竜敦国教会異端審問録 case.1―A.D.1888 霧裂きジャック事件―   作:竜敦国教会審問局

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ヘンリー殺しの方法

 第一のジャック。

 すなわち、ヘンリー・ジキルを殺した者。

 

 アレクサンドラとテオドリックは、まずその行為だけを取り出して考えることにした。

 

「で、第一のジャックが現場にいなかったとして、どうやってヘンリーを殺したのか……というのが問題になってきますよね。竜裔は、普通の人間が死ぬような傷を負っても死ぬことがないらしいですからね」

 

 竜敦(ロンドン)において、竜裔は赤き竜の血を引く貴種だと考えられている。

 単にそう考えられているだけでなく、実際に竜裔は頑丈な肉体と高い自己治癒能力を備えていた。

 

「そんな竜裔を殺すことは可能なのか……。いえ、実際に起きてますから可能なんでしょうけどね」

「その方法を考えないといけない……ということだね」

「相手が人間なのであれば、手段として考えられるのは、遅効性の毒による毒殺か、あるいは……」

 

 アレクサンドラは、顎に手を添えて何か考えている。

 

「たしかに、相手が普通の人間だったらそういう可能性もありそうだ」

「でも相手は竜裔なんですよね。となると普通に毒殺なんて可能な、の、か……」

 

 その時、机の端で、小さな黒いものがかさりと動いた。

 

「……キャーッ!」

 

 ニューゲート監獄の地下でも怯えなかったアレクサンドラが、心底から悲鳴を上げた。

 相手は凶悪犯ではない。

 ただの虫である。

 

「えっ、何!? どうした!?」

「む、むむ、虫! テオ先輩、助けて! どっかやってください! あああああ無理無理無理! 気持ち悪い! 怖い! 先輩、ソレ外に出してください!」

 

 アレクサンドラはそう言いながら、テオドリックの服の裾をがっちり掴んでいる。

 

「お、おう」

 

 テオドリックも、決して得意そうな顔ではなかった。

 だが、後輩に服の裾を掴まれた先輩として、ここで退くわけにはいかない。

 

 彼はポケットから一枚の硬貨を取り出すと、親指の上に乗せた。

 

 ぱちん、と乾いた音がした。

 

 弾かれた硬貨は机上を低く飛び、虫のすぐ脇を叩いた。

 狙い通りだったのか、偶然だったのかは分からない。

 小さな黒い影が跳ね、床へ落ちる。

 

 テオドリックは紙片でそれを掬い、窓の外へ放り出した。

 

「……はい、これで虫はもういなくなったよ」

「……はあぁ。ありがとうございます、テオ先輩」

 

 アレクサンドラは深々と息を吐いた。

 

「虫が苦手だなんて、なんだか意外だね」

「私、昔から虫だけは駄目で。本当に助かりました。今、未だかつてないほどテオ先輩が輝いて見えます」

「あはは、お役に立ったようでよかったよ」

「今なら一番尊敬する人は誰かと言われたらテオ先輩の名前が出てくること間違いなしです」

「いいね。スクールの新聞部からインタビュー依頼が来たときはそう答えてくれ」

「はい! ……あ、でもすみません。こっち来る前に手洗ってきてもらっていいですか」

「!」

 

 テオドリックはショックを受けている。

 

「……えーと。何の話でしたっけ」

「ヘンリー殺しの方法だね。毒殺が可能かどうか、という話をしていた」

「あ、そうでした」

 

 アレクサンドラは、床に落ちていた硬貨を見た。

 先ほど、テオドリックが離れた場所から虫を弾き落とした硬貨である。

 

 離れた場所から、小さな標的を狙う。

 

「……毒殺か、あるいは狙撃か」

「狙撃?」

 

 テオドリックが顔を上げる。

 

「そう、相手が人間なら、考えられるのは毒殺か、あるいは狙撃か……と言いたかったんでした」

「……なるほど、それは考えていなかった」

 

 テオドリックが顎に手を当てて考え込む。

 

「これまで僕たちは、ジャックが現場でヘンリーを殺したと思っていたからね。だけど、ジャックが現場ではない場所からヘンリーを殺すためには、ありえる方法じゃないか」

 

 テオドリックは悔しそうに、ほんの少し顔を歪めた。

 

「何で思いつかなかったんだ……」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 一方、同時刻。

 ホワイトチャペル教区、メアリおよびヘンリー殺害の事件現場。

 

 謹慎中であるはずのヴィクター・エヴァンズは、当然のようにそこにいた。

 

「(ヘンリーは、狙撃された可能性がある)」

 

 ヘンリーを殺した者と、『主の御代に』を置いた者。

 その二つが同一人物であるとは限らない。

 

 恐らくヘンリーは、そのうち前者──ヘンリー殺しのジャックによって狙撃された。

 少なくとも、ヴィクターはそう考えていた。

 

 問題は、現場に狙撃を示す証拠が何一つ残されていないことだった。

 

 弾丸そのものはもちろん、周囲の壁や床に弾痕も存在しない。

 つまり、弾丸は貫通せず、竜裔の体内に残った可能性がある。

 

 そしてそのまま、ヘンリーの身体とともに霧隠れした。

 

 

 ウォルターが死に際、剣をわざわざ抜いて返した理由も、そこにあったのかもしれない。

 

 そこまで考えて、ヴィクターは舌打ちした。

 

「(要らぬことを考えた。ともかく、更に調査が必要だな──)」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……まあ、現場に証拠が存在してなかった以上弾丸が貫通せず竜裔の体内に残ったってことでしょうからね。狙撃の可能性には思い至りませんよね」

「言われてみればたしかに、あの現場には、弾痕のようなものはなかった……いや、あのときぱっと見ただけだから、きちんと現場検証をし直さないといけないけれど」

「あー。どうせ見に行ってる奴がいると思いますよ。……多分」

「?」

 

 どうせあいつ(ヴィクター)のことだから謹慎の命令に従わず現場をふらふらしてるんだろうな、とアレクサンドラは思った。

 

「(そういうとこ本当にどうかと思う。だが、今回の件に関しては仕方ないか)」

 

 アレクサンドラは内心で、ヴィクターに悪態をついた。

 

「事件現場の位置から考えると、狙撃の条件を満たす場所は限定されますよね。この辺りだとー……竜敦《ロンドン》塔かな。行ってみましょう、先輩」

 

 竜敦塔。

 旧き処刑場であり、教会権威の影が濃く残る場所。

 そして、ホワイトチャペルを見下ろすことのできる高所。

 

(ザ・タワー)か。たしかに、そこなら狙撃には絶好のポイントかもしれない……行ってみよう」

 

 

 二人は、霧の向こうにそびえる塔へ向かった。

 

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