中央回廊は朝から少しざわついていた。
敵が攻めてきたわけでない、来客があるのだ。
白百合中隊の中ではエレーナとクラリスだけが来客の正体を知っていた。
中隊にはクラリスから命令が出されていた。
戦車を整備し「儀礼用」の装備を着用し待機せよ、と。
エレーナが執務室で待っていると扉が叩かれた。
「どうぞ」
小さな声が執務室に響く。
帝国軍のものとは違う制服を着た大柄な男が現れ、エレーナの前に立ち敬礼をする。
「エレーナ様、ご無沙汰しております」
「皆様方のご活躍は北方でも聞き及んでおります」
「ありがとう、あなたも元気そうで何よりよ」
エレーナがそう言うと、男は深く礼の姿勢をとった。
バレンシュタイン家の武官、エレーナが彼に会うのは中央回廊についた日以来だった。
「クラリス、彼を案内してあげて、それからアンナを呼んで頂戴」
「承知いたしました、どうぞこちらへ」
クラリスが武官を入口の方へ導く。
「本日はアリエール中将が閲兵なされます」
クラリスがそう告げると、白百合中隊の緊張は更に高まった。
いや、白百合中隊だけでなくこの基地にいる兵、司令部まで緊張は最高潮に達した。
閲兵が始まり、今日の「主役」の二人が歩いていく。
「アリエール中将」
帝国陸軍北部連隊を指揮するバレンシュタイン家の当主。
バレンシュタイン家は帝国貴族において最古参であり、また最高位の地位にある。
そのため「中将」という肩書よりもずっとその存在は重かった。
そして、その隣を歩くエレーナ大尉。
普段は「面倒見の良い指揮官」のような雰囲気で親しみを感じている者もいた。
しかし、いま自分たちの前を歩く二人を見て、将兵たちは「隔絶された地位」というものをまざまざと見せつけられていた。
白百合中隊の前で二人が足を止め、会話を始めた。
だが、二人の会話が聞こえない中隊の面々は、普段と違う雰囲気にただひたすら背筋を伸ばし敬礼を続けるだけだった。
閲兵が終わると二人は要人用の休憩室へ通された。
ソファーにかけたふたりの前に茶と菓子がおかれた。
給仕をした者を見てアリエールが声をかける。
「おや?アンナじゃないか、元気にしていたかい?」
「はい、皆様に大変よくしていただいております、アリエール様におかれましてもご壮健で何よりでございます」
アンナは深く礼をすると下がっていった。
「エレーナは元気だね、その姿をみればわかるよ」
そう言うとアリエールは無邪気に笑う
「お兄様は変わりませんね」
その悪戯っぽさは、とは言わずエレーナはほほ笑んだ。
「そうかい?私も軍人らしく勇ましくなったと思わないかい?」
そう言って腕を広げてみせてみる。
「いいえ、何もお変わりになりませんわ」
今度はいたずらっぽくエレーナが笑う。
しばらくお互いの戦線の話や軍関係の話が続く。
北方でも戦線は安定しているようだ。
一通りの報告が終わった。
「久しぶりに会ったんだ、ふたりで家族の話をしようか」
アリエールが下がって良しというと部屋の中にいたものは出ていき、二人だけになった。
「父上はまだかつての貴族の夢を見ていらっしゃる」
揺れるカップの中身を見ながらそうつぶやいた。
「武勇、栄光、勇ましい貴族の夢を」
「この戦争に勝ったとしても何が残るというのか」
「得られる領土などもはやない」
「残るのは疲弊した帝国と貴族だけだ」
「エレーナもわかっただろう?今までの戦争とは違うと」
アリエールは少し冷めた茶を飲みほした。
「私も感じました、この戦争にもはや英雄などいないと」
エレーナはカップに口を付けなかった。
「ふぅ、それでも私たちはもう少し義務を果たさなければいけないな」
アリエールは空になったカップを置いた。
「これは美味しい茶だね、代わりをもらおうか」
それでは私が、と言って立ち上がろうとしたエレーナにアリエールは一瞬驚いた顔をした。
「ははっ、いいよ座ってなさい、アンナいるかい?」
エレーナに手を向けて止め、部屋の入口の方へ向けて声をかける。
アンナが静かに部屋に入ってくる。
「お呼びでしょうか」
「あぁ、茶の代わりをもらおう、二人分だ」
かしこまりました、と言いアンナは部屋の隅に置かれたポットの準備を始めた。
