「おはよう」
「おはようございます!」
若い整備兵は声に気づくと勢いよく振り返り、自分より年下の上官に敬礼した。
エレーナは敬礼を返すと戦車に乗り込む。
「準備はどう?」
「エンジン、変速機、問題ありません」
「主砲照準器、問題ありません」
「そう、では行きましょう」
エレーナはハッチから身を乗り出すと右手を上げる。
「白百合中隊、前進」
その合図とともに戦車が動き出した。
『連邦軍の主力と思われる部隊が集結中』
そのような知らせが入ったのは、数日前のことだ。
報告によるとその数は日に日に増し、推定では中央回廊における帝国軍の兵力を上回る勢いだった。
基地から手を伸ばせば届くほどの距離に、連邦軍が戻ってきていた。
白百合中隊は進む。
かつて毎日のように通った丘陵には膝丈ほどの草が生い茂り、戦闘の痕跡を覆い隠していた。
その中に、焼け焦げた戦車の残骸が静かに佇んでいる。
「中隊停止」
合図とともに白百合中隊は停止した。
車長はハッチから身を乗り出し、双眼鏡を構えあたりの様子をうかがう。
「エレーナ様。白二中隊、白三中隊とも動きは無いようです」
車内から声がかかる。
「了解」
返事をして、また双眼鏡を覗き込んだ。
まだ敵の影は見えない。
「エレーナ」
目を降ろすと、戦車の側にクラリスが立っていた。
「クラリス、もうみんな慣れた?」
「大丈夫そう。こちらは全くの新兵ばかりというわけでもないし」
白百合中隊は、隊員の半数が入れ替わっている。
エレーナの1号車、クラリスの2号車を除き、隊員が補充されたためだ。
前線基地から帰還した戦車兵、帝都から送られた教育隊上がりの兵。彼らを加え、急遽二個戦車中隊が再編成されていた。
エレーナ率いる白百合中隊、及びイザベラ率いる白二中隊は、元々の戦車兵を中核に据えたため、ある程度の機動は期待できた。
だが。
「白三中隊は難しいかもね」
「まぁいいでしょう。あそこの砲が火を噴くころにはこちらの負けよ」
「エレーナ」
クラリスは軽率な発言を咎めるが、エレーナは気にするそぶりも見せない。
白三中隊は、鹵獲した連邦戦車に帝都からやって来た経験の少ない新兵を詰め込んだものだった。
白百合中隊から数名が指揮官として派遣され、その指示通りに動ければよいという扱いだ。
もちろん機動戦など想定されていない。要塞の前で車体を壕に埋め、じっと敵を待つための部隊だった。
「もう少し進んでみましょうか」
エレーナの言葉に、クラリスは無言で自身の戦車に乗り込んだ。
「静かだな」
「えぇ、まだ大きな動きはありません」
司令の独り言のような呟きに、副官が応じる。
時折り砲声は響くが、大軍が対峙しているとは思えないほどの静けさだった。
「現在、連邦は前進基地の西側まで進出している模様です」
「走ればここまで一日だな」
敵はすぐそばまで迫っている。
「動きは無いのか?」
「偵察兵とみられる小部隊のみです。砲兵も戦車もほとんど動きを見せていません」
「それでは我が方も動けんか」
大軍を編成しながらほとんど動かない連邦軍に対し、帝国軍は有効な手を打てずにいた。
砲戦を仕掛けようにも、すぐに対抗砲撃の餌食となってしまう。群れた連邦戦車の中に、こちらの戦車を飛び込ませるわけにもいかない。
常に後手。戦い方を選べないもどかしさが、兵たちの間に蔓延していた。
「このまま睨み合うだけなら、十年であろうと戦えるのだがな……」
「奴らはそれほど待てません。じきに……いや、もう戦闘は始まっていると見た方がいいでしょう」
帝国は帝都から物資を補給できるが、連邦は日を追うごとに物資事情が厳しくなるはずだ。
「どちらにしろ、奴らの狙いはここを抜いて帝都に向かうことだ。決してそれはあってはならん」
「えぇ、東壁は優しくないことを教えてやりましょう」
その日、その瞬間は確実に迫っていた。
「部隊の配置が間もなく完了致します」
