「先頭の部隊が激しい攻撃を受けています! 目下応戦中です!」
連邦軍の幕舎は、明らかに動揺していた。
「まさか……帝国が中央回廊を捨てるとは……」
幹部の一人はそう呟く。
決してそんなことがあるはずがない、今となっても信じられなかった。
北部要塞を攻略した部隊を加え、ついに連邦主力は進軍を開始した。
帝国軍を倒し、壁を抜く。皆そう意気込んで進んだのだ。
しかし、槍衾に思えた要塞群に主はすでになく、さしたる抵抗もなく要塞を抜いてしまった。
誰もが困惑した。帝国が中央回廊を捨てることなど、あり得るのだろうか。
誰もが罠を疑った。
確かに、要塞に残されたものには、ありとあらゆる罠が仕掛けられていた。
拳銃の入った革のケース、机に置かれた煙草、子供が遊ぶような人形。思わず手に取ってしまいそうな物には、すべて爆薬が括り付けられていたのだ。
だが、問題はそんな罠ではない。
もっと別の何かがあるのではないか。
そして、要塞を抜けた場所。連邦軍の進出点に至ったところで、帝国軍の猛攻が始まった。
後方からの砲撃に加え、街路の影から飛び出す戦車と歩兵の群れ。
連邦軍は大混乱に陥る。
第二波、第三波の部隊が状況を立て直す頃には、すでに帝国軍の姿はなかった。
「早く追撃させろ! 帝国軍を休ませるな!」
幹部の一人が叫ぶ。
しかし。
「後続の部隊が追い付きません! 現在は維持体制に移行し、前進距離を守備しています!」
「くそっ、急がせろ! 何としてもだ!」
男は机を強く叩いた。
笛吹猟。
それは足を止めないこと、そこにこそ真価がある。
だが、それには限りがあり、帝国はそこをついたのだ。
中央回廊を失った帝国。
確かに彼らは物理的な壁を失った。だが、今までに積み重ねてきた経験という壁は、なおも厚く連邦の前にのしかかっていた。
「もう一度、強く当たって退くわ」
煤けた顔で、エレーナはそう告げた。
中央回廊要塞を捨て、後退を開始した帝国軍は、進出してきた連邦軍へ攻撃を加えると即座に後退する。そして、次の防衛拠点で迎え撃つ。
そのような後退戦を続けながら、帝都に近づきつつある。
そして、白百合中隊には未だにエレーナの姿があった。
誰もが司令部と共に後退すると思っていたが、エレーナは白百合中隊の中隊長という立場を固持した。
曰く、「私は戦車の動かし方しか知らない」からと。
その言葉に誰も反論することができず、今に至る。
中央回廊の最高指揮官は、未だに戦車の車長席に座っていた。
皆の口数は少ない。
戦車のエンジン音には雑音が混ざり、排気管からは白煙が噴き出している。
まともな休息も食事もとれない。まともな整備も受けられない。
全てをすり減らしながら後退を続けていた。一日でも時間を稼ぐ。
それが彼女たちの目的であり、心のよりどころであった。
時間を稼ぎ、何をするのか。
決して考えてはいけなかった。
「あいつらも流石に疲れているようね。足が鈍いわ」
連邦軍の連続攻撃戦術。一時は帝都まで抜かれる勢いであったが、今その勢いはない。
「鉄路を剥がして、村を焼いて……」
「勝てなかったら、何を言われるかしらね」
そう言ってエレーナは笑う。つられ笑いが車内に満ちた。
撤退戦、遅延戦術、退路にある施設をことごとく破壊しながら、白百合中隊は後退する。
小さな笑い声は、すぐに砲火にかき消された。
「相変わらずね……準備がいい事……」
砲弾が雨のように降り注ぐ。それは連邦軍が進軍を始める合図だった。
「最初の部隊は見逃しなさい。あいつらはクラリスが止めるわ」
砲弾の雨の中を先行部隊が突撃してくる。
「第二部隊を横腹から狙いなさい」
エレーナたちの部隊は、森の茂みに身を潜めた。
中央回廊で散々苦しめられた戦術。しかし、撤退の中で一つの解が得られた。
