79番目の遠回り   作:スペイン語が話せない

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Part1 国のために

国に選ばれ、俺はサイボーグボクシングの選手になった。

オリンピックで勝つために、身体を改造された。

 

怖いとは思わなかった。むしろ、誇らしかった。

 

発表の日、教官は俺の肩を叩いた。

 

「よく選ばれたな。君は国に必要とされた」

 

その瞬間、胸の奥が熱くなった。

必要とされた。俺が、国に。

 

朝食のトレイには、卵と鶏肉、油で焼いたパン、果実ゼリーまで並んでいた。

朝から肉が出るなど、この国ではほとんどありえない贅沢で、俺はそれを国からの信頼の証だと信じた。

 

「ガード戻せ! 今ので死ぬぞ!」

 

教官の怒号を背に訓練場の奥へ進むと、床に鮮やかな赤い線が見えた。

一般の訓練生には越えられない、選手だけの境界だった。

 

「訓練開始」

 

「さあ、前回の記録を超えろ」

 

黒い鉄芯入りサンドバッグの前に立つ。

 

「打ってこい」

 

右足を半歩引き、拳を構える。

首の後ろでインプラントが低く唸り、右肩の油圧アクチュエータが目を覚ます。

ぎ、ぎぎ……と人工筋肉が締まり、背中の装甲が圧を溜めていく。

 

スパォッッッッ!!!────────

 

右拳が空気を裂いた。

鉄芯入りのバッグは中央からひしゃげ、鎖ごと後方へ吹き飛んだ。

その衝撃に床が震え、訓練生たちの声が一瞬で止まった。

 

「記録更新だ」

 

「おめでとう」

 

その言葉は、拍手なんかよりずっと重かった。

俺は拳を下ろしながら、静かに息を吐いた。

 

「次は対人戦だ」

 

「来い!」

 

赤い線の向こうから、一人の選手がリングへ上がった。

 

俺の身体は殴るために太く作られている。

肩は異常に厚く、構えを取るだけで床が軋み、背中の装甲は油圧の逃げ道を求めて低く唸る。

 

だが、相手の身体はまるで違った。

 

弱そうだった。

 

細い。軽い。

装甲も薄い。

 

なぜこいつが、赤い線の向こう側にいるのか分からなかった。

 

「よろしくお願いします」

 

相手の一礼に返し、互いに構えを取った。

 

ピ、ピ、ピー。

 

ピッ。

 

パワウゥゥン――シャァン!!!!

 

開始音と同時に両者のコアが起動した。

 

両肩と両脇腹に、白いコアが一つずつせり上がった。

どれか一つでも損傷が限界を超えれば即敗北。

 

どれほど相手を傷つけても、コアを壊さなければ勝ちにはならない。

 

迷わず踏み込み、相手の肩のコアを狙った。

 

白くせり出したそこを、一撃で砕く。

そう思っていた。

 

スパッッ!!

 

俺の拳が空を裂いた時には、相手はもうそこにいなかった。

 

ガツンッ

 

相手の拳は、正確に俺の肩を捉えていた。

 

「ふぅ────────」

 

相手は息を吐いただけだった。

 

油圧を唸らせ、俺はもう一度拳を引いた。それでも奴は微動だにしない。

ただ、俺が撃つのを待っている。

 

そう気づいても、一度動き出した腕は止まらなかった。

 

スパッ…!

 

また空を裂いた。

肩ががら空きになる。とっさに守ろうとした瞬間、脇腹が開く。

 

奴の拳が脇腹を狙って飛んでくるのは分かっていたのに、それでも体は間に合わない。

 

ガンッ

 

脇腹のコアが赤く点滅した。痛みはない。息も切れていない。

なのに、確実に削られている。

 

「あと一撃!脇をやられたら終わりだ!」

 

赤い線の向こうで誰かが叫んだ。黙れ。分かっている。

俺は肘を下げ、脇腹を締めた。

 

その瞬間、相手の視線が上がった。

肩を狙っている。分析インプラントも警告を発した。

 

だが、下げた腕はすぐには上がらない。

 

俺の肩へ、相手の拳が伸びた。

 

 

キィ……ィィン、ヂリッ

 

相手の動きが一瞬だけ止まった。

 

いや、止まったんじゃない。

相手のインプラントが俺の右ストレートを警戒し、身体をわずかに外へ逃がした。

 

だが、俺は右を撃たない。

 

相手の脇腹がこちらを向いている。

見えているだけじゃない。思いっきりぶち込める角度だ。しかも、相手はまだ右を警戒している。

これ以上ない好機だった。

 

俺は左を放った。

 

スパッッ!!ッッァアン────────

 

左拳が相手の脇腹に入った。コアの白い光が、赤く弾ける。

だが、相手の拳も止まらない。俺の肩にも衝撃が入った。

 

右腕の感覚が一瞬で消えた。

 

俺も相手も立ったまま、判定を待った。

どちらのコアが先に砕けたのか、俺には分からない。

 

「ふむ、明らかだ」

 

「先に破壊されたのは――」

 

「脇腹のコアだ」

 

相手の方だった。

 

「勝利はお前だ。英二郎」

 

俺が勝った。

 

「よっしゃああああ!!!」

 

だが、右腕は動かず、ガッツポーズは取れなかった。

 

「右を撃たなかったな」

 

教官の声に、俺は右腕を押さえたまま息を吐いた。

 

「撃つ時のノイズ」

 

「あれは、この場にいる全員に聞こえていた」

 

「あのノイズが右を出す合図となっていた」

 

キィ……ィィン、ヂリッ。

 

右腕に力を込める。すると、さっきと同じ音が鳴った。

 

「隙を作るために、右で撃つと見せかけた」

 

「良いフェイントだ」

 

教官は俺の右腕へ目を向けた。

 

「だが、勝利のために、その先へ踏み込む覚悟はあるか」

 

教官は声を低くし、ただ答えを待つようにこちらを見ていた。

俺は力を抜き、教官の胸元にある国章へ敬礼した。

 

「はい。国と勝利のために」

 

教官は、ほんのわずかに頷いた。

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