瓦礫の隙間から、すっと手が上がる。
「おい!生きてるぞ!手を貸せ!」
その声に兵士たちが集まり、男の上に重なった瓦礫や木片をどけてゆく。
軍服は灰と血で汚れてはいたが、手足もある。凄惨な光景ばかりを見てきた者にとって、それはとても幸運なことに感じられた。
「大丈夫か!動けるか!」
兵士の問いかけに、男は震える手で、兵士の腰にある水筒を指さす。
「水だな!おい!起こしてやれ!」
別の兵士が男の体を支え、ゆっくりと起こしてやる。
ぐぅ、という鈍いうめき声が漏れる。
「ゆっくり飲め、大丈夫だ、助かるぞ」
男は水筒から一口、二口と水を飲むと、安心したように体の力を抜いた。
慌てて兵士が男の体を支える。
「大丈夫か!しっかりしろ!おい、担架を持ってこい!」
担架に乗せられた男は、要塞へ向かう車両に運ばれていった。
「まだ生きている奴がいるかもしれん!見逃すな!」
そう班長の声がかかると、兵士たちはまた瓦礫の山へ向かって走っていった。
「マリア、できた?」
「もう少し……あとはクラッチに……」
マリアとイザベラは半分瓦礫に埋もれた戦車に乗り込み、せわしなく手を動かす。
片方の履帯と転輪が外された戦車は、恐らく整備中だったのであろう。
後送することも難しく、ここに廃棄されることになった。
「できた。イザベラ、これを」
マリアはワイヤーの端を手渡す。
イザベラはそれを、車長席の下に隠された地雷に結び付ける。
「これでいいわ。行きましょう、時間がない」
基地のあちらこちらで爆発音が響き、焚火の煙が立ち上る。
数少ない残された建物は爆破され、書類は焚火に放り込まれる。
今度こそ何も残さない。
基地の施設は徹底的に破壊され、形あるものには連邦への土産が添えられた。
基地を最後に後にするのは、工兵と白百合中隊だ。
段々と小さくなる前進基地の姿。
だが、まだ仕事は残っている。
「こちら前進基地。最後の車列が出発した。ここからの通信はこれが最後となる。次の通信は……」
通信隊が最後の連絡を行う。
そして、車両に積み込まれた通信機からケーブルを外した。
「もういいぞ。やってくれ」
通信隊の合図を受け、少女たちがケーブルに何重にもワイヤーを絡めると、針金で締め付けた。
「準備完了しました」
「了解。では私たちも行きましょう」
イザベラは全員が乗り込むのを確認し、手を上げ号令をかける。
「中隊、前進」
戦車が進むにつれ、地中からケーブルが掘り起こされる。
かつて自分たちが敷いた有線回路を、自らの手で破壊する。
自分たちの足跡を自ら踏みつぶすような行為に、誰も口にはしないが虚無感を覚えた。
「先ほど最後の車両が戻りました。撤退は完了です」
「そうか」
司令は執務室の窓から基地を見下ろす。
そこには多くの兵士たちに加え、帝都から急遽送られてきた荷役労働者たちが慌ただしく働いていた。
「進捗はどうなっている?」
「あと数日もあれば完了する見込みです」
中央回廊要塞では、物資集積所の見直しが行われていた。
前進基地での事故を踏まえ、弾薬類を各所に分散して配置するようにしているのだ。
「連邦主力についてですが……」
副官が、偵察の情報から推測される連邦軍の現在地について報告を始める。
その表情は実に苦いものだった。
「わかった。そろそろ決めねばならないな。幹部たちを集めろ、作戦指揮官もだ」
「承知いたしました」
そう言うと、副官は執務室を出た。
「今後の作戦計画について、貴官らの意見を聞かせてほしい」
そう幹部の一人が口を開くと、作戦会議が始まった。
集められた指揮官たちに、幹部が持つものと同じ資料が配られる。
皆、無言で資料に目を落とす。その表情は険しいものだった。
「わかっているとは思うが、次の戦いは非常に厳しいものになる」
司令の言葉に、資料から目を離し、声のする方へ顔を向ける。
「兵が足りない。下手をすれば戦いにすらならないだろう」
帝国は連邦の侵攻を一度は食い止めたが、正規兵の多くを失った。
そして、遠征の失敗から続く前進基地の失落。
帝国各地からの徴兵によりある程度の体裁は取れているものの、士官の数も足りず、かつてと同じように戦えるかは未知数であった。
「はっきり言おう。要塞群はもはや機能しないと思え」
古の時代から幾度となく蛮族の侵入を阻んだ『東壁』だが、今その役割を終えようとしていた。
