「早く積み込め!」
鉄道の操車場。そこは中央回廊に到着した日のように賑わっていた。
降ろす荷物より、積み込む荷物の方が多いことを除けばだが。
それは数日前に決定された一つの、そして最後になりかねない命令から始まった。
「それでは現状と対応についての報告を」
エレーナのその一言から討議が始まる。
「連邦軍による三度に渡る攻撃を受け、中央回廊要塞には穴が開いた状態となっております」
幹部の一人は苦々しい表情から言葉を紡ぎ出す。要塞の見取り図の中には破壊された状態を表す印が並び、その印は要塞の奥深くへと食い込んでいた。
「現在、復旧を急がせておりますが……十分なものとなるかは……」
指し示す先には、応急的な防御線が描かれていた。対戦車壕に塹壕線。外を見れば、兵士たちが必死に土を掻き上げている様子が見える。
それは前線に作るような、あまりに簡易なものだった。
「あなたたちに聞くわ。それで東壁は守れますか?」
エレーナの言葉に、集められた誰もが顔を伏せた。
皆分かっているのだ。この状況ではもはやこの場所を死守することなど叶わないと。だが、むざむざと東壁を明け渡すこともできない。誇りと現実の間で彷徨い、袋小路に迷い込んでいた。
「はぁ……」
エレーナは小さく息を吐く。
「決まりね」
たった一言。だが、次に続く言葉は皆分かっていた。
「東壁を放棄し、帝都まで引きます」
それは一度、エレーナにより出された案だった。その時点ではとても受け入れられるようなものではなく、当然のように否定された。しかし、現在の状況を鑑みれば、他に選べる手段などもはやない。
「……細部の検討が必要ではありますが、このような計画となっております」
幹部の一人から、おずおずと作戦計画書が差し出される。一度は否定されたが、検討に値しないものではないため、簡易的ではあるが検討自体はされていたのだ。だた、誰もが採用されるとは思っていなかったが。
エレーナは作戦計画書に目を通す。一度目にしたことがあるため、さらさらと読み通すと顔を上げた。
「これにはブラッシカ中尉も?」
作戦会議室には普段現れないブラッシカ中尉も、今日はこの場に同席していた。
「はっ。先の戦闘の経緯を踏まえ、作戦提案をさせていただきました」
連邦軍基地への奇襲攻撃。結果から言ってしまえば大失敗に終わり、今の惨状を招いてしまったと言える。だが、だからこそ、そこから得られた戦訓がこの撤退計画に反映されていた。
「私共で連邦の戦術について検討いたしました」
幹部が修正された計画について語る。当初の計画では東壁が完全な状態からの撤退であるため、そもそもの前提が異なるのだ。
「東壁……いや、中央回廊要塞ではもはや戦えません。この場所で戦えば無駄に兵を失い、次の攻撃にはとても耐えられないでしょう」
「ですから……」
幹部は口ごもる。その先の言葉は、この場では口にすることが憚られるように思えたからだ。
「中央回廊要塞を破壊し、遅延戦術に努める。そういうことね」
「そのようになります……」
自らの手で築いた壁を、自らの手で壊す。それは言葉以上の重みがあった。
「次の防衛線は鉄路の連絡点、ここになります」
地図上の一点を指し示す。そこは普段は貨車のすれ違いを行うだけの、小さな連絡駅であった。
「なぜここに?」
「距離があります」
血で書かれた教本に、新たな章が刻まれていた。連邦の新戦術には、作戦可能な「距離」があるのではないかということだ。
「詳細はいまだ不明ですが、先の戦いから見るに、進出点が設定されていると考えられます」
それは最初に突撃してきた部隊の不思議な動きから導き出された。帝国軍の作戦指揮所を攻撃し破壊していくのかと思われたが、そのまま前進し、しばらくしてから停車して戦闘を行った。
停車から戦闘に移る流れは以前の連邦の戦い方であったが、前後の流れに違和感があったのだ。それに加え、第二、第三の部隊は目測だが第一部隊の半分ほどの距離で停止した。
帝国は考えた。ここに作戦の要所があるのではないかと。
「要塞内に進出点を設定するとは思えません。兵が残った状態で停止すればただの的です」
「設定をするならば要塞の手前、もしくは後方」
「ですが、要塞には穴が開いた。ということは……」
そこでエレーナが口を挟む。
「要塞を抜けた場所に設定されていると」
「その通りです」
幹部は地図から指を離し、席に戻った。
違和感。そうではないか、かもしれない。極めて不明瞭な情報をもとに立てられた計画だ。いや、計画とも呼べないものかもしれない。
だが。
「それでいきましょう。あなたたちもいいわね?」
エレーナは決断した。集められた者たちも頷く。
今ここで、最後の作戦が動き始める。
そして、今。