それは「好きなように進めさせてやる」ということだった。
第一、第二、第三、それぞれに違う役割がある。第一部隊、それはかつての共同作戦で見た、死ぬために戦う部隊のそれであった。
「第二部隊。奴らはクラリスを狙うために足を止めるわ。そこを狙いなさい」
戦車教本に、また血で書かれた一頁が加わった。
先行部隊が主砲と機銃を放ちながら進んでいき、エレーナたちの前を通り過ぎる。
「来るわよ……」
第二部隊が停車し、射撃準備を始める。
そして。
「撃て」
主砲が放たれる。しかし、初弾は装甲に弾かれた。
「ハッチ! 乗員ハッチ!」
エレーナが叫ぶ。
装填手が砲弾を込めるとすぐに次弾が発射された。命中。
「次! 左! こちらを見てる!」
薬莢が車内に放り出され、硝煙が満ちる。装填手は砲弾を込め、安全装置を外す。
間を置かず、次の砲弾が発射された。命中。
「次は……」
次の瞬間に、1号車に衝撃が走った。凄まじい轟音に体が痺れる。
「ぐっ……やられた!」
「脱出して!」
「1号車脱出する! 1号車脱出する!」
無線でそう告げると、1号車の乗員は脱出した。
戦場を足で駆け、帝都へ向かって。後方では自分たちの乗っていた戦車に火柱が昇り、砲塔が吹き飛んでいた。
後ろを振り返る者はいない。唯々、灌木の茂みを走り抜けた。
エレーナたちが後方陣地まで到着した頃、戦闘はすでに終わっていた。
街道を、焼け落ちた連邦の戦車が塞いでいる。
「クラリス。あいつら硬いわ。ハッチしか抜けやしない」
汗と泥にまみれたエレーナに、クラリスは無言で水筒を手渡す。エレーナは一息にそれを飲み干した。
「硬いね。でも避けもしないしいい的だよ」
クラリスはエレーナから水筒を受け取り、焼け焦げた戦車を指さして笑った。
「クラリス、あなたの戦車を貸して。もう一度押すわ」
「エレーナ、もう後がないんだから気を付けてよね」
クラリスはそう言うと戦車から降りた。
「今やらないでいつやるのよ」
エレーナはハッチに手を掛け、よじ登る。
もう帝都までそう距離はない。なるべく数を減らす、それしかなかった。
「クラリス、あなたは帝都まで走って戦車を確保しなさい。腰抜け貴族がため込んでるはずだから、殴ってでも持ってくるのよ」
「それから、アンナ、テラ、ルルもクラリスを手伝いなさい」
エレーナは短くそう告げる。戦車にはそれぞれの癖がある。今さら他の戦車に慣れるより、元の乗員を使った方が早いためだ。
「お茶の準備をして、帝都の門で待ってるわ」
そう言ってクラリスは笑う。
「それじゃあ、クラリス、後は任せたわよ」
エレーナもクラリスにつられるように、にやりと笑った。
「しばらくよろしく頼むわ」
乗員に声をかけると、エレーナはハッチから潜り込み、勝手の違う車長席に体を押し込んだ。
「エレーナ様、よろしかったらこちらを」
砲手のエクメアが、灰色の紙包みを手渡す。エレーナが包みを開くと、その中には肉と新鮮な野菜を挟んだパンが入っていた。
「肉なんてよくあったわね。それに野菜も」
最近食べたものと言えば、嫌になるほど食べた堅パンと缶入りスープくらいなものだ。
久々に見る食べ物らしい食べ物を見て、エレーナは口いっぱいに頬張った。
「昨日、貨車が届いたんです。それで」
「あぁ、通りで」
帝都からここまではそれほど離れていない。中央回廊にいた頃よりも補給は容易であった。
またそれは、連邦が帝都に迫っているということでもある。
エレーナは車内を見渡す。
目に入る機材はまだ真新しく、ほとんど使われた形跡もなく新車同様だった。
それは『帝都を守る』そんな名目で防衛派の貴族がため込んでいた物の一両だ。
「さっさと渡せばいいものを。これがあればもう少しましだったかもね」
