櫛田の中学に転校した 作:スクラップドラゴン
「――よし、やったぜ」
中間試験の当日、自室でスマートフォンを開いた俺は、思わず小さく拳を握りしめた。
画面の通知欄に表示されていたのは、待ちに待ったあの『特報』だ。
入学直後、一般生徒禁止区域の秘密部屋に籠もり、腕を鈍らせないようミリ単位の狂いもなく組み上げた次世代型対空ドローン。国――防衛省の技術研究部門へと送り届けられた試作1機目の実戦テストと性能評価がすべて完了し、ついにその報酬がこの学校のシステムを仲介して着金したのだ。
画面に表示されたメールには、役人特有の堅苦しい文章で、こちらの想像を遥かに超越する決定事項が記されていた。
『提出された試作1号機の飛行・迎撃テストは完全なる成功を収めました。これに伴い、防衛省において当該機体の【正式採用および量産化】が決定いたしました。契約に基づき、開発初期報酬、量産化ライセンス料、ならびに試作機の買収額を合わせた対価を、指定口座(高度育成高等学校プライベートポイント)へ振り込みます』
文章の下に刻まれた、現在の残高を示すデジタル数字。
そこにあったのは、通常の高校生どころか、この学校の全生徒が逆立ちしても届かない天文学的な数値だった。
【現在残高:2,500,120,911プライベートポイント】
(……25億ポイント、か。防衛省の役人ども、案外話が分かるじゃないか)
新型で前例がないほどの超高性能機。それが国を挙げての量産化決定となれば、これだけの『国家予算規模の資金源』が動くのも当然だった。
画面に並ぶ数値の羅列を眺めながら、俺は口元を不敵に歪める。これだけの絶対的な資本があれば、Dクラスの泥濘で精神をすり減らしている堀北を引き抜くために必要な『20,000,000ポイント』など、全財産のわずか1パーセント程度にも満たない。文字通り軽く見える数値だ。これなら堀北の意志一つでいつでもAクラスへ移籍させられる上に、今後国からどんな新しいリクエスト(難題)が持ち込まれようが、資金面に困ることは二度とない。
最強の切り札を手中に収めた俺は、最高に満ち足りた気分のまま、櫛田たちと合流してテスト本番の日の並木道を登校した。
Aクラスの教室に入ると、そこには他クラスのような悲壮感や焦燥感は微塵も存在していなかった。
それもそのはず、事前に俺と櫛田の手によって、上の学年からルートを通じて調達した『過去問』がクラス全員に行き渡っている。試験の傾向が完全に暗記済みである彼らは、自分の席でノートや過去問のコピーに軽く目を通す程度で、実に対照的な余裕を漂わせていた。
「水野。今回の試験対策、実に見事な手際だった」
教壇の近くで、いつもは険しい顔をしている葛城康平が、真面目な顔のまま俺の元へと歩み寄ってきた。
「まさかこの学校の試験が、過去の傾向をそのまま踏襲しているという
「気にするな、葛城。俺だってAクラスのポイントを落としたくはなかったからな。全員で無傷で通過できれば、それが一番だろ」
俺が肩をすくめて返すと、葛城は深く頷いて自分の席へと戻っていった。
そんな男たちのやり取りを、右隣の席からじっと見つめていた坂柳有栖が、楽しそうに杖を弄びながら声をかけてくる。
「ふふっ……。素晴らしい手際ですわ、水野くん。ですが、本当に驚きました。貴方は一体、いつの段階でその『攻略法』に気付いていらしたのですか?」
その鋭い瞳は、俺が単に過去問を手に入れたという事実だけでなく、その裏にある情報網や先見の明の正体を暴こうと、妖しく輝いている。
「まだテストは始まってすらいないだろ、坂柳。そんな話は、全部終わってからゆっくりしようぜ」
「……あら、それもそうですね。楽しみにしていますわ、貴方の面白いお話を」
坂柳は上品に微笑み、それ以上は追及してこなかった。
やがてチャイムが鳴り響き、担任の真嶋先生が張り詰めた空気と共に教室へと入ってくる。いつも通りの厳格な態度で試験用紙が配られ、全員の手元に行き渡った。
「――始め」
真嶋先生の冷徹な合図と共に、教室内で一斉に紙が裏返される。
その瞬間、Aクラスの面々の間に、予想通り小さな衝撃が走るのが分かった。
(……ほう、皆、分かりやすく驚いた顔をしてるな)
