この家、とんでもなくクソ〜〜〜〜〜ッ!!
やけっぱちになりながら内心で叫び散らかした。布団の中でゴロゴロと転がる。ここにサンドバッグがあれば無限に拳を振るっていたくらいにはストレスが溜まっていた。本当なら心の中ではなく直接口から叫びたい。だが、出来ない。
だって今世の私の産まれた家、『ゲゲゲの謎』に出てくる『龍賀家』なんだよ。
――――『ゲゲゲの謎』。
国民的アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるの生誕100年を記念して製作された映画である。それ故に本作は『鬼太郎誕生のヒミツ』について明かされる作品となっていた。
かつての目玉おやじと水木がいかにして出会ったのか、そして二人の父親が立ち向かった運命とはなんなのか、を描いた映画が『ゲゲゲの謎』だった。
この映画はゲゲゲの鬼太郎の出生の秘密を知れるだけではない。昭和三十年代の日本の描写、舞台となる因習村のホラー感など、全てにおいて良作であった。そう、良作ではあったのだ。
ただ、この世界に来たいかどうかは別なんだよなァ!
気がつけば龍賀家四女『亥子(いのこ)』になっていた。色々と言いたいことはある。ありすぎてあまりあるほどある。だが、真っ先に言いたいのは一つしかなかった。
どうして転生先が龍賀家直系なんですかね。
まだ分家なら許せた。いや、あまり許せないが、直系よりもまだマシである。どうして私は分家の生まれじゃないんだ。直系なんざどう考えても地獄オブ地獄である。
しかもラスボス龍賀時貞の実の娘。映画では存在していなかったはずの四女になってしまった。誰だよ四女の『亥子』って。マジでやめろよ。訳のわからんオリキャラを生やすな。そのせいで私が地獄を見るだろうがよ。
悲しきかな。これ確実に実父の龍賀時貞に性的な意味で食われるやつである。
長女の乙米が言ってたもんな。『龍賀の女は当主に身を捧げるのが務め』って。実際に乙米の娘の沙代が時貞のお手つきになったのがバレるシーンもあったくらいだ。何度も言うが地獄すぎる。泣いていいか。近親相姦は創作ならいいがリアルになるとマジで地獄。本当にやめてくれ。
実の父に性的な意味で食われるのも地獄だが、一族ぐるみでしてきた所業も地獄である。
一つ目は幽霊族を捕まえて薬を作るための苗床にしていること。二つ目は幽霊族だけではなく人間も無差別に攫い、これまた苗床その2にしていること。三つ目はその怨念やら霊やらまでを使役していること。
一族の業が深すぎ。たとえ龍賀一族全員が死んだとしても償いきれないような罪を負っている。血に罪がありすぎて龍賀の名を捨てても怨念の手が伸びて来そうだ。勘弁してくれ。
「ああ、もう」
生存戦略、練らないとな。
――――高熱の影響で私の前世の記憶は蘇った。
記憶が戻ってすぐに私は生存戦略を練らねばならなかった。なんせ、その時の私は腕の良い医者に診てもらうために村から離れ、一時的に他処で暮らすことになっていたからだ。
だからこそ、必死で私はウンウンと考えた。この地には龍賀一族の人間は数人しかいない。私の身の回りの世話をする女中一人と護衛一人の計二名だけだ。たった二人だけしかいないなら必ずどこかで『四女亥子』に対する監視の目が甘くなる。だが、本家の屋敷に戻れば一族の人間だらけなので隙さえ生まれなくなるだろう。
映画作中でも水木が哭倉村に入ってものの数分で村中に『よそ者が入って来た』噂が広まったほどだ。あの村ではプライバシーなんて無いに等しい。
つまりは、だ。哭倉村に帰れば大っぴらに対策を練ることは難しくなる。今のうちに色々と考えておかないと自分の貞操はあっけなく散り、それどころか簡単に死んでしまうだろう。
「一番簡単なのは……うーん」
やっぱり龍賀からの逃亡か?
