連邦の制服に身を包んだ男が、机の上に並べられた帳簿をにらみつけている。
その背後には古ぼけた旗、北部山脈に三本杉。
「トーボク、いくら見たって数字は変わりませんよ?」
ソファーに座り茶を飲んでいる男が言った。
「そんなことはわかってる!」
トーボクと呼ばれた男は帳簿をにらみつけながら言った。
「泥棒貴族」
帝国からそう呼ばれる貴族がいる。
この男の家がそれだ。
「くそ、曽祖父様はなんてことをしてくれたんだ……」
嘆きは止まらない。
男の家は元々は帝国貴族であった。
しかし、貴族とはいえ小さな村の村長程度、吹けば飛ぶような貴族家だった。
曽祖父は末子の三男坊。
受け継ぐ土地など、そもそもなかった。
「最悪だ……」
曽祖父が生き残るために選んだ手段、それは連邦への亡命だった。
当時の帝国には未開の蛮族に帝国の威光を知らしめるという考えがあった。
貴族の子女に金と「領地は切取り自由」という勅命を渡し、中央回廊以東へ送り出したのだ。
男の先祖はこれを利用した。
帝国の金と技術を持ち逃げしたのだ。
「シュトー!お前だって他人事じゃないんだぞ!」
トーボクはソファーに座ってのんびりとお茶を飲む男、シュトーを睨みつけた。
「先祖が愚かなのはお互い様じゃないですか」
「うちの曽祖父もあなたの先祖についてきて後悔したことでしょう」
シュトーは意に介さなかった。
「あぁ、それからディフェンダ族から新たな物資提供依頼が届いてますね」
勿体ぶった言い回しで新たな書状が机に置かれた。
中身を確認する前から男は頭を抱えた。
「どこまで貢献すればいいんだ…」
「百年も絞り続けてうちの領地は搾りかすだぞ…」
男の家には「貢献」が求められていた。
金と技術を盗み敵に寝返った者、そのような者の扱いは帝国でも連邦でも変わらない。
恐る恐る、新たな書状を開いていく。
「一つ目は……煙草か……」
煙草を軍に納品せよ、その言葉を見てトーボクは安堵した。
「良かったじゃないですか、数少ないうちの特産品で」
シュトーは煙草入れから手に取ると、火をつけた。
そしてもう一本を手渡す。
「あぁ……まあな……」
トーボクも煙草に火をつける。
軍は煙草のお得意様だ。
幾ばくか支払われる金銭は、数少ない収入源の一つだった。
「次はなんだ……」
煙草を咥えページをめくる。
部屋に煙がゆらゆらと揺れた。
「また人か……」
兵士として、労働者としていくらあっても足りなかった。
「種をまけば採れるとでも思っているのか…」
首都まで送り出した領民たち…戻ってきたものは僅かだった。
「……この前は失敗しましたしね」
シュトーの声色が変わった。
「帝国の言葉が使えるからと便利に使いやがって……」
トーボクの言葉にも怒りが満ちる。
「帝国の要塞に忍び込めるわけがないだろうが……!」
帝国への侵入、それにただの領民は使えない。
教育を受けた兵士、男たちの身内から少なくない人員を失った。
煙草の灰が落ちた。
トーボクは無言でページをめくる。
「中央回廊貴族の調略……か」
その言葉に思わず笑ってしまった。
「それはまた無理難題を突き付けられたものですね」
シュトーからも乾いた笑いが漏れた。
「あの地獄のような荒地を開拓した奴らだぞ…」
「私たちが出向いたら刀の錆となりますね」
この世の果てとまで言われた場所、男たちの先祖は戦わずに逃げた。
そこに家を興した貴族たち。
自らを大地の肥やしとするほどの覚悟。
それがどれほどのことか、元帝国貴族のトーボクとシュトーには痛いほどわかった。
「我々がここにきて百年、いまだ連邦に帝国は理解できんか…」
トーボクはソファに身を預けた。
「帝国出征の責任争いを何百年もしている連中です、あと百年、二百年はかかるでしょうね」
シュトーの表情は、あきれを通り越しもはや無関心であった。
