「前線監視所が攻撃を受けています! 連邦主力です!」
まだ日が昇る前に、その急報が舞い込んだ。ついに連邦の主力が前進を開始したのだ。
「ついに来たか! 奴らを近づけさせるな!」
作戦指揮所は、にわかに慌ただしさを増していく。
要塞内に警報音が鳴り響いた。全ての照明が灯されると、薄暗かった周囲がぼんやりと照らされ始め、やがて昼間のような明るさとなった。
定期的に照明弾も打ち上げられ、遠方をぎらぎらと照らし出す。
整備所の中に、重いエンジン音が響いた。
「白百合中隊及び白二中隊は、前線監視所北部へ向かってください! 南部は騎兵第一中隊が向かいます!」
エレーナとイザベラは、伝令の兵から作戦指示書を受け取る。
そこには以前のような曖昧な指示ではなく、明確な目標が記されていた。
「了解」
「了解しました」
指示書を受け取ると、エレーナとイザベラは言葉少なに戦車へ乗り込んだ。
他の乗員たちも押し黙っている。
「中隊前進」
戦車が動き出す。
彼女たちはまた、戦火の只中へ戻ってきた。
「稜線に注意。連邦の新型は6号と同等よ。先に見つけないと撃ち抜かれるわ」
エレーナの指示が飛ぶ。
皆はそれに、何とも言いようのない懐かしさを覚えた。
「はぁ、5号になっても同じことを言ってるわ」
車内無線に切り替えたエレーナの呟きに、車内へ小さな笑いが広がる。
装甲と火力に苦労した3号戦車。そこから重装甲・高火力の5号戦車に乗り換えたが、それでも止まらぬ戦争の歩みに取り残されつつあった。
「遮蔽と角度、基本に忠実にね」
エルンストの教えは、戦車が変わっても変わることはない。
徐々に日が昇り、辺りがようやく見渡せるようになった頃。ついに白百合中隊は連邦に遭遇した。
「ゆっくり。灌木の影へ」
朝日を背にするようにゆっくりと進み、灌木とわずかな起伏の中に巨体を隠す。
久し振りに目にする敵の影に、鼓動が高鳴った。
「旧型?」
砲手が呟く。
照準器に映るその姿は、かつて帝国の旧型戦車に乗っていた頃から見慣れた相手だった。
「好都合ね。大丈夫、よく狙いなさい。こちらのほうが硬いわ」
「了解」
砲手は照準器の中心に敵影を合わせ、一つ照準線を上げる。
一呼吸置き、引き金を引いた。
戦車砲が轟音を上げ、それに続いて狭い車内で砲身が後退し、薬莢が吐き出される。
火薬の臭いが車内に満ちた。
「命中! 次!」
敵戦車から火柱が上がる。エレーナはすぐさま次の目標を叫んだ。
しかし。
次の瞬間、至近弾を浴びせられた。戦車のすぐ脇で敵弾が跳ねる。
「わっ…………!」
さらに機銃弾の雨が車体を叩き、砲手は思わず照準器から目を離した。
「後退! 全速後退! 煙幕を発射!」
戦車はエンジンを唸らせ、黒煙を噴き出しながら後退する。
同時に煙幕が発射され、周囲を白煙が覆い隠した。
「敵下がります!」
無線が鳴り響く。
「無理に追わなくていい! 距離を取って! ここを抜かれなければいい!」
白煙を抜け、再び稜線を見たときには、すでに敵の影はなかった。
「以前とは違うわね。手慣れているわ」
「そうですね。寮車が撃たれてからの動きが違います」
エレーナの呟きを砲手が拾った。
動きが違う。
以前の連邦戦車ならば、攻撃を受けた後に動きが止まるか、あるいは無理な突撃を敢行してきていた。
だが今の彼らは、帝国から見ても適切な機動を取っていた。
「奴らも馬鹿じゃない。楽にいけそうにないわね」
連邦は練度を増した。エレーナは素直にそう思った。
「こちら白百合中隊、連邦の戦車と遭遇した。一両を撃破した」
そう無線を送る、だが、反応が無い。
「指揮所へ、こちら白百合中隊。連邦の戦車と遭遇した。一両を撃破した」
続けて同じ内容を送る。
相変わらず返信は返ってこない。
「故障? 繋がらないわ」
エレーナが手を伸ばし、他の回線を探そうと無線機に手を掛けた、その時。
「白百合中隊か! どうした!」
無線から聞こえた声は、酷く慌てていた。
「連邦の戦車と遭遇した。一両を撃破。場所は……」
そう言いかけたところで、会話が遮られる。
「指揮所了解した! 白百合は戻れるか!」
「白百合中隊は帰投するということか? 白二中隊に対する指示を乞う」
「……白百合を戻せばいいのか! どうするんだ! 連邦の……」
会話が嚙み合わない。背後の怒声が増え、混乱が広がっていくのが伝わってきた。
「白百合中隊から指揮所へ。指示が聞き取れない。白百合と白二、どちらも帰投するのか」
エレーナは疑問と苛立ちを滲ませて、無線機に呼びかける。
「何があった」
その一言を付け加えて。
「北部要塞に連邦の主力が来ている! 要塞を突破された!」
その返答に、エレーナはしばらく声を失ってしまった。
連邦からの攻撃を受けている。
当初は以前のような小規模部隊による陽動であると思われていた。