彼らが目を見開いたのも無理はない。急にテスト範囲が変更されたはずの試験問題。しかし、目の前の用紙に印刷されているのは、俺たちが事前に叩き込んできた過去問と『完全に酷似した、殆ど同じ問題』ばかりだった。数値や多少の言い回しが変わっているだけで、解法のプロセスは一言一句変わらない。
「――っ」
驚きを確信へと変えたAクラスの天才たちは、すぐに小さく不敵な笑みを浮かべ、淀みのない手つきでペンを走らせ始めた。過去問という最高の武器を得た彼らにとって、この中間試験は落とすはずのない単なる作業に過ぎなかった。
俺もまた、解答欄を完璧に埋めていきながら、視線を窓の外へと向けた。
(さて……同じ過去問を手渡したはずのDクラスだが。あの三馬鹿が、直前できちんと暗記するだけの最低限の知性を持ち合わせていたかどうか……そこだけが唯一の見ものだな)
自らの圧倒的な力と、クラスの完璧な勝利を確信しながら、俺はただ静かにペンを進めていった。
中間試験の全日程が終了し、ついに結果発表の日がやってきた。
Aクラスの教室の後方に貼り出された点数表の前は、お祭り騒ぎのような歓声に包まれている。結果は、俺たちの完全勝利。俺や坂柳をはじめとして満点が続出し、クラスの平均点も学年でぶっちぎりの1位を叩き出したのだ。
「ありがとな、櫛田! お前が過去問を配ってくれたおかげで命拾いしたわ!」
「本当に助かったよ、櫛田ちゃん! 女神様に見えたもん!」
男子たちが次々と櫛田の席に集まり、口々にお礼を言っている。櫛田は両手を頬に当てながら、「ううん、みんなが一生懸命頑張ったからだよ!」と、完璧な聖母スマイルで謙遜していた。
(これでAクラスの基盤は幾らか強固になったな……)
圧倒的な満足感と余裕が教室を支配する中、俺はふと、もう一つの戦線に目を向けた。窓の外、Dクラスのある校舎を眺めながら、ポケットからスマートフォンを取り出す。
事前に渡した過去問のファイル。それを手にした堀北がどう立ち回ったか、そしてあの三馬鹿がどうなったか。
俺は指先を滑らせ、堀北の端末へ向けてとあるメッセージを送信した。
同じ頃、私たちがいるDクラスの教室は、心臓を直接掴まれているかのような冷たい緊張感に引き締まっていた。
教壇に立つ担任の茶柱先生が、教卓にパチンと点数表の束を叩きつける。
「お前達、今回はよくやった。まさかこの学校の試験における
茶柱先生の鋭い視線が、教室の後方に座る特定の生徒たちを射抜いた。
「須藤、池、山内。お前達は赤点だ」
その冷徹な宣告と共に、黒板に貼り出された数学と英語の点数表に、容赦のない赤線が引かれた。
今回の数学の赤点ラインは38点未満(学年平均点76.2の半分を四捨五入)。そして英語は36点未満(学年平均点72.4の半分を四捨五入)。
(嘘でしょう……? 過去問を、渡しておいたはずなのに……!)
私は目の前が暗くなるのを感じた。
過去問という最高の攻略本のおかげで、基礎をクリアしていた他のクラスメイトたちは、内容をスムーズに解析暗記して高得点を取っていた。しかし、基礎が完全に崩壊している人間との差は、この過去問によってかえって修復不可能なほどに拡大してしまったのだ。
点数を見れば、池くんと山内くんは英語でそれぞれ、合格ラインにわずか3点と4点足りていない。そして最悪なのは須藤くんだ。彼は数学で9点、英語で12点も足りていなかった。
試験の4日前に過去問を配り、「これさえ暗記すれば赤点は免れる」と伝えておいたというのに、この有様だ。数学の計算式や英単語の羅列すら、基礎のない彼らにとってはただの呪文か暗号そのものだったのだろう。
「約束通り、赤点を取った者は即刻退学処分とする。須藤、池、山内。お前達は――」
「くそっ!! 堀北ちゃんがちゃんと教えてくれないからだろ!!」
茶柱先生の言葉を遮るように、山内くんが椅子を激しく鳴らして立ち上がり、私を指差して絶叫した。
「最初からあのノートだけ置いて逃げやがって! お前が最初からつきっきりで優しく教えてくれりゃ、こんな点数になるわけねえだろ!!」
山内くんは悔し紛れに怒声を浴びせてくる。
その瞬間、クラス全員の冷ややかな視線が、一斉に私へと集中した。
(理不尽だわ……。そんなの、あまりにも理不尽よ……!)
