「敵の砲撃が開始されました。戦車と歩兵が多数。我が方は劣勢です」
地下作戦指揮所に集められた者たちの表情は、数日前から厳しさを増すばかりだった。
「奴らを止められるのか? いや、今はそれよりも……」
中央回廊に敵が押し寄せてきている。
何処もかしこも問題が燃え上がっているが、喫緊の課題があった。
「まだ鉄路は復旧しないのか? このままでは北部軍が包囲されるぞ」
「……鉄道大隊が作業を急いでいますが、まだ見通しは立っておりません」
幹部の一人は、部下から何度聞いたか分からない同じ報告に頭を抱えた。
北部要塞への奇襲から始まった連邦の攻撃により、要塞の一つが陥落した。
撤退を開始した帝国軍を支援するため、中央から北部へ兵と物資が送られるはずだった。
しかし、機関車の事故により鉄路が大きく破壊され、さらに満載された弾薬が誘爆したことで被害が拡大した。未だに被害状況すら把握しきれず、北部軍から送られる支援要請は日に日に悲痛なものとなっている。
「……急がせろ。陸路で向かった部隊はどうなった?」
「あと二日はかかるかと。重輸送車が足りません。歩兵はともかく、戦車は何台たどり着けるか……」
戦車は走るだけで摩耗する。
要塞から作戦場所まで自らの足で移動し、戦闘を行う。それだけで大規模な点検と整備が必要になる。
一台、また一台と途中で数を減らしていくことは目に見えていた。
しかし、もはや他の手段はない。
帝国軍の状況は急速に悪化していた。
「北部軍は何としても撤退させなければな。あそこにはアリエール閣下がいらっしゃる」
「未だ地下壕に籠られて、指揮を執っていらっしゃるそうですが……」
バレンシュタイン家当主、そしてエレーナの兄であるアリエールは、まだ戦闘の只中にいた。
「初陣がこのような戦争であるのに……実に胆力のあるお方だ……」
本来ならばその勇敢さを褒め称えたいところだが、司令や幹部たちとしては何に代えても逃げ延びてほしい気持ちだった。
あの家の歴史は、もはや帝国の一部である。それを失うことになれば……まだ、皆にその覚悟はできていなかった。
「……お立場を考えれば退くことも難しいのでしょう。防衛派の目もあります」
「忌々しいことだ」
帝国貴族と帝国軍は今や二つに割れている。
主戦派と防衛派。その主戦派の旗頭こそがバレンシュタイン家なのだ。おいそれと引くわけにはいかなかった。
「バレンシュタイン家に生まれた者はみな勇猛だとお伽噺にもあったが……歴史がそうさせるのか……それとも血か……」
半ば諦めのような言葉が口から零れる。
「うちのお姫様も、やはりバレンシュタインだな」
北部への援軍は、歩兵部隊、補給部隊、そして戦車部隊。
白百合中隊の名前が、そこにあった。
「中隊停止」
エレーナが手を上げる。
指示を受けた白百合中隊と白二中隊は、街道脇に車体を停めた。
「総員下車。各部の点検を急げ。点検が終わったら小休止」
隊員たちは戦車から工具を取り出すと、各部を点検していく。カンカンという鉄を叩く音が響き渡った。
「操縦手は休んでいていいわ」
操縦席から這い出てきた操縦手たちは、エレーナの言葉を待たずに戦車の脇へへたり込んだ。
暑苦しく激しく揺れる車内。その中で重いレバーやペダルを操作し続ける彼女たちの負担は、極めて大きかった。
「男手があって助かったわ」
エレーナは履帯の整備作業を見つめながら呟く。
いくら戦車の操作に習熟したと言っても、整備作業となると話は別だ。重く大きい鉄の塊を小柄な少女たちが扱うのは骨が折れる。
乗員を入れ替え、他の解体された戦車隊から男性乗員を組み入れた今では、幾分か状況は改善していた。
「エレーナ様、北部の状況ですが……」
作業を見ていたエレーナのもとに、イザベラが報告を持ってやってくる。
相変わらず使いづらい無線機ではあったが、この状況になっては数少ない頼れる存在でもあった。
「何とか持ち堪えている。そんな状況かしらね」
「はい。ですが……」
イザベラはそのあとの言葉を繋げなかった。
北部からの連絡では、猛烈な砲弾の雨が降り注いでいるとのことだった。
敵味方が一つの建物、一つの辻角を取り合うような熾烈な市街戦が繰り広げられている。報告を聞く限り、勝利を考えられる状況ではなかった。
そして、その場所には。
「お兄様は飄々としていらしたけれど、やはり戦場の男でしたのね」
エレーナの兄、アリエールがいる。
北部へ改めて援軍を送るという段になり、エレーナは真っ先に手を上げた。
『私たちが向かうのがよろしいでしょう』と。
真っ向から否定することも出来ず、エレーナの提案は了承された。
その場に同席していたイザベラは、苦々しく顔を歪めた司令の表情を忘れることが出来なかった。
