国に選ばれ、俺はサイボーグボクシングの選手になった。
オリンピックで勝つために、身体を改造された。
怖いとは思わなかった。むしろ、誇らしかった。
発表の日、教官は俺の肩を叩いた。
「よく選ばれたな。君は国に必要とされた」
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
必要とされた。俺が、国に。
朝食のトレイには、卵と鶏肉、油で焼いたパン、果実ゼリーまで並んでいた。
朝から肉が出るなど、この国ではほとんどありえない贅沢で、俺はそれを国からの信頼の証だと信じた。
「ガード戻せ! 今ので死ぬぞ!」
教官の怒号を背に訓練場の奥へ進むと、床に鮮やかな赤い線が見えた。
一般の訓練生には越えられない、選手だけの境界だった。
「訓練開始」
「さあ、前回の記録を超えろ」
黒い鉄芯入りサンドバッグの前に立つ。
「打ってこい」
右足を半歩引き、拳を構える。
首の後ろでインプラントが低く唸り、右肩の油圧アクチュエータが目を覚ます。
ぎ、ぎぎ……と人工筋肉が締まり、背中の装甲が圧を溜めていく。
スパォッッッッ!!!────────
右拳が空気を裂いた。
鉄芯入りのバッグは中央からひしゃげ、鎖ごと後方へ吹き飛んだ。
その衝撃に床が震え、訓練生たちの声が一瞬で止まった。
「記録更新だ」
「おめでとう」
その言葉は、拍手なんかよりずっと重かった。
俺は拳を下ろしながら、静かに息を吐いた。
「次は対人戦だ」
「来い!」
赤い線の向こうから、一人の選手がリングへ上がった。
俺の身体は殴るために太く作られている。
肩は異常に厚く、構えを取るだけで床が軋み、背中の装甲は油圧の逃げ道を求めて低く唸る。
だが、相手の身体はまるで違った。
弱そうだった。
細い。軽い。
装甲も薄い。
なぜこいつが、赤い線の向こう側にいるのか分からなかった。
「よろしくお願いします」
相手の一礼に返し、互いに構えを取った。
ピ、ピ、ピー。
ピッ。
パワウゥゥン――シャァン!!!!
開始音と同時に両者のコアが起動した。
両肩と両脇腹に、白いコアが一つずつせり上がった。
どれか一つでも損傷が限界を超えれば即敗北。
どれほど相手を傷つけても、コアを壊さなければ勝ちにはならない。
迷わず踏み込み、相手の肩のコアを狙った。
白くせり出したそこを、一撃で砕く。
そう思っていた。
スパッッ!!
俺の拳が空を裂いた時には、相手はもうそこにいなかった。
ガツンッ
相手の拳は、正確に俺の肩を捉えていた。
「ふぅ────────」
相手は息を吐いただけだった。
油圧を唸らせ、俺はもう一度拳を引いた。それでも奴は微動だにしない。
ただ、俺が撃つのを待っている。
そう気づいても、一度動き出した腕は止まらなかった。
スパッ…!
また空を裂いた。
肩ががら空きになる。とっさに守ろうとした瞬間、脇腹が開く。
奴の拳が脇腹を狙って飛んでくるのは分かっていたのに、それでも体は間に合わない。
ガンッ
脇腹のコアが赤く点滅した。痛みはない。息も切れていない。
なのに、確実に削られている。
「あと一撃!脇をやられたら終わりだ!」
赤い線の向こうで誰かが叫んだ。黙れ。分かっている。
俺は肘を下げ、脇腹を締めた。
その瞬間、相手の視線が上がった。
肩を狙っている。分析インプラントも警告を発した。
だが、下げた腕はすぐには上がらない。
俺の肩へ、相手の拳が伸びた。
…
キィ……ィィン、ヂリッ
相手の動きが一瞬だけ止まった。
いや、止まったんじゃない。
相手のインプラントが俺の右ストレートを警戒し、身体をわずかに外へ逃がした。
だが、俺は右を撃たない。
相手の脇腹がこちらを向いている。
見えているだけじゃない。思いっきりぶち込める角度だ。しかも、相手はまだ右を警戒している。
これ以上ない好機だった。
俺は左を放った。
スパッッ!!ッッァアン────────
左拳が相手の脇腹に入った。コアの白い光が、赤く弾ける。
だが、相手の拳も止まらない。俺の肩にも衝撃が入った。
右腕の感覚が一瞬で消えた。
俺も相手も立ったまま、判定を待った。
どちらのコアが先に砕けたのか、俺には分からない。
「ふむ、明らかだ」
「先に破壊されたのは――」
「脇腹のコアだ」
相手の方だった。
「勝利はお前だ。英二郎」
俺が勝った。
「よっしゃああああ!!!」
だが、右腕は動かず、ガッツポーズは取れなかった。
「右を撃たなかったな」
教官の声に、俺は右腕を押さえたまま息を吐いた。
「撃つ時のノイズ」
「あれは、この場にいる全員に聞こえていた」
「あのノイズが右を出す合図となっていた」
キィ……ィィン、ヂリッ。
右腕に力を込める。すると、さっきと同じ音が鳴った。
「隙を作るために、右で撃つと見せかけた」
「良いフェイントだ」
教官は俺の右腕へ目を向けた。
「だが、勝利のために、その先へ踏み込む覚悟はあるか」
教官は声を低くし、ただ答えを待つようにこちらを見ていた。
俺は力を抜き、教官の胸元にある国章へ敬礼した。
「はい。国と勝利のために」
教官は、ほんのわずかに頷いた。