最奥の間を出たエレーナは薄暗い廊下を歩いてゆく。
玄関に一人の侯爵家の武官が立っていた。
「お嬢様、おめでとうございます」
腰の短剣を見て礼の姿勢をとった。
「ありがとう」
エレーナはそう答えたが歩みは止めない。
武官はエレーナについていく。
「お嬢様、こちらです」
車のドアを開けると二人は車に乗り込んだ。
「急げ、演習場だ」
エレーナに付き添ってきた武官が御者に命じる。
車は急ぎ走り出した。
「これからの動きは?」
武官に尋ねる。
「エレーナ様が到着なさってから演習場には使いの者が出ております」
「今頃は戦車の輸送準備中でしょう」
「ご令嬢の方々の家にも使いが出ております、身支度を整えるためだということです」
そう武官は付け加えた。
「身支度を整える」
エレーナはその言葉を噛みしめた。
それはすなわち、別れの挨拶ということに他ならない。
戦場へ旅立つ子供たちを送り出す。
武運を祈るとともに、今生の別れかもしれない、最後に見る子供の姿となるかもしれないのだ。
「お父様らしくないと思いましたが、そういうことだったのですね」
エレーナは侯爵の言葉を思い出していた。
「母には会っていくのか」
部屋を出る直前に父は言った
母には会わなかった。
軍人となった姿を母には見せたくなかった、せめて思い出の中だけでも昔の姿でいたかったのだ。
「お父様も甘いところがありますのね」
一瞬だけ見せた、侯爵ではなく父としての顔、それを思い出し小さくつぶやいた。
演習場に着いた時、そこには普段感じない混乱があった。
見慣れぬ車や馬車が止まっていた。
すでに何名かの少女たちの父母が到着していた。
勇ましく子を送り出す言葉、だがその表情は様々だ。
立派になった子を見つめる誇らしげなもの
戦地に旅立つ子を心配するもの
二度と会えないかもしれないという絶望を浮かべるもの
それでも、ここで顔を見られたものは幸福だったかもしれない。
帝都屋敷が無いものや、領地が遠いもの、そういった少女の親たちは、私たちが戦地へ向かった後にそのことを知ることになるだろう。
父母が見送りに来れない者、もしくは、見送りに来ない者。
その者たちは無言で行李に荷物を詰め込んだ。
身支度を整える時間は短い。
彼女たちはすぐに操車場へ向かった。
汽車の操車場は人と物であふれている、怒声があちこちで飛び交った。
そして、少女たちと、今までは訓練用だった戦車を乗せると、時を置かず汽車が出発した。
積み荷は満載だ。
武器弾薬
食料
医薬品
生活用品
そして緊急招集された予備役兵、その表情には戸惑いが浮かんでいた。
様々な荷物を載せて汽車は東へ進む。
中央回廊到着は二日後の予定だ。
エレーナ達は小さい窓しかない貨車へ乗り合わせた。
小さい窓からどんどんと遠ざかっていく帝都を眺める少女たち。
戦場へ行く。
その重い現実から目をそらすように、少女たちはかつて巡った帝国各地を思い出し語り合った。
揺れる貨車で語る思い出話、だがその思い出話にかつてのような華はなかった。
淡い思い出を語る少女たち。
エレーナはひとつ仕事をしなければならなかった。
いつ言い出すべきか。
胸の中にある言葉は、何かに引っかかったように口からこぼれ出てこなかった。
すると汽車が揺れ、ゴトゴトと音を立て小さな駅に止まった。
東部方面からの汽車とすれ違うようだ。
駅と言ってもそこは乗り降りする者もおらず、すれ違いと水の補給にのみに存在する閑散とした場所だった。
いつすれ違うのかはわからない。
帝都から汽車に乗ってきた者たちは、固まった体を伸ばしたり、周囲を見渡したりして過ごしていた。
すると、遠くから汽車の音が聞こえた。
皆が鉄路の向こう側を見ていた。
たんだんと近づいてくるにつれて積み荷が見える。
傷ついた車両
焼けた戦車
自分たちの行く先に何が待っているのか。
皆、口には出さなかった。
そして、ゴトゴトと音を立てて再び汽車が動き始めると、エレーナは少女たちに言った。
「これから便箋と筆記具を配るわ」
少女たちに配られたのは、普段使う上等な便箋とペンではなく、軍用の簡素な便箋と鉛筆だった。
配り終えるとエレーナは言った。
「遺書を書きなさい」
最後に残った、淡い思い出の旅情は消え去った。
テーブルもない貨車の中で、少女たちは床や壁を台にして、慣れない鉛筆で遺書を書いた。
揺れる貨車のせいだけでない文字の震えがあった。
遺書を書き終え、自らの髪を添えて封をする少女たち。
あるものの顔は青ざめ、あるものは目に涙を浮かべた。
二度と帰れないかもしれない。
少女たちはその意味を本当に理解したのだ。
エレーナは早々と遺書を書き終え封をする。
「家族に対する挨拶」
「自分が貴族の矜持を果たしたということ」
「帝国の繁栄を祈るということ」
「そして家族の無事を祈るということ」
エレーナの書いた遺書は、まさにお手本と言えるようなものだった。
そこに自分の感情はない、貴族の仮面をつけた侯爵令嬢が書いたものであった。
※次話から週1回更新予定です。