「金と技術、そして文化も持ってきた、だが…根付かなかったな…」
「今でこそ文明人のふりをしていますが、我々が来るまで森に籠っていたような奴らですよ」
「積み重ねが足りません」
シュトーの連邦に対する辛辣な評価、だがそれにトーボクも深く頷いた。
「過去がやり直せるのなら……帝国に戻りたいものだ……」
「それが小さな畑を耕すだけの農夫であっても……」
トーボクの呟き。
「私たち亡命貴族家はみな同じ想いでしょう……」
シュトーもこの呟きに軽口は返せなかった。
「シュトー、これから話すことは誰にも言うな、家族にもだ」
普段と違うトーボクの迫力にシュトーは無言で頷いた。
「俺は皇帝陛下に弓を引くつもりはない」
「帝国に帰ろう」
シュトーは言葉が出なかった。
「連邦は早晩に揺れる」
これを見ろ、そう言ってトーボクは机から紙の束を取り出した。
そこには様々な数字が踊っている。
「俺は連邦中の物の流れを調べた」
「手の届く範囲だがな…」
「そして分かったことがある」
「物が動きすぎている」
トーボクはそう断言した。
「……説明してもらえますか?」
シュトーの問いに無言で頷いた。
「例えば各地の食料の徴発だ」
トーボクは1枚の資料を抜き出し、指で指した。
「ディフェンダの徴発量は3年前の
生産量を超えている、3割増しだ」
「戦時で増産指示が出てるとはいえ、これは異常だ」
「穀倉地帯の疲弊は相当なものだろう」
「その他にもある」
資料を広げ説明していく。
「収支が合っていない資料も多い、誰も内情を知らないまま突き進んでいるんだ」
「百年かけて積み重ねたもの、その全てを暖炉にくべた…」
トーボクの説明、数字は理解できた。
だが、そして。
シュトーは最大の問いを投げかける。
「どうやって帝国へ戻るのです?」
トーボクは手を組み押し黙った。
此処まで来ても口にすることが憚られるようなこと。
シュトーは無言で待った。
「帝国は負ける」
トーボクは一言で言った。
「そんな……」
そんなはずがない。
連邦に身を置いてさえ、帝国の敗北は想像できなかった。
「よく聞け」
トーボクは真剣は表情で語りだした。
「帝国は負ける、だが、連邦も勝てはしない」
その言葉にシュトーの顔に疑問が浮かんだ。
「第二次侵攻、その規模は相当なものだ」
「前回の数倍の戦力を一度に投入する腹積もりだろう……」
資料の一片、物資の調達計画に記された内容を指で示した。
「前回は一度抜いた、さすがの帝国でもこの規模は守り切れないだろう」
「東部要塞さえ抜いてしまえば帝都までは一本道だ」
シュトーの頭には大陸地図が浮かんでいた。
中央回廊から帝都まで、それは連邦首都よりはるかに近かった。
「帝国が負ける、では勝てないとは?」
次の言葉を待ちきれなかった。
「何が勝利だ?」
「奴らは皇帝陛下の首を取れば勝利とでも思っているのだろう」
「馬鹿な奴らだ」
皇帝陛下が討たれる。
もし…そのようなことが起これば……。
「皇帝陛下は、始まりの石、だ」
「この世の終わりだな」
シュトーにもトーボクにも皇帝陛下がいない世など想像が出来なかった。
それほどまでに帝国の存在は、この世界の根幹を成していた。
「だからこそ、我々に活路が見える」
トーボクの言葉に力が入る。
「この戦いを主導しているのはディフェンダだ」
「他の四大部族は勝ち馬に乗りたいだけだ」
「揺らすぞ」
その言葉を聞いてシュトーも全てを察した。
「帝都まで迫る連邦の軍勢……」
「征伐皇帝以来の帝国の危機……」
「そこで……」
トーボクはシュトーの言葉を切った。
「そうだ、こちらの始まりの石を外す」
大きく揺れた帝国に、連邦の「石」を手土産に帰還する。
帝国は武功のあるものを無下にはしない。
トーボクはそれに賭けた。
「シュトー、口の堅い亡命貴族に声をかけろ」
無言で頷く。
その目には強い覚悟が宿っていた。