だが、直ぐに思い出すのは『駆け落ちして連れ戻された次女の丙江』の存在だ。
作中での描写を見る限り、次女丙江は駆け落ちした後、直ぐに連れ戻されたように思える。龍賀一族にとって逃げた娘っ子一人捕まえるなんて簡単なもの。この一族はかなりの冨を築いているので、いくらでも人や物を動かすことができるからだ。
今、龍賀一族から逃亡するのは得策ではないな。
現段階で逃げても私のような幼子では直ぐに捕まってしまうに違いない。また、逃亡後、一族の人間から折檻を受ける可能性があることも恐ろしかった。
理由としてはやはり次女の丙江である。映画開始軸での次女の変わり果てようから相当手荒い方法で村に連れ戻されたように思えたからだ。なんなら、もう一度逃亡する気が起きないくらい精神的にも肉体的にもボコボコにされたのでは? と私は考えていた。なんにせよ、龍賀一族は逃亡した次女丙江に対してあまり趣味のよく無いやり方をしたのは間違いない。
別に一人くらい駆け落ちしても目をつぶっておけばいいのでは、と私は思う。だが、龍賀一族からすれば一族の誰かに逃げられたり直系の人間が他所に行ったりするのはマズイことなのだろう。なんせ、気の触れた次男の孝三ですらどこにもやらずに一族内で囲っていたほどだ。
龍賀一族には大きな秘密がある。
血のつながった一族しか信用せず、入婿にさえその秘密を漏らさない徹底ぶりだ。
万が一その秘密が漏れれば一族は終わる。だからこそ、一族の直系から逃亡者を出してはいけない。ましてや秘密を知っている人間は村から死んでも出さない。また、他の人間に『一族から逃げられる』という夢を見させないため、逃亡者のことは地の果てまでおいかけて捕まえる。
驚くくらいの秘密主義だ。吐き気がする。
作中にて龍賀家の業を知った水木がゲロを吐きながら「こんな家に憧れていたことが恥ずかしい」と言うシーンがあるが、当たり前である。
はあと溜息を吐いたあと、畳の上に寝っ転がった。着物の裾がはだけたが、気にせず大の字になる。ここが龍賀家本家ならできない姿だ。だが、私が今いるのは村から離れた土地。はしたないと叱る人間もいないので、好きなようにゴロゴロとする。そのまま私は木製の天井を見ながら意味もなく喉から声を出した。
「んー」
生存戦略その一、とりあえず映画開始軸まで罪を犯さずに生きる。
その二、龍賀一族が全員死んだあたりで金品抱えて逃亡。そして、救急隊の人たちに保護してもらう。
これが私にとってベストの選択かな。
とてつもなくクソみたいな案だ。自分のことしかまるで考えていない考え。我ながら自分勝手すぎて笑いが溢れそうだ。
だが、私は神ではない。
ましてや、聖人でもないのだ。
もしも私が最強オリジナルキャラクターとかならゲゲ郎や岩子、沙代や時弥を救えたのだろう。はたまた意志の強い人間ではあれば、自分の身を犠牲にして全員を助けようと奮闘したのかもしれない。
でも、私には無理だ。できない。志半ばで倒れる姿しか浮かばなかった。私は賢くないし、意志だって大して強くない。途中で死の恐怖に慄いて色々とラスボスに暴露したり、主人公たちの邪魔をしたりしそうである。まあ、それで私が助かるならまだいい。だが、きっとそうなれは原作は崩れ、未来が予知できなくなり、私に訪れるのは『死』あるのみだ。
「――――さて」
手始めにこの美貌をぶち壊そうかな。
姿見に写る、目をひん剥くような美しすぎる顔を見て、そう思った。
◇
ある日突然、妹は『バカ』になった。
龍賀乙米は自身の目の前にいる女――龍賀家四女であり、末妹の顔を見る。艶やかな黒髪と、まん丸とした黒目。鼻筋はスッとしており、ぷっくりとした唇は顔のちょうど良い位置にちょこんと乗っている。その顔が愛嬌のある笑みを浮かべると、パッと場が輝いた。
――――名を亥子(いのこ)。
龍賀家四女、龍賀亥子だ。
亥子を見た乙米は溜め息を吐く。しみじみと呟くように言葉を紡いだ。
