竜敦国教会異端審問録 case.1―A.D.1888 霧裂きジャック事件―   作:竜敦国教会審問局

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民の時代に

 再び、沈黙が鐘楼の間に満ちた。

 

 赤き(ドラクル=)(ア・ドライグ)は、頭上でなお死に(生き)続けている。

 傷口から溢れる白い粒子は、霧となって外へ流れ、竜敦(ロンドン)の街を覆っていく。

 

 ジャックが計画したのは、単なる殺人ではなかった。

 殺す相手は人ではなく、時代であり、そして神そのものだったからだ。

 

 

 だが、その思想が完全に間違っているとも言い切れない。

 そうアレクサンドラは考え、玉虫色の返答をするところから始めた。

 

「……それも面白そうだね」

 

 アレクサンドラの声は冗談めいていたが、あながち完全な冗談でもなかった。

 

 ジャックの計画は、たしかにおぞましい。

 しかし同時に、彼女の中の何かを刺激していた。

 

 竜敦の根幹に隠された仕組み。教会が伏せてきた真実。

 それを暴くという行為そのものには、一人の人間として惹かれるものがあった。

 

「だが……うーん、テオ先輩には怒られてしまうだろうな。ヴィクター、どうする? 私としては、少しばかり興味があるんだが」

「本気で言ってるならお前とはここまでだ」

 

 そう言ったヴィクターの声は低い。

 

 そこに、いつもの気怠げで面倒くさがりな声色はなかった。

 いまのヴィクターは、冗談を受け流す余裕を欠いていた。

 

 アレクサンドラが本気でジャックの側へ傾くなら、その時は本当に剣を向ける。そう思わせるような声音だった。

 

「……俺は竜裔としては半端者だけどな。少なくともてめえに上から目線でそんな事を言われにゃならねえほど落ちぶれてもねえし、公会議にご列席の皆々様は余計にだろうよ。

俺達審問官の仕事は教会秩序を守り、今ある平和を守る者だ。───真実を追い、秩序を乱すヤツを白日の下に晒す者だ」

 

 ヴィクターの腰に、ダモクレスの剣はない。

 ウォルターが最期に返してくれた証は、謹慎処分に伴い、取り上げられたままだからだ。

 

 それでも、彼は自らを審問官であると宣った。

 

 剣があるから審問官なのではない。

 真実を追い、秩序を乱す者を暴く。その役目を引き受けると決めた者が、審問官なのだ、と。

 

「審問官の名において……文字通り命を懸けてこの俺に託してくれた者に恥じぬ為にも、俺もこの命を懸けててめえを止めさせてもらう。絶対にな」

 

 ヴィクターの宣言を耳にして、アレクサンドラは肩をすくめた。

 

「だそうだよ、残念だったね。正直好奇心は多少疼くが……これも仕事だ。まだ三日目だけどね」

 

 好奇心はまだ燻っている。ジャックの語る"三冊目"の時代をこの目で見てみたいという思いも、確かにあった。

 

 だが、それを見届けるために、今ここで目の前の犠牲を見逃すことはできない。

 今の彼女は、ヴィクターの言葉に従うことを選んだ。

 

「そう言うわけで……私達は君を止めなければならない。本当に残念だよ、ジャック。私一人なら君の提案に頷いていたかもしれないのにね」

「そうか、残念だ」

 

 ジャックの表情から、ほんの少しだけ笑みが消えた。

 

「残念だよ……本当に」

 

 演技には見えなかった。

 自分の思想に賛同してほしかったのか。あるいは、同じ時代の目撃者になってほしかったのか。

 

 どちらにせよ、彼は本気で残念がっていた。

 だからこそ、その次の動作には迷いがなかった。

 

「君たちとは、ここでお別れだ」

 

 ジャックの両手が、腰へ滑った。

 

 次の瞬間、二挺の拳銃が抜かれる。

 一方の銃口はアレクサンドラへ。

 もう一方はヴィクターへ。

 

 鐘楼の薄暗がりの中で、銃身が鈍く光った。

 

「そうか。俺からもこれ以上話すことはねえな」

 

 それヴィクターも腰の剣へ手を掛けた。

 

 その手にあるのは、ダモクレスの剣ではなく、自らの家に伝わる宝剣である。

 しかし、それは今やこの場でジャックを止めるために握れる唯一の武器だった。

 

 ヴィクターは、剣を鞘から抜く。

 

 鞘から抜かれた刀身が、鐘楼の薄明かりをわずかに反射した。

 

「やっと分かりやすい展開になったな。なかなか面白い話だったが、冗長なのはいただけない」

 

 アレクサンドラの発言を聞き流しながらも、ジャックは銃口を向けたまま鐘楼の外へ目を向けた。

 

 霧の向こうには、竜敦の街がある。

 

「……主の御代(アノ・ドミニ)竜公の御代(アノ・ドラクリ)

 

 主の御代が上書きされた、竜公の御代を生きる街。

 そして彼が、次の名を与えようとしている街。

 

「これに終止符を打ち、"三冊目"の時代、民の御代・Anno(アノ・) Demokrati(デモクラティ)の一頁目を俺は開こう」

 

 ジャックはまるで、それが既に定められた未来であるかのように告げた。

 

「そこに君たちを連れていけないのが残念だ……もっとも、俺もこの目で次の時代を見ることは叶わないだろうが」

 

 だがそれは、勝利を確信したものの放つ言葉には聞こえなかった。

 

 ジャックは、自分が生き残ることを前提にしていない。次の時代を作ると言いながら、その時代に自分の席を用意していない。

 

 アレクサンドラには、その覚悟が尊いというよりも危うく感じられた。

 自分の死まで計算に入れた者ほど、止めるのが難しいものはない。

 

 

「────さもなくば、俺を止めてみせろ! 審問官!!」

 

 

 ジャックは気勢を上げ、アレクサンドラとヴィクターに向かって発砲する。

 

 その音は、最終決戦の幕開けを高らかに宣言していた。

 

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