『calor ――理想の果てに灯る温もり――』   作:そもゆえに

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閑話〜美味しい珈琲の淹れ方〜

エミヤの知らない事案──あるいは、彼にとっては「関与すべきではない表の領域」の出来事であったが。

 

紆余曲折ありながらも、期末試験で見事学年トップを捥ぎ取った2-A。その結果として、晴れてネギ・スプリングフィールドは春休みを明けには正式に麻帆良学園の中等部教師として採用が決定した。

 

 

〜閑話・美味しい珈琲の淹れ方〜

 

 

出席番号25番、長谷川千雨。

 

彼女が麻帆良学園に進学したのは単純にエスカレーター式であり、全寮制という点を考慮しただけであった。

 

部活にも所属しておらず、帰宅部。

 

人との交流を避けている節もあり2-A(3-A)の面々とも距離を置いているのだが……

 

 

───やっぱりおかしいだろう、と胸中で叫んでいた。

 

春休みが明ければ、あの十歳の子供先生が、正式に私たちの担任として丸一年間教壇に立つ。

 

たかが一年と言うなかれ。

未だに積極的に馴染もうとも、馴染めるとも思えない狂ったクラスメイトたち。

ただでさえ多感な女子中学生にとっての一年間というのは、人生を左右しかねない大きな時間だ。

元々は自分が選んだ道とはいえ、エスカレーター式の中等部、高等部を経て、その先には「大人」として否応なしに社会の荒波に放り出される未来が待っている。

 

これまでは、出張ばかりでレアモンスター化していたものの、大人の教師として最低限の、年相応の頼りがいを一応は感じさせていた高畑が担任だった。それがどうだ。代わりにやってきたのは、訳のわからないオカルトトラブルを四六時中引き連れてくる、頼りない子供だ。

 

ネギの頑張りを少しは見直した部分もあった。

あったからこそ、ふと客観的に自分の現状を顧みた時、世界の狂気に馴染めない自分自身の「歪な一面」が、残酷なほど鮮明に炙り出されてしまう。

 

思えば、小さい頃からずっとそうだった。

自分自身が「おかしい、異常だ」と論理的に認識するものが、何故か周囲では“当たり前”として素直に受け入れられる。それに対して真っ当な疑問を呈する私の方が、むしろ周囲から「冷めた奴」「可愛げのない子供」と白い目で視られるのだ。

 

何故、この世界の異常は簡単に受け入れられて、私の正常(まともさ)は受け入れられない?

異常を異常だと正しく認識する“私”の方が、この世界にとっては異常だというのだろうか。

私という存在を、正しく受け容れてくれない現実なんて─

 

「───ずいぶんと、表情が優れないようだが。大丈夫かね?」

 

不意に頭上から降ってきた、低く落ち着いた声。

 

思考の泥沼から引き剥がされるように顔を上げると、そこにはくすんだ銀髪に褐色の肌をした、やたらと体格のいい青年が立っていた。女子中学生エリアで居るのを不思議にを見かけて、聞くところ『広域指導員』の、エミヤ。

 

───何故だろうか。

 

どこか皮肉っぽさを孕んだ口調ではあるが、その双眸が、本気で自分を心配して声をかけてきていることくらいは、鋭い彼女にもすぐに理解できた。

 

けれど──理解できたからこそ、胸の奥の苛立ちが、より一層強く跳ね上がる。

 

何故、こいつは私に声をかけた?

 

私が他の連中のように、上手く笑えていないからか? 可哀想な、浮いている落ち込ぼれに見えたからか?

 

そんな中途半端な親切心や、大人の余裕ぶった気遣いなら、いっそ私に関わらないで放っておいて欲しかった。

 

そんな、自分自身でも理不尽極まりないと解っている感情がドロドロと渦巻き───千雨はツンと顔を背けた。

 

「ええ、見ての通り気分が優れませんので、私はもう寮に帰るところなんです。お構いなく。それでは、失礼します」

 

カバンを掴み、早足で立ち去ろうとする。だが、背後の青年は小さく肩を竦めると、周囲には決して聞こえない絶妙な声量で、けれど確実に私の耳へと届く音で告げてきた。

 

「───なるほど。私の顔を見ると、余計に気分が優れなくなる、ということかね。……いや、そういうつもりで声をかけた訳ではなかったんだが。良い機会だ、キミの気分を害してしまった分は、大人として相応の詫びをさせてもらうよ」

