「抑えたのか! どうなんだ!」
副官の怒声は、慌ただしく動き回る兵士たちの足音や、雑音交じりの無線機の音声の中に溶けて消えてゆく。
連邦軍の進撃により、帝国の防衛線には大きな穴が開いた。
その隙を突き、そのまま押し進めることで帝国軍を大幅に押し戻すことに成功していたのだ。
第一次侵攻以来、これほど戦果の上がった良い知らせはなかった。
しかし、突如としてあらわれた帝国軍の戦車群によって、連邦の後方は大混乱に陥っていた。
「ほぼ制圧は完了しております! 現在はこちらの兵を再編成中です!」
「急がせろ! このままでは前線の兵が孤立するぞ!」
報告を受けた副官は、声を荒げた。
「動ける者だけ集めろ! 早く戦線を抑えねば、また押し込まれるぞ!」
負傷兵のうめき声が響き渡る中、連邦軍は再編成を急いでいた。
残存する帝国兵を掃討し、前線に補給物資を届け、新たな前進拠点を築く。
それこそが、今回の『笛吹猟』作戦の要所であった。
しかし、その重要な要所を、迷い込んだ帝国戦車が徹底的に荒らし回ったのだ。
「補給車列が半分以上やられたとの報告です」
「歩兵も散り散りです。再編成には時間がかかります!」
「通信も混乱したままで、前線との連絡がほとんど取れていません!」
副官は報告を聞きながら、拳を強く握りしめた。
戦術そのものは成功したのだ。
だが、補給が追いつかなければ、この成功など一瞬で露と消える。
「……ダイダ様が戻られるまで、何としてもこの優位を保つんだ」
副官は強い口調で命じた。
「中尉! どうしたらいいんです!」
一方、帝国軍もまた混乱の極みにあった。
前線をすり抜けてきた連邦軍の戦車が、指揮所へ突入してきたのだ。
そのため、指揮官たちの多くが戦死、あるいは行方不明となった。
幸いにも敵戦車は撃破できたものの、混乱は深まるばかり。部隊同士の連絡も途絶え、隊を見失った兵士たちが右往左往とひしめき合っていた。
「大佐は! エルンストはどうなっている!」
兵たちに囲まれた男が叫ぶ。
彼はかつてエレーナたちを指導した教官であり、エルンストの同僚でもある男だった。
「何もわかりません! 現在、この場では中尉殿が最高位の指揮官です!」
「くそっ! とりあえず下士官を集めて兵をまとめろ! これじゃあ格好の的だ! 急げ!」
中尉が指示を出すと、次々に伝令が走った。
しかし、一度生じた大混乱が収まる気配は微塵もなかった。
「……エルンストの野郎、どこに居やがる。さっさと戻ってきやがれ……!」
中尉の隠す気もない独り言は、周囲の狂騒に飲み込まれ、誰の耳にも届かなかった。
「司令部と通信がつながりました。現在、部隊を再編中とのことです」
「第一波はどうだ?」
「依然として通信途絶しております。おそらくは……攻勢停止点に向かったと思われますが……」
「わかった」
通信兵からの報告を受け、連邦軍の戦車少尉は視線を別の方向へと向けた。
第一波は、恐らく当初の命令通りに前進を続け、そのまま討ち取られたのだろう。
戦車、そしてあまりにも多くの兵を失った。
しかし、目下それどころではない大問題が発生していた。
「歩兵部隊を急がせるよう伝えてくれ。俺たちだけでは収拾がつかなくなる」
「了解しました」
少尉の視線の先。
そこには、力無く頭を垂れ、冷たい地面に座り込む大勢の帝国兵の姿があった。
戦線の崩壊、連絡の途絶。後退について行けず残された多数の兵が、連邦の俘虜となっていたのだ。
「不用意に動くな! 動けばこいつで吹き飛ばすぞ!」
部下の兵士が、戦車の主砲を叩きながら威嚇するように捲し立てる。
俘虜たちの顔に浮かんでいるのは、深い困惑だった。
お互いに言葉が通じない。だが、向けられた銃口の意味だけは分かる。
連邦兵の側も、極度の緊張に晒されていた。
生身の人間と戦車。圧倒的な力の差はあるとはいえ、一歩戦車を降りればただの人間同士だ。
言葉が通じないということは、相手が何を手出ししてくるか分からないということでもある。
俘虜たちの恐怖に引きつった顔さえ、不気味で不敵な笑みに見えてしまっていた。
「それから……通訳だけでも先に送ってくれと上に伝えてくれ」
ままならないものだ、と少尉はダイダ将軍の言葉をふと思い出していた。
「ブラッシカ中尉が臨時で指揮を執っているとのことです」
