背中合わせの正義―交わらない最適解 作:深見
お気に入り・評価・コメントいただきありがとうございます。
出張続きでストップしてしまっていました。
終わらせる気はあるので、気が向いた時に見ていただければ嬉しいです。
鍵の情報を流した後、フクロウはその場から立ち去ったように見せかけ、崩れた天井の隙間へ丸い身体を滑り込ませた。
列車が突っ込んだ衝撃で、通路には石片と漆喰の粉が散らばっている。その上を蹴り、麦わらの一味が塔の中へ散っていった。
麦わら帽子は迷わず上へ向かう。
剣士も階段を駆け上がる。
金髪の男と橙色の髪の女は、踊り場一つ分の間を空けてその後に続いた。
長鼻は三階で西側へ曲がり、毛むくじゃらの生き物は二階へ向かう。
フランキーだけが一階に残り、並んだ扉を片端から開けていた。
フクロウは懐から子電伝虫を取り出した。
「チャパパ。報告だぞー」
『待て』
リバーの声に続いて、短い接続音がいくつも鳴った。
『共有回線へ繋いだ。続けろ』
「麦わらは上だ。ロビンを追ってるぞー」
『麦わらは無視でいい。ルッチは護送継続。向こうから来るのを待てばいい』
「剣士は五階東。……お?」
『どうした』
「西に戻った。いや、今度は下り階段に入ったぞ」
『誘導か?』
「意図的には見えないな」
短い沈黙が落ちた。
「もしかして、迷ってるのか?」
『……位置は継続して見ろ。次』
「金髪と女は、三階から四階へ上がってる。金髪が少し先だ。長鼻は三階西側、書庫の方へ入った」
『カリファ。金髪は四階東、第三査問室へ入れろ』
共有回線の向こうでヒールが一度鳴った。五階から下りていたカリファは、そのまま剃で四階東へ向かう。リバーも通話を続けながら、その後を追った。
『フクロウ。女を追え。四階西側に残して、中央階段を越えさせるな』
「分かったぞ」
フクロウは天井の割れ目から二階を覗き込んだ。
「二階の毛むくじゃらは、途中で見た目が変わったぞー。今は鹿みたいになってる」
『変身能力は確定だな。人型、四つ足、小型は確実にある』
「ゴリラが鹿になるのか?」
『知らん。分類は後だ』
「じゃあ何なんだ?」
『……クマドリ、変身は少なくとも三形態ある。注意しろ。次』
「フランキーは一階で何か探してるぞー」
『コーラだな』
リバーは一度言葉を切った。
『配置を再確認する。剣士はジャブラ。進路は当てにせず、匂いで拾え。長鼻はブルーノ。三階西だ』
『二階の変身持ちはクマドリ。一階のフランキーはカク。厨房へ先回りしろ』
『異常がある奴だけ返せ』
応答はなかった。回線の向こうでは、すでにそれぞれの足音が遠ざかり始めていた。
接続音が一つずつ途切れていく。最後にフクロウとリバーの回線だけが残った。
『フクロウ』
「何だー?」
『余計なことは喋るなよ』
フクロウは反射的に口のチャックを押さえた。
「分かってるぞ」
『お前は口を閉じてりゃ一流なんだ。頼むぞ』
「チャパパ」
笑いかけて、慌ててチャックを閉じる。
通信が切れると同時に、フクロウは天井裏から滑り出た。
四階へ向かうナミの足音は、まだ一つ下の踊り場から聞こえていた。
五階へ降りたジャブラは、フクロウが最後に報告した下り階段で剣士の匂いを拾った。しかし、匂いは階段を途中まで下りたところで引き返し、再び五階へ戻っていた。今度は西側の廊下へ伸びている。
「下りたんじゃなかったのかよ」
ジャブラはしばらく階段を睨み、舌打ちして西側の廊下へ駆け出した。
三階西側へ向かったブルーノは、書庫へ続く重い扉を静かに閉じた。
一階へ降りていたカクは途中で足を止め、厨房を示す表示の方へ向きを変える。