「『コレ』さえなければ、ねぇ……」
さぞかし見目を持て囃されただろうに。
『コレ』――末妹の左顔の大部分を占める大やけど。美しい象牙色の肌色は赤茶色に変わり、皮膚は引き攣った状態でかたまってしまっている。更には左目の瞼はどろりと垂れ下がり、悍ましい顔立ちに成り果てていた。右半分が麗しい作りなだけに、左の醜さが際立っている。
これもそれも、あの熱のせいだろう。
四女、亥子が幼き頃の話だ。末妹は高熱を出して生死を彷徨ったことがある。ようやく熱が下がった後、父は遠方にいる腕の良い医者に亥子を診せることに決めた。
元々末妹は生まれつき身体が弱かったことと、高熱の後遺症が今尚続いていたこともあり、これを機に亥子を治してやりたいと思ったのだろう。
また、御父様は末妹の美貌をいたく気に入っていた。だからこそ、父は金を存分に使い、その医者を捕まえてみせたようだった。
――――いや、四女を想う親心で医者を探したと言うよりも、『美人』という価値のついた女を死なせたくない、が父にとっての一番の理由だったと思う。
ただ、戦争やらなんやらで世間が慌しかったため、医者は村に来ることは叶わない。故に末妹は村を出て医者の下へ向かった。
――――村に帰って来た時、まだ妹は普通だった。
だが、数週間たった日のこと――――末妹が厨房の竈に頭から倒れこんでしまった日。そこから全ては変わってしまった。運悪く亥子の顔が燃え盛る穴の中へ入ってしまった日から変わってしまったのだ。
末妹の悲鳴に驚いて慌てて彼女の下へ駆けつけた日のことを乙米は今でも覚えている。それもそうだろう。なんせ亥子の顔はどろりと溶け、赤黒くなっていたのだから。忘れたくても忘れられない。
火傷を負った日から再び妹は高熱を出して寝込んだ。三日三晩、村の医者が死力を尽くすも、既に手遅れで――四女の顔は『コレ』に成り果てた。
それには御父様――――父である龍賀時貞もガッカリとしていた。
一族で一番とも言っていいほどの美貌の持ち主だった四女亥子。それが左半分とはいえ、見るに堪えないほど醜くなってしまったのだ。父の落胆といったらなかった。ただでさえ父は末妹の成長を楽しみとしており、初潮がくることを今か今かと待ち侘びていたのだ。父にとって左半分が悍ましくなった末妹のことは、見るだけで嫌になったようだった。
「見るに堪えん。折角美しく産んでやったというのに。この、この、親不孝者めが!」
女は顔が良くなければ、なんの価値もないというのに。
この役立たずが!
一通り末妹を詰った父。そして父は末妹を見ずに、顔を背けながらシッシッと手を振る。しかし、四女の亥子は――キョトンとするだけだった。
おかしい。
初めてその姿を乙米が見た時、そう思った。何故ならば、亥子は幼くも聡い女だったからだ。乙米が末妹の勉強をみてやった際、覚えが早いことに驚いたことがある。加えて、末妹の家庭教師が「亥子さまが男であったのなら当主でもおかしくなかったでしょう」とぼやいていたほどだ。彼女の聡明さは周知の事実だった。
御父様に怒鳴られた後の亥子は、本当に『おかしかった』。
キョトンとした後、末妹は少しの間、沈黙した。しかし直ぐに亥子はくしゃりと顔を歪め――――声をあげて号泣したのだ。
「ど、どうしてですかぁ! おどうざまぁ! いのこは、いのこはぁ〜〜〜ッ!」
ありえない号泣だった。
亥子は畳の上に五体投地してわんわんと泣き出した。着物が捲れるのも憚らず、手足をバタバタさせて駄々をこね始めたのである。
四女、亥子は賢かった。愛嬌のある笑みを顔に携えながら、弁えるところはちゃんと弁えていた。今のように父に罵倒されたなら、いつもの亥子なら「申し訳ございません」と頭を下げていただろう。幼子らしからぬ振る舞いをする子だったのだ。
それがまさか、いまになって年齢相応の駄々こねとは。
