竜敦国教会異端審問録 case.1―A.D.1888 霧裂きジャック事件― 作:竜敦国教会審問局
審問局、テオドリック班控室。
ニューゲート監獄の冷えた空気は、まだ服の内側に残っているようだった。
鉄格子の向こうから向けられた青い眼。
口枷の奥で笑った、囚人の男。
アレクサンドラは椅子に腰を下ろし、ようやく息を吐いた。
「さて、少しではあるけど、考える糸口は手に入れられたね」
「切り分けて考えるべきことを、ひとまとめにしてしまっているというやつですね」
「そうだね。まずはそこから、考え直してみよう」
「あー……疲れた。なぜ頭のいい奴っていうのはああも迂遠な物言いが好きなんだ」
アレクサンドラは、地下牢の囚人と、今ここにいない相棒の顔を同時に思い浮かべて独り言ちた。
「さて、さっきシャーロックが婉曲的な表現でくれたヒントを解釈すると……ジャックの取った行動は、二つに分解できるのかもしれませんね」
「取った行動というのは、"ヘンリーを殺したこと"と、"これ見よがしに『主の御代に』を置いて気づかれずに立ち去ったこと"、の二つかな?」
「そうですね。それぞれを別に考えてみるべきなのかもしれません」
「よし。この調子で考えを進めていこう」
テオドリックは音を立てながら手を合わせ、アレクサンドラに続きを促した。
アレクサンドラは、机上に置かれた事件記録へ視線を落とした。
ヘンリーを殺し、本を置いて、誰にも気づかれずに立ち去る。
その動きを、彼らはずっと一人の行動として見ていた。
だが、もしそうではないとしたら。
「……もしかして、ジャックは一人ではないのかもしれませんね」
「!」
テオドリックが目を丸くした。
「ヘンリーを殺害したのと、現場に『主の御代に』を置いて立ち去ったのは別の人物なのではないか、ということです」
アレクサンドラは言い換えて、説明を続ける。
「ジャックが一人ではないと仮定すると、ジャックの行動は第一のジャックによる"ヘンリー殺し"と第二のジャックによる"『主の御代に』を置く"という二つに分解できます」
アレクサンドラは、先ほどのテオドリックの言葉をなぞるように説明した。
「そもそもの話、第一のジャックはどのようにしてヘンリーを殺したのかというのが問題です。しかも第一のジャックは、第二のジャックと異なり現場にいない可能性がある。最初から現場にいなければ、その場から消えるも何もありませんからね」
「第一のジャックに第二のジャック……二つに分割された、"切り裂かれジャック"ということだね」
「そーですねー」
「これってもしかして、僕がジャックという名前をつけたことで混乱を招いている……?」
「そんなことは……なきにしもあらずかもしれませんね」
テオドリックは、がっくしと肩を落とした。
◇ ◇ ◇
「そうだ。シャーロックに次はクッキー持って行くって言っちゃったし、用意しておかないとな。支払いはヴィクターに押し付ければいいし、せっかくだから高級店のやつにしよう」
「えっ」
「そういえばスクール時代にもあそこの店ではよくお菓子を買ったなあ。テオ先輩もどうです?値段が張るだけあって味はなかなかの物ですよ」
「う、うん……ありがとう……?」
テオドリックは、後で自分の分だけは払っておこうと心に決めた。
「じゃあシャーロックにクッキー缶と、テオ先輩の分と……自宅用に焼き菓子も買っとくかぁ。あとあいつの好きなカヌレもヴィクターの家に届けてもらわないと」
数刻後、エヴァンズ邸にて。
届けられた請求書を見て、ヴィクターは長ったらしく溜息を吐いた。
支払人の欄には、当然のようにヴィクター・エヴァンズの名が書かれている。
「……」
ヴィクターは眉間に皺を寄せて、それを見つめる。
「……おい。そういえばこの前話に出ていたグラスを買い足す件についてだが。気が変わった、購入の際はアレクサンドラ・テリオン名義で手形を切っておけ」
ヴィクターは、近くにいた使用人にそう言いつけた。