「中尉、お久しぶりです」
その言葉には、どこかよそよそしさが漂っていた。
「エレーナ大尉……」
ブラッシカは、かける言葉を探して口ごもった。
周囲の喧騒、行き交う伝令、鳴り止まぬ無線。しかし、二人の間だけ、そこだけ音が遠のいたかのように感じられた。
「北部が破られたと聞きました」
エレーナは静かに、だがどこか急いた口調で切り出した。
「どうやらそうらしいが、俺は今戻って来たばかりだ。一体どうなっている?」
エレーナに問いかけたブラッシカだったが、言葉が続かない。
言うべきことは他にあった。
言わねばならないことが。
だが、目の前のエレーナは、あまりに落ち着いていた。
その静けさが、ブラッシカには恐ろしく感じられた。
「私たちの方には何も」
エレーナは短くそう答えた。
そして。
「エルンスト大尉はどちらに?」
その問いに、ブラッシカの心臓が強く打った。
「……いや」
短く、それだけを答えた。
今はまだ、言えない。
「そうですか」
エレーナはそれ以上、何も聞かなかった。
ただ、静かにブラッシカを見つめる瞳の奥に、何か言葉にならない予感のようなものが揺れていた気がした。
それは、答えを聞くことを恐れているようにも、既に答えを知っているようにも見えた。
「私はこれから整備所へ向かうので、これで失礼いたします」
「あぁ、そうか」
エレーナはブラッシカの横を通り過ぎると、振り返ることなく歩き去った。
ブラッシカはただただ、その後ろ姿を見送った。
「待機よ」
「エンジンは止めていいわ」
エレーナがそう指示すると、整備場に満ちていた騒音はぴたりと静まる。
周囲はまだ喧騒のさなかにあったが、白百合中隊の周りだけは何処までも静かだ。
「また待機ですか?」
アンナが操縦手ハッチを開け、顔を出した。
「えぇそうよ。流石にうんざりするわね」
エレーナは軽く舌打ちをすると、懐から煙草を取り出し、口に咥えて火をつける。
深く煙を吸い込むと、ため息交じりに吐き出した。
「アリエール様が見たら怒られますよ?」
アンナは煙草を指さす。
エレーナはアンナを横目で見やったが、言葉を無視してまた煙を吐き出した。
「せめてお茶にしましょうよ。私が用意してきますから」
食い下がろうとアンナがハッチから身を乗り出しそうになったところで、エレーナは手で制した。
「ルル、お茶の準備をして。手の空いている子を連れて行っていいわ」
エレーナの言葉を受けて、ルルは戦車から跳び降りると、他の車両の乗員に声をかけて整備場の外へ歩いて行った。
その様子を見たアンナは、ふてくされたようにハッチから顔を引っ込めさせた。
しばらくすると弾薬箱に板が渡され、即席のお茶会の準備が整った。
燃料と油、不穏な火薬の臭いに混じって、お茶の良い香りが広がる。
「いつまで拗ねているのよ」
エレーナの言葉に、アンナはハッチから顔を出し、あたりを見回すと戦車から身を捩り出してきた。
もう既に皆は手にお茶の入ったカップを持ち、会話に花を咲かせていた。
たわいのない会話。
それは此処が戦場で、北部では連邦の攻勢を受けているとはとても信じられないような和やかな光景だった。
「ねぇ、クラリス。あなたは聞いた?」
エレーナの不意の問いかけに、クラリスは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに表情を取り繕って首を振った。
曖昧な問いかけであったが、それが指す意味はすぐに分かった。
「先生……エルンスト大尉は戻らなかったそうよ」
その言葉に、クラリスは無言でお茶を啜った。
エレーナは懐から煙草の箱を取り出し、中を見る。
「空か」
空っぽだった。
「煙草を取りに行くわ。すぐ戻るから、クラリス、後を任せたわね」
エレーナは立ち上がると、整備所の外へ向かって歩き出した。
「……夜までは待てないぞ」
「そうだな」
