『calor ――理想の果てに灯る温もり――』   作:そもゆえに

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第19 月下の約束

───時と場所は移り、満月の光が妖しく地上を照らす、夜の静寂(しじま)。

 

「───っ」

 

チクリと、首筋に走る鋭い痛み。

 

肉を引き裂く牙の感触と共に、己の体から熱い血液が文字通り「奪われていく」のを自覚する。

 

ゴクリ、コクり、と。

 

私の肩にすがりつくエヴァンジェリンの、細く白い喉が、嚥下(えんげ)する度に小さく動く。

 

不思議と、苦痛はなかった。大量の血を喪っていくことへの恐怖や喪失感よりも、脳髄をじわじわと侵食していく一種の陶酔感に、意識が甘く溶けそうになる。私の魔術回路(パス)を巧みに狂わせているのだろう。

 

しばらくの間、夜の静寂の中に、肉を鳴らす嚥下の音だけが不気味に、けれどどこか厳かに響き───やがて、静かに止んだ。

 

すう、とエヴァが私の首筋から口を離す。

 

月の光を浴びて、彼女の小さな唇が、私の血で鮮やかな紅に染まっていた。それを細い指先でそっと拭う仕草は、十歳の幼女の肉体でありながら、恐ろしいほどの淫美さと、夜の支配者たる真祖の威厳を醸し出していた。

 

「……ふん。実際に血を吸った後に言うのもなんだが、お前……本当に私に血を吸わせるとは、正気か?」

 

彼女自身も、久々の濃厚な魔力の摂取に酔ったのだろうか。少しだけ上擦った吐息を漏らしながら、私の耳元で鈴を転がすような声で囁いてくる。そこには、からかうような色と、同時に「何故そこまでするのか」という、彼女の困惑が混ざり合っていた。

 

ふむ、と。私はしばし黙し、自身の身体の魔力経路を巡らせながら考えを巡らせる。

 

そして、眼前に佇む少女の、どこかこちらの本心を探るような複雑な感情を宿した瞳を見つめ返し、静かに告げた。

 

「───かつての私ならば、そうだな。被害が一時的な貧血程度で済むとしても、それを容認することはなかっただろう。あるいは、将来的なリスクを事前に断つために、容赦なく君を『悪』と断じ、その首を斬り捨てていたはずだ」

 

「なら、何故そうしなかった? それこそ、今回の吸血だけで私が満足し、もう二度と他の人間の血を吸わなくなるという保証は、どこにもないのだぞ」

 

どこか自虐的な、冷たい笑みを浮かべながら尋ねるエヴァ。裏の世界で裏切られ、拒絶され続けてきた彼女にとって、私の無償の「自己犠牲」は、不気味で理解しがたいものに映るのだろう。

 

私はそんな彼女の頑なな態度に苦笑し、その小さな頭へと手を伸ばすと、くしゃり、と優しく撫でた。

 

「───エミヤ。今の私は、ただの料理人であり、学園の子供たちを見守る大人(警備員)だからね。それに───」

 

「────それに?」

 

「……優しく心地好く頭を撫でていたと思ったかね? 残念ながら、それはただの『位置固定』だ」

 

メキメキメキッ!!!

 

「───ぐガッ!? あ、頭が、割れえぇぇぇ!?」

 

「勿論、私との約束を破って他の生徒に手を出すような真似をしたら、その都度しっかりとお仕置きをするのでね。事後の心配など、最初から必要ないさ」

 

そこには、月光に照らされて、これ以上ないほどに爽やかで、同時にこれ以上ないほどに極悪な『イイ笑顔』を浮かべたエミヤが立っていた。

 

「ちょ、これ、放せ固羅(これ)ァ! まだ何もしてないのに何でお仕置きされなきゃ───というより、お仕置きって何の冗だぁぁぁ! 痛い、本当に頭蓋骨が軋んでる、止めて離せぇぇぇっ!」

 

良い感じに、大きなワンハンドでエヴァの小さな頭部をガッチリとホールドし、そのまま地面から持ち上げている私。

 

エヴァは宙に吊るされた状態で、バタバタと短い手足を振って暴れるが、足が地を離れていては真祖の怪力といえども十分な威力を発揮することはできない。

 

玩具のようにしばらく宙で暴れていた彼女だったが、徐々に疲労からか動きが鈍くなり───やがて、完全に動きを止めてガクリと項垂れた。

 

そんな主人の哀れな(自業自得な)やり取りを、少し離れた日陰から眺めていた茶々丸が、どこか嬉しそうにパチパチと瞬きをして呟く。

 

「……あぁ、実に愉しそうなマスターです。エミヤ氏に頭を掴まれて浮遊するマスターを見るのは、データ上でも非常に稀なケースです」

 

「壊れた思考回路を至急修復して、今すぐ主人を救い出さんかこのポンコツロボットォォォ!!」

 

