竜敦国教会異端審問録 case.1―A.D.1888 霧裂きジャック事件―   作:竜敦国教会審問局

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磔の男

 竜の(すえ)、すなわち竜裔(ドラキュラ)

 

 アレクサンドラの答えは、彼女にとって至極当然の常識だった。

 それゆえ、なぜそのようなことをわざわざ聞くのかと、アレクサンドラは訝しげに眉間に皺を寄せた。

 

「……そう怖い顔をするな。本題に入るためには必要な回り道だよ」

 

 それに相対するジャックは、満足げに微笑みを浮かべていた。

 

「……では、本題に入ろう。君たちは俺の目的を知りたがっていた。そうだな?」

「……」

 

 ヴィクターは、ただ沈黙を保っている。

 

「そうだね。分かりやすく・簡潔・明瞭に話して欲しいかな」

「ああ、では簡潔に」

 

 ここ、鐘楼の間の中には、巨大な鐘が鎮座している。

 

 つい先ほど街に時を告げていたそれであるが、今はまだ、暗がりの中で動かない。

 

 その真下で、ジャックは穏やかに言った。

 

 

「────殺したい相手がいるんだ」

 

 

 ジャックは微笑を浮かべている。

 とてもではないがこの場にはそぐわないと思われるその表情に、アレクサンドラとヴィクターは面食らった。

 

「……なるほど。で、その相手とは?」

「まだ気づかないのか? あれだよ」

 

 ジャックは、ゆっくりと片手を上げた。

 

 その指先は、アレクサンドラたちではなく、自らの頭上を指している。

 

 鐘? 否、天井だった。

 巨大な鐘を支える梁。霧と影の溜まった、暗がりを。

 

 アレクサンドラは、そこで初めて自分が上を見ていなかったことに気づいた。

 

 無理もなかった。

 目の前には、ジェーン・リードの正体たる青年がいる。

 

 道中に本来いたはずの、消えた近衛騎士たちのこともあった。

 そして、遥か階下ではテオドリックがセバスチャンと戦っている。

 

 アレクサンドラは、自分の目線より下に見えるものばかりを気にしていた。

 だからこそ、そこにあるはずのないものを見落とした。

 あるいは、見落としたかったのかもしれない。

 

 

 天井付近、鐘楼が接合してある梁に、"何か"がいる。

 

 

 ────男が、磔にされていた。

 

 

 

「……、あれは……」

 

 思わず、ヴィクターの口から呟きが漏れる。

 

 

 梁の下。

 巨大な鐘のさらに奥。

 

 そこに、一人の男が磔にされていた。

 

 その長い黒髪が垂れ、茨にも似た冠が額を覆っている。

 衣は、高位の聖職者が身にまとうような重厚なものだった。金糸で縫われた赤い布に、竜の紋章があしらわれている。その姿からは、古びてなお失われない威厳のようなものが感じられた。

 

 しかし、奇妙なことに、男の身体は銀に光る槍によって梁へと縫い止められていた。

 枷の嵌められた両腕は広げられ、左脇腹の下を貫かれ、目を伏せ、吊られるがままに頭を垂れている。

 

 ただ、祈るように。

 

 

 アレクサンドラとヴィクターの二人は、少しの間、上手く言葉が出なかった。

 

 恐怖ではない。

 

 あの、磔の男からは、不思議と神聖さに似たものが漂っていた。

 だが同時に、見てはいけないものを見てしまったという生理的な嫌悪も感じられた。

 

 教会の最奥に隠されるべき秘密が、鐘楼の暗がりに吊るされている。

 その直感を、理性がすぐには受け入れなかった。

 

 アレクサンドラは、自分の迂闊さに歯噛みした。

 

 男は決して隠されていたわけではない。

 むしろ、あまりにも目立つ場所にいた。

 高位の者が身につけるような衣装をまとい、鐘楼の中心に吊られている。

 

 なのに、気づけなかった。

 ジャックに意識を奪われていた。

 

