男性戦士の希望の星と崇められているが、俺の股間は今日も沈黙している件   作:長野

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男性戦士の希望の星と崇められているが、俺の股間は今日も沈黙している

 

 男が死にゆく時代だった。

 

 かつて組織が誇った精鋭——男性戦士たちは、今や「欠陥品」と囁かれていた。

 その強さは本物だった。妖魔を両断する膂力、嵐のごとき機動力、女性戦士の及ばぬ火力。それだけを見れば、彼らは紛れもなく最強の刃だった。

 

 だが、戦場において力とは、制御できてこそ意味を持つ。

 

 男性戦士が妖気を解放した時——そこには、力と同時に、ある「感覚」が生まれる。

 言葉にするなら快楽に近い。だが快楽という言葉では足りない。理性の根を焼き、自我の輪郭を溶かし、人であることの意味ごと消し去るような、絶対的な陶酔。

 

 その感覚に男たちは負けた。

 一人、また一人と。

 

 覚醒——人から妖魔への転落。それが男性戦士の辿り着く終点だった。

 

 組織はやがて答えを出した。女性戦士の登用だ。女の体は、あの感覚への耐性が根本的に異なる。覚醒率が劇的に下がる。同じ刃を持たせるなら、折れにくい素材を選ぶ——それだけの話だった。

 

 今この時代、砦や街道の随所に女性戦士の姿が現れ始めている。

 そして男性戦士は、ひとりまたひとりと、任務の中で覚醒し、仲間の手によって葬られていく。

 

 歴史の転換点とは、常にこのような形で、静かに残酷に訪れる。

 

 

   ◆

 

 

 フォールの谷が血に染まったのは、夜明けから少し後のことだった。

 

 霧がまだ低く漂う谷底に、妖魔の群れが現れた。

 斥候の報告には「十数体」とあった。実際には三十を超えていた。誤算か、増殖か、あるいは斥候がそこまで生きていられなかったかのいずれかだろう——いずれにせよ、七人の戦士が対峙した時、数の差は既に覆いようがなかった。

 

 新兵が叫んだ。ベテランが舌打ちした。誰かが妖気を一気に解放した。

 

 その瞬間から、谷は屠場に変わった。

 

 妖魔の爪が空気を裂く。戦士の大剣が肉を割る。内臓が泥に混じり、血が霧のように舞い上がる。咆哮と悲鳴と、骨が折れる乾いた音が重なり合い、一つの凄惨な交響を奏でる。

 

 その中心で、アルヴィンは無言だった。

 

 大剣を右に薙ぐ。二体が両断される。

 踏み込み、突く。一体が胸から背へと貫かれ、地に沈む。

 左へ転じ、斬り上げる。頭部が宙を舞う。

 

 一連の動作に、感情の欠片もなかった。

 恐怖も昂りも怒りも——何もない。ただ「処理すべき対象」が眼前にある。それだけだ。

 

 その冷徹さは、今の時代においてほとんど異様だった。

 

 「く……っ!」

 

 左翼から、くぐもった声が届いた。

 同期のベルナーだ。鍛え抜かれた巨躯が、妖気の奔流に軋んでいる。

 

 男性戦士の中でも屈指の実力者。この谷に来た七人の中で、アルヴィンと並んで最も頼りになる男だ。

 だが——その瞳が、金色に滲み始めていた。

 

 妖気解放の臨界。あの感覚が、ベルナーの理性を内側から食い破りにかかっている。

 

 「アルヴィン……! 俺は……まだ大丈夫だ。まだ……!」

 

 必死に言い聞かせるような声だった。

 自分に向けた言葉なのか、アルヴィンへの言葉なのか、もはや判然としない。

 

 大丈夫ではない、とアルヴィンは判断した。

 声の震え方が、呼吸の乱れ方が、全てが「もう間に合わない」を示していた。

 

 「下がれ、ベルナー」

 

 「下がれって……、まだ戦える……俺はまだ——」

 

 「下がれ」

 

