竜敦国教会異端審問録 case.1―A.D.1888 霧裂きジャック事件―   作:竜敦国教会審問局

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警邏隊長ウォルター

 人混みを割るように現れたのは、がっしりとした体格の男だった。

 制服は一般の警邏隊員とさほど変わらないが、よく手入れされ、肩には隊長格を示す徽章がある。

 髪は赤い。顔も赤い。酒のせいではなく、怒りと、現場を走り回ってきた熱のせいだろう。

 その声量だけで、周囲の巡査たちが一歩後ずさっていた。

 

「え、うるさ……何事かな?」

 

 アレクサンドラがぼそっと本音を漏らしかけ、すぐに取り繕って隣のヴィクターに話しかけた。

 

「おい、誰の許可を得て……って、お前ら審問局の!?」

「おや、その声はウォルター隊長ではありませんか」

 

 テオドリックの声には、驚きよりも気軽な挨拶といった響きがあった。

 対するウォルターの顔には、見知った厄介者を見つけたという露骨な嫌悪が浮かぶ。

 

「そういえばこのあたりは貴方の所管でしたか。ご無沙汰してます」

「ファリガ……! なんでこんなところに!」

「なんでって、通報があったからですが? 貴方の優秀な部下から」

「チッ、誰だか知らんが面倒なことしやがって……」

 

 ウォルターはぶつくさと文句を言っている。

 

「やっぱりさっさと逃げときゃ良かった……」

「テオせんぱーい、どちら様ですか?その赤い方。やかましいんですけど」

 

 ヴィクターとテオドリックもぶつくさと文句を言っていた。

 

「ああ、紹介しよう。彼はウォルター・ロングウィトン隊長。このあたり(イーストエンド)を管轄する警邏隊の隊長さんだ」

「別地区の事件の応援に呼ばれて俺がいない間に、ずけずけと現場を踏み荒らしやがって……」

「まあ見ての通り、審問局を目の敵にされていてね……」

「いいか、竜敦(ロンドン)の治安は俺達が守ってるんだ。お前らの出る幕なんかない!」

 

 ウォルターは先程からずっとこの調子で文句を付けている。だが、相手取るテオドリックはどこ吹く風といった様子だ。

 

「はあ。それはそれは……。お疲れ様です?」

「ははあ。それなら我々の出る幕もないくらいさっさと解決してもらえませんかね。ほら。さあ、今、目の前で。ほら」

「ああ、すみません。これの言う事は気にしなくて結構ですよ。……まあ私も、そちらが解決してくれるって言うなら異論はありませんけど」

 

 新人審問官の二人はウォルターに冷ややかな視線と言葉を浴びせていた。

 だが、次に続くウォルターの言葉を聞いた途端、テオドリックの笑顔は凍りついた。

 

「だいたいお前達は、事件が起こるとどこからともなく首を突っ込んで、やれ事件が異端認定されないと『はいお疲れ~、あとは君たちで頑張ってね~』だとか『僕たちはこんな低俗な事件に関わってるほど暇じゃないんで~』だとか! 舐めとんのか!! 遊びじゃねえんだぞ!」

「は、ははは……ごめん、うちの者が……」

 

 テオドリックは目を伏せ、しょぼくれた声で素直に身内の非を詫びた。

 

 現場の巡査にとって、審問局はいつも後から現れる存在だ。事件が異端認定されれば功績も捜査権限も持っていき、異端でなければ荒らされた現場だけを警邏隊に残して去っていく。

 言葉は乱暴ながら、ウォルターの怒りは警邏隊に燻っていた思いを代弁した、尤《もっと》もなものだった。

 

「なんだ、それはそれで随分楽しそうな奴が身内にいたもんだな」

「まあまあ、テオ先輩のせいじゃないですよ。他の方々のアレコレで私達に当たられても困ります」

 

 だが、本日から着任したばかりの新人にとっては、そのような過去の確執はまさに他人事だった。

 

「そ、そうそう。恐らくそんなふざけたことを言ってたであろう奴は懲戒免職になったから……!」

 

 テオドリックはそこで、ウォルターたちに毛嫌いされる原因を作ったであろうかつての同僚の顔を浮かべ、わずかに声を落としながら呟いた。

 

「……犯人の挑発に乗って不用意にダモクレスの剣を抜いた咎で」

「ああ、例の……」

 

 その一言だけで、アレクサンドラは審問局で聞いた話を思い出した。

 むやみに剣を抜き、刀身を欠けさせた者。単なる笑い話ではなかったのだと、今さらながらに思い至ったのだった。

 

「……はあ。まあいい、くれぐれも俺達の邪魔だけはするんじゃねえぞ」

「鋭意努力します!」

「……」

 

 ウォルターは勢いを削がれたと言わんばかりに溜息をつき、審問官たちに背を向けて立ち去った。

 だが、残された彼らにはどうにかウォルターを説得する必要があった。なぜなら、まだ予審の真っ最中であったからだ。

 

