氷の銀、闇の蛇 作:トート
完膚なきまでに叩き潰された翌朝、野営地を包む空気は、敗北の血の臭いと冷徹な沈黙に支配されていた。
「痛むか、シュウ」
ジーロが低く掠れた声で問いかける。その顔や腕には、昨日のシルバとの激突でついた生々しい打撲痕が青黒く残っていた。
「……大丈夫。それより、お前こそ」
シュウは骨が軋む胸元を抑えながら、腫れ上がった顔で首を振った。
彼らの背後には、いまだ実体を保つことすらできないほど精神エネルギーを根こそぎ削り取られた『ブルードラゴン』と『ミノタウロス』の、消えかけの気配が虚しく燻っている。
普通の旅であれば、ここで決別を選び、別々の道を歩んでいただろう。しかし、少年たちにはそれができなかった。彼らの足首には、目に見えない強固な鉄鎖が絡みついている。
ネネの居城『タルタロス』へ至る古代の航路や知識、裏社会のコネクションを握っているのは、世界でゾラただ一人だ。ここで背を向けることは、ネネに怯えて世界を見捨てることと同義だった。何より、シルバという怪物の前に、怯えたようにただ従順に佇む幼馴染――クルックを、この血も涙もない大人たちの元に置いて逃げることなど、シュウたちの正義感が絶対に許さなかった。
(俺たちが離れたら、クルックは本当にアイツの壊れたおもちゃにされちまう……。それに、もしここで別行動を取ろうと背を向けたら、アイツは情報を守るために、俺たちを後ろから容赦なく消すはずだ……)
影の圧倒的な実力差を見せつけられたからこそ分かる、本能的な死の予感。少年たちは血の涙を流しながらも、この地獄のようなパーティーにしがみつくしかなかった。彼らの精神エネルギーは疲弊しきり、抗うための影の力を引き出すことすらままならない。
「出発するわよ。遅れる者は容赦なく置いていくわ」
ゾラが冷淡な声で告げ、地図を懐に収める。そのすぐ斜め後ろには、見上げるほど大柄な体躯のシルバが、銀の髪を朝風になびかせながら「絶対的な盾」として収まっていた。エメラルドの瞳は、傷だらけの少年たちを一瞥すらしない。彼らにとってシュウたちの怒りなど、ゾラの目的のための『盤上の駒』が少し暴れた程度に過ぎないのだ。
「……はい」
小さな、けれど明確な屈服を孕んだ声が響く。クルックだった。
彼女は自分の手首をもう片方の手で固く握りしめたまま、シルバが歩き出すのを待っていた。シルバのエメラルドの瞳が、ふっと彼女を冷酷に射抜く。ただ視線を向けられただけで、クルックの心臓は痛いほど脈打ち、首筋の奥がカッと熱くなった。
(シュウたちじゃ、あの人には勝てない。世界中の誰も、あの人を止められないんだ……)
昨日の凄絶な暴虐を目の当たりにし、クルックの心は完全にシルバという「圧倒的な強者」の肉体に屈服していた。彼に従わなければ消されるという絶対的な恐怖。影を操るその冷徹な男の裏側で、自分を壁に圧し潰したあの頑強な腕に、もっと深く支配されたい、ゾラと同じように扱われたいという歪んだやきもちと依存が、彼女の理性を泥沼の奥底へと引きずり込んでいく。
シルバがわずかに顎を動かす。その無言の命令に従い、クルックは糸で引かれる人形のように、まっすぐ彼の背中を追って歩き出した。
「クソッ……!」
シュウは壊れそうな正義感を必死に繋ぎ止め、ジーロと共にその後に続く。
離脱することすら許されない絶望の檻の中、一行は修復不可能な不協和音を響かせながら、さらなる深い闇の日常へと歩みを進めていくのだった――。