 

「なっ!? アンタ、何を───」

 

「では、行こうか」

 

「ちょっと待て、離せよ、アンタ! 誘拐!? これ拉致だからな!?」

 

問答無用。有無を言わさずに、けれど不思議と痛みのない絶妙な力加減で腕を引かれ、連行されていく千雨。

 

「なんだかドナドナな気分だわ……」と、心の中で盛大に遠い目をしていた。

 

 

 

 

「とりあえず適当に──いや、やはり、その真ん中のカウンター席に掛けてくれ」

 

そう勧められるがままに、千雨は喫茶店の木製の椅子に腰を下ろした。

 

───騙された。

 

気がつけば、彼女が連れてこられたのは、女子寮とは正反対の方向にある、このエミヤという青年がマスター兼料理人を務めているという奇妙な店──『calor(カロル)』だった。

 

広域指導員だか何だか知らないが、一体どんな二足の草鞋を履きこなしているんだよ、と全力で突っ込みたくなる。

 

ただ、クラスメイトである桜咲やあの中学生とは色々な部分で思えない龍宮。果てには何故かクラスメイトの茶々丸にマスターとか言わさせている、エヴァンジェリンまで。この店通っているという噂は、ネットでの情報通の千雨の耳に残念ながら入ってしまっていた。

 

厄ネタの匂いしかしない。関わりたくない。

 

 

───そう思っていたはずなのに、カウンターの奥から、ふわりと、あまりにも「良い匂い」が漂ってきた。

 

「キミの口に合うかどうかは分からないがね。丁度、良い豆が手に入ったところなんだ」

 

そう言って、美しく磨き上げられた磁器のカップが、丁寧に目の前へと差し出された。

立ち上る湯気と共に、部屋いっぱいに広がる香ばしく、どこか果実を思わせる深い香り。確かに文句なしに素晴らしい匂いだが───。

 

「……ちょっと。良い豆って、それ、結構高いんじゃないか?」

恐らく、この男の性格からして「詫び」と言った以上、金を取るつもりはないのだろう。だが、タダより高いモノはないとも言う。何より、千雨の矜持として、大人の憐れみによる「施し」を受けるつもりは毛頭なかった。

 

「ああ、安心したまえ。良い豆がたまたま割安で手に入ったからね。学生の懐にも極めて優しい、良心的な値段設定だよ」

 

「てめぇ! 勝手に拉致って店に連れ込んできた挙句、勝手にコーヒー淹れて、最終的に金を毟り取る気かよ! どんなマッチポンプだよ!?」

 

「ふっ、くくく!」

 

思わず素でキレて突っ込んだ千雨に対し、エミヤは声を上げて、愉しそうに笑った。

 

「───冗談だよ。今日のところは一杯目は無料、あるいは私の趣味に付き合ってくれた宣伝費さ。……ふむ。しかし、やはりそちらが『素』のキミか」

 

意地悪く、けれどどこか温かい半眼の笑みを浮かべて見つめてくる青年。

 

千雨は「しまった、嵌められた」と、自分の失言に気づいて顔を真っ赤にした。そして同時に、無性に腹が立ったのだ。

 

せっかく、この異常だらけの学園で目立たないように。周囲から変な目で見られないように。冷徹で、理性的で、普通の女子中学生として「擬態」して振る舞ってきたというのに。

 

「───そんなに、可笑しいかよ。そんなに笑えるかよ、アタシが……!」

 

悔しかった。

私のこの、誰にも言えない葛藤も、世界の異常に対する恐怖も悩みも、何一つ知らないくせに。目の前で、さもすべてを見透かしたかのように笑うこの男が───。

 

じわじわと、顔が熱くなる。

瞳の奥が痛いほどに熱くなり、視界が涙でぼやけていく。

ずっと胸の奥に溜め込んで、重い蓋をして見ない振りをしていた、色々なドロドロとした感情が、珈琲の熱気に当てられたようにごちゃ混ぜになって噴出していくのが分かった。

 

ロジカル(論理的)でシニカル(皮肉屋)、それがアタシの信条で、世界の身の丈に合わせた生き方だったはずなのに。

 

「───これじゃ、ただのガキ、じゃんか……」

 

そう、ぽつりと、掠れた声で呟く。

 

