氷の銀、闇の蛇 作:トート
シュウがシルバに手も足も出ずねじ伏せられた翌日から、一行を包む空気は目に見えて重苦しいものへと変わっていた。
赤茶けた岩山を縫うように進む道中、会話らしい会話は一切ない。先頭を歩くゾラの斜め後ろには、常に銀色の髪をなびかせたシルバが影のように付き従っている。見上げるほど大柄なその体躯は、ただそこにいるだけで、後方を歩く子供たちに無言の圧迫感を与え続けていた。
「くそっ……」
隊列の最後尾を歩くシュウが、未だに痛む胸元を押さえながら低く毒づく。
衣服には昨日の泥がこびりついたままだ。怪力で岩肌に叩きつけられた屈辱と、肉体的な恐怖。それがシュウの誇りを激しく傷つけていた。
「シュウ、無理をすな。まだ体が痛むんだろ」
ジーロが声を落として宥めるが、そのジーロとて、シルバの背中を睨みつける視線には強い警戒と敵意が混ざっている。いつ自分たちに牙を剥くか分からない怪物――子供たちの目には、シルバはそう映っていた。
しかし、その二人とは全く異なる理由で、シルバから目を離せない者がいた。
クルックだった。
(……あの大きな背中。昨日の、あの信じられないくらいの力……)
クルックは歩幅を合わせながら、無意識にシルバの広く頑強な背中を見つめていた。
シュウのブルードラゴンを片手で受け止め、子供の身体を木の葉のように投げ飛ばした圧倒的な強さ。近づくだけで肌が粟立つような、一片の容赦もない冷酷さ。それらは確かに恐ろしいはずなのに、クルックの胸の奥では、別の感情がドロドロと泡を立てていた。
一昨日の夜、岩陰で目撃した光景が頭から離れない。
ゾラをその分厚い胸板の中にすっぽりと閉じ込め、信じられないほど優しく髪を撫でていたシルバの手。あの冷徹極まりないエメラルドの瞳が、ゾラを前にした時だけ、狂おしいほどの深い熱を帯びる。
(ゾラさんだけが、あの強さを独占してる。ゾラさんだけが、あの人に特別に扱われてる……)
それは、まだ幼いクルックにとって、生まれて初めて抱く強烈な「やきもち」だった。シルバへの恐怖と、彼に選ばれているゾラへの激しい羨望。その二つの感情が混ざり合い、彼女の精神をじわじわと侵食していく。
「――おい」
突如、すぐ目の前から降ってきた低い声音に、クルックはびくりと肩を跳ね上げた。
気づけば、先頭を行く一行が足を止めていた。そして、振り返ったシルバのエメラルドの瞳が、真っ直ぐにクルックを射抜いていた。
「あ……っ」
息が詰まる。その冷ややかな視線に晒された瞬間、クルックの心臓が不自然に跳ね上がった。
「上の空で歩くな、ガキ。足元が疎かだ。これ以上、旅の足を引っ張るな」
シルバの声には、昨日シュウをねじ伏せた時と変わらない、徹底した冷酷さしかなかった。自分たち子供など、ゾラの目的のための足手まといに過ぎないと言わんばかりの態度。
「な、なんだよその言い方は!」
シュウがすかさず割って入ろうとするが、クルックは慌ててシュウの腕を掴んで制した。
「ち、違うの、シュウ! 私がボーッとしてただけだから!……ごめんなさい、シルバさん」
クルックは真っ赤になった顔を伏せ、絞り出すように謝罪の言葉を口にした。
恐怖で身がすくんでいるはずなのに、彼に声をかけられたという事実に、胸の奥が妙に熱くなる。そんな自分自身に、クルックは激しい自己嫌悪と戸惑いを覚えていた。
ジーロがそんなクルックの様子を、怪訝そうな目で見つめる。
「おいクルック。お前、昨日から様子がおかしいぞ。体調でも悪いのか、それとも……あの男に何かされたのか?」
「えっ!? な、なんでもないよ! 本当に、ちょっと寝不足なだけ!」
必死に否定するクルックの声を、ゾラは冷淡に聞き流していた。
「無駄話はそこまでにして、先を急ぐわよ。この先にある渓谷を抜ければ、次の街が見えてくるわ。シルバ、斥候をお願い」
「ああ」
シルバは短く応じると、何事もなかったかのように再び歩き出す。ゾラの背後、彼女をあらゆる障害から守る「絶対的な盾」としての定位置。
クルックは、再び遠ざかっていくシルバの逞しい背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
シュウやジーロには絶対に言えない、胸の中の暗い秘密。
シルバという恐ろしい怪物への歪んだやきもちと、言葉にできない執着の種は、この不穏な日常の中で、誰にも気づかれぬまま深く、深く根を張っていくのだった――。