この中央回廊から目を逸らさせるため、その推測は十分に納得できるものだったからだ。
しかし、次第に情勢は変わっていった。
連邦の主力による攻撃。要塞への砲撃。
そして、要塞を突破され、内部で戦闘中。
状況は悪化の一途を辿っていた。
「どうなっているんだ! 状況を纏めろ」
作戦指揮所には怒声が飛び交っている。
「現在、要塞内に連邦軍が侵入し、守備部隊との戦闘になっている模様です。北部軍司令部は地下指揮所に退避しています」
その報告を聞いても、みな信じられないという顔だった。
要塞の外ならともかく、なぜ内部で戦闘が起こっているのか。
「と、とにかく北部につなげ!」
通信手が呼び出しをかける間、誰の口からも言葉は出なかった。
「北部繋がりました」
その言葉を待って、幹部が無線機を取る。
「こちら中央回廊司令部。そちらはどうなっているんだ」
一瞬の遅延の後、北部から声が返った。
「こちら北部軍司令部。連邦の主力がなだれ込んできている。外部の防塁群を突破された。とんでもない火力だ」
「内部で守備部隊が戦っている。増援が必要だ、このままでは持たない」
「北部軍司令部を後方へ移動する。一部は撤退を開始した、対戦車障害を落とす。橋を落とすぞ」
北部からの報告はまさに絶望的な状況であった。
地下壕からの通信だが、その背後からは砲撃の地響きが伝わってくる。
中央から北部へは連絡線が通っており、それを用いて補給を行っていた。
連絡線は北部の丘陵を掘り割って作られており、その場所には巨大な石造りの陸橋が架けられている。
非常時に橋を落とし、敵の進軍を止めるためだ。
その橋が、今落とされようとしている。
北部軍司令部は要塞の放棄を決めたのだ。
もう二度と戻ることはない。
その状況に中央回廊司令部は凍り付いた。
「今こちらから増援を送る準備をしている。軽装備の兵なら半日で到着する。何とか持ちこたえろ」
「了解した。まもなく地下壕を放棄する。次の通信は後方の軍区からとなる。以上、北部軍司令部」
一連のやり取りを見聞きした幹部たちは顔を伏せ、床を見つめる。
司令は一人、天井を見上げた。
もはや、なぜこのような事態が起こったのかを考えている場合ではない。
この後に何をすべきか、そう考えざるを得ない状況だ。
しかし、司令部に集められた者たちは誰も口を開くことが出来なかった。
「急げ! 早く積み込め!」
中央回廊要塞は混乱の最中にあった。
要塞の目の前まで迫った連邦軍の主力を前に、戦闘の準備が行われていた。
夜明け前からは散発的な戦闘が行われ、いよいよ本格的な戦闘が始まる、皆がそう思っていた矢先のことだった。
北部要塞が攻撃を受けている。
増援を送れ。
出撃の指示を待つばかりだった兵士たちを、北へ送り出す。
補給物資も行く先を変えた。
兵士と荷役労働者たちが荷物を手に、右往左往している有様だった。
誰もが混乱している。
その混乱の中に、包帯を巻いた男が紛れていたとしても、誰も気づかないほどに。
「北部からの連絡です! 要塞を突破し、内部で戦闘中とのことです!」
その報告に連邦軍司令部の幕舎は、おおっ、という歓声に揺れた。
予想以上の大戦果であった。
「偵察からの情報とも合致します」
連邦は中央回廊要塞に攻撃を仕掛けた。
それは北部の攻撃を援護するための陽動であったが、帝国軍の兵力についての情報を探る側面もあった。
砲兵、歩兵、戦車隊。その動きは逐一報告されていた。
そして北部への攻撃が行われたであろう頃から、明らかに編成に変化があった。
もちろん帝国も連邦の兵力について探っており、中央回廊を臨む位置にある我々を『主力』だと報告していたことだろう。
最重要である中央回廊を狙う連邦の主力。
その存在こそが、真実を覆い隠すための囮だった。
「いよいよだな。計画通りで問題はないか?」
「はい。まさかここまで順調に行くとは思いませんでした」
ダイダの問いに、参謀の一人が答える。
「これから、旧式戦車を主体とした突撃兵が、主力軍の援護のもと攻撃を開始します」
第二軍の構成は二つに分かれている。
一つは、旧式の兵器を主体とした部隊だ。
「突撃兵が損害を省みず要塞に取りつきます」
要塞に肉薄し、帝国の手足を縛る。
「そののち、主力軍が進軍し要塞群に迫る。そこからは火力勝負です」
要領は実に単純だ。
突撃兵にどれほどの損害が出るか予想もつかないほど危険であることを除けばだが。
「壁を抜けば三波戦術……笛吹猟の始まりです」
机上に広げられた地図をなぞる。
その指は、要塞を抜けた。
ダイダはゆっくりと目を閉じ、静かに頷く。
「この作戦は優秀な貴官らの手により、必ず成功すると私は信じている」
目を開いて幕舎に集められた者たちを見渡し、力強く告げた。
「作戦を開始しろ」
参謀が、静かにそう号令をかけた。