竜敦国教会異端審問録 case.1―A.D.1888 霧裂きジャック事件― 作:竜敦国教会審問局
ジャックの狙い
竜敦塔を後にした一行は、審問局へ戻ってきていた。
セバスチャンの姿は消えてしまった。
だが、自らの喉元を狙った刃の感触と、カラスの羽音が耳に残っているのをアレクサンドラは感じていた。
「ごめん、ヴィクターの謹慎をハロルド猊下に解いてもらおうと思ったんだけど……どうやら今は外しているみたいだ」
審問局に着いてすぐに局長執務室へと向かったテオドリックは、すぐに執務室から出て二人にこう言った。
「明日、大聖堂で年度初めの公会議が開かれるから、それの調整にかかりきりになっているみたい」
年度初めの公会議。
竜敦国教会の高位聖職者と、有力な竜裔たちが一堂に会する儀礼と会議とを兼ねた行事である。
「毎年の恒例行事なのに、今年は年度明けからバタバタで、すっかり忘れてたよ……」
「そりゃお忙しいこって。この先昇進だけは死んでもしたくねえな」
遠い目をするテオドリックに対し、ヴィクターは相変わらずの呆れたような声で返事をする。
「とは言え、新参者の筈が3日にしてここまで大忙しなんじゃどの立場でも変わらなそうだが。全く、心底面倒な仕事に就いちまったもんだぜ」
「……考えてみれば、君たちが着任してから、まだ3日しか経ってないんだよね」
「本当に。大人しく近衛騎士団か警邏隊かについておくべきだったかな。3日目の新人にこんな案件の捜査させて、大丈夫なんですか?この職場」
「こんなことは僕も入局して初めてだ……」
テオドリックの見つめる虚空が、さらに遠くなったように見えた。
「それで、謹慎はまだ解除されていないから、君にマントとダモクレスの剣を返すことはできない。力不足でごめんよ、ヴィクター」
ウォルターが最期に返したはずの剣は、まだヴィクターの腰には戻っていない。
ヴィクターに課せられた謹慎は、そのような手続きだった。
「別に。とりあえず家から持ってきたこいつがあるし、身分だの手続きだのはコイツにやらせりゃ良いしな。下手すりゃ審問官やるより楽だぜ」
ヴィクターは、腰に佩いている宝剣の柄に手を置き、アレクサンドラを指さした。
その剣は、ダモクレスの剣ではない。だがたしかに、先ほどアレクサンドラを守った剣だった。
「おいこら。お前は私をなんだと思って……ああいい、どうせろくな答えが返ってこない」
「はいはい、口論はそこまで……枢機卿たちが公会議の準備で追われる中、自由に動けるのはかえって職位の高くない僕たちだけだ」
テオドリックは、ぴしゃんと手を叩いて会話を本題へと方向づけた。
「これまでの捜査によって、かなりの部分は見えてきたけど、まだ謎は残されている。まずはその検討から始めようじゃないか」
◇ ◇ ◇
「密室的状況において犯人が消失したと思われたこの不可解な事件は、これで全貌が明らかになった」
審問官控室に移動した三人は、机を囲んで、先ほどの会話を続けていた。
ヴィクターは着席したまま、机上に事件記録を並べながら言う。
「今回の事件は二つの事件から構成されていた。第一に、メアリ殺害事件。そして第二に、メアリ殺害者殺害事件」
メアリ・ウォレン殺害事件。
メアリ殺害者───すなわち、ヘンリー・ジキル殺害事件。
ひとつの不可解な事件に見えていたものは、いまや二つの要素へ分解されていた。
「第一の事件・メアリ殺害事件では、犯人が竜裔であることが明らかになった」
ヴィクターは事件記録を指で叩いた。
「第二の事件・メアリ殺害者殺害事件では、前件の犯人である竜裔が狙撃により命を落とし、その事件の発見者となった警邏隊巡査が『主の御代に』を置くという、共犯によって事態を不可解にしていた」
そう、この二つの行為が重なったことで、現場から犯人が消えたように見えていたのだった。
「そうだね。残された謎は、第二の事件の共犯者たちであるジャック一派の目的だ」
これまでのヴィクターの整理を引き継いで、アレクサンドラが言う。
「当初ジャック一派は、事件現場に『主の御代に』を置き、何かしらのメッセージを伝えようとする異端思想を持った者だと考えていたけれど、事ここに至ってはそれだけでは済まない。ダモクレスの剣の刀身の破片を加工した弾丸を保有していると思われるからね」
審問官の証であるはずのダモクレスの剣。
その欠片が、竜裔を遠距離から殺す弾丸へ変えられている。
そうなるともはや、犯人は単なる異端思想者では済まなかった。
「そして実際にそれを使い、"退化薬"によって暴走したヘンリー・ジキルの狙撃・殺害に成功している。非常に危険な存在であると言わざるを得ないね」
「っとに、面倒臭え事しやがって……」
「息ぴったりだね、二人とも」
「そもそも、ジャック一派は何のために"ダモクレスの弾丸"を製作・保有しているのかな。そんなもの、用途は一つしかないよね」