茶々丸の的外れな分析に、エヴァが限界突破した声を張り上げる。私はやれやれと首を振りながら、息を吹き返した少女を静かに地面へと降ろし、今度こそ本当に、その乱れた髪を優しくぽんぽんと撫で直してやった。

 

───そう。あの日、店を去る間際の茶々丸に密かに確認したことは、一つだけだった。

 

「彼女は満月以外では、本当に吸血能力をも失っているのか」と。

 

答えは御覧の通りだ。呪いの封印によって、普段の彼女は十歳の無力な少女と変わらない。だが、以前に呪いの効果が緩和される別荘で戦闘試験(小手調べ)を行った際、エヴァは十全ではないにせよ、高度な魔法を行使してみせた。

 

ならば、吸血能力はどうか。能力そのものは封じられていても、私のように「莫大な魔力を保有する側」が自ら傷口(魔術回路)を開き、彼女の口内にその血(魔力)を流し込む形を取れば、真祖の肉体は本能的にそれを拒まず、効率的に魔力を直接摂取・同化できる───。だからこそ、今夜の吸血は成立したのだ。

 

「私も、エヴァとの約束は護るさ。だから、君も一般人に手を出すなよ」

 

「───ふん。約束、ね……」

 

私の手のひらの温もりが擽(くすぐ)ったいのか、エヴァは小さく身を縮めながら、赤い瞳を上目遣いにしてこちらを睨みつける。その顔は、先ほど血を吸っていた時の真祖のそれではなく、ただの年相応な少女の頑なさに満ちていた。

 

「ケケケっ! 随分とご機嫌じゃネェか、御主人(マスター)よぉ!?」

 

───その時、背後の闇から、硬質で耳障りな、壊れたような嘲り笑いが響いた。

 

「───人形?」

 

私は即座に振り返り、干将・莫耶を脳内で瞬時にイメージ(投影準備)しながら、その光源へと視線を走らせる。

 

そこに居たのは、カタカタと不気味に首を揺らしながら、狂ったように笑う小柄な少女の姿───いや、精巧に作られた『人形』だった。

 

「カカカ、ヒデェなオイ! 初対面の相手を捕まえて『人形』の一言で済ますかよ? オレにだって、ちゃんと名前があるンだぜひゃははっ!」

 

「──ふん。チャチャゼロか。勝手に起動して騒ぐな、目障りだぞ」

 

エヴァは私の頭の上に添えられた手をパッと払うと、機嫌悪そうに、けれどどこか剣呑な視線をその人形の少女へと向けた。

 

茶々零(チャチャゼロ)。

 

この、全身から殺戮人形宜しいドス黒い殺気を隠そうともせずに放ち続けている、奇怪な人形の名前のようだ。

 

「まァ、アンタがそこの吸血鬼の御主人(マスター)に、極上の魔力をたっぷり供給シテくれたお蔭でオレ様もこうして動けるンダ。───そのお礼に、さあ、殺(や)り逢おうぜぇっ!!」

 

チャチャゼロは壊れたような嗤いを激しく叫びながら、その小さな手に、身の丈に合わないほど巨大な厚刃のダガーを出現させ、目にも留まらぬ速さで私の首筋へと斬りかかってきた!?

 

「戯け! そんな物騒な礼なら、最初から御免被る!」

 

キィィィンッ!!!

 

火花が激しく散り、夜の闇を一瞬だけ白く照らす。

 

私は即座に両手に『干将・莫耶』の双剣を握り損ねることなく実体化させ、その凶刃を完璧に受け止めて防いだ。

 

「ケケケ、やっぱりなぁ! いいねぇ、重いねぇ、アンタの剣! 最高に愉しもうジャねぇカ!」

 

弾かれた反動を利用して、チャチャゼロは宙をひらりと舞い、猫のような軽やかさで地面へと着地する。すぐにでも第二撃を仕掛けようと身を躍らせる人形だったが、私にとっては、戦闘そのものよりも先ほどチャチャゼロが口にした「言葉」の方に、大きな疑問の棘が突き刺さっていた。

 

「……私からの、魔力供給で動いている、だと?」

 

「ああ。そのチャチャゼロは、今そこにいる茶々丸の前の、私の古い従者(ファミリア)でな。科学の電力を用いて自立駆動している茶々丸と違い、そいつは私からの直接の魔力供給だけで動いている。───よって、ナギの呪いで力を封印されている現在の私では、そいつを動かすことすらままならん」

 

まあ、あの別荘の内部なら、まだマシに動けたんだがな──と、エヴァは苦々しそうに吐き捨てる。

 

───そこで、私の中に明確な疑問がもたげた。

 

以前、この麻帆良の裏事情について個人で調べた際──情報の正確性はさておき──彼女が学園内で一般生徒を襲い、吸血に及び始めたのは「極めて最近(ここ数週間)」のことであるというデータを掴んでいた。

 

しかし、彼女がそれほど長い間この地に縛り付けられているのなら、何故『今』になってリスクを冒してまで魔力の補給を急ぐ必要があるのか。近衛学園長もその動きを察知しながら、何故あえて静観しているのか。