流石のこれには乙米も驚いて固まった。だが、直ぐに正気を取り戻し、亥子に対して「何をしているのです!」と叱る。しかし、それでも末妹は止まらずに泣き叫んでいた。
――――それからというもの、末妹の亥子のおかしな行動は悪化の一途を辿った。
突然、猫のように木に登りだしたり、顔に歌舞伎役者のような化粧を施して下女の一人を卒倒させたりしたのだ。家庭教師が四女に手習いさせようとも、亥子は宙を見ながら歌うばかり。極め付けは家の集会での奇行。皆がいる前で寝転び始めた時はいよいよ乙米も頭を抱えた。
「つまんなーい。御父様ぁ! なんでこんなことするのー?」
「――――亥子をつまみ出せ」
怒りを滲ませる父の時貞を見て、乙米は何か言葉を紡ごうとして――何も言えなかった。言うことができなかったのだ。四女の亥子は何故つまみ出されるのか分からないのか「なんでぇ?」としきりに言っていた。
亥子は、末妹は、少しずつ少しずつ、日を追うごとにおかしくなっていった。
きちんとしていた話し言葉も「おねーさま! おねーさま! いのこはねぇ」というような無邪気な話し方に変わってしまった。乙米が頑張って色々と教えても「んー。わかんなぁい!」と言うだけになってしまった。日がな一日、遊び呆け、気がつけば長男時麿の部屋で勝手に寝そべっているときさえあったのだ。
かつて末妹にあった、誰もが目を見張るような美貌は火傷でなくなり、この家で生き残るための知恵さえ消え失せた。
四女の亥子が火傷を負ってからというもの、父は末妹に見向きもしなくなった。亥子に対しての感情はほぼないに等しく、頭のおかしい末妹が家で駄々をこねていても目線すら寄越さない。かつての四女には綺麗な着物や宝石をこれでもかというくらい買い与えていたというのに、今は全くなかった。亥子は子供から大人へと成長していくというのに、誰も身の回りのものを買い与えない。彼女の着る物は全てお下がりになった。
乙女は、亥子が哀れでならなかった。
末妹がおかしくなったことにより、彼女に初潮がきても『おつとめ』はなくなった。『龍賀の女は当主に身を捧げる』――その定めを回避したように思えるが――――。しかしながら、龍賀一族の者が享受する『富』の恩恵を、末妹は受け取れなくなったのである。加えて、亥子の顔の傷と頭の具合からして結婚すらもできない。
「亥子、お前は本当にかわいそうな子ね」
乙米は、自身の膝の上に頭を乗せて寝っ転がる末妹の髪を撫でる。
亥子はとっくに成人し、乙米に至っては結婚して子供が出来、その子も『おつとめ』ができるまでに成長した。更には戦争も終わったと言うのに、いつまでも四女の精神は子供のままだ。
哀れだ。この子はなんて哀れなんだろう。
父の時貞は亥子への興味の一切をなくしている。使用人ですら亥子のことは腫れ物扱いだ。だからこそ、乙米が末妹に対してあれやこれやと世話を焼き、着物と食事を与え、気が向けばこうして愛でていた。
亥子は駄々をこねることもあるが、それでも四女と接する時間は乙米にとってなくてはならないものになっている。ようは『楽』なのだ。
末妹は何も知らないし、何も出来ない。こちらを蹴落とそうと意気揚揚と狙ってくることも、性的な目で見ることも、何かを語ることさえもできない。たとえ乙米へ牙を向こうとも簡単に御せる――――飼い猫のような存在だった。
ああ、哀れだ。
末妹の亥子は哀れだ。
乙米は何度もそう思いながら亥子の頭を撫でた。
◇
「や……やることが……。やることが多い……!」
私は息切れしながら山に作った秘密基地にあるカバンの中に宝石を詰める。何年もかけて龍賀本家からかき集めた金品の数々。それをみながら私はため息を吐いた。
――――生存戦略を練ってから早数十年。
私は父の時貞に貞操を散らされることもなく、龍賀の業に加担することもなく、元気に生きていた。
まあ、その代わりに自分の顔に大火傷を負わせた挙句、頭のおかしい女ムーブをする羽目になっているが。でも、全然それは構わない。一族の業を背負うことになったり、実父の子供を孕むことになったりしないだけマシである。
