ミケは6年前、車に轢かれて死んだはずだった。
ミケは妹が一年生になった記念に、両親が引き取った犬だった。親としては、犬と一緒に成長していくことが妹の人生を豊かにすると考えてのプレゼントだったのだろう。犬の世話は飼い主がすべきだと父さんは言い、ミケの世話に親はほとんど参加せず基本は妹がやることになっていた。しかし、当時一年生だった妹のできる世話には限界があり、結局は世話のほとんどを僕がやることになった。これが実にめんどくさかった。
やれ散歩は行ったのかーとか、風呂に入れろーとか、口うるさく要求されるのには辟易した。要求するくらいなら自分でやれよと思ったし、百歩譲って要求するなら僕じゃなくて妹にしてほしかった。妹経由で手伝ってほしいと言われたら、しょうがないなぁと割り切れるものだが、飼う前から犬の世話なんかしたくないと言っていた僕に対して、ダイレクトに要求してくるのは嫌がらせでしかないだろう。ペットは家族の一員だ、なんて綺麗ごとを言いながらめんどうは子供にやらせる父さんを、当時の僕はとんでもない輩だと思った。
飼い始めて1年以上経ったある日、いつものように妹に付き添ってミケの散歩に出かけた。妹の役目はミケのリードを引くことと、犬のおもちゃが入ったハンドバッグを持つこと。僕の役目は、排泄物の処理と回収。まったく何が基本は妹が世話する~だよ。動物園の体験飼育並みの世話しかしてないじゃないか。
ミケはボール遊びが好きで、妹が投げたボールを拾ってくるというのを良くやった。妹が力いっぱい投げたボールを半狂乱で追いかけていき、尻尾をブンブン振りながら拾ってきたボールをよだれまみれにしながら持ってくる様は幸せそうなものだった。ミケとの遊びには僕も参加することもあり、僕は投げるのが億劫でボールを蹴って済ましていたが、それも健気に拾ってきた。
公園に行ってボール遊びをするのが毎日の散歩のルーティンであり、恐らくはミケにとって最高の幸せだったのだろう。散歩に出発し、公園が近づいてくるやいなやミケのテンションは最高潮に達し、妹のか細い手に握られたリードをお構いなしに引っ張りまくる元気なおバカ犬だった。
その日も大きな公園でボール投げをやる予定だった。道中に車の通行量の多い道路を沿って行くのだが、そこを通っていた時に妹の持っていたハンドバッグからボールが転げ落ち、僕の足元にやってきた。
僕は偶然を装ってそのボールを道路に向かって蹴り出した。
ボールに反応したミケはリードを強く引っ張り、幼い妹は抑えきれず手を放してしまった。ボールを追い、ミサイルのような勢いで車道に飛び出したミケは車に撥ねられ、大きく弧を描いて飛翔し、僕たちの歩いていた少し後ろに着弾して少量の肉片と脳漿をまき散らしながらくたばった。妹が直視して騒がないように目を隠し、周りの人に応答しながら親への言い訳を考えたのを今でも覚えている。
今僕の目の前で無様に腹を晒し、されるがままに撫でられているミケからは何の恨みも感じない。幽霊か何かなのだろうか。リビングにいた家族は何も反応しなかったし、見えているのは僕だけのようだ。
何故急に見えるようになったんだ?死んだ筈の生き物が見える・・・いつのまに霊能力でも習得したか?特別な能力とすると、嫌でも夢の中の神様が言っていた「能力」という単語が頭をよぎる。
「まさかなぁ・・・」
ワン!!
だらしない恰好のミケが部屋の隅、勉強机の方にむかって吠えた。机の上を確認すると、見覚えのない封筒が置いてある。ミケはじっと封筒を眺めている。開けてみろということか?
封筒は、それ自体が発光しているように見えるほど真っ白な物で、神様とおしゃべりした世界を連想させた。開けてみると、中には一枚の手紙とマイナンバーカードみたいな物が入っていた。本文をすっ飛ばして一番下を見ると、送り主は『神様』。本当に夢じゃなかったようだ。普段は夢なんて全く覚えてない僕が、道理ではっきり覚えているわけだ。
『努力を嫌い、努力を嗤う。しかし努力の大切さを知り、努力による幸福を妬むヒトデナシ君へ。
君に話した通り、私の独断で君に見合った「能力」を授けます。何をやれとか何をしろとか具体的な命令はありません。ただ、能力のある一風変わった日常を過ごして、面白おかしく世界を乱し、面白いストーリーを編み出してほしいです。
さて、君にはヒトデナシに相応しい「能力」を授けました。努力を理解し、努力で幸福を得れるように、「能力」がめんどうを引き起こしてくれることを願います。
どう使うかは君次第。楽しんで! 神様。
ps,ステータスオープン!なんて叫んでも君の「能力」の詳細は分からないよ。同封したカードに君のステータスが書いてあります。』
・・・めんどくせー!!