 繰り返した声は、感情なく、それゆえに刃のように鋭かった。

 

 戦士としてのプライドか、既に止められなかったのか。ベルナーが強く歯を食いしばると、瞳の金色がさらに濃くなる。筋肉が膨張する。全身から妖気が噴き出す。

 

 「あ……アァ……!」

 

 それは、嗚咽とも歓喜とも聞こえる声だった。

 

 ベルナーの銀の瞳が、完全に金色に染まった。

 

 

   ◆

 

 

 覚醒した者は、もはやベルナーではなかった。

 

 人の形をしているが、人ではない。理性の消えた金色の瞳が、無差別に周囲を映す。次の瞬間、それは最も近くにいた新兵へと向かった。

 

 悲鳴が上がった。

 いや——悲鳴は途中で消えた。

 

 アルヴィンは駆けた。だが間に合わなかった。新兵の一人が、横薙ぎの一撃で谷の壁まで叩きつけられ、動かなくなった。もう一人が逃げようとして追いつかれ、その巨大な手に頭を掴まれた。

 

 骨が潰れる音がした。

 

 残った戦士たちが散り散りに逃げる。だが覚醒者の速度は、恐怖に足を縛られた人間を容易く凌駕する。一人が背中から貫かれ、一人が首を折られた。

 

 十数秒のことだった。

 

 谷に残ったのは、アルヴィンと、かつてベルナーだった何かだけになった。

 

 覚醒者がアルヴィンを見た。

 金色の瞳に、微かな何かが過ぎった——かつての同期を、その残滓が認識したのかもしれない。だがそれは一瞬のことで、次の刹那には既に殺意だけが残っていた。

 

 アルヴィンは大剣を構えた。

 

 「……」

 

 言葉はなかった。

 悼む時間も、迷う時間もなかった。あるのは、今この瞬間、この谷にある仕事だけだ。

 

 覚醒者が跳んだ。アルヴィンは横に流れながら剣を振った。鋼と異形の肉体がぶつかり、火花のような衝撃が腕を走る。押し込まれる。足が泥を削る。

 

 力では敵わない。覚醒者の膂力は、解放された妖気のぶんだけ人間の域を超えている。

 

 だが——アルヴィンの妖気は、まだ限界に達していない。

 

 「……ッ」

 

 妖気をさらに解放する。体が軋む。視界が研ぎ澄まされる。

 覚醒者の動きが、遅く見えた。

 

 一瞬の静止。

 

 アルヴィンは踏み込んだ。大剣が唸りを上げる。

 

 かつてベルナーだったものの胸に、刃が深々と沈んだ。

 

 動きが止まる。金色の瞳が揺れる。

 そこに何が映っていたのかを、アルヴィンは見なかった。

 

 剣を引き抜く。

 覚醒者が、ゆっくりと崩れ落ちた。

 

 

   ◆

 

 

 静寂が、谷に戻った。

 

 血の匂い。泥の匂い。冷えた朝の空気。

 アルヴィンは大剣を構えたまま、しばらく動かなかった。

 

 周囲に妖魔の気配はない。戦闘は、終わった。

 

 谷底に、複数の骸がある。今朝まで共に戦っていた者たちの骸が。

 ベルナーが殺した者たちの骸が。そしてベルナー自身の骸が。

 

 崖の上から、黒衣の男が降りてきた。

 組織の監視員だ。無言のまま、谷底の惨状を見渡し、最後にアルヴィンへと視線を止めた。

 

 「……一人でやったのか」

 

 「はい」

 

 短い沈黙。

 

 男は何かを言いかけ、やめた。この光景の前では、言葉が追いつかないのかもしれない。七人で来て一人が帰る。覚醒者を出し、仲間を失い、それでも揺らがずに立っている男を前に、何を言えばいいのか。

 

 「……任務がある」

 

 結局、男はそう言った。

 

 組織の人間らしい言葉だった。感傷よりも、次の仕事を。死者よりも、生きている刃を。

 

