「第二軍は進出点まで前進を完了しました。目下、後続の部隊を待って待機中です」
連邦軍は、はたから見れば快調に進軍を続けている。
しかし、その内容は実に危ういものだった。
幕舎の中で開かれる作戦会議に集まった者たちの表情は、進軍当初に比べ、苦いものに変わりつつある。
「損害が多いな……」
幹部の一人が呟く。
笛吹猟戦術により確実に前進はしている。だが、第一、第二部隊に被害が集中しており、部隊の補充に四苦八苦していた。
連邦軍は帝都まであと一歩というところまで迫っている。しかし、その一歩が遠い。
新戦術により帝国の壁を抜いた。だが、同時に攻めあぐねてもいる。
一度侵攻が開始されればかなりの距離を押し込むことができるが、伸びきった補給線が次の侵攻の妨げとなっていた。
帝国軍は息を吹き返しつつある。それが連邦側の認識だった。
こちらが帝都に近づくということは、帝国軍も同じなのだ。連邦と違い、帝国軍は補給が復活しつつあった。
それに加え、帝国側には地の利もある。地形を利用した襲撃にも悩まされていた。
「あまり時間はかけられんぞ。他の部族を黙らせるのにも限度がある」
ダイダのその言葉に、幹部たちの表情はさらに沈む。
これほどの戦争を行うために、連邦は一日当たりでも莫大な金銭を消費している。
もちろんそれはディフェンダ族の金だけでは到底足りない。連邦の倉庫をひっくり返し、子供の小遣いすら注ぎ込むような戦いをしているのだ。
「早く、早く進まねばならない。帝国に橋を落とされれば、勝ち負けの前に我らは破産だ」
中央回廊から帝都に向かう道は一本しかない。そのために愚直に力押しで進まねばならず、それが連邦の被害を拡大させる要因ともなっていた。
だが、一番の問題は大河にかかる橋だ。もしこれの奪取に失敗し、帝国に橋を落とされでもしたら大幅な迂回を迫られる。
だが、そんな時間の余裕はない。
手に入れたと思った帝国がゆっくりと離れていく感覚に、ダイダは苛立っていた。
作戦会議は煮詰まる。後続部隊が追い付くまでは手立てはない。
しかし、帝国は少しずつ離れていく。幕舎の中には不穏な空気が漂い始めていた。
そんな時、一人の兵士が幕舎に入ってきた。そして、一言ダイダに告げる。
「帝国兵の捕虜を捕りました」と。
「捕虜を捕っただと?」
こんな忙しい時にそんな小事を持ってくるな、ダイダは不機嫌を隠さずに言った。
「し、失礼しました……」
報告に来た兵士は怯えていた。
「……しかし、以前に閣下がお尋ねになられた者と特徴が似ておりまして」
ダイダはその言葉を聞くと立ち上がった。まさか、そんなことがあるのか。そのような想いを抱いて。
「私は席を外す。討議を続けよ」
ダイダは幹部たちの敬礼を受け幕舎を去る。そして、すぐに歩みを進めた。
「何処にいる?」
歩みは止めない。
「今は軍医殿が見ております……出血がひどいもので」
その言葉を受け、後方にある幕舎へと向かう。
野戦陣地の一番奥、苦痛の悲鳴が弱々しく響く中、入口に白布が張られた幕舎に入った。
「どうだ?」
白衣を着た軍医のもとに向かい尋ねる。その問いに、軍医は静かに首を振った。
「手がありません。今は麻酔をかけただけです」
「腹部を貫通しており、血が止まりません。もう長くはないでしょう」
軍医はそう告げる。ベッドに横たえられた女性は、今にも止まりそうな呼吸をしていた。
ダイダはその光景を見て、表情を暗くする。
「苦しまないようにしてやれ」
そう告げると、軍医により麻酔が追加される。その処置を確認すると、傍らにある椅子に腰かけた。
「お嬢さん、名前は?」
その問いかけは、実に流暢な帝国語だった。
その呼びかけに、うっすらと瞼が開かれる。小さく揺れる瞳がダイダを見つめた。
かつて執務室で見た新聞の切り抜き。
