竜敦国教会異端審問録 case.1―A.D.1888 霧裂きジャック事件―   作:竜敦国教会審問局

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事件現場

 東端下町(イーストエンド)・ホワイトチャペル教区、事件現場。

 袋小路の入口には、警邏隊による規制線が張られている。野次馬の住民たちが遠巻きに集まり、ひそひそと声を交わしていた。

 

「さて、通報のあった場所はこのあたりのはずだけど……」

 

 規制線の近くに立っていた若い巡査が、三人に気づいて顔を上げた。

 その視線は、まず肩にかかる審問官のマントへ、次に三人の腰に佩かれた剣へと移る。

 ハロルドの言う通り、この装備は名乗るより先に彼らの身分を証していた。

 

「あ! その肩マントと剣は、皆様が審問官の方々ですね! お待ちしておりました」

 

 巡査は背筋を伸ばし、いかにも新人らしい勢いで敬礼した。

 若い女性だろう、声はよく通り、表情も明るい。

 制帽はサイズが少し大きいようで、目深に被る形になっている。黒髪の小柄な巡査だった。

 

「ああ。ファリガ班の班長、テオドリック・ファリガだ。そしてこの二人が……」

「……ヴィクター・エヴァンズだ」

「アレクサンドラ・テリオン。どうぞよろしく」

 

 三人は口々に名乗る。

 

「それで、貴方は? 警邏隊の方とお見受けするが」

「はい、ジェーン・リード巡査であります! ホワイトチャペル教区を管轄する警邏隊の所属です。……実は、私が事件現場の第一発見者の一人でして」

 

 テオドリックの誰何(すいか)に対し、ジェーンは途中から声を潜め、周囲を窺うようにしてそう言った。

 

「そうでしたか。では、詳しい状況を教えてほしい」

「はい、もちろんです!」

 

 テオドリックはジェーンの元気の良い返事に満足した表情を浮かべ、新人二人の方を振り返ってこう切り出した。

 

「さて、ということだ。私は今回は君たちの監督役だから、ひとまず君たちの行動は口出しをせず見守らせてもらうことにするよ」

「先輩が班長なのに?!」

「……はあ、面倒くさい……」

「これも新人研修(チュートリアル)の一環、ということだよ。もちろんサポートはさせてもらうけどね」

 

 チュートリアル。アレクサンドラとヴィクターにとって、スクール時代によく聞いた言葉だった。学生二人に対して教師が一人着いて行われる正課外の個別指導。二人の通っていたパブリック・スクールでは、"チュートリアルこそが学院の真髄"と叫ばれていたものだった。

 

 テオドリックは、ぴしゃりと手を叩き、場を仕切り直すようにして切り出した。

 

「さっそくだけど確認だ。君たちの今回の任務は?」

「……現場を巡察し、通報のあった事件が"異端事件"たりうるか、調査すること」

「その通りだ。君たちはまず、この事件が審問局の管轄すべき事件なのか判断する必要がある。もちろん、局長を納得させられる根拠とともに、ね」

 

 テオドリックは、ヴィクターの答えに満足したと言いたげに頷く。

 

「審問局では、この仕事を"予審"と呼んでいる。では君たち、予審開始だ!」

 

 テオドリックは、まるで講義室で課題を出す教師のように勢いよく言った。

 

「……はあ、面倒だな……」

 

 ヴィクターの反応もまた、教師に課題を出された学生のそれだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……ジェーンと言ったな。被害者の身元と遺体の詳細な状態、それと遺体発見の経緯は」

 

 ヴィクターが気怠げに事情聴取を始めた。

 

「はい。被害者はメアリ・ウォレンという名の若い女性。ホワイトチャペル教区の外れにて、全身に鋭利な刃物でめった刺しにされたような切創を負い死亡した状態で発見されました。当時、私ともう一人の巡査が二人組で近隣を警邏しておりましたが、その最中に女性の悲鳴が聞こえ、駆けつけたときには……」

 

 ジェーンは皆まで言わなかったが、その先の言葉を察したアレクサンドラは悲痛そうな表情を浮かべた。

 

「ただ、現場は一本道の袋小路で、現場から立ち去るにはその一本道を通るしかありません」

 

 ヴィクターは袋小路の奥へ視線を向けた。

 左右は煉瓦の建築物が並び、ほとんど壁のようだった。奥は行き止まりで、脇道もない。窓はいくつかあるが、どれも高く、外から容易に出入りできる高さではない。

 逃げ道は、たしかに彼らが立っているこの一本道しかなかった。

 