「はあ……アレクサンドラ、お前適当にあの警官口説いて検死の結果とか聞いといてくれ。そういうの得意だろ」

「得意ではないよ?!」

「ヴィクター、そういうのは良くないぞ」

 

 テオドリックが嗜めると、ヴィクターは無言で肩をすくめてみせた。

 アレクサンドラはそんなヴィクターを見て、諦めたように言う。

 

「まあ行くけど。口説きはしないからね、口説きは」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ウォルター隊長殿。こちらとしても、いたずらにあなた方の職務を妨げたいわけではありません。この件から手を引くかどうかを早く判断するためにも、どうかご協力いただけませんか?」

 

 ウォルターの元に向かったアレクサンドラは、現場を調べながら考えにふけっている彼の正面に立ち、顔を覗き込んで声をかけた。

 

「ああ?」

 

 ウォルターはアレクサンドラの言葉に反応し、続けた。

 

「おいあんた、見ない顔だな」

「ええ、新人なもので。テオ先輩ったら、新人研修とか言って丸投げですよ。ひどいと思いませんか?」

「ほう、新人か。審問局に入るとは見る目があるとは思えないが……何年目だ?」

 

 ウォルターの目つきから、ほんの少し棘が取れた。審問局という組織への敵意は消えていないが、目の前の新人を頭ごなしに怒鳴りつける気は薄れたらしい。

 

「ピカピカの一年生です! あ、私、アレクサンドラ・テリオンと申します。よろしくお願いしますね、ウォルター殿」

「おいおい一年目かよ!? どうりで見ない顔だと……。いいか新人、やめるなら今のうちだぞ。どうだ、警邏隊に入らないか?」 

 

 冗談半分、いや、半分以上本気の声だった。

 だが少なくともウォルターは、目の前の新人に対して先ほどまでのような敵意を向けることはしなくなったようだった。

 

「ああ、実は私、元々は近衛騎士団か警邏隊にでも士官しようかと思ってたんですよ。テオ先輩の下に嫌気がさしたらそれもいいかもしれませんね!」

「おお、見る目があるな!改めて見てみれば、中々腕が立ちそうな……」

 

 ウォルターは破顔して、アレクサンドラの体付きを品定めしようとし、

 

「ん、あんた女か?」

 

 と、つい思ったままに口を滑らせた。

 

「おお、よく気づきましたね……。初対面で気付く人、なかなかいないんですよ」

「悪いな、まじまじと見ちまった」

 

 気にするどころかむしろ感嘆した様子のアレクサンドラに対し、バツの悪そうなウォルター。

 少なくとも、天然男《てんねんおとこ》先輩、略してテオ先輩よりは人物眼があるな、とアレクサンドラは思った。

 

「それならなおさら言っておくが、あまりこの事件に深入りしないほうがいい。嫌な思いをすることになる」

「しかし、女ならなおさらとはどう言う意味です?嫌な思いとは?」

「……事件の被害者な、臨月の妊婦だったんだ。ったく、惨いことしやがる……」

 

 周囲の音が、急に遠のいたような気がした。

 アレクサンドラは言葉を失う。そして、絞り出すように言った。

 

「それは…………気の毒に」

 

 事件、被害者、検死。それまで職務上の情報として聞いていた言葉が、急に、一人の人間の身体的な重さを持ったように感じた。

 

「ああいえ、ありがとうございます、ウォルター殿。お邪魔にならないように手早く仕事を済ませますね。……出来れば」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「……と言う事らしいよ、ヴィクター。彼の言う通り、惨いことだね」

「妊婦が被害者、ねえ……」

 

 戻ってきたアレクサンドラの顔からは、先ほどまでの軽快さが少し消えていた。

 彼女は現場の方を一度だけ振り返り、それからヴィクターに向き直る。

 

「それにしてもやっぱり良い口説きっぷりだったじゃねえか。警邏隊には本当に入らなくて良かったのか? ん?」

「はぁ……。全く、これだから口説くどころか普通に会話もできない奴には困るね。社交辞令の一つも言えないんだろうな、君って奴は」

「そうだなー、そういう訳なんでこれからもよろしく頼むわ」

「よろしくされてもねぇ……。ま、君の頭の回転以外には期待するだけ無駄だからね」

「はあ……それで、他に、検死の詳しい結果とかは聞けたのか?」

「ああ、聞いたよ。実は……」

 

 アレクサンドラは、ウォルターから聞き出した検死結果を手短に伝えた。

 ヴィクターは途中で口を挟まなかった。

 面倒くさそうに見えて、必要な情報を聞く時だけは余計なことを言わないんだよね、と、アレクサンドラは学生時代を思い出した。

 

「……切創は特に腹部に集中していて、かつ発見後に急遽取り上げられた胎児の生存は絶望的だ、と……。犯人はよっぽど妊婦に恨みでもあったのか……いや、犯人の気持ちなんざ分かりたくもないが」

「全くだね。………本当に、惨い真似をするものだよ」

 

 アレクサンドラは目を伏せて、そう呟いた。

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