『calor ――理想の果てに灯る温もり――』   作:そもゆえに

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12話 吸血鬼の名

 

驚いた、と言うほかない。

 

こちらの世界の魔法と、私が生前に知る『魔術』を比べること自体が筋違いなのかもしれないが。

あちらの世界において、膨大なリソースと儀式を必要とするはずの固有結界───その「疑似的な芸当」を、これほどあっさりと見せつけられるとはな。

 

チリチリと肌を灼く、容赦のない陽光。

見上げる空は、まるで盛夏のようだ。

だが、肌を撫でる風は暑すぎず、むしろ常夏のリゾート地を思わせるほどに快適に管理された空間である。

 

だが、つい先ほどまでは少し肌寒い春先の麻帆良学園にいたのだ。肉体が覚える環境のギャップは、いやが上にもこの空間の異常性を際立たせていた。

 

外の世界に比べて、大気中に漂う魔力の濃度が格段に濃い。

───それだけではない。体感の感覚からして、ここで流れる「時間」の速度まで外とは違っている。

 

ちなみに、高畑の姿はここにはない。

 

エヴァンジェリンの言葉を借りるなら、この特殊空間への転移による立ち入りを一時的に制限───つまり『鍵』をかけてあるのだという。

 

おそらく今頃は、外にある彼女の屋敷で、絡繰人形のメイド(茶々丸)が申し訳なさそうにお茶を淹れながら、高畑を待たせていることだろう。

 

今、この場にいるのは私と桜咲刹那。

そしてもちろん、この空間の主であるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 

「ふん、馬鹿正直にあのジジイ(学園長)に貴様の情報を分け与えてやる必要はあるまい。それに、一対一(サシ)で話せる方が、貴様にとっても都合が良いだろう?」

 

くくく、と喉を鳴らして笑いながらも、その碧い眼光は鋭く、不可視の杭のようにこちらを射すくめて離さない。

 

「配慮に感謝するとでも言えば良いのかね?」

 

軽口で返してはいるが、現状は決して楽観できるものではなかった。

 

いわば、敵の固有結界(なわばり)のど真ん中。相手がその気になれば、どんな理不尽が起こっても不思議ではない。

 

そもそも、この吸血鬼の少女が私に何を求めているのか、その明確な目的すら未だに不透明なのだから。

 

「さて、そうやって呆けるのは一興だが───ボサっとしていると死ぬぞ?」

 

思考の海に沈みかけた瞬間、網膜に走る明らかな「魔力の波動」。

 

本能の警報に従い、私は地を蹴って真上へと跳躍した。

 

直後。つい先ほどまで私が立っていた座標に、巨大な氷の質量塊が轟音を立てて叩きつけられ、粉々に砕け散った。

 

着地と同時に、私はわざとらしく溜息を吐いてぼやく。

 

「やれやれ。いくら幼くとも君も女性だろう。淑女《レディ》としての最低限の振る舞いというものを───」

 

「残念だったな、私は生憎と『悪の魔法使い』でね。そもそも、人が直々に声をかけてやっているというのに、呆けてスルーを決め込もうとしたのは貴様の方だろうが?」

 

氷の煙霧の向こう側で、ドレスの裾を揺らす少女が不敵に笑う。

 

ちなみに、刹那は戦闘の余波が及ばないであろう後方の安全圏へと、あらかじめ避難させておいた。

 

彼女自身、今の状況に対してどう動くべきか、判断をしかねているのだろう。

 

以前、刹那から「神鳴流」とは気を扱う退魔の剣術であると聞いた。防御や回避に専念すれば、並大抵の攻撃では彼女を崩すことはできない。

 

……問題は、目の前で邪悪な笑みを浮かべる少女の存在が、その「並大抵」の範疇に到底収まりそうにないことだが

 

「良い度胸だ、小僧───この『真祖』たる私を相手に、そこまで余裕を崩さないとはな」

 

「────!?」

 

エヴァンジェリンが口にしたその単語に、私の思考が一瞬、凍りついた。

 

人外である事には気付いていた。

だが、まさか吸血鬼。

それも──真祖だったとは。

 

真祖。

私が知る限り、それは精霊に最も近い吸血種。

世界そのものが生み出した捕食者。

正面から敵対して良い相手ではない。

 

「エヴァンジェリン、君は───」

 

問いかけようとした私の言葉を、少女の唇から紡がれた「呪文」が遮った。

 

「───“リク・ラク・ラ・ラック・ライラック”」

 

詠唱───!?

 

しかも、一小節の狂いもない、完全な高速詠唱。

 

「───『氷爆《ニヴェリス・カスコ》』!」

 

刹那、大気が一瞬で凍てつき、物理的な凶器と化して襲いかかってきた。

 

空気中に含まれる水分が瞬時に鋭利な氷塊へと相転移し、さらにそれが爆縮を起こしたかのように四方へと飛び散る。密度の高い氷の散弾が、容赦なく私を圧殺せんと降り注ぐ。

 

「チィ……っ!」

 

この世界に召喚されて以降、謎のバックアップによって私の基礎能力は底上げされている。

 

魔術師に対する抵抗力───『対魔力』のスキルも、かつてのDランクからCランク相当へと向上しているはずだ。

 

しかし、それを差し引いても、この質量を伴う冷気の直撃を食らうのは不味い。

 

