「前進基地は放棄する」
その言葉に作戦会議室の空気は重く沈んだ。
急ぎ派遣された通信隊の先遣部隊からもたらされた情報。
「前進基地で大規模な爆発。死傷者多数、救援求む」
前進基地に到着した白百合中隊からもたらされたその情報に、司令部は衝撃を受けた。
続いて、前進基地に到着した通信隊により、仮設ではあるが有線回線が復旧する。
それにより、時間を経るごとに詳細が明らかとなった。
「連邦による砲撃が始まり、これに応戦した」
これは当初からの報告にあった通りである。
攻撃自体は基地より離れた場所であったため、特に被害らしい被害はなかった。
「発電施設の火災により一時電源喪失」
そして、ここから混乱が始まる。
夕闇が迫る中で、照明も点かず、通信も繋がらない。
その中で連邦の奇襲を警戒し、警備体制は最高まで高められた。
しかし、連邦による攻撃はなかった。
この時、通信途絶により派遣された偵察兵によって「連邦による攻撃」「火災発生」の情報が伝えられる。
この時点ではまだ十分に状況を管理できていた。
しかし、この後に何が起こったのかは把握しきれていない。
次にわかったのは、生き残った兵士たちによる証言。
「弾薬庫が爆発した」ただそれだけだ。
原因不明の爆発。
そして、基地防衛のために弾薬の備蓄を増していたことが仇となった。
想像を超えるほど大規模な爆発により、基地内の施設の九割以上が破壊され、備蓄物資はほぼすべてを喪失。
防衛施設も破壊され使用不能。
兵器類も基地の外へ出ていたごくわずかなものしか使用できない。
それから、兵士の八割以上が死傷した。
全滅だ。
もはや前進基地は、その存在する意味を失っていた。
「北部からの兵はいつ到着する?」
「もう間もなく到着する予定です。こちらから向かった歩兵部隊と補給部隊は明朝には到着するかと」
「急がせろ。今度こそは連れ帰らねばならん」
前進基地の放棄は苦渋の決断ではあったが、それよりも大きな問題が存在した。
前線の将兵をどうやってここまで無事に連れ帰るかということだ。
遠征の失敗から始まる統率なき逃避行によって、帝国は多くの兵を置き去りにした。
そして、あの前進基地にいる兵はそれを知っている。
これ以上の失態は士気にかかわる。
それこそ、戦争の継続すらままならなくなるのではという、恐怖にも似た焦燥感を孕んでいた。
「前進基地を放棄する」
その決定はすぐさま、この前進基地にも伝えられた。
それに驚く者は誰もいない。
守る物も守る者も、もはやここには何も存在しないのだ。
基地の外では穴が掘られている。
急ごしらえの共同墓地には次々と遺体が運ばれ、埋葬されていく。
もはや、造絹糸布すらなく、兵士たちは在り合わせのズタ袋やぼろ布、あるいはその袋さえなく土をかけられた。
誰も話をする者はいない。唯々黙々と戦友の亡骸を運び、埋めた。
士気などもはやない。
恐怖から逃れるために体を動かしているだけだった。
基地の中では埃が舞い、騒音が響く。
そこに少女たちの声が混ざる。
「ゆっくり! ゆっくり曳いて!」
「梃子を持ってきて!」
ぎぎぎぎ、という不快な音と共に瓦礫の中から巨体が現れる。
白百合中隊は破壊された建屋の中から、まだ使えそうな戦車を回収していた。
瓦礫に埋まってはいるが、その鋼鉄の車体に大きな損傷はない。
「まだ使えそうね」
「そうね」
一両の戦車を引き出すことに成功し、白百合中隊は一息をついた。
皆の服と顔は灰色に染まり、大きな白い眼だけが輝いている。
「あと何両引き出せるかしら」
「できれば全部持って帰りたいけれど……」
その視線の先には、まだ何両もの戦車が瓦礫の下に眠っている。
「もうあまり時間がないね……」
基地を放棄する、その期限は差し迫っていた。
長引かせることはできない。何せ今は戦える者もいない、守るべきものもない。防御力など皆無なのだ。
連邦が気づく前に撤退を完了させなければならない。
「頑張りましょう」
「ええ」
短い休憩を終えると、彼女たちは瓦礫の中の戦車へと向かっていった。
「……どういうことだ」
帝国軍の前進基地、かつて『東端基地』と呼ばれたその場所を見つめる人影。
「帝国がやったのか? それにしては……」
「……とりあえずありのままを報告しよう」
「……そうだな」
連邦軍前線指揮所。
その中にダイダ中将の姿があった。
「東端基地が破壊された?」
「はい。前線を監視していた兵からそう報告が上がっております」
そう言って副官は資料を手渡す。
「お前たちはもう見たのか?」
「先ほど拝見いたしました。爆発の規模から想像するに、基地機能の多くが失われたと考えられます」