クマドリの草履が、二階へ続く階段を擦った。
司法の塔の地下通路で、ルッチは電伝虫を懐へ戻した。前方ではスパンダムが肩で風を切るように、ロビンの前を歩いている。
ルッチは振り返らない。
リバーの判断に異論はなかった。ロビンを連れている限り、麦わらは来る。来なければ、そのまま護送は終わる。任務としては、それが一番いい。
だが、麦わらの位置を聞いたルッチの口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。
*****
四階東側、第三査問室。
カリファは長机に残された書類を端へ寄せ、証言台へ目を向けた。高い窓から差し込む陽の光が、磨かれた石床を白く染めている。
出入口は一つ。
リバーは扉の蝶番を確認し、廊下へ目を向けた。
「初動だけだったわね」
「ああ。あいつがお前と最後まで戦うなら、俺の出番はない」
「逃がすとでも?」
「可能性の話だ」
カリファが眼鏡を押し上げる。
「随分と慎重なのね」
「言っただろ。俺は奴らを警戒してる」
リバーは扉を開け、廊下に人影がないことを確認した。
「予定通りに済めば、すぐ次へ行く」
「ええ。そうしてちょうだい」
リバーは査問室を出ると、同じ並びにある一つ手前の空室へ入った。扉を僅かに開けたまま、気配を消す。
それから少しして、階段の方から足音が近づいてきた。カリファは一人になった査問室で、扉を半分だけ開けた。
*****
サンジは四階へ続く階段を駆け上がっていた。
一つ下の踊り場を振り返ると、直角に折れた階段の向こうからナミが上がってくる。
「ナミさん! おれは先に様子を見てくる!」
「分かったわ! すぐに追いつく!」
ナミの声が吹き抜けへ響く。
サンジが四階へ足をかけたところで、東側の廊下から女の声がした。
「そこの方。少し、手を貸していただけないかしら」
足が止まった。半開きになった扉から、金髪の女がこちらを見ている。
「あ、はい♡ よろこんで♡」
サンジは吸い込まれるように東側へ曲がった。
サンジの顔は緩んでいた。目にはハートが浮かび、口元はだらしなく笑っている。女に呼ばれた男としては、大変正直な反応だった。
査問室へ入りながら、サンジは視線だけで内部を確認する。扉は一つ。高窓。長机。証言台。壁際には記録簿の並んだ棚。
逃げ道は一か所。
サンジは内心で、自分の首根っこを掴んで揺さぶった。俺のバカ野郎。罠だと分かってて入る奴があるか。
「ありがとう。助かるわ」
カリファは柔らかく微笑んだ。整った声が耳に入った瞬間、サンジの内心の自分は、首根っこを掴んでいた手を離した。
「レディの頼みとあらば、たとえ火の中水の中、司法の塔の中でございます♡」
カリファは笑みを浮かべたまま、扉を閉めた。
*****
少し遅れて四階へ上がったナミは、階段の踊り場で足を止めた。
サンジの姿がない。
東西に伸びる廊下には、同じような扉がいくつも並んでいる。階段が直角に折れているため、先を走っていたサンジがどこへ入ったのかも見えなかった。
「もう、サンジ君ったらどこ行ったのよ」
東側へ足を向けた時、頭上から声が落ちてきた。
「そっちはだめだぞー」
ナミが顔を上げる。吹き抜けに面した手すりの上に、丸い男がしゃがんでいた。
「何よ、あんた」
答える代わりに、フクロウの姿が消える。
風が正面からぶつかった。
ナミは咄嗟に身を引く。眼前の床へフクロウの足が落ち、石材に細かな亀裂が走った。
ナミは踵を返し、西側へ走る。
廊下の両側には、番号を振られた記録室や執務室が続いていた。ナミは三つ目の扉を開け、身体を滑り込ませる。
