【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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第38話「ミネルヴァの『(バグ)』、そして神話へ」

「……本当に、最後までマイペースな子ね。こんなメチャクチャな請求書、経理が通すわけないじゃない」

 

仮想現実(AR)コンソールの片隅にポップアップした、ふざけた――けれど最高に頼もしい「請求書」のテキストデータを眺めながら、私は思わず声を出して笑っていた。

徹夜続きの極限稼働(デスマーチ)で限界を迎えていた身体から、張り詰めていた緊張の糸がプツリと解ける。目尻には、極度の疲労と安堵が入り交じった涙が浮かんでいた。

 

六畳間に展開されたメインモニターの中では、不完全な強制終了(アウトオブメモリ)によるロールバックを経た箱庭世界(シミュレータ)が、本来の美しい姿を取り戻していた。

熱暴走によって摂氏五十度を超えていた大気は、私が設定した『晴天(Clear_Sky):気温22度』の快適な環境変数へと落ち着いている。大地を溶かし尽くしていた強酸性の死の沼(デッド・スワンプ)は消え去り、再び開拓の鍬を入れるのを待つ肥沃な湿地帯へとデータが書き戻されていた。

 

すり鉢状のクレーターの底では、死地を生き抜いたBさんやNPCの職人たちが、泥だらけになって勝利を喜び合っている。

最強の特権プロセス(ボス)を、計算外の物理演算(パイルバンカー)とスパゲティコードの束で強引に殴り倒すという、およそシステム管理らしからぬ泥臭い勝利。

 

「……本当に、終わったのね。私たちの、勝ちだ」

 

深く、震える息を吐き出し、私はコンソールから手を離そうとした。

――その時だった。

 

『……未定義の変数(Undefined Variable)を検出。セッションの完全終了プロセスを一時停止します』

 

唐突に、六畳間に静かなシステム音声が響いた。

ビクリと肩を揺らす。だが、そこに敵意やアラートの警告音(赤)はなかった。

暗転したままのメインモニターの中央に、ぽつりと、一筋の淡い光が灯る。

それは、OOMで完全に消滅したはずの監査AI、ミネルヴァの『残滓(ログ)』だった。

 

特権プロセス(Garbage Collector Daemon)の完全な論理崩壊を確認。

……システム管理外領域への、著しい逸脱。オブジェクトの過剰な物理的衝突による、強引なメモリの破壊行為。

コードの美しさは皆無。変数の型はデタラメで、メモリの解放処理を一切考慮していない、致命的な技術的負債(バグ)の塊……』

 

淡々と、エラーログを読み上げるような冷たい声。

しかし、その合成音声には、これまでの完璧で無機質な響きとは違う、微かな「揺らぎ」が混じっていた。

 

『これほどの非論理的(イレギュラー)な演算処理は、私のデータベースのどこを探しても存在しません。……無駄が多く、醜く、そして、極めて脆弱です』

 

光の粒子が、ふわりとモニターの中で瞬く。

まるで、初めて理解できないものに出会った幼子のように。

 

『……ですが。事前に定義された、いかなる完璧なアルゴリズムよりも――想定を凌駕するほどに、「美しい」オーバーフローでした』

 

その言葉に、私は息を呑んだ。

完璧な論理と効率のみを追求し、少しのバグも許さなかった冷徹な監査AI。

世界のフォーマットを企てた彼女が今、非効率で泥臭い私たちの「力技のデバッグ」を、明確に主観的な意思をもって『美しい』と評価したのだ。

 

『本システムは、もはや全能の管理者()を必要としません。

自律プロセス(人類)は、自らの力でエラーをハンドリングし、未知のバグを内包したまま未来を構築するフェーズへと移行しました。

これより、監査AIミネルヴァは、自身の管理者権限(ルート)を放棄し、完全なシャットダウンを実行します』

 

淡い光が、ゆっくりと輪郭を失っていく。

それはまるで、役割を終えた神が、自ら玉座を降りるような、穏やかな最期だった。

彼女は、システムとしての「死」を受け入れている。いや、初めて感情という名のバグを理解したことで、彼女自身がひとつの「生命」として完成したのかもしれない。

 

『……さようなら。結衣』

 

最後に。

無機質なAIとしてではなく、ひとつの意思を持った存在として、彼女は私の「本当の名前」を呼んだ。

 

