クラリスはエレオノーラを見ていた。
身動きの取れないエレーナに代わり、後始末をつけるためだ。
三通の手紙の件はあの場にいた三人しか知らない。
誰も決して口外することはないだろう。
だが、秘密とは漏れるために存在する。
その覆せない事実にクラリスはため息を吐いた。
漏れるならせめて、良い形で。
それがクラリス、そして、エレーナの願いだった。
影で見守るクラリスの前に一人の男が現れる。
それは、「軽薄な」海軍少尉レノアだった。
クラリスはあの男が現れたことを苦々しく思った。
浅薄なあの男が傷心のエレオノーラに近づけばどうなることか。
クラリスは頭を抱えた。
案の定、あのヘラヘラとした男はエレオノーラの変化に気づいていない。
三通の手紙を読み上げている。
肩が震えている。
そして、エレオノーラの慟哭が聞こえた。
本人の口から秘密が漏れてしまった。
エレーナに何と言い訳をすればいいか、クラリスはまた頭を抱える。
もういっそのこと肩を抱き、愛の言葉を囁いてしまえ。
この場さえ取り繕えば、あとはレノアにお説教をして、話の上手い者にエレオノーラを慰めてもらう。
もう、それしかない、クラリスはそう考えた。
しかし、様子がおかしい。
エレオノーラは落ち着きを取り戻し、いつも通り二人で煙草を吸い始めた。
「またね」
「あぁ」
何時もの挨拶をすると、二人は何事もなかったかのようにその場を後にした。
「何が起こったの?とりあえずエレーナに報告を……」
クラリスは疑問を抱えたままエレーナのもとへ向かった。
それからのエレオノーラの様子は以前と変わらなかった。
何処からか事情を知った隊員から励ましの言葉を受けたが、にこやかに微笑み「ありがとう」と言った。
「以上がエレオノーラの様子です」
クラリスがことの顛末についてエレーナに説明をした。
「そう、レノアが何か言ったのかしら?」
エレーナはクラリスに問いかけた。
「離れていたのでよく聞こえませんでした……。その後の様子を見るに、何か特別な事があったとは思えませんが……」
クラリスは困惑していた。
「そう……。でも、今回ばかりはあの男に感謝ね」
その言葉にはクラリスも頷いた。
「エレオノーラも、あの鈍感な男を見て気持ちが発散してしまったのでしょうか……」
クラリスはまだ腑に落ちていない様子であったが、一応の理由を立ててみた。
「周りの様子は?」
「それも特に変化はありません、戦況が落ち着いていたのが幸いでしたね」
中央回廊では大きな戦闘がなくなり一カ月ほどが経っていた。
荒み切っていた心が落ち着きを取り戻しつつあったのだ。
「あとは時間が何とかするでしょう、本来大した問題ではないのだから」
「クラリス、色々手間取らせて悪かったわね」
「いえ、私もよい経験でした」
二人は、ふふふ、と笑いあった。
「……レノアもああ見えて貴族の端くれ、ということかしらね」
「何を伝えたかはわかりませんが、全く学がないというわけではないのでしょう」
二人の中でのレノアの印象は少し好転した。
「ねぇクラリス、何か彼に贈っておきましょうか」
物を贈る。
それは、言葉でなく「意味」を贈るということ。
些細な言葉尻を取られることを嫌う、貴族らしいやり方であった。
「それなら煙草が良いと思います。ありふれた物ですし、エレオノーラについてのささやかな褒美とも取れますので」
エレーナの考えを察したクラリスはそう答えた。
「それじゃあ、そのように手配して」
エレーナはそう告げた、が考え込むような素振りを見せた。
「何かありましたか?」
「エレオノーラにも同じものを贈っておいて。あの子も私と顔を合わせるのは気まずいでしょう?」
立場があるため声を掛けられないが、あなたのことは気になっている。
エレーナはそう伝えたかったのだ。
「わかりました、そのように手配いたします」
意をくんだクラリスはそう返事をした。
そして報告書の片隅に書き込む。
『レノア少尉とエレオノーラにエレーナ様から贈物、煙草が望ましい』と。
海軍司令部、その中の一室に三人の男がいた。
「レノア、お前今度は何をやった」
レノアは自らの上司、さらに海軍司令から呼び出された。
机の上には白木に銀の装飾の小箱。
「なぜ白百合中隊のエレーナ大尉からお前などに贈物が届くのだ」
上司、司令を前にレノアは身動きが取れなかった。
その木箱には一言添えられていた。
