いったん終了で次回からは、「BETAPhone…?」編 を投稿予定です。
2026年6月27日 23時31分
風間さんの階級を修正しました、すみません…
網膜投影。
それは、戦術機の衛士がコクピット内で外界を認識するための表示システムである。
衛士は、戦場を直接肉眼で見ているわけではない。外部センサーが捉えた情報を処理し、補正し、必要な戦術情報を重ね合わせた映像として見ている。
つまり。
見たくないものは、見え方を変えられる可能性がある。
そして今回、神宮寺真白はようやく気づいてしまった。
かわいいBETAが問題なら、画面上だけ元に戻せばいいのだと。
なぜ今まで思いつかなかったのか。
それは――作者が忘れていたからである。
◇
12月某日 深夜
横浜基地・神宮寺真白の自室
<< 神宮寺 真白 >>
「……どうして、こうなったんでしょう」
自分は、ベッドの上で仰向けになりながら天井を見ていた。
この光景には、覚えがある。
最初に変なことを思いついた夜も、自分はこうして天井を見ていた。
あの日、自分は考えた。
BETAが怖すぎる。
見た目が怖すぎる。
ならば、BETA側に人類が恐れているものを誤学習させれば、外見が変わるのではないか。
そして自分は、深夜テンションのまま夕呼副司令の執務室へ向かった。
結果。
BETAは、小さくて、丸くて、かわいそうな姿になった。
そのせいで、前線では攻撃をためらう兵士が出た。かわいいものを撃つ訓練が始まった。霞は小型戦車級ぬいぐるみを「まるきゅう」と名付けた。まるきゅうは横浜基地を制圧した。PXではまるきゅう饅頭が売り切れた。
そしてついには、後方でBETA愛護団体のようなものまで生まれた。
「……人類の認識が、完全にバグってる」
自分は両手で顔を覆った。
全部、自分のせいだ。
いや、正確には自分だけのせいではないのかもしれない。夕呼副司令の実験、純夏さんとの情報交信、BETAの謎の学習能力、PXの商魂、兵士たちの疲労、後方市民の現実逃避。いろいろな要素が絡み合った結果ではある。
でも、最初に「小さくてかわいそうな奴らをBETAに送ろう」と言い出したのは自分だ。
その責任からは逃げられない。
「何か……何か、対策は……」
自分は天井を見つめたまま考える。
かわいいBETAを撃つ訓練はした。まりもさん監修の標語も作った。まるきゅうとBETAは別物だと啓発もした。
それでも、根本的な問題は残っている。
BETAの見た目が、かわいいままなのだ。
現実のBETAを元に戻すことはできない。少なくとも、今すぐには。ならば、他にできることはないのか。
「……」
ふと。
本当に、ふと。
自分の頭の中に、ある単語が浮かんだ。
網膜投影。
「……あれ?」
自分は、ゆっくりと身体を起こした。
衛士は、戦術機のコクピット内で外界を見ている。だが、それは直接肉眼で見ているわけではない。戦術機の外部カメラ、各種センサー、戦術情報、照準情報、識別情報。それらを統合した映像を、強化装備を介して網膜へ投影している。
ならば。
「……表示側で、補正すればいいのでは?」
自分は、固まった。
現実のBETAがかわいいままでも、衛士が見る映像上では従来型BETAに戻せるかもしれない。
丸くてつぶらな目の戦車級を、従来型の戦車級シルエットに変換する。泣き顔光線級を、普通の光線級の姿に補正する。顔だけかわいい要撃級を、従来型の要撃級として表示する。
そうすれば、少なくとも戦術機衛士は、かわいいBETAを直接見ずに済む。
「……」
自分は、しばらく沈黙した。
そして、ぽつりと呟いた。
「何で今まで思いつかなかったんでしょう……?」
それは作者が忘れていたからである。
「誰ですか、今の声」
部屋には誰もいない。
でも、どこかから聞こえた気がした。
深夜テンションで書き上げていたため、本当にすみません。
「だから誰なんですか……」
自分は天井を見上げた。
返事はない。
だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
これは、ようやく見つけた対策かもしれない。根本解決ではない。でも、前線の衛士たちの負担を減らせる可能性がある。
