来たんです」
両親には心配をかけさせました、とイザベラははにかむように笑った。
その言葉に胸を押しつぶされそうになった。
そしてウィシウスの心の奥にある一番熱い思いが、さらに熱く、しかし静かに口からこぼれでた。
「何もないところではありますが」
「イザベラ様に、あの風の香りを味わって頂きたいと思います」
ウィシウスはイザベラを見つめた。
イザベラは一瞬驚いた表情をうかべ、そして、ほほ笑んだ。
「この戦争が終われば、私は帝都に戻り貴族の籍を抜けます」
「その時は、楽しみにしてますね」
イザベラは彼の想いに答えた。