 「北方のドロフ村に覚醒者が出た。先月限界を超えた元六位、マクレイだ。現地の民兵はすでに壊滅。民間人への被害が拡大している」

 

 アルヴィンは男を見た。

 

 「お前に行ってもらいたい」

 

 「……マクレイが」

 

 「知っているのか」

 

 「かつて同じ任務に就いたことがあります」

 

 それだけ答えた。

 感情を乗せた言葉ではなかった。ただの事実だ。

 

 男は短く頷いた。

 

 「六位の覚醒者だ。容易い相手ではない。だが組織は、お前ならやれると判断した」

 

 「……承りました」

 

 アルヴィンは大剣を背負い直した。

 

 男は、その動作をじっと見ていた。

 血と泥にまみれ、仲間を全員失い、それでも次の任務を「承りました」と受けるこの男を。迷いも、疲弊も、怒りも、その顔のどこにも見当たらない。

 

 ただ、深く、静かで——何かを胸の底に沈めた、そういう顔をしていた。

 

 (この男は……)

 

 男は思った。言葉にはならなかったが、確信に近いものが胸にあった。

 

 時代が変わる。男性戦士が淘汰される。あの感覚の前に、男たちは次々と折れていく。

 だがこの男だけは、違う。

 

 あの感覚に——何度戦場に立っても、どれだけ妖気を解放しても——屈しない。

 

 この孤高の戦士だけが、今この時代に、男性戦士の答えとして立っている。

 

 「……頼んだ」

 

 男はそれだけ言った。

 

 アルヴィンは答えなかった。

 ただ、歩き出した。

 

 血に染まった谷を、長い影を引きながら。

 

 それはまさに、完璧な孤高の戦士の絵面だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ◆◆◆

 

 

 

 

 つっっっっっっっっっら。

 

 同期のベルナーを斬った。

 今日の任務の中で一番つらかった出来事を端的に述べるとそうなる。

 斬るしかなかったし、斬らなければ俺も死んでいたし、覚醒した時点でベルナーはもうベルナーじゃなかった。全部分かってる。頭では全部分かってる。

 

 でも、つらい。普通につらい。まぢむり。

 

 ……そしてもう1つ、つらいことがある。

 

 黒衣の男に言われた言葉だ。

 

 「組織は、お前ならやれると判断した」

 

 ……いや、ありがとうございます。ありがとうございますなんだけど、完全に過大評価なんだよなぁ。そもそも俺が評価されてるのって、なんかこいつやたら妖力をコントロール出来るな、みたいな話が出てるらしくて。

 でも俺、コントロールしてるわけでも、「抗ってる」わけでもないんですよ。感じてないだけなんですよ。

 

 妖気をどれだけ解放しても、どれだけ高めても、俺には例の「快感」と呼ばれるようなものが来ない。一ミリも来ない。だから他の戦士よりは妖力解放のメリットを享受できているけれど、元の戦士としての素質は並だ。

 

 そもそもなぜ俺に快楽が来ないかというと、おそらく……そっちの機能が、根本的に死んでるから。これは戦士になる前からなので、筋金入りだ。

 

 機能不全。

 うら若き男子としてこれを毎回脳内で言語化するのが死ぬほど惨めなんだが、事実なので仕方ない。

 

 あの「感覚」は要するに性的な快楽に似たものなんだろうな。今回のベルナーもそうだったが、覚醒しかけると全員あの顔になる。「苦しいけど気持ちいい」って顔に。今まさに昇天してますよーって感じで。

 

 でも俺には、その「気持ちいい」という部分が物理的に存在しない。

 だから覚醒しない。

 多分それだけの話だ。

 

 どこにも意志などない。

 

 でもこれ、誰にも言えないんだよな。

 「お前はなぜ覚醒しないのか」って聞かれるたびに「僕はEDなので快感が来ないんです」って答えられる空気、ある? ない。絶対ない。

 

 だから黙ってる。

 黙って「承りました」って言って、任務に行く。

 

 今回もそうだった。

 「マクレイに会ったことあるか」って聞かれて「かつて同じ任務に就いたことがあります」って答えたけど、あれ若干盛った。

 

 「同じ任務」というか、あいつに一方的に世話になってたんだよな。

 豪快な男で、任務の合間に大剣の振り方とか教えてくれて、飯も奢ってくれた。酒の場で豪快に笑う男で。

 

 そのマクレイが、今は覚醒者として村を蹂躙してる。

 

 ……なあ、マクレイ。

 お前も「あの感覚」に負けたのか。

 元六位の実力者でも、あれには勝てないのか。

 

 俺は——ただ感じないというだけで、それには一度も負けていない。

 

 でもそれって強さか?