中には背の高い書架が並び、紐で束ねられた記録簿が天井近くまで積まれていた。
扉を閉め、天候棒を取り出す。部屋の奥で、紙が一枚落ちた。
ナミが振り返る。書架の間には誰もいない。だが、その頭上、書架と天井の隙間で、丸い影が口のチャックを固く閉じていた。
*****
「私の頼みは一つだけ」
カリファは長机の向こうへ歩く。ヒールの音が、石床に小さく響いた。
「ここで、しばらく私と過ごしてほしいの」
「もちろんでふ♡」
サンジの顔は緩みきっていた。カリファは足を止め、最後の靴音が石床から消えるのを待った。
「あなたが死ぬまで」
その一言だけ、声から温度が消えた。次の瞬間、カリファの脚が振り抜かれる。
「嵐脚」
白い斬撃が長机を斜めに裂いた。サンジは床を蹴る。割れた天板が背後で崩れ、積まれていた書類が風に巻き上げられた。
「いきなり情熱的じゃねェか、レディ」
口元は上がっているが、目はもう笑ってはいなかった。次の瞬間、カリファの姿が消えた。
剃。
横から伸びた脚を、サンジは蹴りで受けた。靴とヒールがぶつかり、査問室に重い音が響く。
カリファの身体は、蹴れば届く距離にある。サンジの脚はそこへ向かわなかった。
代わりに割れた天板の端を蹴り上げる。跳ねた木板が二人の間へ入り、カリファの視界を塞いだ。
カリファは紙絵で身体を流す。その先へ、椅子が滑ってきた。跳んで避ける。着地点には、砕けた証言台の破片が飛んでくる。
嵐脚で破片を打ち落とす。サンジはカリファの身体を一度も蹴らなかった。それでも間合いを外し、足場を奪い、攻撃の線だけを潰してくる。
カリファはわざと半歩踏み込んだ。
胴が開く。
サンジの脚が上がり、脇腹へ向かう。しかし、触れる直前で軌道が変わった。靴底が机の残骸を蹴り飛ばし、カリファの身体には触れなかった。
カリファは、わざと感心したように目を細めた。
「あら。本当に蹴らないのね。報告通りだわ」
サンジの顔から、軽薄な笑みが消えた。
「そういうことか。最初からそれ目当てで、おれの相手をしてるってのか」
「あなたが勝手に不利を選んでいるだけでしょう」
「不利だろうが何だろうが、おれは死んでも女は蹴らねェ」
サンジは煙草を噛み、扉へ目を走らせた。
「だが、ここで大人しく捕まるわけにもいかねェ」
ナミは、すぐ後ろから四階へ上がってくるはずだ。この女が自分の性質を把握して待っていたのなら、他の仲間にも何かを仕掛けている可能性がある。
「後ろには仲間がいる。てめェ一人に構ってる暇はねェんだ」
「辿り着ければ、の話ね」
再び攻防が始まった。
カリファの嵐脚が壁を削り、指銃がサンジの上着を掠める。サンジは家具を蹴り、砕けた木材を盾にしながら、少しずつ扉へ位置を移していく。
カリファはそれに気づいていた。扉側の間合いを潰すことはできる。だが、扉の向こうにはリバーがいる。
サンジが椅子を蹴った。カリファは紙絵で外し、続けて放たれた木片を嵐脚で砕く。
その間に、サンジは扉側へ大きく跳んだ。カリファは着地点を潰さなかった。逆に一歩だけ中央へ寄り、出口へ続く線を残す。
サンジはその隙を逃さない。靴底が扉を蹴り開けた。
カリファはすぐには追わなかった。扉の内側へ移り、廊下を見据える。
*****
サンジは廊下へ飛び出した。階段へ向かう道に、一人の男が立っている。
銀髪。細身のスーツ。壁の亀裂から入り込む海風が、ジャケットの裾を揺らしていた。
「退け」
「そいつは無理な相談だ」
リバーは一歩も動かない。
「なら、蹴り飛ばすまでだ」
サンジが床を蹴った。右脚がリバーの顔面へ伸びる。
届く寸前、リバーの身体から力が抜けた。上体が紙のように攻撃線の内側へ流れ、靴底が髪を数本巻き上げて通過する。