中央回廊。そこに築かれた要塞群は、連邦の第二次侵攻を何度か跳ね返したものの、ついに限界を迎えた。要塞は機能を停止し、もはや戦線は維持できない。
帝国軍は撤退を決めた。どこまで退くのか、それは誰にも分からない。
操車場は、撤退する者たちであふれていた。
そのほとんどは司令部の物資で占められている。後方に司令部を移し戦闘を継続する、それが帝国軍の方針だった。
だが、残されるものも多い。動かせないほどの重傷を負った兵士たち。彼らは静かに、そこに横たわっていた。
最後の貨車が出発し、操車場はだんだんと静かになっていく。
白百合中隊は工兵部隊と共に、最後に中央回廊を去ることになっていた。工兵たちは雑多な爆薬で、操車場を飾り付けていた。
「エレザ」
エレーナはエレザに声をかける。エレザは無言のまま、いくつかの認識票を差し出した。
「アメリア・べスプ」
「アスト・ホーレソン」
「サーチュ・パラジオン」
「コーシン・ゴスン」
「バラカ・ゴーベンカー」
エレーナは名前を読み上げると、腰から拳銃を抜き、空に向けて五発放った。乾いた銃声が辺りに響く。
彼女たちは白三中隊で連邦と戦い、そして散った。まともな葬儀も行えず、彼女たちは連邦製の鉄の棺の中で眠っている。
誰もかれも口数は少ない。
そして、とりわけ静かなものに寄り添う少女が一人。
操車場に残された、先ほどまではかすかに息をしていたウィシウス伍長。その傍らにはイザベラがいた。
「エレーナ様、申し訳ございません」
イザベラはそう告げる。ウィシウスをここに置いていけない。自分も残るというのだ。
エレーナは無言でイザベラを見つめていた。
隊員たちは怯えていた。これからどうなるのか。エレーナが無理やりでもイザベラを連れていくのではないかと、そう考えていたのだ。
エレーナは大きなため息をつき、そしてイザベラのほうへ歩いていく。頬を叩くのか、首を掴んで戦車に押し込むのか。隊員たちの視線が集まる。
しかし。
エレーナは上着の懐から針金を取り出すと、それを器用に輪にしていく。
「粗末なもので悪いけれど。おめでとう、イザベラ」
手作りの腕輪を手渡した。
イザベラの瞳から、大粒の涙が溢れる。
帝国で、腕輪は永久の誓いを意味する。
「ありがとうございます……エレーナ様」
エレーナは、イザベラとウィシウスの証人となったのだ。
二人を囲んだ少女たちの輪から、小さな拍手が起こる。
「結婚祝いが無粋でごめんなさいね」
エレーナは弾薬箱から一抱えほどもある地雷を取り出すと、イザベラに手渡した。
「エレーナ様、さすがにこれはどうかと思いますよ」
イザベラは泣き笑った。
「お幸せに」
エレーナは外へ向け歩き出す。他の隊員たちも慌ててエレーナの後を追った。
イザベラは深く頭を下げ、皆を見送る。
遠くで戦車のエンジン音が聞こえ、そして小さくなり、やがて聞こえなくなった。戦場とは思えないほどの静けさだった。
辺りを見渡しても、皆眠っているようだ。
そこに小さな声が響く。
「ウィシウスは嘘つきね」
イザベラはウィシウスの顔を覗き込む。
その顔はほとんどが包帯に覆われていた。先ほどまではとても苦しそうに息を吐いていたが、今は穏やかな表情をしている。
「私を葡萄畑に連れていくと言ったのに」
返事はない。
「家を出て、帝都で暮らして、ここまで来て……」
「私の旅は、ここでおしまい」
それは子供を寝かしつける母のような、そんな優しい口調だった。
「エレーナ様からお祝いの品もいただいたのよ」
イザベラは慣れた手つきで信管を抜くと、手榴弾のものと付け替えた。そして、腕輪と紐で結ぶ。
「体よく厄介ごとを押し付けられただけかしら」
イザベラは苦笑した。
白百合中隊は後退を開始した。次の目的地は、鉄路の連絡点だ。
そこに帝都から物資を運び込み、臨時の防衛施設とする手はずだった。
あくまで臨時だ。誰もそこを守れるとは思っていなかった。
少しでも時間を稼ぐ。無線は静かで、どこか物悲しい雰囲気が漂っている。
「各車、燃料の残量と水温に気をつけなさい」
エレーナはあえて沈黙を破った。
今まで多くの死を見てきた。だが、笑顔の別れは初めてだ。みな慣れていない。
「速度はこのまま、ゆっくり行きましょう」
「壊れても替えはないわ」
白百合中隊はゆっくりと帝都へ続く街道を進む。行きはあんなに急いだのに、帰りはゆっくりと帰る。
「適当な……」
エレーナの言葉は、突然の爆発音にかき消された。
小さな爆発音。それから、地面が震えるほどの大きな爆発。
遠くで、煙と破片が空高く舞い上がっていた。
「適当なところで、工兵が鉄路を剥がして地雷を埋めるわ。私たちはその護衛をするの」
エレーナは表情を変えず、そのまま言葉を続けた。