「行くしかない……」
自分はベッドから降りた。
上着を羽織り、部屋の扉へ向かう。
時計を見る。
深夜だった。
普通なら寝ている時間だ。
けれど、この時間に行く先は決まっている。
香月夕呼副司令の執務室。
自分は、第一話の時と同じように、廊下へ飛び出した。
◇
12月某日 深夜
横浜基地・香月副司令執務室
<< 神宮寺 真白 >>
「……また?」
執務室に入った瞬間、夕呼副司令はそう言った。
顔が完全に嫌そうだった。
無理もない。
この深夜の訪問には、前科がある。しかも、その前科によって現在、世界中のBETAが小さくてかわいそうな姿になっている。
「またです」
自分は正直に答えた。
夕呼副司令は、こめかみを押さえる。
「今度は何? BETAをもっと丸くするの?」
「違います!」
「じゃあ、泣き顔を増やすの?」
「違います!」
「まるきゅうの派生商品案?」
「それも違います!」
「じゃあ何よ」
夕呼副司令は、深いため息をついた。
机の上には、いつものように書類と端末とコーヒーカップが並んでいる。
この人は、いつ寝ているのだろう。
いや、今はそれどころではない。
「今回は、本当に対策です」
「その言葉、前にも聞いたわね」
「今回は本当に本当です」
「信用がないわね」
「自業自得です……」
自分は小さく頭を下げた。
夕呼副司令は、しばらくこちらを見ていた。
そして、諦めたように椅子へもたれた。
「一応聞きましょうか」
「ありがとうございます」
自分は、深く息を吸った。
「網膜投影です」
夕呼副司令の目が、わずかに変わった。
「……続けなさい」
よかった。
少なくとも、真面目な話だとは認識してもらえたらしい。
「衛士は、戦場のBETAを直接肉眼で見ているわけではありませんよね」
「ええ。外部センサー、光学映像、各種戦術情報を処理して、強化装備経由で網膜に投影しているわ」
「だったら、その表示側で、外見変異BETAの姿を従来型BETAの姿に補正すればいいんです」
夕呼副司令が止まった。
「……」
「現実のBETAは変えられません。でも、衛士がコクピット内で見る映像は加工できます。丸くてつぶらな目の戦車級を従来型の戦車級に表示する。泣き顔光線級を普通の光線級に補正する。顔だけかわいい要撃級も、従来型の外観に戻す」
「……」
「そうすれば、少なくとも衛士は、かわいいBETAを直接見ずに戦えます」
「……」
「それに、損傷が激しい映像や遺体が映る場面にも、必要に応じて精神負荷軽減処理を入れられるかもしれません。もちろん、戦術判断に必要な情報は消さない範囲でですけど」
夕呼副司令は、無言だった。
あまりにも無言なので、自分は少し不安になる。
「……副司令?」
次の瞬間。
夕呼副司令が立ち上がった。
そして、つかつかとこちらへ歩いてきた。
「え?」
両肩を掴まれた。
「何で」
「はい?」
「何でそれを今まで言わなかったのよ!!」
「ひゃっ!?」
夕呼副司令が、自分の肩を掴んでブンブン揺さぶった。
「それを! 最初に! 言いなさいよ!」
「す、すみません! 全人類の誰かしらが思いつくかなって……!」
「無から物は生まれないのよ! 作者が考えなきゃ設定は出てこないの!」
以後、気をつけます。
「だから誰ですか、今の声!」
「聞こえない声にツッコんでる場合じゃないわ!」
夕呼副司令は、自分を揺さぶるのをやめた。
そして、すぐに端末へ向かう。
「ピアティフを呼ぶわ。霞も」
「今からですか?」
「今からよ。寝てる場合じゃないでしょ」
「本当に申し訳ありません……」
「謝罪は後。まずは対策」
夕呼副司令の指が、ものすごい速度で端末を操作する。
その目は、完全に研究者の目になっていた。
「外見変異BETAの識別データ。従来型BETAの既存モデル。センサー映像補正。網膜投影用のリアルタイム変換処理。できなくはない」
「できそうですか?」
「やるのよ」
力強い即答だった。
「ただし、問題もあるわ」
「問題……」
「映像を加工しすぎれば、戦術判断に影響が出る。実体と表示にズレが出れば、照準が狂う。損傷映像に処理をかけすぎれば、危険情報を見落とす」
