「───ふん、こんなモノ茶番だな。欠伸が出る」
頭上から降ってきた傲慢な言葉に、刹那は小さく眉を顰めて樹上を見上げた。
梢の隙間、月光を背に受けてそこに佇んでいたのは───。
口調こそ酷く大人びているが、その容姿はまだ幼い少女のそれだった。
夜闇に浮かぶのは、宝石のように研ぎ澄まされた碧眼。 くすみ一つない黄金の髪。 雪のように白い肌を覆う黒いゴスロリドレス。
一言で表すなら──人形。 それも精巧に造られた、異国のアンティーク・ドール。
しかし、その身体から立ち上る魔力のプレッシャーは、周囲の有象無象の魔法使いとは一線を画していた。
「あ、貴女は───!?」
「随分と御機嫌じゃないか、桜咲刹那。ナニか良いコトでも在ったのか?」
くくく、と愛らしい容姿にはおよそ似つかわしくない、底意地の悪い笑みを浮かべて見下ろす少女。
「まさか貴女まで来ていたのですね───エヴァンジェリンさん」
「ふん、忌々しいが私もこの学園の警備員だからな。───それに、未来の敵になるかも知れん相手の実力は、今のうちに視ておいて損はないさ。そのために態々魔力充填の薬飲んで様子を視に来たのだからな」
刹那の硬い声音に、少女───エヴァンジェリンは鼻を鳴らして応じた。
「───敵に、ですか?」
不穏な単語に、刹那の表情が思わず曇る。
「おや? 心外だな。可笑しな話ではないだろうに。素性も知れず、やけに腕が立つ異分子だ。……『大切なお嬢様(木乃香)』を害する獣かも知れないと、生真面目な貴様なら真っ先に息を巻いていると思っていたンだがな」
「な───!? エミヤさんは、そんな!」
直前まで胸の奥で燻らせていた熱い感情(モヤモヤ)のせいもあり、刹那は我知らず、激しい拒絶とともに反射的な声を張り上げていた。
「ほぅ?」
エヴァンジェリンの口元が、愉しげに三日月型へと歪む。
「もう“エミヤさん”か」
くつくつと、喉の奥で小刻みに震える愉快そうな笑い声。
「随分と御執心じゃないか、桜咲刹那」
「ち、違───っ! ち、違います、そんなんや、ない……っ!」
すべてを見透かしたような紅い眼が、樹上から刹那を射抜く。
「安心しろ。ガキの恋だの何だのと、今さら笑うつもりはないさ」
「こ、恋っ!? な、なん、なんのことでおすか!? うち、うちはただ、あのお方はお嬢様の害になるようなお人ではおへんと、そう申し上げただけで───!」
完全に防壁(標準語)が崩壊し、噛みまくりながら必死に弁明する刹那。
反射的に大声で否定しようとして、刹那は自身の口から思いきり素の京言葉が漏れ出たことに気づき、さらにカッと顔を赤く染めた。
何故、こんなにも焦っているのだろう。
ただ誤解を解けば良いだけのはずなのに。
まるで。
誰にも知られたくなかった大切な何かを、不意に暴かれたような心地がした。
そんな彼女を「くくっ、語るに落ちるとはこのことだな」と愉しげに見下ろしながら、エヴァンジェリンの視線は、再び広場の中心に立つ赤い外套の男へと向けられた。
そして、その数瞬に考える。
本当にこの感情はなんだろうか。
たとえ初心だとしても。
死地を救われた。
学園を案内し。
気づけば、店の準備を手伝っていた。
賄いとして囲んだ食卓。
手ずから淹れてくれた珈琲。
他愛もない談笑。
誰かと過ごす、温かな時間。
───そんなもの。
半端者の自分には、縁のないものだと思っていた。
今の自分の感情の色や名前───それがなんなのか。
私にはカタチに出来なくて、チクリと胸の痛みがした。
「まぁ、いいさ。お前のその慌てようだけで、十分にお釣りが来る」
一転して、少女の声音から温度が消え、昏い淵へと落ちる。
「ただ、少し気になってな。……お前のような堅物が、そこまで余裕を失う男が一体、何者なのか」
──
───なんだ
───なんなんだこいつは
────はっきり言って、当初乗り気ではなかった。
ジジイから新しい警備員との面通しを兼ねて、採用試験を行うという通達があった。
最初は例の計画に向けて準備中の私に対する牽制かとも思ったが、別段そういった意図も無いようだ。
周りの魔法使い達と仲良くする気なぞ毛頭ないし、連中も私の姿があれば警戒する。
広場が見える樹の上で新しい警備員の面でも視ておいて帰ろうと考えていたが──ヤツを視て、気が変わった。
世界樹前では、試験終了後の空気へと場が移り始めていた。
だが。
エヴァンジェリンだけは違う。
彼女の興味は、ただ一人。
───赤い外套の男に向けられていた。
───採用試験が無事終了した
そう思った矢先。
「コチラ側の世界にようこそ──“正義の味方”さん。私の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、悪い魔法使いだ。このジジイから話は聞いている」
投げかけられた声によって、事態はまだ終わっていないと理解する。
そして。
声の主を視た瞬間、エミヤは僅かに眼を見開いた。
──似ている。
あの冬の街で邂逅した、ひとりの少女に。
容姿が酷似している訳ではない。
髪の色も違う。
顔立ちも異なる。
精々、見た目の年齢が近い程度。
それでも。
何故か、纏う空気が重なった。
