――静寂。
異形は還った。
悪鬼も、式神も、まるで最初から存在しなかったかのように消え失せる。
戦場だった広場に、夜の静けさだけが戻ってきた。
その中で。
男が、ふと視線を上げる。
真っ直ぐに。
――龍宮真名の方へ。
ライフルスコープ越し。
視線が、合った。
「……」
緊張が走る。
確かに、彼は刹那を助けた。
少なくとも結果だけ見ればそうだ。
だが。
真名の記憶に、こんな男はいない。
麻帆良の関係者ではない。
何より。
強すぎる。
異常なほどに。
鉄火場を潜り抜けてきた真名だからこそ分かる。
あの男は、“場数”が違う。
ただの戦士ではない。
死地を日常にしてきた者の気配。
敵の敵は味方――などという楽観は、とうに捨てている。
すると。
男が先に口を開いた。
「――そこの狙撃手」
大声ではない。
だが、不思議と声はよく通る。
「君は彼女の仲間なのだろう?」
淡々と。
事実を確認するように。
「ならば、そこで私を観察しているより、彼女の治療を優先した方がいい」
真名は小さく眉を寄せる。
……正論だ。
刹那の負傷は軽くない。
既に無理を重ねている。
警戒すべき相手。
だが。
今この場で敵対するのは悪手。
戦力差を考えても、選り好みできる状況ではない。
真名は木陰から姿を現した。
男の傍まで歩み寄る。
改めて見ると、やはり異質だった。
銀に近い白髪。
鋼のような眼差し。
戦場の匂いを纏う男。
「治療できる者はいる」
真名が短く告げる。
「ただ、すぐ来られる保証はない。今夜は他も襲撃されている可能性が高い」
刹那を見下ろしながら続ける。
「こちらから向かった方が早いが……」
怪我人は、動けない。
男は僅かに黙った。
そして。
「……その治療術師」
言いかけて、僅かに言葉を選ぶ。
「――魔法使い、か。位置は近いのか?」
真名は肩をすくめる。
「遠くはない。だが、近いとも言えない。麻帆良は広いからね」
男は一瞬だけ考える素振りを見せた。
そして。
諦めたように、小さく息を吐く。
「仕方ない」
次の瞬間。
彼は自然な動作で、刹那の身体を抱き上げた。
「――っ!?」
横抱き。
いわゆる、お姫様抱っこ。
傷に響かぬよう配慮された、実に合理的な運び方。
だが。
合理性と乙女心は一致しない。
「な、ななな……!」
刹那の顔が一気に赤くなる。
反射的に離れようともがく。
しかし。
「っ……ぅ」
鈍い痛みに顔を歪めた。
男はそんな彼女を一瞥し。
「暴れない方がいい」
ひどく事務的に言う。
「怪我に響く。これが最も負担が少ない」
――いや。
身体ではない。
もっと別の意味で負担が凄まじいのだが。
そんなことを口に出せるほど、刹那は器用ではない。
男は続けた。
「私のような者に抱えられるのが不快なのは理解する」
返り血。
泥。
煤。
確かに彼の姿は、お世辞にも綺麗とは言えない。
だが。
「今は命を優先するべきだ」
少しだけ。
ズレていた。
「……」
真名は内心で苦笑する。
どうやら、この男。
強さの割に、妙なところで鈍いらしい。
「先導を頼む」
その一言を残し。
男は夜の森を駆け出した。
その足取りは、負傷者を抱えているとは思えぬほど静かで、速い。
――こうして。
異邦の英霊は。
誰にも知られぬまま、麻帆良という異界へ最初の一歩を踏み出した。
独自解釈強めです。
大体1話が2000字程度で、1章が3話程度で更新します。
次は2章となります。感想や評価をして頂けると嬉しいです。