帝国兵の衣に身を包んだ男たちが、混乱する兵士に混じって荷物を運んでいる。
ダイダの私兵たちの姿がそこにあった。
「弾薬集積所も通信施設も警備が硬すぎる」
その声には明らかな焦りがあった。
帝国軍の後退に紛れ、前進基地への侵入には成功した。
そして中央回廊要塞まで迫ったものの、肝心の目標に近づけない。
今は混乱により気づかれていないが、これが収まれば発見されるのも時間の問題であった。
「どうする」
「ちょっと待て」
男たちは視線だけであたりを探る。何かないか。
「おい、あそこに戦車があるぞ。あれはどうだ」
倉庫から戦車の車体がはみ出して見えた。
「様子を見てみよう」
男たちが倉庫に近づく。
すると、不意に女性が現れた。
エレーナが整備所の外へ出ると、四人組の兵士の姿があった。
二人で一つの弾薬行李を運んでいる。
しかし、何か違和感があった。
「!」
「女……!?」
その中の一人が声を上げ、慌てて口を塞ぐ。
「……あなたたちは?」
エレーナはその中の一人、伍長に声をかけた。
「失礼いたしました。まさか女性がいらっしゃるとは思わず、驚いてしまいまして……」
伍長は頭を下げて謝った。
その一言で、エレーナの違和感は確信に変わった。
『白百合中隊を知らない』
そのようなことがあり得るのか。
中央回廊で白百合中隊を知らない者などいない。今や帝都の子供たちですら知っているというのに。
次の瞬間、乾いた銃声が響いた。
エレーナはわざとらしい謝罪の笑みを浮かべていた伍長を、躊躇なく撃ち抜いていた。
男が崩れ落ちる。
タン、タン、タンと銃声が響く。
「侵入者! 誰か来て!」
エレーナの怒声が響く。
男たちも即座に拳銃を抜き、撃ち返してきた。銃弾がすぐ側を通り過ぎる。
薄暗くなってきた外に橙色の発砲炎が光る。
「エレーナ様!」
騒ぎを聞きつけたマリアが飛び出し、エレーナに覆いかぶさる。
「私はいいから! 早く追って!」
「エレーナ様! 申し訳ございません! どうかお引きを!」
それでもマリアは頑としてどかない。
三人の男たちは散り散りに駆け出し、建物の影に消えてゆく。
「早く! 早く追いなさい!」
クラリスの声が響く中、白百合中隊の少女たちが小銃を手に影を追う。
要塞に甲高い警報音が鳴り響く。
少女たちの後を、異変に気づいた他の兵士たちも追っていった。
侵入者の姿が見えなくなったことを確認し、マリアはやっとその身を避けた。
「エレーナ様! お怪我はありませんか!」
「大丈夫、問題ないわ」
エレーナは服の汚れを払い、立ち上がる。
空になった弾倉から薬莢を振り落とすと、弾薬を込め直し、ホルスターに収めた。
「それで、この男は何なのよ。状況を見れば連邦の兵のようだけれど」
エレーナは血を流し、先ほどまで伍長を名乗っていた男を見下ろす。
その言葉を受けてマリアはこと切れた死体を引きずり、仰向けに寝かせた。
そして物入れをあさり、中身を並べてゆく。
携行食と食器
銃と予備弾薬
碌なものが無い。
だがそれによって、この男の役割が分かった。
「身分を示すものが何もありません。連邦側の手の者とみて間違いないでしょう」
更に懐を弄ると封の切っていない煙草が一つ入っていた。
少し血の付いたそれを拭うと、マリアはじっと見つめる。
「エレーナ様、これを」
そして、煙草を手渡した。
エレーナはそれをじっと見つめる。
「北部山脈に三本杉、ね。」
裏を返す。
そこには連邦の言葉が並んでいる。
「もう百年も経つのにまだ帝国に未練があるのかしら」
その特徴的な意匠は帝国でもよく知られた煙草によく似ている。
エレーナは懐から空になった煙草の箱を取り出すと、二つを並べた。
懐から取り出した物には、北部山脈に一本杉。
「杉の家の三男坊か。それなりに元気にしているみたいじゃない」
そして、煙草の封を切ると口に咥えて火をつけた。
「お茶の時間はもうおわりね」
そう呟くと、さわやかな香りの紫煙を吐き出した。