私の奥歯がガタガタと怒りで震える。私はちゃんと教えていた。聞く耳を持たず、私の身体を値踏みし、真面目に机に向かわなかったのは彼らのほうだ。それに、私だけが責められる謂れはない。クラスには私と同じ小テスト満点でありながら、勉強会に協力すらさず傍観していた高円寺くんや幸村くんのような人間だっていたのだから。
「先生! なんとかなりませんか!? まだ入学して一ヶ月ちょっとです、退学なんて……!」
平田くんが必死に挙手をして食い下がるが、茶柱先生は冷酷に首を横に振った。
「規則は規則だ。これ以上、ホームルームで話すことはない。……終わりだ」
先生がそのまま背を向け、教室を去ろうとしたその時。
私の制服のポケットの中で、スマートフォンが激しく震えた。私は何かにすがるように、急いで画面を確認する。
メッセージは――水野くんからだった。
『試験で点数が足りない奴らはいるか? この学校のルールじゃ、足りない点数をポイントで購入できるぜ。足りない分だけ、俺がポイントを貸してやろうか?』
『ただし、条件だ。堀北が直接勉強を見た奴らの分だけは、俺が貸してやる。その代わり、後で俺の個人的な作業のデータ入力を手伝って貰うけどな』
(ポイントで……点数を、買う……!?)
その信じられない言葉に、私は藁をも掴む思いで顔を上げ、去ろうとする担任の後ろ姿に向かって叫んだ。
「先生!! 待ってください! ――ポイントで、彼らの点数を購入します!」
教室中が静まり返る。茶柱先生がゆっくりと振り返り、不敵な笑みを浮かべた。
「ほう、やはりそのルールにまで行き着いたか。いいだろう。不足分の点数は、1点あたり『10万ポイント』で売り出してやる」
1点、10万。
池くんは3点不足で30万。山内くんは4点不足で40万。そして須藤くんは21点不足で210万。合計280万プライベートポイント。高校生が持てる額ではない。
「みんな! 3人を助けるために、手持ちのポイントを貸してくれないか!?」
平田くんが慌てて周囲の女子たちを集めてポイントを集金し始めた。女子達は3人を見てあからさまに嫌そうな顔をしながらも、王美雨さんをはじめとした何人かの比較的優しい女子達が平田君の為にか、或いは平田君に良く見られたいからかポイントを平田君に送信する。
だが、集まった合計額は平田君のポイントも合わせて、せいぜい15万ポイントと言ったところ。誰一人救うことすらできない。幸村くんたち男子の成績上位層は、冷めた目でそれを見ており、ポイントを出す気など微塵もないようだった。
「私も……出します!」
私は、一ヶ月の間、兄さんに恥じないよう限界まで節約して残していたなけなしの『9万ポイント』をすべて端末から送金した。
これで集まったのは24万ポイント。まだ全然足りない。
(っ…!!こんなの絶対間違ってる…!!水野君に負担かけるなんて…!!でも…!!)
思考が纏まらない、まるで何かに取り憑かれたように正常な判断力を失った私はプライドを全て投げ打ち、水野くんへのメッセージ画面に、池くん、山内くん、須藤くんの3人に必要な不足ポイントを必死に打ち込んで送信した。
ピコン、と即座に返信の通知が鳴り、私の口座にポイントが着金する。
しかし、表示された金額を見て、私は息を呑んだ。
【振込:460,000ポイント】
(……46万? 計算が合わないわ。あと210万ポイント、須藤くんの分が全く足りていない……!)