 戦ってすらいないんだよ俺。「あの感覚」が来ない体に生まれただけで、土俵にも上がっていない。

 

 マクレイの方が、ずっと長く戦い続けた。最後まで人間として踏みとどまろうとして、それでも負けた。

 

 俺はそいつを討伐しに行く。

 感じない体のまま。機能しない体のまま。

 

 なんか……色々、変な感じだ。

 

 道の先に宿場の灯りが見えた。今夜はあそこに泊まる。

 明日ドロフに着く。

 そしてマクレイと戦う。

 

 はぁ……。

 

 考えてもしょうがないことをぐるぐると考えながら、俺は宿場の扉を押した。

 

 暖かい空気と、飯の匂い、人の笑い声が流れ込んでくる。

 宿の主人が顔を上げ、大剣を背負った無表情の男を見て、一瞬だけビビった顔をした。

 

 (そんなに怖い顔してるか俺。まあ今日色々あったし……)

 

 「一泊、頼む」

 「あ、ああ……どうぞ」

 

 案内された部屋に入り、大剣を壁に立てかけ、寝台に倒れ込む。

 天井が見える。いつもの天井だ。どこに泊まっても天井は天井だな。

 

 目を閉じる前に、今日のことが巡ってくる。

 谷に並んだ骸。黒衣の男の目。ベルナーの最後の目。

 

 ベルナー。

 お前を斬ったのは俺だ。

 それだけは、ちゃんと覚えておく。

 

 ……それにしても。

 

 あいつが覚醒していく時の顔、今でもはっきり覚えてる。

 苦しくて、でも気持ちよさそうで、理性が溶けていく顔。

 

 俺には、あの顔の「気持ちよさそう」の部分が、死ぬまで分からないんだろうな。

 

 おかしな話だ。

 覚醒して死んでいった男たちは、最後にあの感覚を知った。俺は覚醒せずに生き残って、今夜も知らないまま天井を見ている。

 

 どっちが損なのか、もうよく分からなくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、アルヴィンが宿を出た時、空はまだ薄暗かった。

 

 廊下で、昨晩泊まっていた商人風の男と鉢合わせた。

 男は一瞬ためらってから、深く頭を下げた。

 

 「……戦士のお方。ドロフへ向かわれるのでしょうか」

 

 アルヴィンは短く頷いた。

 

 「家族がいるんです。ドロフに。もうしばらく、連絡が……」

 

 男の声が、途中で詰まった。

 

 アルヴィンは、その顔を見た。

 皺の刻まれた、平凡な顔だ。戦いとも組織とも無縁の、ただ家族を案じる男の顔。

 

 「……行きます」

 

 それだけ言って、通り過ぎた。

 

 「あ、ありがとう……どうか、どうか——」

 

 後ろで頭を下げ続ける声を背に、アルヴィンは街道へ出た。

 

 朝の光が木の間から差し込んでいた。冷たく、静かで、清い光だった。

 

 大剣が肩に重い。体の節々に疲れが残っている。それでも足は、迷いなく北へ向かっていた。

 

 ドロフの村まで、あと半日。

 その先で、かつて共に任務に就いた男が、人でなくなった姿で待っている。

 

 アルヴィンは歩き続けた。

 朝の光の中を、一人で。無言で。

 その顔は、全てを受け入れた者のように——静かだった。

 

 

 ——その鋼の仮面の下に何があるか、まだ誰も知らない。

 

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