ダイダの問いに、集められた幹部たちは皆一様に頷く。
その返事を受けて資料に目を落とした。
「……確かにこれは壊滅状態にあるな」
報告書には基地の状態について書き連ねられている。
そして、添付された数枚の写真は基地の状態をありありと伝えていた。
(……成功したか)
ダイダは送り出した男たちを思った。
手の者たちを送り込んだことは、イシイレ少佐を含めごくわずかな者にしか知らされていない。
そして、これからも決して明らかにされることはない。
それは成功の可能性を少しでも高めるため、また失敗した場合の責任を逃れるためだ。
大事の前には僅かな躓きさえ許されない。それが男たちの覚悟であった。
しかし。
「計画を変更せねばならないな」
全てが予定通りとはいかなかった。
まず、爆発の時期が早すぎた。本来ならば連邦主力が迫った時点で決行される予定であったが、まだ距離がある。
だが、責めることはしない。連絡も取れず、敵中にある者たちにそこまでを求めるのは酷なことだ。
爆破に成功しただけで完全な成功と言える。
そして、もう一つは規模だ。
本来なら基地機能を麻痺させ、連邦軍の主力によって基地を奪還する計画だった。
しかし、もう基地は存在しないと言っていい。
計画を変更する必要があった。
「お前たちはどう考えた?」
ダイダが問うと、幹部の一人が挙手し発言を求める。
顔をわずかに動かしそれを許可した。
「二案あります」
机上に広げられた地図を指で示すと説明を始める。
「まずは当初案をなぞるものです。基地機能は失われましたが、同時に帝国の防衛施設も破却されておりますゆえ、再占領は容易でしょう。ここに仮設の基地を建設し、帝国要塞群への侵攻拠点とします。基地は失われましたが、地形の優位は失われておりません」
第一案はある意味、第一次侵攻の焼き直しだ。
堅実だ。何度も時間をかけ練られた案に、更に検討を重ねたもの。
だが。
「だが、時間が足りないな」
ダイダの言葉に幹部は無言で頷く。
連邦は再び帝国を臨む場所まで戻ってきた。
だがそれはかつて補給に苦しんだ場所でもあるのだ。長居できるほどの余裕はない。
「お前たちならもっと良い案があるのだろう?」
それは、それこそが本命なのだという確信に満ちた問いかけでもあった。
幹部はその言葉を受け、口を開く。
「第二案ですが、東端基地に重きは置きません。あくまで仮宿です」
「ほう?」
ダイダは顎を動かし続きをうながす。
「連邦主力は東端基地を通過し、帝国要塞群へ向かいます。そして、この位置。ここを迂回し北部要塞へ向かいます」
地図の上を指が進み、途中で大きく逸れる。
「ここです」
そして指が止まる。
「ここを押します。先に陽動を仕掛けた部隊によると、帝国は北部には重きを置いていないようです。これは諜報の情報とも一致します」
「陽動を仕掛けた部隊と合流し、ここを抜きます」
幹部の説明を聞きダイダは思案する。
そして一つの問題を提示した。
「ここを抜く意味は?」
北部要塞は手薄、それは帝国軍にもわかっていることだ。
何故ならその先に進めず、帝都へ向かうならば中央を破るしかない。
更に急峻な地形で守られている。
だからこその第一案だったのだ。
「だからこそです。いくら価値が低かろうと腹を食い破られれば手を当てねばなりません。後方には連絡線も通っております。これを利用されれば中央まですぐに到達する」
北部から中央へ。鉄路を指がなぞる。
「要塞の中を抜けるというのか? それは無謀ではないか」
ダイダによる批評。
だがそれに否定的な雰囲気はない。
早く続きを、そう促しているようにも聞き取れた。
「それは不可能でしょう。ですから、ダイダ様がお連れになった第二軍団を使います。彼らに帝国要塞突破の栄誉をお授けください」
そこまで説明をすると、幹部は地図から手を上げ、直立の姿勢を取った。
それを見てダイダは不敵に笑う。
「あっはっは! 笛吹きだけでは飽き足らず、猟師まで囮に使うのか!」
静かな会議室にダイダの笑い声が響く。
帝国を散々に苦しめた連邦軍の主力さえ囮に使う。
ただ一つの目的のために。
帝国へ。
「よろしい! 第二案で進めろ!」
「良いのですが? この作戦が失敗すればダイダ様、ひいてはディフェンダ様の身も……」
幹部は軽率な了承について咎めるような姿勢を示す。
だが、そこに断られることはないという、そのような感情が籠もっていることをダイダは察している。
「なに、このような好機などもう二度とは訪れん! ご先祖様方には悪いが、この栄誉はディフェンダがいただく!」
そして、ダイダは手に持った鉛筆を帝都に突き立てる。
「諸君! 行こう帝都へ!」
幕舎は静かな歓声に沸いた。