中央回廊帝国軍司令部に集められた指揮官たちに、そう告げられた。
最初に通信が途絶してから数日が経ち、司令部でもようやく全体の状況が把握され始めていた。
前線の攻撃部隊は全滅に近い損害を受け、指揮所も急襲されて指揮官の多くが戦死。
遠征部隊は、戦車部隊の一中尉が何とか生き残りをまとめているという惨状だった。
それはもう、実質的な「全滅」なのではないか。
誰も口には出さないが、場には重苦しい空気が漂っていた。
静まり返る沈黙の中、司令が重い口を開く。
「……作戦は失敗した」
場の空気は、さらに沈み込んだ。
『失敗』その一言で終わる話ではない。
前線に取り残された兵士たちを、一体どうするのか。
司令部の中は静まり返っていたが、建物の外では伝令の兵士たちが走り回り、怒号が飛び交っていた。
作戦失敗が決定したとはいえ、戦争そのものは今も継続しているのだ。
「前進基地まで後退させましょう。この状況下で、前線に新たな防御陣地を構築するのは不可能です」
一人の指揮官がそう提案した。
「私も、それしか手はないと考える。こちらからも増援を送り、前進基地を新たな防衛線とする」
司令は提案を肯定した。集められた指揮官たちも、無言で頷く。
その後も様々な議論が交わされたが、結局は最初の提案通りに事を進めることで決定した。
しかし、解決すべき問題はまだ山積みだった。
そもそも、どうやって後退させるというのか。
統制の取れていない兵を後退させるなど、自らの手で戦線を崩壊させるようなものだ。
追加の部隊をすぐ送るべきか。
だが、現場で指揮を執るのがただの一中尉では、荷が勝ちすぎるのではないか。
そうした懸念も噴出したが、現状では前線があまりにも遠すぎた。
こちらの援軍が到着する前に、敵に踏みつぶされてしまうのが目に見えている。
「遠征部隊に『前進基地まで後退せよ』と伝えろ。こちらからも迎えの兵を出す、とな」
司令は言った。
「ブラッシカ中尉を……信じよう」
『信じる』戦場において、あまりにも不確かなその言葉に、参列した指揮官たちは一様に苦い表情を浮かべた。
エレーナは砲塔に腰かけ、ただ地平線の先を見つめていた。
ここからは、何も見えない。
「エレーナ様」
不意に声をかけられ振り返ると、そこにはクラリスが立っていた。
クラリスは無言のまま、まっすぐエレーナを見つめている。
「知ってるわ。待機でしょう?」
エレーナが静かに声をかけると、クラリスは小さく頷き、エレーナと同じように遠い地平線へと視線を向けた。
「今さらよね」
エレーナはため息を吐いた。
攻撃部隊が壊滅状態にあるという報せが届いてからというもの、白百合中隊には待機命令が出されている。
それは戦闘への備えというより、白百合中隊を前線へ出さないための命令だった。
一言で言えば、上層部は『怖気づいた』のだ。
白百合中隊は混乱の中で戦い抜き、そして中央回廊に束の間の平穏をもたらした。
だが、その結果として周囲の人間たちはみな、冷静になってしまったのだ。
冷静なな目で白百合中隊を見つめ直した時、そこにある異質性、そして異常性が浮き彫りになってしまった。
隊員は全員が貴族の令嬢であり、指揮官に至っては帝国貴族の筆頭たるバレンシュタイン家の次期当主。
おいそれと戦場で失うわけにはいかない存在なのだ。
「あーあ。今さらお姫様扱いなんて、馬鹿みたいね」
その言葉を聞いて、クラリスはぎょっと胸を衝かれた。
「エレーナ、言葉が……」
「いいじゃない。あなたと私しかいないんだから」
エレーナは戦車のハッチに向かって、問いかけた。
「私の声、聞こえる?」
返事は返ってこない。
「ほらね、大丈夫」
エレーナはおどけてみせた。
その様子を見て、クラリスは決意したように重い口を開いた。
「……エルンスト大尉から伺いました。曰く、エレーナは『戦場の熱にあてられている』と」
「……」
「それから、ずっとエレーナのことを見てきました」
「今も、そうなのですか」
クラリスの静かな問いかけ。
その声には、「違ってほしい」という切実な願いが滲んでいた。
「そうみたい。なかなか治らないものね」
エレーナは笑った。
「でも大丈夫よ。今は前と違って、自分を抑えることができるもの。あなたたちに迷惑はかけないわ」
夕日を背に笑うエレーナの顔をクラリスは見ることが出来なかった。