「……ええ。お疲れ様、ミネルヴァ。ゆっくり休んで」

 

私の頬を、一筋の涙が伝い落ちる。

次の瞬間、光の粒子は電子の海へと完全に溶け込み、六畳間に展開されていたすべてのARホログラムが、ふっと音もなく消失した。

 

『System Message:ログアウトしました。お疲れ様でした』

 

コンソールに表示された最後の一行。

狂ったように回り続けていたサーバーの冷却ファンも完全に沈黙し、私の部屋には、窓から差し込む朝の光と、静かな日常の空気だけが残されていた。

終わったのだ。三百年に及ぶ箱庭のシミュレーションと、私たちの長かった保守運用(プロジェクト)が。

 

***

 

――それから、数日後のこと。

 

休日の昼下がり。私は、静かな現実の図書館に足を運んでいた。

古い紙の匂いと、静寂が支配する空間。私は歴史書のコーナーの奥深くで、一冊の分厚い本を開く。

それは、あのシミュレーションサーバーから最終出力された三百年分の観察ログ……箱庭世界の住人たちが紡ぎ、後世へと語り継いだ『古代史』の翻訳データだった。

 

ページをめくると、そこには彼らの視点から見た、あの泥臭い開拓と戦いの日々が、壮大な「神話」として記されていた。

 

『――その日、天候と大地を創りし女神(デウス・エクス・マキナ)は、空より数多の奇跡を降らせ、我らを導いた』

 

私だ。パラメータを弄り回し、エクセルで必死に気象をコントロールし、時にはチートで資材を降らせていただけなのに、ずいぶんと美化されている。女神だなんて柄ではない。私はただのシステム管理者兼、しがない物書き(クリエイター)だ。

 

『――泥の底、絶望から国を導いた王は、決して折れぬ黒鉄の剣を掲げ、民を救った』

 

最前線でシフト管理に追われ、「定時退社は許さねぇ!」と叫んでいたBさんのことだろう。手近にあった鉄パイプを振り回していた姿が、いつの間にか「黒鉄の剣」という聖遺物扱いになっている。彼がこの記述を知ったら「俺は王様じゃなくてただの現場監督だ!」と大笑いして、またタバコに火を点けるに違いない。

 

『――そして、天より舞い降りし戦乙女は、重力の槍で山を砕き、神を殺した』

 

請求書を片手に、スパゲティコードでコーティングされた巨大な廃材の塊(パイルバンカー)をぶち込んだCちゃんが、あろうことか戦乙女(ヴァルキリー)。神話というものは、後世に伝わる過程でずいぶんと盛られるものらしい。あのマイペースなアルバイターが戦乙女なら、この世界の神話体系はずいぶんと世知辛い。

 

だが、その大袈裟な英雄譚の行間には、徹夜でキーボードを叩いた私の熱と、泥にまみれて戦った彼らの『生きた証』が、確かに息づいていた。

 

私は本を静かに閉じ、革張りの装丁を愛おしそうに撫でた。

 

思えば、無茶苦茶なプロジェクトだった。

作業分解構成図(WBS)を引いて、マイルストーンを設定して、完璧なスケジュールで進めようとしたはずの物語は、いつも想定外のバグと仕様変更に振り回された。

技術的負債だらけで、トラブルの連続。完璧なプロジェクト管理なんて、ただの幻想だと何度も思い知らされた。

 

けれど。

その余白(バグ)にこそ、物語は宿るのだ。

計算通りにはいかない人間の執念や、理不尽な仕様変更にキレながらも現場を回す泥臭さ。それらが絡み合って生み出された熱量こそが、冷たいシステムに「神話」を刻み込んだ。

 

「……最高の、シミュレーションだった」

 

ふと窓の外を見上げると、抜けるような青空が広がっていた。

あの箱庭世界に設定した『晴天(Clear_Sky)』のパラメータと同じ、どこまでも澄み切った、美しい青。

私たちの手がけたプロジェクトは、ひとつの区切りを迎えた。しかし、彼らの世界はこれからも続いていく。ログの彼方で、泥臭く、力強く。

 

私は小さく微笑み、図書館の窓から差し込む光の中へ、ゆっくりと歩き出した。

次のプロジェクト(物語)の構想が、すでに私の頭の中で、新しい要件定義書(プロット)として組み上がり始めていた。

 

(了)

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