「難しいですね……」
「戦場の映像加工なんて、簡単にやっていいものじゃないのよ」
夕呼副司令は、こちらを見た。
「でも、やる価値はあるわ」
「はい」
「神宮寺」
「はい」
「発案者として、最後まで付き合いなさい」
「……はい」
こうして、深夜の執務室で。
今度こそ、本当のBETAかわいい化対策が始まった。
◇
12月某日 深夜
横浜基地・香月副司令執務室
<< 神宮寺 真白 >>
ピアティフ中尉は、呼び出されてから数分で到着した。
相変わらず有能すぎる。
眠そうな顔はしていない。
たぶん慣れているのだろう。
夕呼副司令の深夜呼び出しに。
「外見変異BETAの視覚補正、ですか」
「そうよ」
夕呼副司令は端末の画面を見せる。
「従来型BETAの外観モデルを基準にして、外見変異後のセンサー映像を補正する。網膜投影上では、従来型に近い姿で表示させるわ」
ピアティフ中尉は、すぐに資料へ目を通した。
「心理負荷軽減を目的とした表示補正ですね」
「ええ。ただし、情報欠落は最小限」
「照準補正との整合性が問題になります」
「そこを詰めるのよ」
部屋の隅では、霞が端末に向かっていた。
いつもの無表情に近い顔だが、どこか真剣だ。
その膝の上には、まるきゅうがいる。
「霞」
「……はい」
「外見変異BETAと従来型BETAのシルエット差分、出せる?」
「……出せます」
「リアルタイム補正の負荷は?」
「……重いです。でも、種類を絞れば可能です」
「まずは戦車級、光線級、要撃級、突撃級ね。前線で問題になってる優先度が高いものから」
「……はい」
自分は、その会話を聞きながら、改めてこの世界の技術者たちのすごさを思い知らされていた。
自分は、ただ思いついただけだ。
でも、夕呼副司令や霞、ピアティフ中尉は、それを実際に使える形へ落とし込もうとしている。
「神宮寺少佐」
ピアティフ中尉がこちらを見る。
「はい」
「補正名称については、どうされますか?」
「名称……」
夕呼副司令が即答する。
「外見変異BETA視覚補正パッチ」
「正式名称はそれで」
「通称は?」
「通称……」
嫌な予感がした。
こういう時の夕呼副司令は、だいたいろくなことを言わない。
夕呼副司令が、少しだけ口元を上げる。
「まるきゅうフィルター解除パッチ」
「やめませんか!?」
「分かりやすいでしょ」
「分かりやすいですけど!」
霞が小さく言う。
「……まるきゅうフィルター」
「霞、気に入らないでください……」
「……解除します」
「そういう意味じゃなくて……」
ピアティフ中尉が淡々と記録する。
「正式名称、外見変異BETA視覚補正パッチ。現場通称、まるきゅうフィルター解除パッチ」
「記録しないでください!」
「現場通称は重要ですので」
「真面目に採用されてる……」
夕呼副司令は、こちらの嘆きを無視して作業を進めた。
「まずはシミュレーターでテストするわ。A-01と207Bを使う」
「また巻き込むんですね……」
「当たり前でしょ。実際に迷ってた連中なんだから」
「たまがまた大変そうです……」
「今回は楽になるかもしれないわよ」
そうだ。
これは対策だ。
今度こそ、前に進むための対策だ。
そう信じたい。
◇
12月某日 午前
横浜基地・シミュレータールーム
<< 神宮寺 真白 >>
翌朝、A-01と207Bは、またシミュレータールームに集められた。
すでに全員、状況を察しているような顔をしている。
特に水月中尉は、こちらを見るなり腕を組んだ。
「今度は何?」
「今回は、ちゃんとした対策です」
「前も聞いたわ、それ」
「本当にすみません……」
まりもさんが、資料に目を通す。
「外見変異BETA視覚補正パッチ」
「はい」
「つまり、網膜投影上でBETAの見た目を補正するということですか」
「そうです」
「なぜ今まで……」
「言わないでください……」
まりもさんは、少しだけ息を吐いた。
「いえ、実用化できるなら有効です」
「ありがとうございます……」
たまが、おずおずと手を上げた。
「あの、それって……」
「はい」
自分は頷いた。
「シミュレーター上では、かわいいBETAが普通のBETAに見えるようになります」