「私たちが巡回していたのはこの一本道の途上でしたが、被害者の悲鳴が聞こえてから被害者を発見して通報するまでに周囲で見かけた人物は一人たりともいませんでした」

「……だから犯人が消失した、と。……これを聞いてどう思う?」

 

 ヴィクターは隣のアレクサンドラを見やり、そう尋ねた。

 

「どうって……推理小説みたいだなぁって思うけど。流石にあの状態で自殺はないだろうし、何かしらの手段でまるで消えたかのように現場から去ったんだろうなぁ、どうやったんだろうなぁ……って感じ」

「……そんなところだな。ただ……」

 

 ヴィクターは周囲を見回した。

 遺体。袋小路。消えた犯人。

 それだけなら、不可能犯罪として警邏隊が頭を抱える案件ではあっても、審問局に通報する理由としては弱いはずだ。

 

「わざわざ審問局に話を持ち込んできたんだ。それだけじゃないだろう?」

 

 われわれ審問官が呼ばれたということは、警邏隊が自分たちの手に余ると判断した何かがある。

 そう考えたヴィクターは、ジェーンに目線を戻してそう尋ねた。

 

「あっ、はい! そうです! 実は、遺体のすぐそばで1冊の本が発見されたんです。上質そうな装丁の本で、被害者が持つようなものにも思えず……もしそれが犯人がわざわざ置いたのだとすると、何かのメッセージなのではないか、と」

「はあ。で、その本は今どこに?」

「証拠品ですから、押収して警邏隊の詰所で保管しております。後ほど、もう一人の第一発見者である同僚の方にお持ちするよう伝えておきますね」

「頼んだ。……という訳で、これで暇ができたな」

 

 言い終えるやいなや、ヴィクターは何の未練もなさそうにふらりと踵を返した。

 あまりに自然な動きだった。

 まるで最初から隙を見て現場から離脱するつもりでいたかのように、アレクサンドラには見えた。

 

「こら。どこに行こうとしてるんだ、ヴィクター」

 

 アレクサンドラの手が、すばやくマントの裾を掴んだ。

 

「ングッ……」

 

 引き戻される勢いで、ヴィクターの首元が詰まる。

 

「チッ、相変わらず力の強い女だな……この場の調査に二人も審問官は要らねえだろ」

「黙れモヤシ男。仮にも仕事中なんだから、報告連絡相談は必須だろ。あと君、見逃したら普通にサボるだろ」

「アレクサンドラ、君、女性だったのかい?!」 

 

 そのやり取りを、三歩離れたところで見ていたテオドリックが耳にして、ぱちぱちと瞬きをした。

 アレクサンドラの着ている服は、体格に合わせて詰められてはいるものの、基本の仕立ては男性のものに見えた。

 

「あはは。そうですよ、テオ先輩。こんな格好してると紛らわしいですけどね」

 

 アレクサンドラは、男装の麗人であった。

 

「いやあ、すまない。失礼なことを言ったね……」

 

 名前で気づけよ、女性名だろ、とヴィクターは思った。

 テオドリックは、天然男であった。

 

「はあ……もういい、わかった。さっさと終わらせりゃ良いんだろ」

「うんうん。君、頭はいいんだからぱぱっと解決してくれよ」

「チッ……」

「さ、さあ、気を取り直して調査を続けようじゃないか」

 

 テオドリックがそう言ってからすぐに、「ん?」と何かに気づいたような反応を見せた。

 

「何やらあちらの方が騒がしいような」

 

 テオドリックは、一般市民が立ち入らないよう警邏隊員達が規制線を張っているあたりに視線を向けた。

 

「あ、すみません! ちょっと行ってきます。ついでに本も持ってくるよう伝えてきます!」

「あ、ああ。…………すごい勢いで行ってしまった」

 

 ざわめきの正体に気づいたのか、ジェーンがそう申し出る。テオドリックが返事をしようと口を開きかけたところで、ジェーンの姿はもう見えなくなっていた。

 

 その時、規制線の向こうでざわめきが起こった。

 集まっていた住民たちが、誰かを避けるように道を開ける。警邏隊員たちの背筋が、一斉に伸びた。

 

 霧の向こうから、怒鳴り声だけが先に届く。

 

「おいおい、誰の許可を得て現場に立ち入ってやがる!」

 

 面倒な気配を察知したヴィクターは、言葉ともつかないぼやきを溢した。

 

「あー……」

 

 審問官を毛嫌いする警邏隊員もいるとは聞いていた。その実例がこれか、とヴィクターは思い、ただ溜息をついた。

 

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