───その時、カサついた、けれど大きくて温かい手のひらが、千雨の頭の上にそっと乗せられ、ぽんぽんと優しく、リズムを刻むように撫でた。

 

「───そうさ。キミはただのガキ、まだ守られるべき子供だよ。だから、そんな風に小難しく世界を定義しようとせず、思ったことをそのまま吐き出せばいい。それは若さの特権というやつだ。何、嫌でも社会に出れば、そんな真似は出来なくなる。嫌でも『大人』にならざるを得ないからね」

 

本当なら、「馬鹿にするな」と、頭に乗せられた不躾な手をはね退けるつもりだった。

 

けれど、何故だろう。どうしても、その手に力を込めて拒絶することが出来なかった。

───思えば、最後にこうして、誰かに頭を撫でられたのはいつだったろう。

小さい頃から、世界の異常を異常だと正しく認識できていた私は、子供故に、その「正しい違和感」を素直に周囲の大人たちに伝えていた。それが周囲からどんな奇異の目で視られ、孤立を招く結果になるかなど、幼い子供に解るはずもなかった。

 

だからこそ、私は心を閉ざした。誰も信じない、冷めた子供になった。

 

大人の手のひらの温もりに、どこか救われている自分自身に対して、本当にガキかと毒づく。けれど、その大きな掌から伝わってくるのは、かつて幼い頃に、ずっと恋い焦がれていた「無条件の全肯定」という名の温もりだった。

 

「キミの表の顔も、裏の素顔も、どちらも素敵だよ。どちらもが長谷川千雨という一人の人間であり、どちらか片方だけでは、キミはキミであり得ない。……無理にどちらかを失くす必要など、どこにもないさ」

 

───解るようで、すぐには解りたくない。そんな不器用な言葉を、青年は投げ掛けてくる。

 

ただ、しばらくは、このぼやけた視界が収まりそうにないな──。

 

千雨はそんな風に、どこか他人事のように思いながら、静かに、けれど堰を切ったように泣いていた。

 

「───っ、……美味い。」

 

しばらくして、涙を拭った千雨は、差し出された珈琲を小さく口に含み、ほぅ、と感嘆の息を吐くように呟いた。

 

その素直な反応に、青年は普段の皮肉げな笑みではなく、どこか少年のような、どこか誇らしげな童心を感じさせる柔らかい笑みを浮かべた。

 

「気に入ってくれたようで何よりだ。この豆はスマトラ島産の『マンデリン』。かつてブルーマウンテンが登場するまで、世界一の珈琲と称されていた銘柄だ。その中でも、さらに選別された特選の『ゴールデンマンデリン』だよ。ネル(布)でじっくりと低めの温度で蒸らし、雑味を徹底的に落として淹れてある」

 

再び口に含んでひと呼吸おいた瞬間、完熟した果実のようなフルーティな香りが鼻腔を抜け、優しい柔らかな酸味が舌を包んだかと思えば、その後ろから心地よい、濃厚で奥深い苦味が重なっていく。

 

───やっぱり、相当高い豆なんだろうな、と即物的な考えが真っ先に浮かんでしまい、千雨は少しだけ自分が恥ずかしくなったが。

 

「ふむ。原価だけで言えば、一杯あたりはそこの自販機の缶コーヒーより安いんだがね」

「だから人の心を勝手に読むんじゃねぇ──って、……マジで言ってんの?」

 

「豆の仕入れにもよるが、大体100グラムで300円から400円といったところさ。自分で豆を挽き、丁寧に淹れる分には、そこまで値の張る趣味じゃない。缶コーヒーを毎日買うより、よっぽど経済的だよ」

 

一杯分の豆の量を大体15グラムとして計算すれば──確かに、原価だけで見れば缶コーヒーより安く済む。

 

さすがに店で出すからには手間賃や光熱費で割高になるだろうが、店内に掛けられているメニューの価格表を見れば、一般的な喫茶店と比べても異常なほど安価な、いわゆる「学生価格」に設定されていた。

むしろ店主の正気を疑うレベルだ。なんだ、手作りケーキセットで500円って。価格破壊にも程がある。

 

「───あのさ。アタシ、珈琲は……その、結構好きなんだよね。だから、また、たまに飲みに来ても、良い、かな」

 

少しだけ気恥ずかしさを覚えて、千雨は視線をあちこちへとチラチラと泳がせながら、小さな声で尋ねた。

 