顔をカマドに突っ込んだ時は流石に痛すぎて死ぬかと思ったけどな。だけど、そのおかげで父からの性的な目がゼロになったのでオールオッケーである。
「はーーーー……」
再び盛大なため息を吐く。
何十年も頭おかしい女ムーブを一日中しているからか、かなり疲労が溜まっていた。だが、これも全て自分の生存戦略のため。やべー女の振る舞いは必須だった。
私の頭がおかしかったら、父の時貞はきっと長女乙米のように一族の家業をさせようなんて思わないだろう。そもそも秘密すら教える気にもならないに違いない。龍賀一族の罪に触れ、幽霊族とかその他諸々の怨念を受けるなど死んでもごめんだ。
しかもこの世界、リアルに地獄がある。万が一、龍賀一族の業に加担なんかしていれば死後が文字通り『地獄』だ。私はそんなの行きたくもないのでこの『頭おかしいムーブ』は必須だった。
また、『やべー女』の振る舞いはこの因習村からの脱出の上でも必要だった。
私は頭のおかしいフリをして日夜、村中をランニング。早朝から夜にかけて村や山を駆けまくった。
「い、亥子さまァーーッ!」
「どちらにいらっしゃるのですか亥子さまーッ!」
使用人のこの叫び声が日課になるレベルで屋敷を抜け出し、村中を走り回った。一度は私が帰って来なさすぎて村全体で捜索隊が組まれたほどである。その時は私は『あえて』蔵にいてグースカ寝ている姿を見せた。それ以来、四女亥子がいなくても誰も探さないし、誰も気にも留めないようになった。
――――そう、これこそが狙いだった。
毎日ランニングすることにより、逃亡のための体力を確保。ついでに身体作り。加えて、村中を駆け巡ることにより逃亡経路の確認。そして、『亥子』が1日程度見当たらなくても誰も探さない環境を作る。
そのために、私は『頭のおかしい女』を死ぬ気で演じていた。
あとはまあ、周りからの妬みや嫉妬を買わないためだ。私は顔のやけどのおかげで父との性交を回避している。龍賀の女たちにとっては『なんでこいつだけ』『顔をやけどしたくらいで』と思われかねない。
妬みや嫉妬は恐ろしいものだ。私の生存戦略を邪魔される可能性がある。それもあって私は周りが哀れむレベルで『頭がおかしい女』である必要があったのだ。
そこまで考えて、私は息を吸う。そしてゆっくりと息を吐いた。
「ついにこの時がきた」
――――映画『ゲゲゲの謎』における主人公ともいうべき存在、『水木』と『ゲゲ郎』がやってきた。
きちんと映画通りになっているのか確かめにまでいったのだから間違いない。時弥と一緒にゲゲ郎と水木の下に行き、わざわざ『水木とゲゲ郎が時弥に対して日本の未来を語る』シーンに乗り込んだほどである。
寸分も狂わずに映画通りに進んでいたことにホッとしたものだ。これくらいしかちゃんと原作通りに進んでいるかどうか私には確認する術がないからな。父の葬式にも私の頭がおかしいせいで参加できなかったし。
――――それから映画通りに龍賀の兄弟たちは次々と死んでいった。
そして今。少し前に私はねずみ男が水木に龍賀の秘密が書かれた本を渡しに行くところを見た。もうそろそろ水木は龍賀の業が詰まった本拠地へ乗り込む時期だろう。ならば、私は逃げなければ。このまま村にいれば、怨霊たちに殺されてしまう。
この時を私は待っていた。
「よし」
不自然にならない程度の鞄を肩から下げる。顔をぱんぱんと叩いた後、いつもの『頭のおかしい女』の顔にした。にへらっと締まりのない笑みを浮かべる。そして蔵から出て――――。
「あっ」
「えっ」
「んー?」
――――なんか水木と沙代に遭遇した。
エッなんで今の時間帯に水木と沙代がこんな本家から遠く離れた蔵の近くにいるの? 今の時間帯ならそろそろ龍賀の業の本拠地にいると思った。まだ外にいるってことは今からトンネルに向かうか、本拠地に行こうとしてたってコト?!