「そうか。帝国側に動きは?」
前線に配置された簡易な幕舎で、ダイダは報告を受けていた。
「中隊規模の戦車部隊を繰り出して来ていますが、こちらに来る気配はありません。砲兵も同様で、要塞付近に引きこもっております」
「流石に帝国の壁は厚いな」
ダイダは不敵に笑う。
もしここで帝国が積極的な攻勢を仕掛けて来ていたならば、話は単純だった。遠征部隊を返り討ちにした時のように、笛吹猟の要領で物量に任せて押し潰すだけだ。
だが、要塞にこもられてしまえば肝心の突破力を活かせない。それどころか、足を止められ討ち取られてしまう。
だからこそ。
「帝国には動いてもらわねばならん。こちらはいつ動けそうだ?」
「明朝には。ですが……」
「水か」
「はい。井戸が全て破壊されていました」
「偵察の報告を聞く限り、随分と徹底しているな。帝国も覚悟を決めたようだ」
連邦としては東端基地を再占領し、簡易な集積場所として利用するつもりであった。
しかし、偵察が基地に入ったときにはことごとく破壊されており、さらにあちらこちらに罠が仕掛けられ、とても一般兵に立ち入りを許せる状況ではなかったのだ。
「所詮は使えれば良し、という程度のものです。当面は問題ありません。ただ、要塞を抜いたあとには不安が残りますが」
「兵の水まで心配してやるとは、我らは優しいな。首都の爺様方なら雨水でも飲めとでも言いそうなところだ」
ダイダの不敬な発言に、部下は苦笑いで答えた。
第一次、そして第二次侵攻のために用意された物資は想像を絶する量となっている。これほどの大規模な軍事行動など、連邦は経験したことがない。
上層部の中には不満と不安が渦巻き、権力闘争が過熱し続けていた。
「この作戦が失敗すれば我らは木樵だ。気張れよ」
「あの大森林に何本の木があるかは気になりますが、それは他の部族に数えてもらいましょう」
大戦を前にした不思議な高揚感のせいか、ダイダと部下の軽口は思いの外の盛り上がりを見せた。
「砲兵の配置が完了したと報告がありました。まもなく砲撃が開始されます」
「わかった」
司令部の地下に作られた作戦室で、司令は報告を受けた。
薄暗い壁際に並んだ無線操作員たちは忙しそうに、橙色の明かりが灯る無線機を操作している。
『連邦の軍団に動きがある』
その報告が届けられたのは昼を過ぎ、そろそろ夕闇が迫ろうかという頃だった。
敵砲兵を射程圏内に近づけさせないため、温存していた砲兵部隊が繰り出されたのだ。
「砲撃が開始されました」
そう報告を受けるが、地下作戦室は静かなままだ。ただ淡々と、無線機が現状の報告を吐き出していく。
「流石に連邦も焦れたか?」
「こちらとしては、その方が戦いやすいですが」
幹部たちは次々と上がってくる報告をもとに、次の攻撃について熟考していく。
現状では帝国側が戦闘を管理している。これこそが帝国本来の戦い方だった。
帝国では現場指揮官の裁量が極めて大きい。戦闘行為の判断においては、上位の決定すら現場で覆すことが可能なほどだ。
しかし、大局的な戦闘行動については司令部の判断をもとに行われることが多い。
歩兵、騎兵、砲兵やその他の兵科が、緊密に連携して動けることが最大の強みなのだ。
だからこそ要塞群主体の戦闘では、圧倒的な優位を保ってきた。
東壁は決して抜かれない。そう確信にも似た思いが定着するほどに。
「連邦は後退を開始した模様です」
それゆえに。
そう報告が上がって来た時、その言葉を疑う者は殆どいなかった。
「始まったようだな」
「えぇ、まだ砲声は遠いようですが」
薄暗くなり始めた廊下を歩く、白衣を着た二人。
帝国軍の病棟、その静まり返った廊下に小さな足音が響く。
「また忙しくなってしまいそうだ」
軍医の言葉に、助手は無言で頷く。
「せめて後送出来れば良いのだが……」
病棟には傷病兵がひしめき合っていた。