なにが『努力で幸福を得れるように』だよぉ・・・努力で幸せになるやつが妬ましい、みたいなこと語ったけど、ぶっちゃけ妬んでるだけで努力を理解したいとか思ってない。僕の話を聞いてどうしてそういう解釈するんだ。
僕の見た神様が夢ではなく現実のことなのだ、という物的証拠を目の当たりにして、僕に訪れるであろうめんどうを想像しストレスで胃が収縮したのを感じた。さっき食べたトーストが喉元まで駆け上がってくる。
どうやら、努力せざるを得ない状況が避けられない、もしくは、いつかは必ずやってくるということが神様によって確約されてしまったようだ。約八十億人の人類の中から神様に選ばれた幸運な一人と言えば聞こえはいいけど、こんな生贄みたいな役回りじゃなく、宝くじとかで幸運を発揮したかった。
初めてミケの糞を片付けたときのような、うんざりした気持ちで同封されたカードを見やる。このままボーっとしていれば、いずれ来るめんどうが嫌すぎるあまり自殺の方法を模索し始めそうだった。今は何か、気の紛れることをしたい。
ポジティブに考えよう。これでもライトノベルにドップリ嵌った身の上。自分のステータスとか
期待を込めながら手元のカードをじっくりと眺める。触感や見た目はプラスチックのようだが、力を入れても全く曲がらない。表面にはご丁寧にも顔写真を張るスペースと、住所や電話番号を記入する欄、名前、年齢・・・ではなくlevel16の表記。
何故16なんだ?年齢と連動しているのか?年齢でしか変動しない値なら
横目でミケを見ると、アホ面でハアハアと口呼吸している。確か彫刻刀がどこかに・・・まあ試すのは後でいい。裏面を見ると能力欄と書いてある。
そうそうこれこれ!異世界転生系とかVRMMORPG系定番のスキル表!見た感じspeedとかpowerみたいな細かい能力値は表記されていないが、数値なんて地味な要素は必要ない。ライトノベルの醍醐味は多彩で魅力的な
[能力欄]
・ヒトデナシ
人間でありながら人外である証。人間に嫌われやすくなり、人外、特に怪異に好かれやすくなる。認識外の人外を認識、意思疎通が可能になる。
・異常完全耐性
異常による影響を受けない。
・啓蒙
他者が認識できない事象を強制的に認識させる。
書いてあるのはそれだけ。僕は胸中に渦巻く期待やワクワクをすべて吐き出すようにため息をついた。
・・・僕はめんどうが嫌いで、努力をしたくない。だから不必要なめんどうや努力を呼び寄せる「能力」なんていらないと思っているし、神様が能力を押し付けると言ったことは非常に鬱陶しいと感じたし、最悪だと思っている。
しかし、ほんの少し、スズメの涙ほどだが、多少はワクワクしていた。散々に読み込み、観まくったライトノベルやアニメのキャラクターみたいな能力を使えるかもしれないということに。それがポジティブな思考をするためのモチベーションになっていたのに。
あー困ったなー迷惑なんだよなーと建前を並べつつ、期待しながら能力欄を見たら、結果はこれ。人間以外に好かれて、変な影響を受けなくて、人に見えないモノを見せれるだけ。すごい地味だ。もっとこう・・・二刀流ジャキン!!ナントカ位階魔法ドカーン!!みたいな派手で分かりやすい能力が良かった。せめて、一見弱そうだけど使い方を工夫すると・・・?みたいな想像力が掻き立てられるようなものが良かった。
期待が裏切られた反動か、心の奥底からストレスと共に文句がどんどん噴出してくる。
まず一つ目の能力の名前が安直すぎる。ネーミングセンスが母さんと同じレベルかそれ以下だ。シンプルなデザインは好きだけど、安直とは違う。君はヒトデナシだからヒトデナシという能力を上げよう!なんて、ミケの名づけ以上に安直で適当だ。人間に嫌われやすくなるというのは別に良い。コミュニケーションなんてめんどうなだけだし、人とのめんどうが減るなら願ったり叶ったりだ。
で、人外に好かれやすいとはなんだ。別にハンター志望じゃないから動物に好かれても嬉しくない。動物に好かれるのは何かしらプラスに利用できそうだが、怪異に好かれるなんて意味が分からない。怪異っていうくらいだしお化けのことだろう。死人に好かれてどうしろというんだ。未練を解決して成仏させろと?そんなめんどくさい事死んでもやりたくない・・・お化けだけに。
おまけに三つ目。認識できない事象を認識させるってなんだ?僕が見えるようになったお化けを人に見せれるようになるってことか?お化け屋敷でも開けとでも言いたいのか神様は。神様はいつまでも最強キャラが箱に仕舞われてるジャンプ漫画みたいに、新宿で百鬼夜行することを望んでいるのか?