 そしておそらく、あまりにも異常すぎる光景を、視界が勝手に拒んでいたのだ。

 

「ああもう、なんで言われるまで気付かなかったんだ。あんなに目立つ場所で、高位の者が着るような派手な服装なのに……。ジャックに気を取られすぎた」

 

 一方のヴィクターは、磔の男の顔ではなく、傷口を見ていた。

 

 胸を貫く槍。

 そこから漏れ出す微細な粒子。

 灰のようで、霧のようで、窓から差し込む光を受け、白く濁って見えるもの。

 

 見覚えがあった。

 

「……同じだ」

 

 ウォルター・ロングウィトンの身体が崩れていった時。

 ダモクレスの剣を抜いた傷口から、同じものが溢れていた。

 

「傷口から漏れ出ているあの粒子……ウォルターの時と……」

 

 血ではない。

 竜裔が死へ向かうときに、身体から零れ落ちる何か。

 

「……気づいたようだな」

 

 ジャックは、徐《おもむろ》に言った。

 

「あの磔にされている男が、今どのような状態にあるかわかるか?」

 

 自らの迂闊さを歯痒く感じていたアレクサンドラは、ジャックの疑問に苛立ちをぶつける。

 

「知らんわそんなもの。簡潔に話せって言っただろうが」

「見りゃ分かるだろうが。ありゃウォルターの死に際に傷から漏れ出ていたヤツと同じだ」

 

 対してヴィクターは、諌めるようにアレクサンドラに言った。

 その苛立ちをぶつけるべき相手は、ジャックではない、と。

 

 むしろヴィクターの苛立ちは、磔の男の置かれた状況にこそ向けられていた。

 

「まるで、生きながらに死に続けているかのような……そんな有様だ、あれは」

 

 ヴィクターは、吐き捨てるように言った。

 

 あれは死体ではない。

 だが、生者でもない。

 治癒しようとする身体と、殺し続けようとする槍とが、永遠に拮抗している。

 

 その結果として、男は今この瞬間も、少しずつ霧へ変わっている。

 

「驚いたな、一目見ただけでそこまでわかるとは。……さすが、竜裔の死にゆく姿を目の当たりにしただけのことはある」

「……ッ」

 

 煽るようなジャックの言葉に、ヴィクターは、彼を睨みつけたまま舌打ちで返事をした。

 

「だから私は見てないんだってば……」

 

 ヴィクターとジャックの会話が進んでいく。竜裔の最期を見た者同士にしか通じない前提がある。

 

 アレクサンドラは、そのことに対して、また少しだけの苛立ちを感じた。

 

 自分もこの場にいるのに、彼らが見ているものを理解しきれていない。それが無性に腹立たしく思えた。

 

「……すぐに見ることになる」

 

 ジャックの言葉に、アレクサンドラは磔の男を貫く槍へ、目を凝らした。

 

 柄は古びている。

 しかし、その穂先は真新しく思えるほど、異様に白かった。

 

「……ひとまず先にあれを見ろ。あれを貫く槍の穂先……恐らくだがダモクレスの剣と同じ材質だ」

「そうだな、私にもそう見える。霧といい槍といい、お前たちの言う通りなら竜裔には違いないのだろうが……あの男は何者だ?」

「……俺達が"恩寵の帳"と呼ぶ正体があれから漏れ出る粒子だと言うのなら。俺達"竜裔"にとっての恩寵だとほざくのなら。きっとあれは……」

 

 アレクサンドラは、ヴィクターの言葉を受け、槍の穂先から磔の男へと視線を戻した。

 

 ダモクレスの剣と同じ材質の槍に貫かれながらも、生き(死に)続け、"恩寵の帳"と同じ粒子を漏らす肉体。

 

 それらを並べたとき、導かれる答えはひとつしかない。

 だが、その答えを口にすることは、あまりにも恐ろしかった。

 

 

「赤き竜、竜公だと……そう言いたいのか?」

 

 

 アレクサンドラの言葉に、ヴィクターは頷いた。

 

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