紙絵。
サンジは着地と同時に腰を回した。二撃目が脇腹を狙う。
リバーの姿が半歩だけずれた。
短い剃。
踵はジャケットの裾を揺らしただけで、身体には届かない。サンジは脚を引かない。回転をそのまま三撃目へ繋げる。
肩口を狙った蹴り。リバーは頭を僅かに沈めた。
踵は空を切る。だが、遅れて翻ったジャケットの肩だけが靴へ引っかかった。布が鋭く鳴り、縫い目から裂ける。
サンジは止まらない。姿勢を戻したリバーの胸へ、真っ直ぐな蹴りを放つ。
リバーは退かなかった。
靴底が胸を捉える寸前、紙絵で上体を横へ流す。蹴りが脇を抜けるのと入れ替わるように、リバーの掌がサンジの鳩尾の前へ滑り込んだ。
振りかぶらない。
踏み込まない。
掌底が届くまでの距離を埋めたのは、サンジ自身だった。
六式複合技・相槌
サンジの身体が、待ち構えていた掌へ衝突する。
その瞬間だけ、リバーの腕が短く押し出された。後ろ足が石床を擦り、乾いた音を立てる。
サンジが蹴りへ乗せた速度と体重が、そのまま反撃の威力へ加わった。身体がくの字に折れ、今出てきた扉へ真っ直ぐ弾き返される。
避けてから打ったのではない。攻撃を外す動作の中へ、最初から反撃を置いていた。
サンジの身体が、背中から査問室へ飛び込む。
まだ身体は宙にある。受け身を取るより早く、扉の脇にいたカリファが肩へ掌を添えた。
触れた瞬間、白い泡が弾けた。
「捕まえた」
「な……何だ、こりゃ……!」
泡が肩から胸へ広がり、脇腹を伝って脚へ流れる。
サンジは床へ足をついた。靴底が滑る。力を入れたはずの膝が沈み、そのまま片手を石床へついた。
カリファは、指先に白い泡をまとわせていた。
「あなたの見立ては認めるわ」
カリファが眼鏡を押し上げて、リバーの顔を見た。
「そりゃどうも」
「私が廊下へ流したから成立したことも、忘れないでください」
「分かってるよ。使われてやったろ」
「ひと言多いわね」
リバーは裂けた肩口を摘まんだ。
「……見ろ、最悪だ。ジャケットがお釈迦になった」
「身体は避けたのでしょう」
「中身だけな」
査問室の中から、サンジが立ち上がろうとする音が聞こえる。
カリファの掌に、白い泡が集まった。
「ここからは不要です」
「ああ」
リバーは破れた肩を一度見てから、階段へ向かった。
*****
西側の記録室にも、壁越しに鈍い衝撃音が届いた。
ナミは天井を見上げた。
直後、別の階からさらに大きな破壊音が響く。書架が震え、積まれた記録簿から埃が落ちた。
どこで何が起きた音か分からない。それよりも、室内に潜んでいる敵だった。
ナミは書架の間を抜け、反対側の内扉を開けた。隣の執務室を横切り、別の扉から西側廊下へ出る。
ここから中央の階段へ戻り、反対側から東へ向かう。そう考えて角を曲がった時、廊下の先にフクロウが立っていた。
「だから、そっちはだめだー」
丸い身体が、中央階段へ続く道を塞いでいる。
「リバーに怒られちゃうからな」
ナミの足が止まった。
「リバー?」
「そうだぞ。おれ達の作戦はいつもリバーが考えてくれるんだ。誰をどこへ行かせるかも、鍵を使ってどう分けるかも」
フクロウの丸い目が、さらに丸くなった。
「チャパ」
口元のチャックを慌てて閉める。ナミはしばらく彼を見つめた。鍵の話を流したのも、自分達を塔の中へ散らしたのも、偶然ではない。
そして目の前の男は、その作戦の中身をよく知っているようだ。ナミはゆっくりと天候棒を構えた。
「あなた、随分詳しいみたいね」
「…………」
「少し、お話ししましょうか」
フクロウは口のチャックを両手で押さえたまま、低く腰を落とした。