有効活用できそうなのは二つ目だけ。とはいえ外部からの影響を防ぐ、受動的な使い方しかできないから本当に地味。
FPSとかアクションゲームに登場する防衛系キャラクターは、強いわりに効果を実感しにくいから使ってても楽しくないために使用率は低いらしい。ゲームですら強いけど楽しくないと評されるのだから現実で最強の防衛能力を手に入れたとしても、たいした活躍はできそうにないだろう。アメリカのキャプテンじゃあるまいし。
まあ率先して活躍しようなんてはなから考えていないし、めんどうが向こうからやってきても大丈夫くらいに考えておこう。そう考えると気が楽だ。
なーんだ。なにもめんどうなことはないじゃないか。
結局、能力が手に入って変わることといえば、多少人に嫌われやすくなって視界に死んだ人間が映るだけ。日常が劇的に変わるわけではない。つまり、今まで通り努力を避けてダラダラ生活していればいいわけだ。僕の日常は変わったようで変わっていない、このまま必要最低限の努力だけ積んで大学卒業くらいまでは実家暮らしを続けることができる。結局、神様や僕自身が期待しているようなライトノベル的日常は送れないということだ。
卒業した後は・・・まあその時考えよう。とにかく怠惰で無気力な人生を送れるように、
「ワン!!」
神様への罵詈雑言を頭の中で連呼していると、横で待機しているミケに吠えられ、現実に引き戻された。
そうか、死んだ筈のコレが見えるようになったのは『ヒトデナシ』の効果か。僕のせいで死んだも同然なのに、なんでコイツは尻尾ふってるんだ?所詮は畜生、自分が誰のせいで死んだのか理解してないのか?生きてるころから馬鹿犬だと思ってたけど、馬鹿は死んでも治らないってか?ミケは馬でも鹿でもないけどね!HAHAHA!!
・・・少しテンションがおかしくなっている。そういえば、こいつはだいぶキレイな外見だな。死体はもっと頭が潰れて脳が飛び散って黒、白、茶に赤色が混じった滅茶苦茶な四毛になっていた。自分の死に様すら忘れてしまったのだろうか。ミケの耳の根元をぐりぐりしながら茶色い目を見つめると、いかにも何も考えていませんという瞳でこちらを見つめ返してきた。
「お前は自分を殺したやつにも尻尾を振るんだなぁ。恨みとかないのか?糞と一緒に食っちまったか?お前自分の糞を食っちまったこともあったよなぁ。お前が生きてる時は、お前の毛色が好きじゃなかったが、死んだときのケミカルで綺麗な毛色は好きだったぞ。」
6年ぶりのミケの毛並みを堪能していると、コイツの思い出がよみがえってきた。好きでは無かったし、世話はめんどくさかったし、挙句の果てには車に牽かせたが、世話をしているといやでも愛着を持つんだよなぁ。自分でもミケにここまで思い入れがあるとは思わなかった。ミケを撫でつつ顔を横に引っ張ってみると、顔の中央が縦にパックリ裂けてしまった。
「え?」
ばきばきばきばき・・・
思わず手を離すと、音を立てて体中の骨が皮を突き破り、ミケの体は歪な形に湾曲し始める。
まるで車に轢き潰される瞬間を再生するように体を跳ね動かしながら変貌を遂げたミケは、あの日僕と妹のすぐ後ろに墜落した時と同じ姿になった。
突き出した骨と一緒にあふれ出した血によって、体毛はあの時の美しいケミカルな四毛に変化した。片目が何故か顔中央にくっぱり開いた裂け目の中に移動して、じっとこちらを向いている。腹を突き破って露出した肋骨は、虫の脚のように蠢いている。
ぐちゃぐちゃぐちゃ・・・べちゃべちゃべちゃ・・・
本来収まっているはずの内臓は、肋骨と腹の皮を失ったためにダラリと垂れ下がり、脈動しながら血を滴らせている。大きく、そして分厚い肺は時折収縮し、後ろに連なる腸管と細々した内臓が引きずられている。連なった内臓に交じって光るピンクの球は子宮だろうか。そういえば、ミケは雌だったな。
急な変化に驚きを隠せない僕は、目をパチクリさせながらミケのような
むせ返るような鉄の香りを浴びせかけられ、あらためてミケの容姿を認識する。
血みどろさ、肉体の損傷加減・・・だいぶカッコいいフォルムになったじゃあないか!まるで、バイオなゲームに登場する生物兵器でゾンビになった犬みたいだ。
「おまえ・・・馬鹿っぽい犬の姿より今の方がカッコいいよ。6年も会わない間、というか見えなかったんだけど、成長したな!」
「ぐりゅりゅりゅりゅ・・・・・・」
カッコ良くはなったけどその分迫力が増して怖いなぁ。裂け目の中に鎮座する大きな眼球が、僕から視線をそらしてくれない。じぃっとこちらを向いて、嚙み合わさった牙の間から血と涎を垂らしながら唸り声をあげている。流石に怒ったのだろうか?面と向かって馬鹿って言ったし、さすがの馬鹿でもキレるよなぁ。
というかこんなカッコいい・・・惨憺たる姿になってしまったのは僕のせいだし、やはり恨みがあるのだろうか。6年間も放置されてたのに、いきなり接触したせいで今まで忘れていた恨みが沸き上がってきたのかもしれない。いまにも口元で輝く牙を、僕の体にむけて突き立ててくるかもしれない。
待てよ、異常耐性の項目に異常による影響を受けないと書いてあったはず。ミケ?の様子は明らかに異常だし、なら安全・・・だよな?いやでも、噛みつきは物理攻撃だろ。いや、お化け犬の噛みつきは、果たして物理攻撃なのか?
