氷の銀、闇の蛇 作:トート
グランド・キングダムの精鋭部隊との激しい死闘が幕を閉じ、荒野にようやく重苦しい夜が訪れた。
昼間の戦いでシルバの影『ハイドラ』によって徹底的に破壊された機械兵の残骸が、月光を浴びて不気味に黒い影を落としている。
急造された粗末なキャンプ地では、焚き火のパチパチとはぜる音だけが響いていた。
テントの前で火を囲むシュウとジーロの表情は硬い。命を救われたとはいえ、あの銀髪の巨漢が見せた、命乞いをする敵の指揮官さえも容赦なく肉塊に変えた冷酷さが、彼らの若い心に深い恐怖と拒絶感を植え付けていた。
「なぁゾラ……。本当にあいつを仲間に旅を続けるのかよ?」
シュウが膝を抱え、焚き火を見つめたまま不満を口にした。
「あいつの戦い方は異常だ。相手は武器を捨ててたんだぞ! 女の人や子供だって、あいつなら平気で殺しちまうかもしれない。あんな血も涙もない奴、俺は信用できない!」
「シュウの言う通りだ」
ジーロも腕を組み、鋭い視線をゾラに向ける。
「実力は認めざるを得ないが、あまりに危険すぎる。背後から俺たちまでハイドラの餌食にされるんじゃないか?」
子供たちの反発を、ゾラは冷たい瞳で受け止める。彼女は焚き火の明かりに照らされながら、静かに首を振った。
「甘いわね、二人とも」
ゾラの声は低く、淡々としていた。
「私たちはネネという、世界を滅ぼそうとする絶対的な悪を相手にしているの。これは騎士道の試合でも、村のガキ大将の喧嘩でもない。生きるか死ぬかの戦争よ。あそこで敵を生かせば、私たちの情報がネネに渡り、次の街に着く前に今度こそ全滅していたわ」
「だけど……!」
「綺麗なままで世界は救えない」
ゾラはシュウの言葉を遮り、立ち上がった。
「シルバは手段を選ばない。けれど、だからこそ、この過酷な旅においてこれ以上ない『確実な盾』になる。彼を御(ぎょ)するのは私の役目よ。あなたたちは自分の未熟さを自覚し、足を引っ張らないことだけを考えなさい」
そう言い残すと、ゾラは夜の闇の中へと歩き去っていった。
一連のやり取りを、少し離れた場所で静かに聞いていたクルックは、胸のざわつきを抑えられずにいた。彼女の脳裏には、昼間に出会ったシルバの、199センチの筋肉質な巨躯から放たれる圧倒的な威圧感と、一片の感情も宿さないエメラルドグリーンの瞳が、焼き付いて離れなかった。
(シルバさん……。本当に、ゾラさんの言う通り『盾』として従うだけの人なのかな……)
キャンプ地から大きく離れた、突き出た巨岩の影。
そこは焚き火の光も届かない、完全な闇の世界だった。シルバは一人、岩肌に背を預けて佇んでいた。鎧に包まれた頑強な身体は、暗闇の中でも圧倒的な質量を持ってそこに存在している。銀色の髪が夜風にしなやかに揺れ、エメラルドの瞳はただ冷徹に、荒野の境界線を見つめていた。
ササ、と草を分けるかすかな足音が聞こえた。シルバは視線すら動かさない。気配で誰かは分かっている。
「子供たちを随分と厳しく突き放してきたな、ゾラ」
シルバの声は低く、硬質だった。
「仕方のないことよ。あの子たちはまだ、本当の地獄を知らないのだから」
闇の中から現れたゾラは、シルバのすぐ目の前まで歩み寄ると、ふっと息を吐いて肩の力を抜いた。シュウたちの前で見せる完璧なリーダーの仮面を脱ぎ捨てた彼女の顔には、世界の命運を一人で背負う重圧からの、深い疲弊が滲み出ている。
ゾラは迷うことなく、見上げるようなシルバの広く頑強な胸の前に一歩踏み込んだ。
199センチの巨躯を持つシルバに対し、ゾラは頭一つ分以上も小さい。シルバは無言のまま、丸太のように太い腕をゆっくりと動かし、ゾラの華奢な肩をその強固な胸板へと引き寄せた。
まだ、身体を深く重ねるような段階ではない。だが、シルバの広く分厚い胸の中にすっぽりと収まった瞬間、ゾラの身体の緊張が目に見えて解けていく。衣服越しに伝わる、シルバの圧倒的な熱量と、鋼のように硬い筋肉の感触。それはゾラにとって、世界で一番安全で、唯一己の弱さを預けられるシェルターのようだった。
「……私の盾になると言った言葉、嘘ではないようね」
ゾラがシルバの胸に顔を埋めたまま、掠れた声で呟く。
「俺は嘘はつかない。お前が俺に生きる目的をくれた。だから、お前の目的を阻むものは、俺がすべてこの手で肉塊に変える。お前がその手を汚す必要はない」
シルバの手が、ゾラの背中にそっと添えられる。昼間の徹底した冷酷さが嘘のように、彼女を包み込むその手つきは慎重で、眼差しには狂おしいほどの深い信頼が宿っていた。
「頼りにしてるわ、シルバ。私を……最後まで導いて」
「ああ。お前なしの世界など、俺には何の意味もない」
二人はそれ以上言葉を交わさず、ただ静かに互いの体温と鼓動を共有していた。まだ肉体的な交わりはない。しかし、他者を一切寄せ付けない、暗闇の中で寄り添う二人の魂の結びつきは、あまりにも深く、そして独占的だった。
その様子を、岩陰のさらに奥から、こっそりと覗き見ていた者がいた。
不安で眠れず、ゾラの後を追ってきたクルックだった。
木々の隙間から、月光に照らされる二人の姿が見えた瞬間、クルックは胸が締め付けられるような激しい衝撃を覚えた。
(なにか……凄い。誰も、入れないみたい……)
昨夜、自分たちをゴミのように見下ろしたシルバのエメラルドの瞳。近づくだけで凍りつきそうなほど怖かったあの巨漢が、ゾラを抱きすくめる時だけは、信じられないほど優しく、穏やかな空気をまとっている。そしてゾラもまた、シルバの頑強な腕の中で、見たこともないほどか弱く、安らいだ表情を浮かべていた。
それは、肉体的な情事よりもなお強固な、大人二人の「絶対的な信頼の檻」だった。
(どうして……? ゾラさんだけなの? どうして私には、あんなに冷たくて恐ろしい目を向けるの……?)
胸の奥から湧き上がってきたのは、恐怖を通り越した、ドス黒い「やきもち(嫉妬)」だった。
シルバという、圧倒的な強さと恐ろしさを持つ男。その存在のすべてが、最初からゾラのためだけに捧げられている。自分たち子供組は、ただの足手まといとしてしか見られていないという疎外感と、ゾラへの激しい羨望が、クルックのまだ幼い心を静かに、しかし確実に狂わせていく。
ガサリ、と動揺したクルックの足が、不意に地面の枯れ枝を踏み鳴らした。
「誰だ」
シルバのエメラルドの瞳が、瞬時に鋭さを増して暗がりを射抜いた。ゾラを腕に抱いたまま、微動だにせずこちらを睨みつける199センチの戦鬼の視線。
クルックは悲鳴を上げそうになりながら、狂ったように自分のテントへと走り出した。
背後から追ってくる気配はなかった。しかしクルックの心には、ゾラへのやきもちと、シルバへの歪んだ独占欲という、暗い秘密の種が深く植え付けられるのだった――。