剣と弓の時代に築かれ、今まで幾度となく拡張と強化を繰り返してきたが、近年の火砲の威力、それに加え機械化車両の機動力の前では無力だった。
もちろんその事実を帝国も知らぬはずはない。
それに合わせ、戦い方を変えたのだ。
要塞群をゆるぎない拠点と変え、その影響下において兵を繰り出す。
兵を剣として、そして盾として用いて要塞を兵が支え、また要塞が兵を支えたのだ。
しかし、兵を失った今では、敵の侵攻からわずかに帝国を永らえさせる存在でしかない。
「だが、むざむざと奴らに明け渡すわけにはいかん」
帝国民にとって東壁とは『破られてはいけない』その象徴でもあるのだ。
「……それでは改めて、貴官らの意見を聞きたい」
その言葉を受けて、一人、また一人と今後の方針についての意見を語りだす。
「資料を見ましたが、連邦の進路を迂回し後方への浸透攻撃を行う。これが最も被害が少ないのではないでしょうか」
敵の補給路を脅かし、継戦能力を削ぐ。それは戦術として無難と言えた。
「だがそれは、敵の動きに期待するようなものだ。もちろん有効ではあるだろうが、あまりに消極的だ」
敵は腹をすかして帰るだろう。
あくまで相手の動きに依存した戦術であり、良くも悪くも運任せであると言えた。
「では、兵を繰り出して戦うか? 奴らの突破力は侮ることができない。一度や二度は耐えられるが、その後は丸裸の要塞を落とされて終わりだ」
記憶に新しい連邦の新戦術。
まだその戦術に対抗する有効な手段は考案されていない。
唯一有効と思われる手段は強固な防衛線を築き、敵の足を止め横腹から仕留めるというものだが、それこそが要塞群の役割だったのだ。
現状では現実的とは言えなかった。
様々な意見が出されるが、それはどれもただ負けるまでの時間を永らえさせる程度のもので、大きな差はない。
意見は出るが議論は深まらなかった。
そこに、挙手し発言を求める者がいた。
「エレーナ大尉、貴官には何か意見があるか」
エレーナは一呼吸すると、とうとうと語りだす。
それはとても落ち着いていた。
「最善手は帝国全土から兵を集め要塞の機能を取り戻すことですが、それは望むべくもありません」
「そして、座して死を待つというのも、私は性に合いません」
それは誰もが思っていたことだ。しかし、どうすれば良いのか。
無言で続きを促した。
「でしたら、帝都まで引いてみてはどうでしょう」
「むざむざとここを明け渡すというのか?」
一人の幹部の言葉は、決してそのようなことはできないという語気を孕んでいた。
「いえ、要塞は最後まで使います。幸いにも先の対策により縦深が深くなっております。壁を犠牲にして足を止めることができれば、敵に相応の損害を与えられるでしょう。全ての壁を抜かれるまでには相当の時間を稼げるはずです」
「それは……」
それは結局は東壁を捨てるということだ。
どうしてもその手段を選ぶことは憚られた。特にこの状況では。
なぜなら。
「東壁と言えど所詮は壁です。ならば役に立つように使うのがよろしいかと。我が祖先もそう考えることでしょう」
かつての蛮族襲来に立ち向かった征伐皇帝、その戦いの矢面に立ったのはバレンシュタイン家だ。
そして、帝国貴族としての地位を確固たるものとした。
その後は二度と蛮族の襲来という大事を起こさぬために、東壁を築く。
この場所は帝国の歴史であると同時に、バレンシュタイン家の歴史そのものでもあった。
だからこそ無闇に放棄する決断も取れなかったのだが、その家の次期当主が家の歴史ともいえる場所を捨てると言ったのだ。
誰もおいそれと認めるわけにはいかなかった。
重苦しい雰囲気の中、司令が口を開く。
「エレーナ大尉、それはバレンシュタイン家としての言葉ですかな」
一瞬の沈黙。
「いえ、これは一介の陸軍大尉としての意見です。バレンシュタインの者としてはアリエール様の意見に従います」
「そうですか」
司令はそう一言発言して黙り込む。
この沈黙は長く続いた。
「私は東壁を失うわけにはいかないと考える。ここを抜かれでもすれば帝都までは一本道だ。それは許容できない」
その発言に同意する者は多かった。
皆、できればそうしたいという思いはあったのだから。
「何か策はあるはずだ。なんでもいい、何かあるか」
そして皆の意見を出し合い、方針が決まる。
中央回廊の防衛。当初からの方針が変わることはなかった。
これから詳細について詰めていく。
それを聞いたとき、エレーナは誰にも気づかれないような小さな溜息を吐いた。