『calor ――理想の果てに灯る温もり――』   作:そもゆえに

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いよいよ開店する、カロル(calor)。エミヤが目指す武器や魔法でなく、料理で人を口福(幸福)にする場所。


第16話約束の第一号

夕暮れ時の街路を、私はただひたすらに、小走りで駆けていた。

 

走るたびに、高めに結ったサイドテールが揺れる。

 

放課後のチャイムが鳴ってからずっと、胸の奥が落ち着かなかったのだ。

 

本日開店。

 

お食事処『calor(カロル)』。

 

あの赤い外套の異邦人───エミヤさんが開く、新しい店。

 

約束したのだ。私が、記念すべき第一号のお客になると。

 

そのために、今日は大好きな剣術の部活も休んだ。

いつもなら何より優先するはずのお嬢様(木乃香)の護衛を、今日ばかりは後ろ髪を引かれながら離れた。

 

だから、急ぐ。

 

彼との最初の約束に、遅れるわけにはいかない。

息を切らせてたどり着いた店の前には、まだ誰の姿もなかった。

 

(……よかった、間に合った……)

 

エヴァンジェリンさんが先に待っている可能性があった。

 

ほっと胸をなでおろす。走ったせいか、胸がトクトクと激しく音を鳴らしていた。

 

本来、神鳴流の剣士として過酷な修行を積んでいる私にとっては、この程度の速度と距離を駆けるなど苦にもならないはずなのに。

 

どうしてこんなに、心臓の音がうるさいのだろう。

 

次第に呼吸が整い、胸の音が落ち着いていく。

 

『calor』の、第一号。私が、最初の客。

 

(……なんで、こんなに嬉しいんやろ……)

 

不意に、カラン、と静かなドアベルの音が響いた。

店先の木札が、主の手によってくるりと裏返る。

 

『CLOSED』から───『OPEN』へ。

 

そして、暖簾の向こうから白い調理服を纏った彼が顔を出し、私を見つけて目を細めた。

「『カロル』へようこそ。───何名様かな?」

 

「い、一名です……っ!」

 

不意を突かれて、思わず軍隊のように背筋をピンと伸ばして答えてしまう。

 

自分でも、何故これほどまでに緊張しているのか、全く分からなかった。

 

そんな私のガチガチな様子を見て、エミヤさんは小さく、困ったように苦笑した。

 

ずいぶん前から店の前でそわそわと待っていた少女の姿を見て、エミヤは思わず苦笑を漏らしていた。

 

まるで遠足の前日を待ちきれなかった子供のようだ。

 

それほどまでに、この店が開くのを楽しみにしてくれていたらしい。ならば、調理師(シェフ)としてこれ以上、腕の振るい甲斐があるシチュエーションもないだろう。

 

「さて。本来ならメニューから好きなものを選んでもらうべきなのだが───君は記念すべき最初の客だ。おこがましいが、今日の料理は私に一任させてもらっても?」

 

そう前置きして尋ねると、刹那は驚いたように丸い目を瞬かせた後、こくこくと何度も縦に首を振った。

 

「よし。仕込みはあらかじめ済ませてある、そこまで待たせないさ。好きな席に座って、楽にしていてくれ。なに、初日の、それも大々的な宣伝もしていない店だ。そうそう他の客が来ることなんてないさ」

 

そう言って、エミヤは軽い足取りでキッチンへと向かった。

 

この店舗自体は中古の居抜き物件なのだが、前オーナーに大切に使われていたのだろう。柱や壁に刻まれた店の歴史が、店内にちょうど良い塩梅の、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 

近衛翁(学園長)の手回しによって厨房の周囲は改装され、エアダクトの交換なども完璧に行われていた。……裏の保管庫に、当然のように設置されていた『魔法の冷蔵庫』や『無限貯蔵庫』を見た時は、流石に引きつった笑みを浮かべるしかなかったが。

 

 

 

とんとんとん、と。

小気味よい、一定の小気味よいテンポで響く包丁の音。

何かが焼かれ、ふつふつと煮込まれていく、どこか懐かしさを覚える優しい匂い。

 

