氷の銀、闇の蛇 作:トート
荒野に昇った朝日は、血のように赤い陽光をキャンプ地に投げかけていた。
昨夜の出来事に囚われ、ほとんど眠れなかったクルックは、重い瞼をこすりながらテントの外へと足を踏み出した。
朝の光の中で、シルバはすでに冷徹な佇まいで佇んでいた。
その巨躯は、ただそこに立っているだけで周囲の空間を圧迫する。銀色の髪が朝風になびき、エメラルドの瞳は一片の曇りもなく、これから進むべき道を冷酷に見据えていた。
「おい、シルバ!」
張り詰めた空気を破るように、怒気を含んだ声が響く。シュウだった。
シュウは拳を固く握りしめ、シルバの頑強な背中に向かって真っ直ぐに歩み寄る。その後ろからは、止めるべきか迷うような表情のジーロが続いていた。
シルバは振り返りすらしない。その態度が、シュウの逆鱗に触れた。
「聞こえてるだろ! 昨日の一味の指揮官のことだ。命乞いをしてる奴を、名前も知らないお前が勝手に肉塊に変えちまうなんて、やっぱり間違ってる! 俺はお前を、ゾラさんの仲間としても、俺たちの仲間としても絶対に認めない!」
激昂するシュウの前に、ゾラが静かに割って入った。
「やめなさい、シュウ。昨日も言ったはずよ。シルバは私の盾であり、この旅に必要な力だと」
「ゾラさんまでそんなことを言うなよ! 確かに俺たちはまだ未熟かもしれない。だけど、あんな血も涙もないやり方を肯定してたら、俺たちはネネと同じになっちまう!」
シュウの言葉は、正義感に満ちた純粋なものだった。しかし、それは過酷な現実を生き抜いてきた大人たちにとっては、あまりにも青く、脆い綺麗事だった。
シルバがゆっくりと身体を反転させる。
見上げるほど大柄な体躯。彼が一歩を踏み出した瞬間、シュウの身体が本能的な恐怖で微かに強張った。シルバのエメラルドの瞳は、シュウという存在を完全に「未熟なガキ」として見下ろしている。
「認めない、か。ガキの承認など、最初から求めていない」
シルバの声は低く、鉄のように冷たかった。
「お前たちが掲げる正義がどれほど立派だろうと、戦場で死ねばただの肉塊だ。綺麗事でゾラを守れると思うなら、その『ブルードラゴン』の力、俺に証明してみせろ」
「上等だ! お前がどれだけ強いか知らないが、間違ってるってことを体に教えてやる!」
シュウが叫ぶと同時に、彼の背後から青き竜――『ブルードラゴン』が咆哮とともに姿を現した。
「シュウ、やめろ!」
ジーロの声も、すでにシュウの耳には届いていなかった。ブルードラゴンは巨大な拳を振り上げ、シルバの分厚い胸板を目がけて真っ直ぐに殴りかかる。
だが、シルバは眉一つ動かさなかった。
ハイドラを呼び出すことすらせず、彼はただ、己の肉体だけでその一撃を迎え撃った。
ドォンッ!! と重苦しい衝撃波が荒野を駆け抜ける。
シュウは目を見開いた。ブルードラゴンの拳は、シルバが突き出した丸太のような太い両腕によって、完全に受け止められていたのだ。シルバの頑強な筋肉が鎧の下で微かに盛り上がる。圧倒的な体格差と、それを裏付ける計り知れない怪力。
「……これだけか」
シルバが低く呟いた瞬間、彼の背後から漆黒の巨蛇――『ハイドラ』が爆発的に噴出した。
無数の首が鞭のようにしなり、ブルードラゴンの巨体を一瞬にして締め上げる。
「がはっ……!? くそ、力が……っ!」
影の主であるシュウの身体に、凄まじい圧迫感が伝わる。ブルードラゴンがハイドラの漆黒の鱗に締め付けられ、苦悶の声を上げる。
シルバはそのまま一歩を踏み込み、抵抗を試みるシュウの胸ぐらを、巨大な片手で容易く掴み上げた。
「う、あ……っ!」
地面から完全に足を浮かせられ、宙に吊るし上げられるシュウ。見上げるようなシルバの巨躯の前では、シュウは文字通り、手も足も出ない赤ん坊のようだった。エメラルドの瞳が、至近距離でシュウを冷酷に見つめる。
「お前の強さはその程度だ。甘い理想を口にする割に、自分の身一つ守る力すらない。そんなガキが、ゾラの隣に立つな。邪魔だ」
シルバの腕に僅かに力が込められ、シュウをそのまま地面の岩肌へと容赦なく叩きつけた。
「ガハッ……!」
激しい衝撃とともに砂塵が舞い上がり、シュウは息を詰まらせてその場に倒れ伏した。ブルードラゴンも形を保てず、霧のように消散していく。
「シュウ!」
ジーロがミノタウロスを構えて飛び出そうとしたが、シルバの冷徹な一瞥だけで、その足がピタリと止まった。牙を剥くなら、女子供だろうが関係なく肉塊に変える――その絶対的な殺気が、ジーロの身体を本能的に縛り付けたのだ。
戦場に圧倒的な静寂が戻る。シルバは乱れた銀髪を無造作にかき上げると、倒れるシュウには目もくれず、ゾラの背後へと歩み寄り、再び彼女の「絶対的な盾」として収まった。
ゾラは冷たい表情のまま、シュウを見下ろす。
「分かったかしら、シュウ。これが現実よ。彼を敵に回して生き残れる者はいないわ。行くわよ、シルバ」
「ああ」
二人は息の合った様子で、そのまま歩き出した。
その光景を、息を潜めて見つめていたクルックは、激しい恐怖で全身の震えが止まらなかった。シュウが手も足も出ずにねじ伏せられた圧倒的な力。女子供にも容赦のない、底知れない冷酷さ。
(怖い……。なんて、恐ろしい人なんだろう……)
けれど、クルックの胸の奥で、恐怖とは全く別の、歪んだ感情が静かに鎌首をもたげていた。
昨夜、ゾラをその強固な腕で抱きすくめていた時の、あの信じられないほどの優しさと温もり。自分たちをゴミのように見下ろすあのエメラルドの瞳が、ゾラにだけは狂おしいほどの情愛を向ける。
恐怖の裏側で、シルバという男の圧倒的な強さと、ゾラだけが独占しているその「甘さ」への渇望が、クルックの心の中でドロドロと混ざり合っていく。
(私も……あの腕に、抱きしめられたら……)
生まれて初めて抱く、狂おしいほどのやきもちと、その絶対的な強者への歪んだ興味。
クルックは、倒れたシュウを抱き起こすジーロの手伝いをしながらも、その視線は遠ざかっていくシルバの広く逞しい背中から、どうしても逸らすことができなかった――。