「ぐじゅゆりゅりゅりゅ!!」
ミケ?の唸り声が格段に大きくなった。今にもとびかかってきそうな勢いだ。僕にできることは異常耐性を信じてミケ?のアクションを待つことだけ。血と涎でドロリと輝くコイツの牙が僕の喉元に突き刺されば、そのままオダブツだろう。南無阿弥陀仏・・・アーメン・・・南無妙法蓮華経・・・目をつぶり思いつくお祈りを唱えてみたが、これって意味があるのだろうか?実際に会った神様には間違いなく届いていない気がする。
や、やばい、せめてサッと殺してくれ。めんどうな死に様はいやだ…!
ぼとり。
ミケ?が一際大きな唸り声を上げたかと思うと、血を飛び散らせながら裂け目がさらに大きく広がり、中からこちらを凝視していた眼球が大きな音を立てて落っこちた。裂け目には人の歯の様なものが生え揃い、中から異様に長い舌がニュルリと飛び出てきた。顔の中央に、縦に開いた人間の口のようなものができあがると、いよいよ犬とは呼べなくなった。
ミケ?は落とした眼球を、もともと備わっている犬の口で咥えると、僕に向かって差し出してきた。
差し出された眼球をおそるおそる受け取ってみると、手のひらにブヨブヨとした感覚と、血と、よくわからない粘液のびちゃびちゃした感覚が伝わってくる。ミケ?の顔がグッと僕の顔に近づいてくる。グロテスクさとカッコよさが際立った姿になったが、鼻を衝く息のにおいは、昔嗅いだミケの息のにおいだった。モゴモゴと慣れない様子で、人間の口が動き始める。
「・・・ぼーる・・な・・ゲテ・・!」
手に持った眼球を右、左と動かすと、顔ごと眼球を追っている。後ろを見ると、尻尾を千切れんばかりに振っている。今の姿だと本当に千切れそうだ。僕は急いでカーテンを開き、窓を開け、できる限り遠くへ行くように眼球を放り投げた。
その瞬間ミケは窓枠を超えて飛び出していき、直後、グチャリ、という肉塊がつぶれる音が聞こえた。
なるほど、確かにあれはミケだ。あの馬鹿っぽさ、ボール好き、例え化け物になったとしてもミケはミケのままだった。窓の下には落下の衝撃でさらに滅茶苦茶になったミケがそれでもなお尻尾を振りながら眼球が飛んで行った方向にむかって這っていくのが見えた。
ミケの姿が完全に見えなくなった後、呆然としながらベットに腰かけた。ふと、手元のカードを見ると、能力欄の『ヒトデナシ』の文字が光った気がした。部屋を見回すと、ミケの体から噴き出た血液で、正しく血の海になっていた。壁や床に出来上がった真っ赤なシミは、むせ返るほどの鉄くささと白い霞を上げながら少しづつその跡を消していき、気づけばいつもと変わらない、陰気くさい僕の部屋に戻っていった。
これが僕の、
・蟲飼 英友
主人公。書いていおいてなんだが、こんな奴が読者に好かれるとは思えない。基本的には自身がめんどくさいか否かで行動しているものの、面白い・楽しい・気持ちいいと思うことについては、いくらでも労力をかけるし、それをめんどうとか努力であるとは考えない。自分が楽をできるなら、飼い犬だって殺すし、恐らくそれ以上の事もする。壬生君に殺されてしまえ。
・ミケ
三毛だからミケと名付けられた犬。とにかく元気いっぱいで何をやっても幸せそうな雌の雑種犬。保護施設では他の犬に虐められ散々に痛めつけられていた。そもそも保護された時も酷く傷つけられていたらしい。でも幸せそうだった。
大好きなものは、ひでとぼーる、そして痛み。