そして、私が手持ち無沙汰に退屈しないようにという配慮だろう。エミヤさんは手を動かしながら、カウンター越しに他愛のない雑談を振ってくれた。

 

学校での出来事、部活のこと、中間テストの結果のこと───。

ちなみに、私のテストの点数(意外に壊滅的な赤点ライン)を告げた時、彼が「……なるほど、文武両道とはいかないクチか」と少し目をぱちくりとさせて驚いていたのは、新鮮だった。凄く恥ずかしかったけれど。

 

世界の裏側に生きる、神鳴流の冷徹な剣士としてではなく。

あくまで、麻帆良学園に通う一人の等身大の中学生として、普通の少女として扱われる。

 

そのことが、私の胸の奥をどこかくすぐったくさせた。

 

なんだろう、この心地良さは。

 

守るべき使命も、バケモノとしての呪われた血のことも、ここにある温かい空気の中では、すべてが綺麗に消えていくような気がする。

 

カウンター越しに見つめる、彼の料理の手際の美しさ。

 

一切の無駄がない完璧な体運び。

あの日、森で見た鋭利な剣技が、今は形を変えて「包丁」へと使われている。

その光景に見惚れながら、私はふと思った。

 

(───あぁ、やっぱり)

 

(───この人は、剣を振るう姿よりも、こうして包丁を握って笑っている姿の方が、ずっと似合っている)

 

「お待たせ。いつも気を張っている君が、一番ホッとできる味を用意したつもりだ」

 

差し出されたお膳を見て、先ほどから漂っていた懐かしい匂いの正体に、私は合点がいった。

 

炊き立ての、つやつやとした土鍋ご飯。

 

お麩と三つ葉が優しく浮かぶ、澄んだお吸い物。

 

そしてメインの皿の上で、ツヤツヤと温かな湯気を立てているのは、出汁がジュワッと溢れんばかりに黄金色に輝く、美しい出し巻き卵。そして千枚漬け。

 

昆布と鰹節の利いた、優しく奥深い、京風の出汁の味わい。

箸でそっと切り分け、崩れないように口へと運ぶ。

 

「……美味しい、おすなぁ……」

 

じわり、と口いっぱいに広がるそのあまりの優しさに、一瞬で胸の奥が一杯になった。

 

涙ぐみそうになるのを、必死に堪える。

 

強張っていた全身の肩の力が、ふっと抜けていく。

 

美味しさと、温かさの中で。

 

私は、忘れていた遠い日の記憶を思い出していた。

故郷を追われ、京都の長(オサ)に拾われ、お嬢様(このちゃん)と一緒に過ごしていた、あの平和だった日常の記憶。

守る守られるといった歪な関係ではなく、ただただ、子供らしく無邪気に笑い合えていた、あの頃の温もり。

 

「どうかな? 君の合格点がもらえると、この『calor』も幸先が良いのだがね」

 

カウンターの向こうから、エミヤさんが優しく問いかけてくれた、その瞬間。

 

堪えきれなくなった涙が、視界を裏切って、ぽろぽろと頬を伝い落ちた。

 

「せ、刹那……っ!? どうした、口に合わなかったか?」

 

慌てて身を乗り出す彼に、私は必死に首を横に振った。

 

「ち、違うんです……っ、違わない、です……っ!」

 

慌てて制服の袖で涙を拭う。

違う。そうじゃない。

ただ、美味しかったのだ。

ただ、あまりにも温かかったのだ。

本当に、ただそれだけのことなのに涙が止まってくれない。

 

「……合格、です」

 

涙声のまま、私はどうにかそれだけを答えた。

ううん、とすぐさま首を振って、言い直す。

 

「満点、です。……うちの人生で、一番、温かいお味です」

 

顔を真っ赤にしながら涙目で微笑む私を、エミヤさんは今度は苦笑ではなく、どこまでも愛おしそうな、優しい眼差しで見守ってくれていた。




もちろんエヴァンジェリンは少し遅れて来ていましたが、空気を読んで入るに入れない状態です。

※誤字報告、修正有り難うございます。

今後の料理店に来店して欲しい人。※項目に無ければその他で、感想で希望する人を。クラスメイト以外でも可。話の流れで直ぐには反映出来なかったりします。

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