やべぇミスった。完全にミスった。ガバガバじゃん。ガバガバ戦略じゃんこんなの。私のバカ。本当に私のバカ。
手足が思わず震える。だが、なんとか抑え込んで私はいつも通りの笑みを浮かべ続けた。すると沙代が驚いたように声を上げる。
「い、亥子おばさま!」
「あれーー? 沙代? ン? 乙米姉さまだっけ?」
「亥子おばさま、また私とお母様を間違えて……」
「まぁいいや! わたしはねーいまからねー散歩なの」
「は、はぁ」
「じゃあね!」
関わりたくねぇ。
いつもの頭おかしい女ムーブを続けつつ、私は全力で逃げようとした。――――逃げようとしたのだ。
沙代に手首を掴まれるまでは。
エッ沙代チャンなんで私の手首を掴むんですかね。何か君にしましたかね。ギギギギと首を動かし、沙代の方へ顔を向ける。沙代はキリリとした表情で私を見ていた。そして彼女はこちらの腕を掴んだまま水木の方へ顔を向ける。
「亥子おばさまは口の軽い方です。このまま野放しにすると他の使用人に伝えかねません」
「そうなのですか?」
「ええ。亥子おばさまのことも途中まで連れていきましょう、水木さま」
アーッアーッ! 龍賀の秘密を知りたくがないために口の軽い女ムーブしていた弊害がここに!
私は一族の人間から聞いたことはペラペラ他の人間に喋るようにしていた。下手に口が堅いと思われて龍賀一族の秘密を教えられたらたまったものではないからだ。だからこそ、頭おかしい女ムーブ以外に、口の軽い女も演じていた。
まさかその弊害がこんなところで出てくると思わねぇだろ。
引き攣りそうになる顔を必死に抑える。どうやっと沙代のこの手を外すか色々考えるも――――咄嗟だったが故に何も思い浮かばず、結局、私は水木と沙代にドナドナされることとなった。そう、龍賀の業が渦巻く本拠地まで。
(や、やめてくれ!)
心からの叫びだった。
◇
「水木、亥子さんはどうするつもりじゃ?」
「あ、あー。彼女の場合はこのまま放置してると逆に危ない。連れて行くよ」
置いていって大丈夫なんで。本当に……。
浮世離れした雰囲気のゲゲ郎と、右手に斧を携えた水木。その二人を目の前にして、思わず私は内心で死んだ目になった。心が疲弊して全てを投げ出したい気分になる。
(原作通り、姉の乙米や姪の沙代が死んだ……)
いやあの……あまりにグロすぎる……。
投げやりになった沙代による狂骨召喚。並びに乙米や他の村人の殺害。
そういえば沙代ってここで“何もかもに絶望して全て殺すモード”になるんだった。沙代ってラスボス系ヒロイン寄りだった。やばい忘れてた。死亡フラグがここにもあった。
(龍賀一族あまりにも無理すぎる。軽率に人を殺さないでくれ)
咄嗟に私は水木の後ろに隠れた事により、なんとか狂骨からの攻撃を回避。こうして五体満足でここにいるわけである。一歩間違えたら普通に私は死んでた。
――――沙代の気持ちは痛いほど理解できる。
彼女は被害者だ。だが、クズの私は他人より自分の命が大切だった。だからこそ、沙代や世話になった乙米が死んだのに心一つ動いていなかった。“龍賀らしい”最低最悪の女だった。
私は自分の顔にへらへらした笑みを貼り付けたまま冷や汗を流す。自分の心臓は先程の命の危機にバクバクと高速で動いていた。
しかしそれを知らない自分の目の前にいる男――水木は困った表情を浮かべている。先程まで沙代の死に嘆いていたというのに、気持ちの切り替えが早い。流石は戦争帰り。死に慣れているのだろう。いや、“慣れざるを得なかった”か。
水木はサッとこちらへ手を差し出す。やけに紳士的な仕草だった。
「亥子さん、歩けますか?」
「ん? うん! 亥子、歩けるよぉ」
「それなら良かった」
私は場違いな明るい声を出す。どう考えても頭のおかしい女である。それに嫌な顔一つ見せずに気遣い見せるこの男。優しすぎる。私は自分より一回り大きい水木の手に、自分の手を重ねた。
(ああ、逃げたい)
だが今更逃げたところで意味がない。この後解放される狂骨たちに私は追いかけられ、殺されるだろう。自分の足では狂骨の手が届かないところまで逃げ切れるか分からない。
(クソッタレ)
――――残る手はただ一つだけになった。
失敗すれば死ぬ。下手をすれば水木やゲゲ郎も死なせてしまうかもしれない。だが、上手くいけば全員生き残る。
そんな大博打をすることに私は決めた。
◇
「流石は幽霊族。我が子を守るため身籠り続けておったとは。気色の悪い化け物め。してやられたわ! だが残念、そのややこは余のものである」
――――ア〜〜〜ハッハッハッハッ!