連邦が迫り、いよいよ帝都が戦場になろうかという段階になって、はじめて彼らは理解したのだ。戦争とは何かということを。
そして、資機材を明け渡すと、さらに帝都の奥へと引っ込んでしまった。
「エレーナ様、美味しいパンを食べるなら今のうちですよ。明日には貨車は爆破しますから」
美味しそうにパンを頬張るエレーナを見て、エクメアは笑った。
昨日届いた貨車には補給物資が満載されている。もし敵の手に渡るのならば、その前に処分する手はずだった。
「これで南部ワインでもあれば完璧だったわね」
エレーナはハッチから身を出すと、紙の包みを投げ捨てて煙草に火をつける。紫煙が立ち上り、車内からは小さく笑い声が聞こえた。
「それじゃあ、行くわよ」
戦車のエンジンに火が入り、昨日までと違い快調な音が車内に響く。
廃村の茂みの中、エレーナたちはそこに戦車を停めた。手近な草木を用いて、念入りに偽装を施す。
「連邦ももう限界のはず。最初に比べて随分と数が少ないわ」
エレーナは狭い視界を見つめながら呟く。今でも脳裏に浮かぶ戦車の群れ。中央回廊を埋め尽くすほどいた連邦の戦車は、着実にその数を減らしていた。
「流石にあんな攻撃を続けていたら持たないわ」
味方を囮に使う。そして、損害を顧みない。今までの貯えをすべて吐き出すような攻撃を、いつまでも続けられるわけがない。
「だから、ここで何としても数を減らす」
そうだろうという分析。そこには、そうであってほしいという願いも含まれていた。
「昔のやり方で行くわ」
「私ともう一台が飛び出して、敵を寄せてくる」
共同作戦の記憶。
「他の車両はここで待って、狙い撃ちなさい」
もはや作戦ですらない。いま彼女たちに出来るすべてだった。
了解の返事を待ち、エレーナが命令を下す。
「飛び出せ!」
その言葉のあと、エンジンが唸り、戦車は突進する。
廃村から飛び出すと連邦の人員が見えた。あれは補給部隊であろうか。
「撃て!」
主砲が放たれ、すぐ近くへ着弾する。車両と土塊が舞い上がった。
「撃て! 狙わなくてもいい! 撃って!」
次々に主砲が放たれ、車内に空薬莢が積み上がる。
「よし! 後退! 下がって!」
ひとしきり戦場を荒らすと、エレーナたちは後退した。前方からは野砲や小銃弾が雨のように降りかかる。
そして廃村まで下がり、自らの車両も倉庫の陰に隠して敵を待った。
やがて。
「案外すぐに来たわね。もう勝ったつもりかしら」
連邦兵は吸い寄せられるようにやって来た。それはもはや勝利は揺るがないとでも思っているかのような動きだった。
「引き付けて」
「逃がさないように」
無線の声も小声になるほどの近距離。連邦軍の喧騒が聞こえてくる。
「あなたたちに精霊の導きはないわよ」
エレーナの独り言に、砲手はちらりと振り返った。
目が合ったエレーナが告げる。
「射撃開始」
その号令がかかると、廃村は一気に騒がしくなる。爆発音、悲鳴、さまざまなもので満たされていく。
「そろそろ退くわ! 後退準備!」
「後退!」
エレーナの指示。しかし。
車体が軋むような耳障りな音が響き、そしてエンジンが止まった。
「どうしたの!」
「エンジンが回りません!」
操縦手の叫び声。
何度も再始動を試みているのか、始動機の異音が響く。始動機の音がだんだんと小さくなるが、まだエンジンは目覚めない。
「もういいわ! 車両は放棄!」
「脱出しなさい!」
エレーナは小銃を手に取ると、ハッチから抜け出した。
「撤退する! 門の前で味方が待ってる!」
他の戦車も撤退を始める。四人は一番近くにいた戦車へと駆け寄った。
「早く!」
エレーナが他の隊員を呼ぶ。
後方から銃声が聞こえる。
銃弾が地面を舐めていった。