人ならざるモノ。
強大な力を持ちながら、どこか危うく。
温もりを求めているのに、その求め方を知らない迷い子。
誰よりも孤独を抱えながら、それを隠すように笑う少女。
だからだろうか。
気づけば、自然と言葉が零れていた。
「悪い魔法使い、か──残念だが、私には随分と可愛らしい魔法使いの少女にしか見えないな」
鈍色の瞳が、真っ直ぐ少女を見据える。
「それで、どうすればキミに納得してもらえるのかね?」
その言葉に、少女は鼻を鳴らした。
「ふん。外見だけで物事を判断するとはな。余り失望させてくれるなよ、小僧」
容姿に似合わぬ尊大な口調。
立ち居振る舞い。
そして、滲む“格”。
恐らく見た目通りの年齢ではない。
──姉と同じく。
「ふむ。既に学園長から採用試験は合格と言われている。今更、キミのような幼女と──」
沈黙。
ピキ。
「……何故少女から幼女になった?」
笑顔。
凄く笑顔。
だが目が笑っていない。
「というか、幼女と呼ぶな」
一歩。
黒い靴が地面を踏む。
「殺すぞ?」
殺気。
年端もいかぬ少女から放たれたとは思えないほど濃密な威圧。
周囲の魔法使い達が思わず息を呑む。
だが。
エミヤは微塵も動じない。
まるで、春先の風でも受けたかのように肩を竦める。
「落ち着いて下さい、マスター。相手の冷静さを無くす作戦と思われます」
いつの間にか幼女の後ろに翠色の長い髪と特徴的な耳飾りを着けた少女が立っていた。
「ふん、それくらい解っている。お前こそ油断するなよ、茶々丸」
「Yes、master」
ペコリとお辞儀をして応える
だが。
エミヤは微塵も動じない。
むしろ、僅かに口元を歪めた。
「安心したまえ、私も見た目だけで相手を侮るほど若くはない───今のは作戦ではなく、単純に弄って愉しんでいるだけだ」
「余計に質が悪いわ貴様ァ!!」
額に青筋を浮かべる少女。
「えっと…エヴァ?」
額に汗を垂らしながらタカミチが話し掛ける。
「はっ!?」
ピタリ、と動きを止めるエヴァ。
「さて、改めて問うが彼は十分な戦闘術を披露してくれたが…何が不満なんじゃ?」
それを見計らって学園長が話し掛ける。
それはタカミチも疑問に思って先に問うたコトだ。
確かに自分も相手も、全ての力を出した訳ではないが、一線で戦える力を示したのも事実だ。
「ふん、白々しいなジジイ。そもそも、だ。それならば私が呼ばれる筈がない──ソコの紅い奴の実力を極力引き出させて把握するのが魂胆だろうに」
「───な!?」
エヴァの言葉に学園長を見る。
その言葉と視線を受けても揺らぐ事無く笑っている学園長。
「成る程」
エミヤは僅かに肩を竦める。
「むしろ当然だろう」
鈍色の瞳が学園長を見る。
「得体の知れない武装した男を、無条件に信用する組織の方が危うい」
皮肉げに笑う。
「解りやすくて助かるよ」
その声音に。
誰かが僅かに息を呑んだ。
怒っていない。
警戒もしていない。
まるで。
──慣れている。
裏切りも。
疑念も。
試される事も。
それが当たり前であるように。
「で、結局どうすれば認められるのかね? 余り遅くなってエヴァちゃんが睡眠不足で発育不良になっては不憫でね」
一瞬、少女の眉がぴくりと引き攣る。
だが先程のように声を荒げる事はなく、冷ややかな眼差しを向けた。
「エヴァンジェリン、だ。貴様にちゃん付けで呼ばれる覚えはない」
鼻を鳴らし、くるりと踵を返す。
「それより移動するぞ。こんな場所ではつまらん。人目もあるしな」
「やれやれ。結局、採用試験は続行か」
肩を竦めながら、エミヤは視線だけを近衛へ向ける。
「近衛翁も同行するのかね?」
その視線を受けた老人は、愉快そうに笑った。
「ふぉっふぉっふぉ。流石に儂が行ってはエヴァも面白くなかろうて」
そう言って視線を巡らせる。
「代わりに高畑君と──桜咲君に行って貰おうかの」
「えっ……わ、私も、ですか!?」
突然名前を呼ばれた刹那が、弾かれたように目を瞬かせた。
まだ胸の奥で暴れている「名前のない熱」の処理すら追いついていないというのに、あまりにも唐突な指名
「エミヤ君の戦いぶりを間近で見るのも、これからの護衛の役に立つ。お主も、彼の事をも少し知っておくと良かろうて」
老人のもっともらしい言に、エヴァンジェリンは不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、それ以上の明確な反対はしなかった。
どうやら、その二人が観客として混ざる程度ならば、彼女にとっても異論は無いらしい。
「では行くぞ、小僧」
月光の下、金髪の少女が背を向ける。
その後ろ姿を見ながら、エミヤは小さく息を吐いた。
───さて。
結局は近衛翁の掌の上で踊らされている気もするが。
だが、先ほど先陣を切って闇へと消えた、あの少女。
その碧い瞳の奥に、確かにギラリと宿っていた、あの昏い絶望の色。そして、隠そうともしていなかった明確なまでの敵意と、同類に対する渇望
恐らく次こそが本当の意味での試験なのだろう。
果たして。
鬼が出るか、蛇が出るか。
あるいは───それ以上の何かか。
月明かりだけが、静かに彼らの行く末を照らしていた。