全ての悪の根源、龍賀時貞が嗤う。全ての悍ましさをのせたような笑い声が周囲に響き渡った。己の孫、時弥を乗っ取り、この世によみがえっただけではなく、自分の欲のために他者を踏みにじる。人の形をした悪魔とは、まさにこの男のことを呼ぶのだろう。
(エグすぎる)
私は咄嗟に自分の口を手でおおった。流石に気分が悪くなってくる。この男の血が己にも流れていると思うと素直に吐き気がした。
――――私たち3人は、根源である桜に辿り着いた。
それと同時に時弥を乗っ取った時貞が登場。そして幽霊族の怨念で作られた狂骨を見せられた。ゲゲ郎は必死に妻をさがし、ようやく妻と再会――そうしたらこの時貞のこの発言「流石は幽霊族。我が子を守るため身籠り続けておったとは。気色の悪い化け物め。してやられたわ! だが残念、そのややこは余のものである」だ。流石に外道が過ぎる。
(ここからが本番か)
私は一旦、息を吐いた。
現在、私は時貞の隣にいる。いつも通り馬鹿を演じて「あっ、時弥だぁ! ン? おとうさま? わかんないや、まぁいっか」と無邪気に演じて、このクズ男に近寄った。
普段、時貞は私を嫌っている。
しかし、こいつは孫の時弥の乗っ取りが上手く行ったことに随分と気分がのっていたらしい。また、私が残り少ない時貞の血族ということもあるのだろう。何も警戒されず、すんなりと時貞の傍にいることを許された。
一世一代の大博打を打つときだ。
高らかに嗤う時貞の後ろを私はスルリと通る。そして私は――――時貞の隣に置かれている髑髏を手に取った。
こちらの動きに気がついたのだろう。時貞は手すりの上で跳ねていた状態から止まる。そして彼は振り返って私を見た。困った子供を見るような目をこちらへ向けてる。
「こら、亥子。それは馬鹿なお前が持っていいものではない。早く余に渡しなさい。まったく、余の子供は皆愚かで嫌になる――――」
「嫌ですわ」
久方ぶりに成人女性らしい言葉を口に出す。自分が思うよりも周囲に自分の声が響き渡った。
時貞が一瞬目を見開く。桜の咲く池に立つゲゲ郎が僅かに眉をひそめる。一瞬の沈黙が降りた。
しかし直ぐに時貞は怪訝そうな顔をする。聞き間違えたかとでも言うように時貞はこちらを見た。
「――――何?」
「ですから嫌だと申し上げております、お父様」
私は髑髏を自分の手で撫でる。女性らしい仕草で、いっそ色気が感じられるようにわざと手をくねらせた。
――――私の大博打はただ一つ。
時貞から狂骨を奪い、私が狂骨の支配者となる。
狂骨を暴走させず、私も死なず、ゲゲ郎を呪わせない。
一応、曲がりなりとも私、“亥子”は時貞の娘。また自分は狂った女を演じていた最中、書庫や時麿たちの部屋に入り浸り、外法を学んでいる。ワンチャン狂骨の支配権を握ることができるかもしれなかった。
(もし無理ならこの狂骨割って、ゲゲ郎に守ってもらおう)
守ってもらえるかはわからないけど!