たまの顔が少し明るくなった。
「そ、それなら撃てるかもしれません!」
「よかったです……」
彩峰が、小さく呟く。
「……もちもちじゃない」
「そこは少し残念そうにしないでください」
冥夜は真剣な表情で頷く。
「姿による迷いが消えるなら、戦場判断は安定するだろう」
千鶴も頷いた。
「ええ。視覚情報が精神に与える影響は大きいもの」
美琴が笑う。
「でも、元の見た目に戻したら戻したで、普通に怖いよね」
「そうなんですよね……」
自分は苦笑した。
かわいいのが問題だった。
だが、元に戻したら戻したで、BETAは普通に怖い。
どちらにしても地獄だ。
ただ、戦場で引き金が止まるよりはいい。
「では、開始します」
ピアティフ中尉の声が通信に入る。
シミュレーターが起動した。
市街地戦。
瓦礫の陰から、小型戦車級が現れる。
ただし、今回は違った。
網膜投影上では、従来型の戦車級として表示されている。
丸くない。
つぶらな目もない。
もちもちしていない。
普通に危険なBETAだ。
たまが叫ぶ。
「あっ、普通のBETAに見えますぅ!」
「珠瀬、排除!」
「は、はい!」
たまの機体が突撃砲を構える。
発砲。
戦車級が撃破される。
前回のような迷いはない。
自分は、思わず息を吐いた。
「よかった……」
霞が端末を見ながら言う。
「……攻撃遅延、低下しています」
「本当?」
「……はい」
夕呼副司令の声が観察室から入る。
「効果ありね」
水月中尉も、戦術機を動かしながら言った。
「これなら普通に撃てるわ」
遙中尉の声も続く。
「心理的な抵抗はかなり減っています」
伊隅大尉が冷静に分析する。
「有効だ。ただし、実体とのズレには注意が必要だな」
「ズレ?」
自分が聞き返した直後だった。
水月中尉の声が飛ぶ。
「ちょっと! 見えてる位置と当たり判定が違うんだけど!?」
「ゲームみたいな言い方しないでください!」
「実際そうなのよ!」
画面を見る。
補正映像では従来型の戦車級に見えている。
だが、実際の変異戦車級は、少し丸く、横に広がった形をしている。そのため、表示上のシルエットと、実体の輪郭が微妙にズレていた。
狙った位置には当たっている。
だが、実体の形状が違うせいで、効果がずれる。
「補正誤差……」
霞が端末を見る。
「……増加しています」
夕呼副司令が舌打ちした。
「やっぱり出たわね」
「副司令まで当たり判定って言いそうな顔してます……」
「実際、当たり判定問題よ」
「言った……」
水月中尉が叫ぶ。
「ほら! やっぱり当たり判定じゃない!」
「そこにこだわらないでください!」
まりもさんの声が、通信に入る。
「全員、補正映像に頼りすぎないこと。あくまで補助です。照準情報とセンサー値を確認しなさい」
「了解!」
伊隅大尉が続ける。
「実体と表示に差異がある以上、近距離戦では補正を弱める必要がある」
夕呼副司令が即座に指示を出す。
「距離に応じて補正率を変えるわ。遠距離では心理負荷軽減優先。近距離では実体輪郭優先」
ピアティフ中尉が返す。
「了解しました。補正率可変モードへ移行します」
「霞」
「……はい。処理します」
シミュレーター内の表示が変わる。
遠くのBETAは従来型に近く。
近くのBETAは、実体の輪郭が少し残る。
完全に元通りではない。
だが、必要な情報は見える。
たまが少しだけ顔を引きつらせる。
「ちょ、ちょっと丸さが残ってますぅ……」
まりもさんが言う。
「それが実体です。必要な情報です」
「はいぃ……!」
千鶴が援護しながら言う。
「でも、前よりはずっと判断しやすいわ」
彩峰も頷く。
「……もちもち少なめ」
「表現がかわいいままですね……」
冥夜が長刀を構える。
「姿がどうあれ、敵は敵。だが、余計な迷いが減るのは大きい」
風間少尉が静かに言った。
「精神負荷を消しすぎず、戦術情報を残す。難しい調整ですね」
宗像中尉が笑う。
「まるきゅうフィルター、思ったより実戦向きね」
「その名前、定着させないでください……」
だが、効果はあった。
少なくとも、シミュレーター上では。
◇
12月某日 午後
横浜基地・シミュレータールーム
<< 神宮寺 真白 >>