 

なぜ、最近になって急に行動を起こしたのか、という決定的な疑問だ。

 

私の視線の意図を察したのだろう、エヴァはフッと自嘲気味に笑い、月の光を見上げた。

 

「以前、お前にも少し話したがな。……私をこの退屈な結界(オリ)に封じて15年もの間縛り付け続けている、あの男の術式だが。───漸く、その呪いを力技でブチ破る算段が立ちそうでな。その為にも、今は一滴でも多く、体内の魔力を回復させて蓄えておく必要があるのだよ」

 

「ナギ・スプリングフィールドの呪いが───解ける、だと?」

 

成る程、合点がいった。

 

曰く、彼女を縛る呪いは途方もない魔力と超高度な術式で施されており、六百年を生きた吸血鬼の真祖をして、これまで手も足も出せなかったことからも、その絶望的な強固さは推して知れる。

 

だが、それだけ強力な呪いであるならば、それを解呪するためには膨大な儀式、そして何よりも対価としての『天文学的な魔力量』を要するのは自明の理だ。

 

かつての全盛期のエヴァならいざ知らず、封印によって魔力出力の大部分をカットされている現在の彼女の細い魔力回路では、確かにその解呪の瞬間に必要な絶対量が決定的に足りない。

 

その不足分を補うために、彼女はなりふり構わず、夜の街で吸血を行っていたのだ。

 

私は双剣を消滅させ、静かに彼女を見つめた。

 

「そういうことなら、話は早い。───これからも魔力が必要なら、遠慮なく私から血を吸いたまえ。それが君自身の愉悦や悪意によるものでなく、己の呪いを解き、自由を掴むための戦いであるならば……尚更、な。私はいくらでも君に手を貸そう」

 

しかし。と指を1本立てた。

 

「君のやろうとしていることが、ただの復讐ではなく前へ進むための戦いだというのなら」

 

 

「───私は協力、いやキミの味方をしよう」

 

「…………っ」

 

シロウの掛ける言葉は、エヴァにとっては忌々しいほどに、自身の予想通りだった。

 

まだ出会ってからの期間は短い。けれど、彼のどこか壊れた気性と、合理的なメリット・デメリットの計算、さらには周囲の人間への影響を常に顧みるそのお節介な性質を鑑みれば、彼がそう言って自分の身を差し出すことなど、予想するのは容易かった。

 

───正直、その歪な在り方を理解するのは難しいが。

 

それ以上に、そんな彼の「優しさ」をどこかで計算し、打算的に振る舞ってしまっている自分自身の浅ましさに、エヴァは小さな嫌悪感を抱いていた。……不思議な話だが、真祖である彼女にとって、他人にこれほど複雑な「後ろめたさ」を感じることの方が、よっぽど理解が困難な異常事態だった。

 

勿論真祖として、誇りある悪としての矜持もある。だが呪いを解くために、利用できる手段は何でも利用するのが当然である───はずなのに。

 

今の自分の中には、ただ純粋に、何の駆け引きも打算もなく、ただ『彼だから』という理由だけでその血を求めたいと願う、おかしな自分がいる。

 

エヴァはそんな弱気な思考を頭を振って強制的に振り払い、彼のような、どこか皮肉げな笑みをその幼い口元に浮かべて応えた。

 

「ふん───。相変わらず、お前は救いようのない物好きだな、エミヤ。……まあ、そこまで言うなら、お前のその言葉、気が向いた時に使ってやるかどうか考えておいてやるわ」

 

「ああ、いつでもどうぞ。首を洗って待っていよう」

 

その後、夜の騒動を終えた私たちは再び『calor』へと戻り、先ほどまで殺気を放っていたチャチャゼロをも無理やり椅子に座らせ、茶々丸も交えて、皆でひとつの食卓を囲んで遅い夕食(夜食)となった。チャチャゼロは味覚があり、酒なども普通に飲んだりしている。茶々丸も味覚センサーを搭載したらしく、どこかそわそわしている。

 

チャチャゼロが「おい銀髪、この肉美味ぇじゃネェか!」と騒ぎ、エヴァが「こらゼロ、私の分のハンバーグを盗るな!」とフォークを振り回す。それを茶々丸が淡々と宥め、美味しいですと頬をほこらばせている。いつも通りの、いや、いつも以上に騒がしい光景。

 

カウンターの奥で皿を洗いながら、私はその光景を静かに見つめていた。

 

───この騒々しくも、酷く穏やかな空間が、これからもずっと続いて欲しい。

 

───ここにいる不器用な彼女たちの未来を、私は、私の手の届く限り、護りたい。

 

湯気の向こうで笑う少女たちの顔を見ながら、私は自身の胸の奥に宿る、切実な願いの在り処(カタチ)を、確かに自覚するのだった。

 

今後の料理店に来店して欲しい人。※項目に無ければその他で、感想で希望する人を。クラスメイト以外でも可。話の流れで直ぐには反映出来なかったりします。

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