母に捧ぐオリーブ・クラウン   作:スペイン語が話せない

1 / 6
国家代表選手生活保障記録

氏名   英二郎
指定区分 代表候補

代表手当 90,000
扶養送金 50,000

五輪金メダル獲得時報奨 50,000,000

扶養世帯
母 同居外扶養/長期療養中
弟 同居外扶養/就学中
父 死亡

住居保障 適用
食糧加給 適用
医療給付 適用※

保障区分 甲

※医療給付は国家指定医療機関における承認済診療に限る。国外診療および未承認治療は給付対象外


Part1 肉が食べたい

試合には負けた。

 

相手は絶対王者、レオン・フォン・アルヴァイン。

その動きを捉えきれずコアを一つも壊せなかった。

 

それでも国からは、よく戦った、次に勝てばいいと言われた。

配給所の夕食は、粥と固形タンパク質、薄いスープだった。

 

*ズズ*

 

まずい。

 

いや、違う。

国が出してくれた食事だ。

 

残すわけにはいかない。

 

*ズズズ*

 

やっぱりまずい。

 

俺は粥を見下ろした。

冷めかけたスープには膜が張り、固められたタンパク質は箸で押してもほとんど崩れない。

 

箸を握り直し、残ったものを一気に腹へ流し込んだ。

 

やっぱりうまいものが食べたい。

 

食器を返して宿舎を出ると、外はもう暗かった。

遠くでは競技場の照明だけが白く光り、大通りには独立記念試合の旗がまだ吊られていた。

 

赤い垂れ幕に、俺の名前が印刷されている。

 

『祖国の若き鉄拳、英二郎に栄光あれ』

 

今回は負けたが次にはオリンピックがある。

そこで金メダルを取れば、三代食えるほどの報奨金が出る。

 

母さんに必要な治療は国内では受けられず、その金が必要だった。

 

ぼんやり考え事をしながら垂れ幕の下を歩いたが、誰も俺に声をかけることはなかった。

そのまま通りの角にある小さな店へ入った。

 

看板の明かりは半分ほど消え、店内の冷蔵棚もほとんど空だった。

残っていたのは、透明なケースに入った養殖サーモンの切れ端だけだ。

 

腹は満たされているはずなのに、気づけばそこへ手を伸ばしていた。

 

「それはやめた方がいい」

 

振り向くと、レオン・フォン・アルヴァインが立っていた。

背中が反射的に強張った。

 

試合用の装甲はなく、薄い外套を羽織って片手には紙袋を提げていた。

 

「……なぜですか」

 

「色が悪い。あまり新しくないな」

 

「はぁ……」

 

俺は棚のサーモンとレオン選手の顔を交互に見た。

彼はサーモンを見たあと、何か思いついたように店の外へ目を向けた。

 

「よかったら、ローストビーフでも食べに行かないか」

 

思わず顔を上げた。

 

「俺とですか」

 

「そうだ」

 

「試合のことは、もういいんですか」

 

「いいわけがないだろう」

 

レオン選手は当然のように答えた。

 

「だが、それと君と食事をすることに何の関係がある?」

 

返す言葉が見つからなかった。

彼はそれ以上何も言わず、先に店の外へ出ていった。

 

大通りを外れ、しばらく歩いた先に小さなレストランがあった。

扉が開くと焼けた肉の匂いが流れてくる。

 

窓際の席につくとレオン選手は慣れた様子でローストビーフを注文した。

ほどなく運ばれてきた皿には薄く切られた肉が何枚も重なっている。

 

これがローストビーフ。

 

一切れ口に入れると柔らかな肉が噛むほどにほどけ、塩気のあとから脂の味が広がった。

 

「うまい」

 

思わず声が出た。

 

「気に入ったようだな」

 

俺はもう一切れ取って今度はさっきよりゆっくり噛んだ。

腹はとっくに満たされているはずなのに、皿の肉が減っていくのが惜しく感じられた。

 

「どうして俺を誘ったんですか」

 

「リングの外の君を見てみたかった」

 

「俺をですか」

 

「何を食べ、誰と話すのか。そういうところにも選手の本質は出る」

 

「……それが、ボクシングと関係あるんですか」

 

「ある」

 

迷いのない答えだった。

 

「君の戦い方には失望した。だが、君があの攻撃を選んだ理由は、僕にはまだ分からない」

 

「それを知りたい」

 

教官からは、レオン選手が今後の試合に出られなくなる結果になれば特別報奨が出ると聞かされていた。

 

国は俺を選手にして、母さんの治療も家族の生活も支えてくれている。

報奨を狙うかどうかは任されていたが、俺は首を狙った。

 

その時は、それをおかしいとも思わなかった。

 

それを本人に話す気にはなれず、俺は黙っていた。

 

「君、ボクシング好きそうなんだけどな」

 

「首を狙われたときは驚いたよ。あのタイミングで来るとは思わなかった」

 

レオン選手は少し楽しそうに笑った。

 

「……首を狙ったのは俺が決めたことです」

 

「そうか」

 

俺は残っていた肉を口に運んだ。

 

「あの攻撃については、僕の陣営から正式に審査を申し立てるつもりだ」

 

「……オリンピックにも影響しますか」

 

「その可能性はある」

 

「……それは困ります」

 

何とか申し立てを取り下げてもらえないかと思ったが、自分から首を狙っておいてそんなことを頼むのは筋が通らない。

 

しばらく皿を見つめてから、口を開いた。

 

「……分かりました」

 

食事を終える頃には皿の肉はきれいになくなっていた。

 

「今日はありがとうございました。今度は俺がご馳走します」

 

「礼なら必要ない」

 

「でも、食べさせてもらったので」

 

一度の食事くらいなら俺にも払える。

代表手当の使い道はほとんど決まっていたが、それとは別にいくらか残してあった。

 

「仕事の付き合いで食事をするのは好きじゃない」

 

今日の礼をしたいのは本当だった。

けれど、それだけなら金を返せば済む。

 

「……じゃあ、プライベートで」

 

「ん?」

 

「今度は仕事じゃなくて、俺個人としてご馳走します」

 

少し間があってから、レオン選手は笑った。

 

「それなら喜んで」

 

それからも話は途切れず、気づけば店には俺たちしか残っていなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。