その中央に凛と佇んでいたその女性、その名前は。
「エレーナ・バレンシュタイン」
ダイダは彼女の名を呼んだ。
エレーナの瞳は動かない。口元が少し動くが、言葉を紡がない。
「あの死地に現れたのは半年前か」
ダイダは静かに話しかける。それは敵と味方のそれではなく、強い戦士への憧れ、尊敬、そのようなものが含まれている響きだった。
「一度でいいから話をしてみたかったが……残念だ」
エレーナの呼吸が乱れ出す。
「私はお前に勝った」
「この短剣はいただくよ」
ベッドの脇に置かれていた私物の中から、短剣を手に取る。
「大事なものだろうに。すまないな、戦場の習いだ」
エレーナの瞼が静かに閉じる。
そして。
「ダイダ様、いま何と?」
周りにいた者は、言葉を理解できていなかった。
「いやなに、このお嬢さんの名前を聞いただけだ。徒労だったがな」
ダイダは立ち上がると、エレーナを見つめた。
「帝国の英雄だ。丁重に埋葬しろ」
英雄。その言葉に、周りの者は一瞬たじろいだ。
「わかったな?」
ダイダは辺りを一瞥すると幕舎を去った。
司令部まで歩く短い道のり。先ほどまでの苛立ちが、どこかへ消えてしまっていた。
「美人は得だな。いや、この場合は損と言うべきか?」
ダイダは本心でもないことを呟く。何か軽い冗談でも言っていないと、気が落ち着かなかった。
司令部に戻ると、様子が変わっていた。
人払いがされ、息を切らせたイシイレ少佐が待っていた。
「どうだ、イシイレ」
その言葉を受けて、イシイレは深く息を吸った。相当に話しにくいことがあるのだろう、ダイダは身構える。
「……ディフェンダ様が野に下りました」
その言葉を受けて、ダイダは息ができなかった。
「ディフェンダ様が! 何故だ!」
自らを奮い立たせる。その声は必然、大きなものになった。
「詳細は不明ですが……金の流れを突かれたとのことです……」
ダイダは机を叩く。固く握られた拳には血が滲んだ。
連邦などは野合の衆、かつて自分が吐いた言葉が、今になって自分に追い付いてきたと感じた。
この帝国侵攻のため、ダイダの属するディフェンダ族は強引な手を用いている。
帳簿を入れ替え、連邦の未来からも金を借りた。収穫量もすべて隠され、穀倉地帯の惨状に蓋をした。工業力をすべて軍につぎ込み、人民の生活は困窮を極めている。
だから空手形を切った。他の四部族に帝国の絵を見せたのだ。
「金で釣ったのだ」
「金さえ手に入ればそれで良いのか……」
「我らの悲願などもはや額に入った絵でしかないのか……」
ダイダは力なく俯く。
「これからどうなる?」
「おそらく、イーセット族かウィルバスタ族の手のものが乗り込んでくるかと……」
ダイダの問いに、イシイレはそう答えた。
「くくく……泥棒貴族を回してやった恩を忘れおって……」
「奴らが望む帝国製品は誰が手配したと思っているのだ……」
「帝国の門が開きさえすれば我らは用済みか……」
帝国への工作活動、その過程でディフェンダ族は多くの人員を失っている。
机が再び叩かれた。血が滲む手など、もはや気にならなかった。
「まだだ!」
「まだやれる!」
「帝都にさえ入ってしまえば何とでもなる!」
ダイダの叫び。
普段の太々しさ、飄々とした姿はもはやない。何かに取りつかれたような姿だった。
「正気ですか! たとえ成ったとしてもダイダ様のお命が!」
イシイレは驚愕の表情を浮かべる。ダイダにもはや後ろ盾はない。成功失敗にかかわらず、これ以上兵を動かすことは即ち死を意味していた。
「正気な者などいるものか!」
「イシイレ、物資を掻き集めろ!」
ダイダは机に置かれた戦況図を払い落とす。
「小難しい作戦などいらん!」
「武器と燃料が最優先だ!」
「食料など後回しでよい!」
「次が最後だ! これで決める!」
ダイダの目には、最後の呪いが宿っていた。