テストは成功した。
完全ではない。
しかし、明確に効果は出た。
外見変異BETA視覚補正パッチ。
通称、まるきゅうフィルター解除パッチ。
このパッチにより、戦術機衛士の攻撃判断遅延は大きく改善された。特に、たまのように見た目の影響を受けやすい衛士には効果が大きかった。
ただし、問題も多い。
実体と表示のズレ。距離による補正率調整。損傷カメラ映像での補正破綻。視覚情報を加工しすぎることによる戦術判断の低下。
そして、最大の問題。
「こっちは肉眼なんですが!?」
歩兵である。
シミュレーター後の報告会で、基地内警備担当の兵士が悲痛な声を上げた。
「戦術機は補正できても、こっちは生で見えるんです!」
「本当に申し訳ありません……」
自分は深く頭を下げた。
歩兵や基地内警備員、整備兵、脱出後の衛士には、網膜投影補正は効かない。肉眼で見るしかない。
つまり、かわいいBETAがそのまま見える。
「歩兵用のAR表示装置でもあれば別だけど、今すぐ全員に配備するのは無理ね」
夕呼副司令が冷静に言う。
「携帯端末やヘッドマウント表示があれば……」
自分が呟きかけて、止まった。
嫌な予感がした。
今、携帯端末という言葉を出してはいけない気がした。
夕呼副司令がこちらを見た。
「何?」
「いえ、何でもありません」
「そう」
危ない。
今のは危なかった。
だが、問題は歩兵だけではない。
シミュレーターの追加テストでは、別の問題も発生した。
戦術機が損傷し、衛士が緊急脱出する状況。
コクピット内では、網膜投影で補正されている。
だが、脱出した瞬間、外界は肉眼だ。
そこには、丸くてつぶらな目のBETAがいる。
通信記録。
『脱出しなさい!』
『嫌です! 外が見えます!』
『当たり前です! 脱出しなさい!』
『外にまるいのがいます!』
『BETAです!』
『でも目が合いました!』
『目が合っても敵です!』
『無理です!』
まりもさんが頭を抱えた。
「これはこれで、問題ですね」
「本当に申し訳ありません……」
水月中尉が呆れたように言う。
「コクピットの中だけ安全ってわけね」
「精神的には、ですけど……」
遙中尉は少し困った顔だった。
「でも、実際に外へ出た瞬間に補正が消えるのは、かなり衝撃が大きいかもしれません」
伊隅大尉が頷く。
「脱出訓練にも外見変異BETA対応を追加する必要がある」
「追加訓練がどんどん増えていく……」
自分は遠い目をした。
まりもさんが、静かに言う。
「必要です」
「はい……」
また正論だった。
この世界では、正論はいつも重い。
◇
12月某日 夜
横浜基地・香月副司令執務室
<< 神宮寺 真白 >>
「とりあえず、前線の主だった戦術機部隊には順次配布するわ」
夕呼副司令は、端末を見ながら言った。
外見変異BETA視覚補正パッチ。
その配布計画が、すでに組まれている。
早い。
本当に早い。
「これで、一応は対策になりそうですか?」
「主だった衛士にはね」
夕呼副司令は、椅子にもたれた。
「攻撃判断遅延は改善。恐怖反応は従来型に近づく。罪悪感反応は低下。戦術判断に必要な情報も、補正率を調整すれば最低限残せる」
「よかった……」
「ただし、完璧じゃないわ」
「はい」
「歩兵には効かない。肉眼確認にも効かない。補正誤差は残る。カメラ損傷時には破綻する。脱出時の心理ショックも残る」
「問題山積みですね……」
「戦場なんてそんなものよ」
夕呼副司令は、淡々と言った。
「でも、何もしないよりはずっとマシ」
「はい」
霞は、まるきゅうを抱いていた。
「……まるきゅうは、消えませんか?」
「消えないよ」
自分は、そう答えた。
「網膜投影の中では、BETAの見た目を補正する。でも、霞のまるきゅうはそのまま」
霞は、小さく頷く。
「……よかったです」
「うん」
夕呼副司令が、少しだけ呆れたようにこちらを見た。
「まんじゅう怖い編、一件落着ってところかしら」
「一件落着……なんですかね?」
「疑問形ね」
「完全解決ではないので……」
「でしょうね」
夕呼副司令は、端末を閉じた。
「でも、一区切りではあるわ」
確かに、そうかもしれない。