「勿論さ。不定休で、営業時間もかなりまちまちだがね。豆の種類だけは豊富に揃えているし、今度はぜひ、自慢の甘味と一緒に味わってもらいたいところだ」

 

「本当に商売する気がないな!アンタは……」

 

思わず呆れたように吐き捨てる。だが、そのシステムや利益に縛られない、この店独特の「自由な空気」が、今の千雨にはどうしようもなく心地好かった。

 

「さて。それじゃあ二杯目の珈琲と、それに最高に合うチョコレートケーキをサービスする代わりに──少しだけ、キミの手を借りたい仕事があるんだがね」

 

 

 

 

「……っ、また嵌めやがったなテメェ!!」

 

「コレは異な事を云う。私がキミに頼んだのは、焼き上がったばかりのケーキの配達(お手伝い)。そこに何の手落ちも相違もあるまい?」

 

そうして、ホールケーキを抱え、エミヤに連れられて千雨がやってきた配達先は───。

 

クラスメイトのエヴァンジェリンのログハウスだった。

 

他人の家という苦手な場所に入ると───

 

「ほほぅ。良い香りだな」

 

「残留香気から推測。ゴールデンマンデリンです」

 

「だから、服に残った匂いだけで豆の銘柄を秒で当てるロボットとか、あり得ないだろ普通はァ!! ────あ」

 

不味い、と気づいた時には遅かった。

さっきまでの店での彼とのやり取りの名残(素のトーン)のまま、思わず2-Aの厄ネタ勢に対して、大声で完璧な突っ込みを炸裂させてしまっていた。

 

ポカン、とした様子で、千雨を見つめるエヴァと茶々丸。

 

2人の視線に対して、千雨の顔がみるみる引いていく。

 

「あ、いや……その、今の、は───」

 

──と焦る千雨だったが。

 

エヴァはフッと鼻で笑うと、どこか満足げに口元を歪めた。

 

「ふん……。随分と良い面構えになったじゃないか、お前。まあ、外面ばかり取り繕っているあの気味の悪い仮面よりは、そっちの方がよっぽどマシだな。───エミヤ!私にも ケーキにあうコーヒーを淹れてもらおうか、茶々丸、客人をもてなしてやれ。お前ならクラスの連中に吹聴もしまい」

 

「Yes、Master。エミヤさんにコーヒーの銘柄を選定して貰い、ケーキの用意させて貰います」

 

「ちょっ、待てよ! ツッコミが追いつかねぇ!!」

 

当たり前のように、ケーキをきり分けて皿に移している茶々丸。コーヒーを選んで、また違うドリップ方法で淹れているエミヤ。

それを穏やかな視線で眺めているエヴァンジェリン。

 

「……はは。なーんか、バカみたい」

 

小さな金色の少女。

以前に比べて表情豊かになったロボ。

そして初めて会ったエミヤという名の青年。

 

彼らが作り出す、まるで陽だまりのように温かく、世界の境界線から隔絶された優しい光景を眺めて。

千雨の口から、自然と小さく乾いた、けれどどこか憑き物が落ちたような笑みが零れ落ちていた。

 

 

普段の彼女なら、こんな周囲の非常識さに苛立ちを覚え、即座に回れ右をして自室へと直帰し、自分のWebサイト(ホームページ)の更新作業に没頭して、孤独に自分の承認欲求を満たして慰めていただろう。

 

けれど。ほんの少しだけ、今は心の在り方が違っていた。

 

相変わらず、クラスメイトたちの非常識には全く着いていけないし、これから先だって着いていく気はさらさらない。

 

──けれど。

 

「……ま、とりあえず。あの美味しい珈琲を飲むためだけにでも、たまには外に出るのも、悪くはない、かな」

 

茶々丸が切り分けてくれたケーキを小さなフォークで口へと運びながら、千雨は誰にも聞こえない声で、そっとそう呟くのだった。




お待たせしました。長谷川千雨の閑話を書きました。
アンケートの伸びに驚いています。
また合間に順次閑話や本編で来店していって貰う予定です

今後の料理店に来店して欲しい人。※項目に無ければその他で、感想で希望する人を。クラスメイト以外でも可。話の流れで直ぐには反映出来なかったりします。

  • 神楽坂明日菜
  • 龍宮真名
  • 長谷川千雨
  • 宮崎のどか
  • 古菲
  • 長瀬楓
  • その他
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