私は後方へと激しく飛び退きながら軌道を躱し、どうしても避けきれない死角からの氷塊だけを、投影した干将・莫耶の双剣で正確に迎撃、粉砕していた。

 

「今度はお喋りかい? 言っておくが、もしこれが『採用試験』なんて生温いものだと思っているのなら、大間違いだぞ?」

 

氷結の霧を割りながら、エヴァンジェリンはその幼い年齢とはおよそかけ離れた、獰猛な魔王の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「───待て」

 

「なんだ今度は命乞いか?」

 

しかし水を差すような彼に気がそがれたが、何を言うのか興味もあり耳を傾ける。

 

「答えろ。真祖の吸血鬼と言ったな?なら貴様は今まで血を吸ってヒトを殺したり、吸血鬼を殖やしたりしたか?」

 

だが彼の言葉は酷く陳腐なモノであった。

 

だが。

真祖だと告げても。

殺人鬼だと告げても。

目の色一つ変えない。

 

─違う。

こいつは。

私を恐れていなかった。

 

「貴様が異世界から来たと聞いたが、態々確認する必要があるか?私は悪い魔法使いだと言ったろう?吸血鬼、それも真祖なんだ。解らないほど頭がお花畑なら肩透かしも良いところなんだな、そちらの世界は。今は忌々しい呪いと、他の魔法使いの監視のせいで出来ないが───必要であれば当然血を吸い、眷属化するさ。何を勘違いしている?」

 

その言葉を聞いて。

 

───空気が変わった。

 

先ほどまでの雰囲気と全く違う。圧倒的な殺気。

 

そう、それで良い。

 

「そうさ。この手で数多くの人間を殺してきた」

 

少女は嗤う。

 

「齢六百年を重ね、幾人もの血を啜り続けてきたハイ・デイライトウォーカーだ」

 

誇るように。

あるいは挑発するように。

そう言い放つ。

 

だが。

青年は怒鳴りもしなかった。

ただ静かに目を閉じる。

 

一呼吸。

 

そして。

瞼が開く。

鈍色の瞳から感情が消えていた。

 

「そうか」

 

ぽつりと呟く。

 

「ならば確認は終わりだ」

 

 

次の瞬間には、眼前に肉薄する距離まで詰めていた。

そのスピードに内心舌打ちする。

 

今は茶々丸が居ない。前衛無しでは流石に長い詠唱を行使できない。

 

魔法障壁へ魔力を注ぎ込み、更に指先から魔力の刃で迎撃の構えをとり───瞬時にその場から飛び退る。

 

あの剣を迎撃出来ないと本能が察知したのだ。

 

展開していた障壁は、あの陰陽の意匠の剣で斬り裂かれ消失していた。

 

───ほう、と。

 

エヴァンジェリンは内心で、その驚きを愉悦へと変換していた。

『魔法の矢《サジタ・マギカ》』のような純粋な魔力光弾ならいざ知らず、先ほどの物理的な質量と炸裂を伴う冷気の氷塊までも、奴は完璧に防ぎきってみせた。

 

しかも、着弾の瞬間に合わせた単なる「反射」ではない。

私が背後に展開していた不可視の防御障壁。それを、男は両手の陰陽の双剣───あの奇怪な造形の白刃を振るうだけで、まるで薄紙を割くように容易く『斬り裂き』、消失させてみせたのだ。

 

魔力を、あるいは術式そのものを断つ剣。

 

やはり、こちらの世界の魔法使いとは根本の理(システム)が違っている。

 

だが、面白い。

 

正面から武芸で遣り合う以外の選択肢など、この身には山ほどある。

 

多少の出血を強いられようが、真祖の不死性があれば、どれほど斬られようと次の瞬間には再生できる。

 

この数百年、退屈と孤独の中で積み重ねてきた魔の研鑽は、どれほど底の知れない異分子であろうと、遅れをとるような代物ではないのだ。

 

「これならどうだ───!」

 

無詠唱。複雑な術式を思考の中で瞬時に組み上げ魔力伝導だけで、青年の死角を取り囲むように数十条の『氷の矢』を同時展開する。

 

全方位からの、逃げ場のない刺突。

 

しかし、赤い外套はやはり怯まない。吹き荒れる冷気の弾幕の中、私と青年は、互いに命を削り合う残酷な舞踊(ダンス)を踊るように、再び苛烈な攻防へと身を投じていった。

戦場を支配する、鉄と氷の絶望的な不協和音。

 

互いの深淵が、戦いを通じて、より深く、より昏く、混ざり合おうとした───その、刹那だった。

 

「───エミヤさん!!」

 

鼓膜を突き破るような悲痛な叫びが氷結の結界を震わせた 

 

いつの間にか、安全圏にいたはずの桜咲刹那が、愛刀『夕凪』の柄を白くなるほど握り締めたまま、私たちの間に割り込むようにして立ちはだかっていた。

 

ただ圧倒されることしかできなかったはずの、一介の退魔の剣士。

 

それでも重ねて叫ぶ。

「エミヤさん! エヴァンジェリンさんは今は少なくとも麻帆良の結界で――!」

 

必死の叫び。

 

それは戦場に響く悲鳴にも似ていた。

 

そして。

 

その声は確かに届いた。

 

───青年の足が止まる。

 




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