BETAの見た目は変わったまま。まるきゅうも残ったまま。歩兵や脱出時の問題も残る。
それでも、戦術機衛士がかわいいBETAを直接見ずに戦えるようになった。
前線の混乱は、かなり減るはずだ。
「……めでたし、めでたし……?」
自分は小さく呟いた。
霞が、首を傾げる。
「……疑問形です」
「うん。疑問形」
「……でも、まるきゅうは残ります」
「それは残るんだね」
「……はい」
霞は、まるきゅうを抱きしめた。
自分は少し笑った。
ここまで散々だった。
深夜テンションから始まり、世界中を巻き込み、横浜基地をもちもちに染めた騒動。
それでも、最後に霞が少し安心できるものが残ったのなら。
兵士たちが、休憩室で少しだけ笑えるものが残ったのなら。
完全な失敗ではなかったのかもしれない。
たぶん。
おそらく。
そう思いたい。
その時、ピアティフ中尉が端末を確認し、少しだけ表情を変えた。
「副司令」
「何?」
「正門前のβmazon巨大箱ですが、内部から微弱な電磁反応を確認しました」
「……」
自分の笑顔が固まった。
夕呼副司令は、ゆっくりとこちらを見る。
「神宮寺」
「はい……」
「あんた、今度は何をやったの?」
「まだ何もやってません!」
「まだ、ね」
「まだって言わないでください!」
霞が、まるきゅうを抱きながら言う。
「……箱、起きました」
「起きたって表現が怖いです……」
夕呼副司令は、口元を歪めた。
「見に行くわよ」
「今からですか?」
「当然でしょ」
自分は、深いため息をついた。
まんじゅう怖いは、一応一区切り。
でも。
BETAの学習は、まだ終わっていない。
むしろ、始まったばかりなのかもしれない。
◇
12月某日 深夜
横浜基地・正門前
<< 記録 >>
外見変異BETA視覚補正パッチの配布が始まった。
前線の戦術機衛士たちは、網膜投影の向こうで、BETAを従来型に近い姿として認識できるようになった。
かわいいBETAを見ずに戦える。
それだけで、引き金を引く指は少し早くなった。
刃を振るう迷いは少し減った。
もちろん、問題は残っている。
表示と実体のズレ。
歩兵への未対応。
脱出時の肉眼確認。
補正破綻の危険。
そして、まるきゅうグッズの追加発注。
それでも、人類は一つ対策を得た。
まんじゅう怖い騒動は、ここで一旦の区切りを迎える。
めでたし、めでたし。
……本当に?
横浜基地正門前。
βmazonと書かれた巨大な箱の中で、何かが静かに起動した。
黒い画面。
齧られたハイヴマーク。
そして、淡く浮かび上がる文字。
HIVE OS
真白は、まだ知らない。
BETAが次に学習したものが、電話であり、財布であり、地図であり、娯楽であり、人生を握る小さな板――
スマートフォンであることを。
それは、かわいいBETAへの対策がようやく形になった日。
網膜投影の向こうで、BETAが元の姿へ戻された日。
そして――
横浜基地正門前の巨大な箱の中で、BETA製の小さな端末が初めて起動した日だった。
純夏交信事故シリーズ①
IFルート「まんじゅう怖い…」編
第5話 完璧なさいかわ対策……? END
――本作用語メモ 番外編5――
■ 網膜投影
戦術機の衛士が、外部の映像や戦術情報を見るための表示システム。
衛士はBETAを直接肉眼で見ているのではなく、センサーやカメラの情報を処理した映像として見ている。
■ 外見変異BETA視覚補正パッチ
かわいく変化したBETAの姿を、網膜投影上で従来型BETAに近い姿へ補正するための対策プログラム。
これにより、戦術機衛士がかわいいBETAを直接見ずに戦えるようになる。
■ まるきゅうフィルター解除パッチ
外見変異BETA視覚補正パッチの現場通称。
かわいく見えてしまうBETAの表示を元に戻すため、現場では分かりやすくこう呼ばれている。
■ 戦術機
この世界で人類がBETAと戦うために使う人型兵器。
衛士と呼ばれるパイロットが搭乗し、BETAとの地上戦で主力として運用される。
■ HIVE OS
BETA製端末に搭載されている謎のOS。
本話ラストで、βmazonの巨大な箱の中にあるBETA製端末が起動し、次の「BETAPhone…?」編へ繋がっていく。