私は何かの読み間違いか、あるいは送信ミスかと思って、焦りで震える指先で須藤くんの名前と点数を再度彼に送りつけた。
だが、返ってきたのは、優しくあれど氷のように冷徹な水野くんからの返信だった。
『言っただろう? 貸してやるのは【堀北が勉強を見た奴らの分】だけだぜ。池と山内はお前のノートを見て勉強会(形だけだが)に参加した。だから、お前の顔に泥を塗らせないためにその2人分(70万からお前らの24万を引いた46万)は出してやる』
『だが、須藤はお前の誘いを完全に突っぱねて、お前に怒号を浴びせて去った男だ。お前の顔に泥を塗った奴を、なぜ俺が救ってやる必要がある? 須藤の分は、無しだ』
「っ……!」
私は顔を真っ青にしながら、その画面を見つめることしかできなかった。
どこまでも私個人を評価し、私の尊厳を守るためだけに動いている水野くんの冷徹な合理性。
「堀北、どうした? 早くしなければ取引は不成立だぞ」
茶柱先生の催促に、私は震える手で、まずは手元にあるポイントをすべて先生の端末へと送信した。池くんの30万、山内くんの40万が決済され、2人の退学が取り消される。
「ほう……。誰からこれほどの額を借りた?」
訝しげに目を細める茶柱先生に対し、私は唇を噛み締め、答えない。
「堀北さん! その、ポイントを貸してくれた誰かから、あと210万ポイント借りられないかい!?」
須藤くんの退学が確定したままの状況に、平田くんが焦った声を上げて私に詰め寄ってきた。だが、水野くんの意志が絶対に覆らないことを知っている私は、絶望と自己嫌悪に満ちた表情で首を横に振るしかなかった。
「……無理よ。これ以上は、絶対に無理」
「なんでだよ!? なんで池と山内は助かって、俺の分はねえんだよクソがッ!!」
須藤くんが机を激しく叩き、獣のような咆哮を上げて私を睨みつける。
「須藤。そこまでだ、退出を命じる」
茶柱先生の冷たい一言に、須藤くんは顔を真っ赤に染め、狂ったように笑った。
「退学にできるもんならしてみやがれ!! 誰がこんな学校、出てってやるよ!!」
怒り狂って教室のドアを殴りつけ、乱暴に去っていく須藤くんの後ろ姿。
残されたDクラスの生徒たちからは、「自業自得だろ」「部活ばっかりやってて、過去問も覚えないからだ」と、須藤くんに対する冷ややかな批判の声が次々と集まり始めていた。
私はただ、自分の席で立ち尽くし、その崩壊していくクラスの光景を、ただ見つめていることしか出来なかった。
端末の操作を終え、堀北の口座へと46万ポイントを転送した俺は、さらに仕上げとして最後の一文をメッセージボックスへと打ち込んだ。
『大丈夫か? まあ、残りの一人のことは気にするな。お前が不器用ながらも歩み寄ろうとした優しさと、その覚悟を怒号で踏みにじった奴らだ。自業自得という言葉すら生温い。本来なら、お前が救ってやったあの二人(池と山内)だって、これ以上気にかける必要なんてないんだ。……これで、あのクラスへの見切りは完全についただろ? 放課後、予定通り落ち合おう』
送信ボタンを押して、2分後だった。
ピロン、と微かな電子音が鳴り、短く張り詰めた一言だけが返ってきた。
『……分かったわ』
「よし」
俺はスマホをポケットに収め、フッ、と口元を満足げに歪めた。
すべては計画通り。盤面は完全に俺の思い描いた通りに動いている。
俺が今回、須藤を冷酷に切り捨てる一方で、池と山内の二人だけを意図的に救い、Dクラスに残したのには明確な理由がある。あの二人には、今後もずっとDクラスの内部で『足を引っ張るお荷物』として君臨し続けてもらう必要があったからだ。
(須藤の持つ圧倒的な身体能力は、今後の特別試験においてAクラスの脅威になりかねない。だからこの段階で排除するのがベストだ。だが、池と山内に関しては話が別だ。あの二人のような怠惰で下劣な人間は、残ってくれた方がむしろ好都合。今後もDクラスのポイントを内側からゴリゴリと削り、足を引っ張り続けてくれる最高の生け贄だ)
そして何より、今回の件で最低限、堀北の顔だけは立ててやった。あの日地獄の勉強会に参加した池と山内の退学を防いだという実績は、Dクラス内における彼女の「義務」を完璧に果たさせ、周囲からの不当な批判をある程度封殺する大義名分になる。
その上で、あのクラスの底知れない醜悪さと理不尽さを、これでもかと堀北の脳裏に焼き付けてやったのだ。これで彼女はDクラスという檻に完全に絶望し、俺の手元(Aクラス)へと引き込まれる道を選ぶしかなくなる。
「ねえ、陽斗君。さっきからずっとスマホ見てるけど……鈴音ちゃんの方は、上手くいった?」
気がつくと、隣から櫛田がそっと顔を覗き込んできていた。その瞳には、Dクラスがどのように崩壊したのかを知りたがっている、裏の顔特有の底意地悪い好奇心がギラリと光っている。
「ああ、順調そのものだよ、桔梗」
俺が小さく頷いて答えると、櫛田は「そっかぁ、良かった!」と、再び完璧な聖母の笑顔へと切り替えてパチパチと嬉しそうに手を叩いた。
実力至上主義のこの学校において、25億ポイントという国家規模の資本を持った俺の策略からは、簡単には逃れられない。
放課後、すべてを失って俺の元へとやってくる孤高の少女をどう迎え入れるか。俺は窓の外の喧騒を眺めながら、次なる盤面の進め方を冷徹にシミュレーションしていた。