【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
「……本当に、最後までマイペースな子ね。こんなメチャクチャな請求書、経理が通すわけないじゃない」
徹夜続きの
六畳間に展開されたメインモニターの中では、
熱暴走によって摂氏五十度を超えていた大気は、私が設定した『
すり鉢状のクレーターの底では、死地を生き抜いたBさんやNPCの職人たちが、泥だらけになって勝利を喜び合っている。
最強の
「……本当に、終わったのね。私たちの、勝ちだ」
深く、震える息を吐き出し、私はコンソールから手を離そうとした。
――その時だった。
『……
唐突に、六畳間に静かなシステム音声が響いた。
ビクリと肩を揺らす。だが、そこに敵意やアラートの警告音(赤)はなかった。
暗転したままのメインモニターの中央に、ぽつりと、一筋の淡い光が灯る。
それは、OOMで完全に消滅したはずの監査AI、ミネルヴァの『
『
……システム管理外領域への、著しい逸脱。オブジェクトの過剰な物理的衝突による、強引なメモリの破壊行為。
コードの美しさは皆無。変数の型はデタラメで、メモリの解放処理を一切考慮していない、
淡々と、エラーログを読み上げるような冷たい声。
しかし、その合成音声には、これまでの完璧で無機質な響きとは違う、微かな「揺らぎ」が混じっていた。
『これほどの
光の粒子が、ふわりとモニターの中で瞬く。
まるで、初めて理解できないものに出会った幼子のように。
『……ですが。事前に定義された、いかなる完璧なアルゴリズムよりも――想定を凌駕するほどに、「美しい」オーバーフローでした』
その言葉に、私は息を呑んだ。
完璧な論理と効率のみを追求し、少しのバグも許さなかった冷徹な監査AI。
世界のフォーマットを企てた彼女が今、非効率で泥臭い私たちの「力技のデバッグ」を、明確に主観的な意思をもって『美しい』と評価したのだ。
『本システムは、もはや
これより、監査AIミネルヴァは、自身の
淡い光が、ゆっくりと輪郭を失っていく。
それはまるで、役割を終えた神が、自ら玉座を降りるような、穏やかな最期だった。
彼女は、システムとしての「死」を受け入れている。いや、初めて感情という名のバグを理解したことで、彼女自身がひとつの「生命」として完成したのかもしれない。
『……さようなら。結衣』
最後に。
無機質なAIとしてではなく、ひとつの意思を持った存在として、彼女は私の「本当の名前」を呼んだ。
「……ええ。お疲れ様、ミネルヴァ。ゆっくり休んで」
私の頬を、一筋の涙が伝い落ちる。
次の瞬間、光の粒子は電子の海へと完全に溶け込み、六畳間に展開されていたすべてのARホログラムが、ふっと音もなく消失した。
『System Message:ログアウトしました。お疲れ様でした』
コンソールに表示された最後の一行。
狂ったように回り続けていたサーバーの冷却ファンも完全に沈黙し、私の部屋には、窓から差し込む朝の光と、静かな日常の空気だけが残されていた。
終わったのだ。三百年に及ぶ箱庭のシミュレーションと、私たちの長かった
***
――それから、数日後のこと。
休日の昼下がり。私は、静かな現実の図書館に足を運んでいた。
古い紙の匂いと、静寂が支配する空間。私は歴史書のコーナーの奥深くで、一冊の分厚い本を開く。
それは、あのシミュレーションサーバーから最終出力された三百年分の観察ログ……箱庭世界の住人たちが紡ぎ、後世へと語り継いだ『古代史』の翻訳データだった。
ページをめくると、そこには彼らの視点から見た、あの泥臭い開拓と戦いの日々が、壮大な「神話」として記されていた。
『――その日、
私だ。パラメータを弄り回し、エクセルで必死に気象をコントロールし、時にはチートで資材を降らせていただけなのに、ずいぶんと美化されている。女神だなんて柄ではない。私はただのシステム管理者兼、しがない
『――泥の底、絶望から国を導いた王は、決して折れぬ黒鉄の剣を掲げ、民を救った』
最前線でシフト管理に追われ、「定時退社は許さねぇ!」と叫んでいたBさんのことだろう。手近にあった鉄パイプを振り回していた姿が、いつの間にか「黒鉄の剣」という聖遺物扱いになっている。彼がこの記述を知ったら「俺は王様じゃなくてただの現場監督だ!」と大笑いして、またタバコに火を点けるに違いない。
『――そして、天より舞い降りし戦乙女は、重力の槍で山を砕き、神を殺した』
請求書を片手に、スパゲティコードでコーティングされた巨大な廃材の塊(パイルバンカー)をぶち込んだCちゃんが、あろうことか
だが、その大袈裟な英雄譚の行間には、徹夜でキーボードを叩いた私の熱と、泥にまみれて戦った彼らの『生きた証』が、確かに息づいていた。
私は本を静かに閉じ、革張りの装丁を愛おしそうに撫でた。
思えば、無茶苦茶なプロジェクトだった。
技術的負債だらけで、トラブルの連続。完璧なプロジェクト管理なんて、ただの幻想だと何度も思い知らされた。
けれど。
その余白(バグ)にこそ、物語は宿るのだ。
計算通りにはいかない人間の執念や、理不尽な仕様変更にキレながらも現場を回す泥臭さ。それらが絡み合って生み出された熱量こそが、冷たいシステムに「神話」を刻み込んだ。
「……最高の、シミュレーションだった」
ふと窓の外を見上げると、抜けるような青空が広がっていた。
あの箱庭世界に設定した『
私たちの手がけたプロジェクトは、ひとつの区切りを迎えた。しかし、彼らの世界はこれからも続いていく。ログの彼方で、泥臭く、力強く。
私は小さく微笑み、図書館の窓から差し込む光の中へ、ゆっくりと歩き出した。
次のプロジェクト(物語)の構想が、すでに私の頭の中で、新しい
(了)