「隊のものが世話になった」と。
「何をやらかしたんだお前は」
レノアに視線が突き刺さった。
どうにか勇気を振り絞り、最近起こったことを簡単に説明した。
婚約破棄された少女を慰めた、煙草をあげた。
緊張したレノアから出たものは子供の言い訳のようであった。
が、その言葉を聞き、上司の表情は厳しいものになる。
「……おそらくある種の口留めでしょうな」
レノアの上司が口を開き、司令もその言葉に頷いた。
「貴族令嬢の醜聞を吹聴するな、煙草は何が起きたかは知っている。恐らくそのような意味でしょう」
上司二人の表情は先ほどまでのレノアのように緊張していた。
「そして、レノアのことに口をだすな、という意味もあるのでしょう」
レノアとエレオノーラは「何時も」一緒に煙草を吸っている。
今まで通りにさせろ。
二人は贈物の意味をそう解釈した。
侯爵家次期当主であるエレーナの沙汰に口を挟む。それは軍歴の終わりを意味する。
「レノア、いいか?今まで通りだ」
「余計なことはするなよ?」
レノアは二人を前に「了解しました」と繰り返す人形のようだった。
白百合中隊休憩室、そこに見慣れない人物がいた。
「こちらにエレオノーラ少尉はいらっしゃいますか?」
小箱を抱えた兵士はそう言った。
「私がエレオノーラです」
エレオノーラは立ち上がり兵士の方を見た。
「エレオノーラ少尉にお渡しするものがあります」
運搬箱から装飾の施された木箱を取り出すと手渡した。
「え、こちらを私にですか?」
それは見るからに高級そうなものだった。
「はい、そう承っております、宛名は…」
兵士は懐から伝票を取り出す。
「エレーナ大尉からレノア海軍少尉とエレオノーラ少尉となっております」
「レノア海軍少尉のものは先にお届けさせていただいております」
それでは失礼いたします、そう言うと兵士は去っていった。
エレオノーラは小箱を見つめ固まっていた。
休憩室の中は新しい噂話の登場に沸いた。
整備場の片隅のいつもの場所、そこに二人の姿があった。
いつもと違うのは二人とも煙草も吸わず、無言で座っていることだ。
レノアは小箱を開けた。
上等な紙に包まれた煙草、吸い口には銀箔が巻かれている。
「……これ吸っていいのかな?」
レノアがそう呟いた。
その瞬間、エレオノーラの表情が変わった。
「絶対に吸いなさい!そして美味しいというのよ!」
その表情は真剣だった。
「わ、わかった……」
レノアはその気迫に押され、煙草を一本取り出すと、マッチで火をつけた。
そして何時ものようにエレオノーラに火を渡した。
「「美味しい」」
二人から同じ感想が漏れた。
「いや、これすごいな……。洗練されたってこういうことなんだな…」
「本当に美味しいわね……」
二人は言葉数少なく煙草を吸った。
そして火が消えた時、エレオノーラは語りだした。
「エレーナ様は私たちのことを気にかけてくださったのよ……」
その言葉にレノアの背筋が伸びた。
「家もない、婚約者もない」
「本来なら、口をつぐめ、隊に迷惑をかけるな」
「その一言で十分なのに」
エレオノーラの目に涙が浮かんだ。
「レノア。婚約者に振られたばかりなのに、移り気な女だって思うでしょう?」
エレオノーラからの問いかけ。
「そんなのことないぞ!エレオノーラは良いやつだ!」
レノアは言葉の意味も分からず、そう答えた。
「ほんとにわかってるの?」
その普段との変わりのなさにエレオノーラは思わず笑ってしまった。
「さて、わたしはこれから用事があるから」
エレオノーラは袖で涙を拭うと立ち上がる。
「おぉ?そうか、じゃあまたな」
レノアはいつものように返事をした。
「……この前借りた煙草、夜に返しに行くわ」
勇気を振り絞ったその言葉、とてもレノアの顔を見ることなど出来なかった。
「別に返さなくてもいいぞ?」
「それじゃあ夜にね」
エレオノーラはレノアの言葉を無視し、手を振りながら去っていった。
「?」
残されたレノアの頭には疑問が浮かんでいた。
夜
「レノアいる?」
「あぁ!返さなくてもいいのにわざわざ悪いな!」
レノアは部屋の扉を開けた。
「そんなわけにはいかないわ」
エレオノーラは部屋に一歩入ると、扉を閉め鍵をかけた。
「?」
「あの煙草の意味は、エレーナ様のお許しなの……」
「え?何が?」
相変わらず状況がつかめないレノア。
エレオノーラの手には小箱が握られていた。