大分自分もクズなので。
私は自分の手に髑髏を抱えたまま首を傾げる。いつもの“頭のおかしい女の笑み”ではなく、“妖艶な女の笑み”を浮かべた。
――――さぁて、やってやるぞ。
自分のことしか考えていない、最低最悪の女の生存戦略が始まった。
◇
しまった、気絶していた。
俺――水木はハッと意識を回復させた。地面に倒れ込んでいた状態から自分の上体を上げる。どうやら特殊な空間で俺は無理をし過ぎたらしい。
(いまはどんな状況だ)
痛む自分の頭を押さえながら俺はぐるりと周囲を見渡す。すると己の視界に――――髑髏を持った亥子さんが入った。俺はギョッと目を見開いた。
(何をしているんだあの人は! ――いや、何をしているのかも理解していないんだろうな……)
――――龍賀家四女、龍賀亥子。
未婚。他の時貞の娘たちの情報はそれなりに出てくるというのに、彼女だけは調べきれなかった。分かるのは幼少期に負った、顔の怪我のこと。あとは、良い歳をしているのにも関わらず、見合いすらせず、未婚ということくらいだった。
ただ実際に亥子という女に会って分かった。
――――ああ、これは家の外に出せない女だと。
龍賀の顔に泥を塗りかねないのでわざと家に置いているのだと。
初めて俺が彼女を見たのは、時貞の遺言書を読まれる会合のとき。その時から亥子さんは1人だけ畳へ寝そべっていた。
その上、時弥くんに連れられて座敷牢に来た時も彼女は言動がおかしかった。
(元からおかしいのか。それとも突然おかしくなったのか)
こういう“おかしいやつ”は戦場でも俺は見たことがある。戦争で精神をヤラれて撹乱した人間だ。ただそれにしては亥子さんは明る過ぎるのもある。彼女が大怪我を負った時、ついでに頭がおかしくなったか。
――――まぁ、それはどうでもいいか。
俺は生き残るために出世しか目に入っていなかった。優しいやつは生き残れない。戦場でも、日常でも。そう思って俺は亥子という女から視線を外した。取るに足りない人間だったからだ。
(でも、あんな危ないものを持っているのは問題だ)
己の意識を現実へと戻す。自分の目の前にはゲゲ郎、時貞、そして亥子さん。亥子さんの手には狂骨があった。
そうだ、俺はゲゲ郎の妻を探すため、元凶に向き合うため、ここにいる。
「亥子さ――――」
俺は亥子さんの名前を呼ぼうとする。しかし、その言葉は最後まで紡がれなかった。凛とした女性の声が響き渡ったからだ。
「嫌ですわ」
酷く美しい声だった。
時貞の『こら、亥子。それは馬鹿なお前が持っていいものではない。早く余に渡しなさい』の発言を受け、亥子さんの口から透き通るような声が出た。聞き間違いかと思い、俺は瞠目した。
しかし、それは聞き間違えではなかったらしい。
再び亥子さんから「ですから嫌だと申し上げております、お父様」という言葉が紡がれる。女性らしい、いっそ引き摺り込まれそうな妖艶な笑みを浮かべていた。
――――「は、」と息を呑んだのは誰だったか。
沈黙が降りる。しかしその静寂を破るかのように時貞が吠えた。苛立たしいというように、戸惑うように、焦るかのように、時貞は言葉を発する。
「い、亥子、お前は何をいっておる! それにお前、なぜ、」
「そのままの意味ですわ。お父様にはこの髑髏――いえ、狂骨は渡せません。私の物になるんですもの」
亥子さんは髑髏を自分の顔近くに引き上げる。狂骨に口付けができそうな距離まで持ち上げてみせた。彼女はうっそりと笑う。今までの“おかしな女”はそこにはいない。地に足を立てた女がいた。
時貞は口を大きく開け、そして閉じる仕草を何度も繰り返す。しかし、ややあって状況に気がついたのだろう。時貞はわなわなと震えながら亥子さんに指を差した。
「亥子、おまっ、お前。それを返せ。お前にそれは扱えない!」
「私がいつもどこにいたか覚えていらっしゃいますか?」
「何?」
「お父様や時麿お兄様の部屋、そして書庫。――――外法には、詳しい方なんですの。それにもしも扱えないならば今ここで壊すだけの話ですわ。たとえ、狂骨が暴れようとも」
そう亥子が言うと時貞はヒュッと息を呑む。亥子さんの目は据わっていた。先程までのヘラヘラしていた顔ではない。先を見据えた、輝く星の光。ゲゲ郎と同じような目をしていた。
時貞は自分の顔を歪ませる。いっそ憎くて仕方がないというように、自分が間違いを犯したとでもいうように外道は口を震わせた。ひっくり返った声が周囲に響き渡る。
「亥子、お前、お前っ、こんなことを親にして良いと思うか。親不孝ものめ! いつからだ。いつから狙っていた」
それを聞いた瞬間、亥子さんは口を歪めた。にぃと笑みを形作る。彼女は恐ろしいほど美しい声で、高らかに言葉を紡いだ。
「さぁ、いつからでしょう。私、頭のおかしい、大馬鹿者だから分からないわ!」
そして、龍賀の女は“嗤った”。