遠征の失敗に続く前進基地への攻撃を受けて、負傷兵の数は増えるばかりだ。
本来ならば帝都まで送って療養させるところだが、後送させるための人手が足りない。大けがを負った者をそのまま貨車に詰め込んで送るわけにもいかず、重症の兵がここに留め置かれていた。
二人の嘆息は、静かな廊下に吸い込まれていった。
静かな病室。
そこにも遠い砲声が響く。
意識なくただ横たわる者。
砲声に怯え、頭を抱えてうずくまる者。
そして。
一人の男がベッドからゆっくりと起き上がる。
顔にも体にも包帯が巻かれている。
ベッドの脇に下げられた札には、男の名前が書かれている。それはたまたま手に入れた認識票に記された、彼自身も顔を知らぬ者の名だ。
窓を砲声が揺らす。
まだその音は遠い。
名もなき男は、ゆっくりとその身を横たえた。
「またか」
帝国兵は、定期的に訪れる砲撃に飽き飽きとしていた。
挑発のように砲を撃っては、こちらの対抗砲撃の前に去ってゆく。その度に警戒態勢を取らされる現場の兵はたまったものではない。
「まったくだ! 上は怖気づいたのか! なんで奴らの好きにさせているんだ!」
本来なら死の恐怖に怯えるであろう兵士たちも、度重なる砲撃に慣れ、やがてその恐怖を怒りへと変えていた。
そして、その矛先は司令部に向けられつつあった。
「……あまり良くない兆候だな」
「えぇ。志願兵はまだ良いですが、徴兵された者たちの士気の低下は目に余ります」
作戦会議室で報告を受けた司令はため息をついた。
連邦は攻めるでもなく引くでもなく、常に曖昧な動きを取り続けている。幹部や指揮官たちには、それが連邦の陽動であると分かっていたが、下々の兵士たちにその意図を理解させるのは難しかった。
それ故、一番身近な上層部へと反発の感情が向かってしまうのだ。
「ここが堪えどころだと言うのに……」
連邦は帝国よりも遥かに厳しい状況での戦いを強いられている。このまま持久戦に持ち込むことこそが、帝国の最善手なのだ。
「何とか抑え込め」
「承知しました。臨時配給を実施しましょう。心許ないですが、ここで出し渋るとどう転ぶか分かりません」
食い物で釣る。酒で釣る。
まるで古の戦場のようなやり方だ。
「ままならぬものだな……」
司令はそう呟いた。
「第一軍は北部要塞への攻撃準備が完了しました。作戦開始は明朝の予定です」
「……わかった」
報告を受けたダイダは手を握り、その震えを隠した。
「中止決定は本日の深夜、日付が変わるころまで可能です。それ以降は伝令が間に合いません」
連邦には帝国ほどの長距離通信技術は存在しない。
一度計画を決定してしまえば、あとはその通りに進めるより他になかった。
「変更はない。そのまま進めよ」
「了解しました」
伝わる情報が限定的であること。
それが第一次侵攻では大きな問題となり、帝国の反撃を許す要因となった。
だが、ダイダはこれを逆に利用した。
この作戦のような奇策の類に、本国から横槍を入れられる前に戦果を挙げる。
たとえば、帝国の壁を抜く。
その戦果さえ確定してしまえば、後の主導権を握ることが出来るのだと。
しかし、それには危うさも孕んでいる。
もし失敗した場合、意図的に情報を隠蔽したと反逆を疑われかねない。これは賭けだった。
「北部と歩調を合わせよ。あくまでこちらの主力は『陽動』だ。まずは、帝国の腹を食い破れ」
ダイダが連れてきた第二軍。それは新型戦車に加え、連邦に存在するほぼ全ての兵力を動員した、まさに主力であった。
それらさえも囮に使う。もう二度は無い。
「痛みに手を当てたところで、喉笛を嚙みちぎる」
陽動と主力が入れ替わる。戦力の分散、連絡の取れない連携。本来ならば下策の類だ。
しかし、もはや止められない。
この百年をすべて注ぎ込んだ。
「征くぞ。我らの先祖も通った道だ」
かつて見た、黄金に輝く帝都へ。
「東部街道を進め」
豊かさの呪い。それを今、果たすために。