イザベラも同じ思いだった。
出来ることなら、二人が同じ場所に居てほしくない。万が一のことがあれば、そこではその可能性はずっと高いのだから。
「中央はどうなっている?」
「あちらは砲撃が続いているようです。司令部はそろそろ動くと考えています」
「そう」
北部要塞が突破されたという報せがもたらされてから暫くたつと、連邦の様子に動きがあったらしい。こちらの動きを探るような戦闘が続いている。
いつ本格的に動くか、そのような状況だった。
エレーナは少し考えるような素振りを見せるが、すぐにやめた。
「私たちにできることをしましょう。今までそうしてきたのだから」
「疲れているでしょうけれど、頑張って頂戴」
エレーナが出発の合図をかけると、隊員たちは戦車の中へ戻っていく。
「中隊前進」
戦車が黒煙を吐き、また動き始めた。
数日前に起こった補給車列の事故。
機関車の脱線から始まった大事故により、只でさえ慌ただしかった基地内は、もはや狂乱というほどに荒れていた。
その様子を、影から見る負傷兵が一人。
(何とか役目は果たせたか……)
男は心の中で呟き、ここに至るまでの道のりを思い出した。
後退する帝国兵に紛れ、東端基地まで侵入することに成功した。そこまでは良かった。
当初は混乱する状況に助けられ、何とか身を隠すことが出来た。だが、日に日に帝国軍は体制を立て直していく。
もう待てない。本来ならば味方の姿が見える頃合いに実行する予定であったが、仲間と話し合い、計画を前倒しで実行に移した。
弾薬庫に爆薬を仕掛け、ピンを抜く。逃げる時間は十分にあるはずだった。
だが、次に目をあけたときに見えたものは、灰色の世界と瓦礫。そして、体を走る鋭い痛み。
横には、名も知らぬ帝国兵の死体。
成功したのか失敗したのか、それすら判断が出来なかった。
辺りの塵芥が落ち着き始めると、帝国の言葉が聞こえ始める。
『誰かいるか』
『もう死んでいる』
その中に。
『弾薬庫が爆発した』
成功だ。俺は役目を果たした。
男は別にここで死んでもよかった。だが、幸いにもまだ体は動くようだ。
(一度死んだのなら、もう一度死んでも変わらんか)
男は隣に並んだ兵士の死体から認識票を引きちぎる。
(すまんな。少し貸してくれ)
男は認識票を胸元にしまい込み、帝国兵の仲間を探す声に向けてすっと手を上げた。
「おい! 生きてるぞ! 手を貸せ!」
男は中央回廊に運び込まれると、すぐさま病院へ送られ治療が施された。
周りには同じような負傷兵が並べられている。
(何だろうな。敵のど真ん中だというのに落ち着く。本当はあそこで死んじまったんじゃないか)
男はそう思った。
死の恐怖もなく、心は何処までも冷静なままだった。
砲声が響く。まだ音は遠いようだ。
周りには意識なく横たわる者、頭を抱えうずくまる者、死の恐怖から逃げようと走り回る者がいる。
(そろそろ仕事の時間だな。でも今日は休ませてくれ)
男はベッドに身を横たえた。
数日後、男は病院を抜け出した。
そこかしこに積まれた物資の中から作業着を見つけると、病人着を脱ぎ捨てる。
包帯まみれの姿にすぐ怪しまれるかと思ったが、周りにはそんな人間だらけで、誰も気にかける余裕はなかった。周囲を警戒しながら、静かに歩みを進める。
(弾薬庫も通信設備も無事なようだ。……あいつらは失敗したのか)
東端基地で別れたかつての仲間たちを思い出す。
『北部要塞』『連邦』『攻撃』『援軍』
すれ違う兵士たちの言葉に、そのような単語が混ざり始めたことに男は気づく。
(なぜ北部に? あそこは要衝でもないはずだ)
あらかじめ聞かされていた計画にはない、友軍の攻撃。
計画が変更になったのか、それとも最初からあえて教えられていなかったのか。
だが、男に迷いはない。
(俺は出来ることをやるだけだ)
男は荷役労働者たちに紛れて補給車列に近づき、わずかに手に入った物資を用いて機関車に細工を施した。
そして今、この大混乱を手に入れた。
(あっけない)
男に特に感慨はない。その感情は落胆に近いものだった。
あの鉄壁の帝国軍が、手負いの兵士一人によってあっけなく破壊されてしまった。
血の滲むような訓練を経てここまでやって来た男にとって、帝国の凋落ぶりは正視に耐えられるものではなかった。
(また生き残ってしまった)
男はもはや、死に場所を求めているかのようだった。
(砲撃の音が激しくなった。友軍の攻撃が始まったのか)
何かを探し求めるように要塞の中を歩く。
やがて整備工場のような建物を見つけると、そこに山と積まれた弾薬と燃料缶へ近づいていった。
「来た! 来ました! 連邦軍です! すごい数が……!」