「ふふふ、エレーナは変わらないね、子供の頃のお転婆の姿そのままだ」
そういってアリエールは無邪気に笑う。
「小さい頃は何でもやりたがってね、侍女の真似事をしたり、料理をしてみたり、あぁ鉈で庭木の枝を落としたこともあったね」
「母上は難しい顔をしてらっしゃったけどね」
笑いながら昔話をする兄を見ながら、エレーナは恥ずかしさで顔を伏せ手を握りしめた。
「それがいつの間にか立派な淑女になっていたんだから驚いたものだよ」
アリエールはエレーナを見つめて笑った。
「子供の頃のことなど覚えてません!」
エレーナは恥ずかしさをこらえながらそう言った。
「私もお屋敷で働きだしてから、先輩方にエレーナ様の「武勇伝」をお聞きしましたわ」
二人にお茶を配りながらアンナも笑顔で会話に参戦する。
「おや?私が知らないこともあるのかい?」
「そうですね、例えば…」
アンナが先輩方から聞いたという武勇伝を披露していく。
へぇ、そんなこともあったんだね、とアリエールが相槌を打つ。
妹は過去の自分を恨んで縮こまった。
「そういえば、私が恐怖で動けなくなった時に励ましていただいたこともありました」
アンナは手で銃の形を作り、自分の頭に当てて笑う。
「アンナ」
エレーナが少し語気を強めてアンナを呼んだ。
「それでは、ご用がありましたらお呼びください」
にこやかな笑顔を浮かべ、エレーナに怒られる前にアンナは部屋の隅へ戻った。
「あんなに貴族らしい貴族の家にいて、なんであんな気質に育ったのか、父上も母上も不思議がっていたね」
「お父様とお母様がそのようなことをおっしゃっていたのですが?」
「あぁ、エレーナには内緒にするように言われていたからね」
エレーナは初めて聞いた事実に驚いた。
風変わりな子がどう育つか見てみたかったのか、それともただ手を焼いていただけなのか。
まぁ理由はわからないけどね。
そう言うとアリエールはカップに口をつけた。
「こちらへ来て久しぶりにエレーナを見たら、昔のお転婆な姿をしていたものだから、懐かしく感じたよ」
あぁ、そうか。
アリエールは何か納得した、合点がいった、という顔をした。
「エレーナの方が貴族らしい、父上と母上もそう感じたのかもしれない」
今の私のようにね、と兄は言った。
「駆け引きや言葉遊びばかりしている私たちのような者ではなく、どのようななことへも立ち向かい、家を興した先祖のような」
そうアリエールは語った。
今までの貴族教育で身に着けたものではなく、幼いころそのままの自分のほうが貴族らしい。
そう言われたエレーナは考え込んでしまった。
「でもエレーナは昔じゃなくて今を生きる貴族だからね、母上も驚くからお転婆は程ほどにするように」
そう言うとエレーナを見て自分の額を指でつついて笑った。
エレーナは「お転婆」な証拠を慌てて手で隠した。
「ふぅ」
大きく息を吐くと軽く頭を振った。
そこには先ほどまで恥じらっていた妹ではなく、次期当主のエレーナがいた。
「お兄様」
アリエールの表情はにこやかだったが、先ほどまでとは違う緊張感があった。
「中央回廊は何かと不便が多いでしょう」
「しばらくアンナをお付けしますので、ご自由にお使いください」
「アンナ」
エレーナが呼ぶとアンナはアリエールのもとへ歩み寄った。
「アリエール様、短い間ではございますが、お仕えさせていただきます」
アンナはアリエールに深く礼をした。
「うん」アリエールは短く頷くとエレーナに向き直った。
「私たちのことで気を使わせてしまったね」
「お父様には?」
「アンナが戻りましたら、私の方からお伝えいたします」
「アンナ、お兄様にしっかりお仕えしなさい」
「私のような者がこのような過分な大任を賜り光栄でございます」
アンナはソファーに座る二人に深く頭を下げた。
アリエールは深く頭を下げるアンナではなく、エレーナの腰に帯びた短剣を見た。
「エレーナの腰を重くしてしまってすまないね」
「いえ、お気になさらず」
「ですが、お義姉さまにはお兄様の方からお伝えください」
「あぁ、私から伝えよう」
アリエールはそう言い、物憂げな表情を浮かべた。