ダモクレスの弾丸。
アレクサンドラの言葉は、犯人の手にしている武器の本質を端的に表していた。
「まあ、当然"殺したい竜裔"がいるからって事になるだろうな。じゃあ一体何のために、って話になる訳だが……」
「殺したい相手といっても、個人的な恨みかもしれないし……結局、ジャック一派の人物像も判然としないからなあ……」
「あくまで可能性の話にはなるが、『主の御代に』を現場に置いていった事からも、異端思想による教会秩序への反逆あたりが妥当な線だろう」
事件現場に残された一冊の本・『主の御代に』は、赤き竜が存在せず、その加護である"恩寵の霧"が無い竜敦《ロンドン》を描いた架空の歴史書であった。
もしそれがジャック一派の思想を表しているのであれば、その行動は教会秩序への反逆を狙ったものになるはずだ。
「そしてもしそうであれば、"殺したい竜裔"は自然と"高位の者"になる」
「って言ってもね。高位の者なら誰でもいいのか、それとも特定の誰かでなければならないのか疑問だよね。混乱を招きたいだけなら高位の者なら誰でもいいだろうけど」
「誰でも良かろうが良くなかろうが、今回に関しては狙うには丁度良い条件が揃ってんだよ。テオドリックの話をお前も聞いてただろ」
ヴィクターを無視して、アレクサンドラはテオドリックの方に向かって話す。
「"竜裔を殺したい"のと"殺したい竜裔がいる"のだとまたちょっと別の話ですよね。どちらでも結果は同じといえばそうかも知れませんけど。流石に「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」とかではないだろうし」
「……」
ヴィクターは溜息を吐いた。
「うぅん、そうだよね……わざわざダモクレスの剣の破片を弾丸に加工してまでの用意周到さを考えると、計画性を感じざるを得ないけど……ってあれ!? さっきまでの息ぴったりさはどこに!?」
アレクサンドラとヴィクターの間に漂う空気を察して、テオドリックが大袈裟に驚いて見せた。
「……息ぴったり?ヴィクターと?私が?」
「いやいや、いつだって息ぴったりだったじゃないか。……せっかくヴィクターが元気を出したっていうのに、君がそんな態度でどうするんだ、アレクサンドラ」
「……はぁ。そう言われましても。逆に私が"そうなんです!ヴィクターと私は無二の親友ですから!"とか言い出したら、そっちの方が気持ち悪くないでしょうか」
「そ、それはそうかも……? でもほら、口ではそう言ってても内心では……ってこと、あるでしょ?」
「まあ、ほぼ唯一の友人……だとは思ってますけど……一応」
アレクサンドラは口を尖らせて、声を小さくして言った。
「でもあっちがなぁ。あいつ絶対私のこと友達だと思ってないですし……」
「……」
ヴィクターはそれを完全に無視し、くあっと欠伸すらしている。
「ほら。これですよ、これ。これがヴィクターですよ。気遣ったり心配したりするだけ無駄ってもんです」
「もう! 仲良くしなさい!」
「はぁい……テオ先輩がそう言うなら……」
「……本題に戻るぞ、良いな?」
ヴィクターが呆れたように言った。
「テオドリックがさっき言ってた通り、明日は大聖堂で"年度初めの公会議"が行われる事になってる。計画性を感じるってのは俺も同意だ。ちょうど明日が"高位の者"達が一堂に会する機会だって言うのに、偶然にしちゃ出来すぎだろう」
ヴィクターがそう口にしたことで、その場の空気が変わった。
「……公会議か!?」
年度初めの公会議。
それは、高位の竜裔が一堂に会する、教会の権威を象徴するような場だった。
「明日、大聖堂で……でしたよね。高位の者達が一堂に会する、年度初めの公会議が明日行われるときたら……やはり、そこがテロリズムの標的にされるのでは?」
「その可能性は高いだろうな……余計な事すんなってんだ」
「……そんなことになったら、大パニックだぞ」
テオドリックの顔色は青ざめている。
「基本的に竜裔は暗殺や奇襲を恐れない……けれど、それは自らを害しうる手段の存在を知らないからだ」
竜裔という種族は、赤き竜の血を引く貴種だと信じられている。
その証拠に、普通の人間であれば死に瀕するような傷であってもすぐ治る高度な自己治癒能力を有していた。
だが、今回の場合はそれゆえの慢心が仇となりかねない。
「実際、"ダモクレスの弾丸"の存在は知られていないけれど……いずれにせよ、これから公会議を中止することはできない」
今から公会議を中止すれば、それだけで混乱を招く。
何より、理由を説明するには“ダモクレスの弾丸”の存在に触れなければならない。
「なら、僕たちにできることを考えなければ」
窓の外では、霧の向こうに大聖堂の尖塔が沈んでいた。
明日、そこに竜敦の権威が集まることになっている。
三人の審問官は、そこに忍び寄る悪意の影を見た気がした。