狭く息苦しい車内に、新兵の動揺した声が響く。
「大丈夫よ。落ち着いて」
エレザは落ち着いた声色でそう伝えると、まるで転んで泣きべそをかいている子供をあやすように、ゆったりとほほ笑んだ。
「徹甲弾を装填。射撃の指示を待て」
次にその口から出た言葉は、戦車指揮官そのものだった。
「最後は連邦の手の中だなんて……皮肉なものね」
かつて聞き取りづらいと言われた、その優しい声色で呟く。その呟きは車内の騒音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
エレザは鹵獲した連邦戦車の中にいる。
白百合中隊の再編成に伴い、白三中隊の中隊長に任じられたのだ。
戦車は拾い物。乗員は戦車戦の右も左も知らぬ新兵か、原隊を失った戦車兵ばかり。寄せ集めだ。
「エレーナは可愛い顔をして、随分と酷いことをするのね」
エレザは悪戯っぽく笑う。
中隊長に命じられた時、エレーナはこの部隊が戦うことは無いというような言葉を告げていた。
それはもし、この部隊が戦うような事態になれば、帝国が東壁を守る力を失ったということに他ならない。そんな意味が込められていた。
だが、目の前には連邦軍がいる。その時が来たのだ。
「さぁ、あなた達。仕事の時間よ」
「大丈夫。弾なんて、そうそう当たらないものよ」
「よぉく、狙って」
エレザはその優しい声で攻撃開始を告げた。
戦車砲が、かつての主人に向けて火を噴く。
「早く! 早く次!」
初弾は外れた。
装填手は狭い車内で身を捩りながら新たな弾薬を取り出し、薬室へ込める。
(遅い!)
エレザは思わずそう口に出してしまいそうになる。
手慣れた者でも手間取る連邦戦車の再装填。新兵ならば猶更だった。
少し霞む照準器の向こうで、敵の影がわずかに大きくなる。
「装填完了!」
装填手が安全装置を解除すると、すぐさま発射される。
「命中!」
「……まだ動きます!」
敵から火花が散るが、その歩みは止まらない。
「早く! 死にたいの! さっさと込めろ!」
先ほどまでの優しさは、すっかりと影を潜めていた。
「装填完了!」
三度目の砲が放たれる。
敵戦車から火柱が昇り、砲塔が吹き飛んだ。
「次! 早く! 私たちもああなるわよ!」
「私はエレーナ程優しくない! さっさと動きなさい!」
エレザは叫んだ。
一台、また一台と連邦の車両から火の手が上がる。しかし敵の動きは止まらない。
やがて、その後ろから奇妙な形をした車両が現れた。
「工兵戦車! 各車は工兵戦車を狙いなさい! あれを近づけるな!」
エレザの叫びは止まらない。
旧式戦車に括り付けられた不格好な構造物。その中には爆薬が詰め込まれている。防御陣地を破壊しようとしているのだ。
曳光弾の軌跡が工兵戦車を横切る。
「命中! 命中!」
工兵戦車は大爆発を起こし、形も残さず消え去った。粉塵が立ち上る。
「次は……」
照準器から目を外し、新たな目標を探す。ほんの一瞬だった。帝国戦車では訪れないその瞬間。
粉塵の中から、もう一両の工兵戦車が現れ、爆薬を設置して後退する。
慌てて照準器に視線を戻すが、再びの大爆発が巻き起こった。
「うっ……! 落ち着いて! 次の目標を……!」
防御陣地はそう簡単には抜かれない。大丈夫。
エレザは自分に言い聞かせるように呟く。しかし。
「新たな車両! 正面から……」
無線が鳴るが、紐が引きちぎれるような音がしてすぐに途絶えた。
狭い視界から辺りを見回す。炎が見える。
「……三号車が」
白三中隊の戦車から火柱が昇っていた。だが、立ち止まる事はできない。
「正面の車両! 先頭を狙え!」
照準器の向こうには、連邦の新型車両の姿。
もはや有利不利の問題ではない。やるしかなかった。
複数の戦車で同じ一両を狙う。精度の不利を補う苦肉の策ではあったが、それが功を奏する。
「命中!」
連邦戦車が一両、また一両と燃え上がり、ついに後退を開始した。
これなら何とかなる。守れる。
そんな淡い期待がよぎった。
その時、また無線が鳴った。
「工兵が来る! 歩兵もだ! 戦車も! やつら突っ込んでくるぞ!」
誰が発信したかもわからない無線だが、エレザにもその状況はすぐに理解できた。目の前にいるからだ。
僅かに空いた穴をめがけて突っ込んでくる敵兵に、ひたすらに主砲を撃つ。だが、敵の足は止まらない。
小さな爆発が続く。
このままでは、とても持たない。
一瞬の淡い期待など、とうの昔に消え去っていた。
そして追い打ちをかけるように、要塞の中から爆発音が響く。
地面が揺れるほどの大爆発。しかし、振り返ることはできない。
突撃を続ける連邦軍。ただそれを狙い、砲を撃ち続けた。