海霧の中の奇兵隊 ―対米戦争を回避せよ。死んだはずの高杉晋作と乃木大将の隠し遺書―   作:吉田梅之助

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第二十一話 ジョージの電報

「高杉先生。東京、陸軍省の『ジョージ』より、暗号電。以上」

 

 黒石透が、ヘッドホンを片耳にずらしながら、青いインクの紙テープを差し出した。

 

「ジョージ?」

 

 真崎は眉をひそめた。

 上海の地下深く、真空管の熱気とオゾンの焦げた匂いが充満する高杉晋作の拠点に、乾いたモールスの打鍵音が響いている。

 

(ジョージ……英国の国王の名か。親独派ばかりの三宅坂で、わざわざそんな名を名乗る皮肉屋がいるわけか)

 

 真崎は黒石から、平文に直した電報を受け取った。

 目を落とした瞬間、その顔から、すっと血の気が引いた。

 

 ――参謀本部内ニ強襲論強シ。重砲ノ到着ヲ待タズ、突撃ヲ以テ一ヶ月以内ニ青島(チンタオ)ヲ陥スベシト。旅順ノ轍ヲ踏マズ、速ヤカニ決スルヲ上策トス。

 

「――どこまで愚かなッ……!!」

 

 真崎の口から、血を吐くような声が漏れた。

 

 青島のドイツ要塞は、コンクリートの砲台と鉄条網で固めてある。それを重砲も待たずに、歩兵の突撃で一ヶ月以内に落とせという。

 旅順の第一回総攻撃と、同じ理屈だった。あのときも、早く落とせと急かされ、砲弾の足りないまま、兵が要塞に突っ込まされた。

 

 白い和紙に、墨の匂い。

 

 ――白兵突撃ハ、モハヤ次代ノ戦ニ通用セズ。

 

 乃木閣下が死の淵で振り絞ったあの一行が、真崎の頭の中で鳴った。

 閣下が逝って二年。あの遺書は、握り潰されただけでなく、今度は読まれもしないまま、同じ過ちを繰り返されようとしている。

 

「……閣下」

 

 真崎は、声にならない呻きを漏らし、地下室の天井を睨みつけた。

 

「旅順の轍を踏まず、だと? 轍の上を、そっくりそのまま走ろうとしているのが分からんのか! 砲弾が足りないのを『精神』で埋め合わせた結果が、あの二〇三高地だろうが!」

「まったく、救いがたい馬鹿の集まりじゃな」

 

 奥の暗がりから、腹の底に響くような声がした。

 フラスコで沸かした真っ黒なコーヒーを注ぎながら、高杉晋作が音もなく姿を現す。

 

「政府がどう出るにせよ、加藤の野心とイギリスの焦りに背中を押されて、日本はいずれ参戦し、ドイツの青島を攻めることになろう。だが……」

 

 高杉は、湯気の向こうで目を細めた。

 

「連中の目は、東洋の利権をかすめ取る泥棒の域を出ておらん。狂介(きょうすけ)が恐れとる通り、今の固まった陸軍を欧州の泥沼へ出すだけの器量も度胸も、奴らにはない」

「先生……このままでは、青島でまた旅順が繰り返されます。あの白兵主義を、どうにかして叩き壊さなければ!」

「焦るな、真崎」

 

 高杉はサイフォンを机に置き、真崎を見据えた。

 

「青島は、落ちる。それは決まっとる。問題は、どう落ちるかじゃ」

「……どう落ちるか」

「要塞そのものは固いが、ドイツ本国から切り離された孤城じゃ。突っ込ませようが待とうが、陸軍は思うたより早う落とす。死人も、奴らの見積もりより少なく済むじゃろう」

 

 真崎の眉が、わずかに動いた。

 

「……『勝って』しまう、と」

「そうじゃ」

 

 高杉の声が、低く落ちた。

 

「奴らは、勝ったと勘違いする。突っ込ませて勝てば、それ見たことかと白兵主義が延命する。砲で勝っても、最後に旗を立てたのは歩兵じゃと言い張る。どっちに転んでも、青島の戦勝で、あの古い頭はもう十年生き延びる」

 

 真崎は、息を呑んだ。

 

「……だから、前線で記録するんですね。白兵突撃がいかに無意味かを」

 

 真崎は、自分に言い聞かせるように続けた。

 

「短く終わるからこそ、生き残った連中の間に『勝てた』という思い込みが固まる前に、これは時代遅れだという証拠を突きつけなければならない」

「ようやく、わしの置いた駒の意味が分かったか」

 

 高杉は、わずかに口角を上げた。

 

「青島は、お前にとって戦場ではない。資料庫じゃ。近代の要塞と火力の理屈を、最前線でつぶさに記録せよ。……それが、いずれ西の大陸へ陸軍を引きずり出すための、最初の楔となる」

「……承知しました」

 

  *

 

「先生。黒石の話では、ヤップ島のドイツの無線局に、暗号機とコードブックが置かれているとか。南洋のほうは」

 

 高杉は葉巻を灰皿に置いた。

 

「本国と切り離されたシュペーの艦隊が、今も列強の目を盗んで打電しとる。あの機械と暗号帳(コードブック)を押さえれば、東洋艦隊の動きが丸裸になる」

「秋月を向かわせたいところじゃがな」

 

 高杉は、皮肉に笑った。

 

「あ奴は今、嫁をもらいに日本へ帰っとる。婚礼の真っ最中の男を引きずり出すような野暮は、さすがのわしもようせん」

 

(あの仏頂面が、今ごろは呉の海辺で、愛想笑いの練習でもしているのか)

 

 真崎は束の間、苦笑したが、その苦笑もすぐに消えた。

 

「では、代わりは」

「入ってよいぞ、潮崎」

 

 高杉が、背後の重いオークの扉へ顎をしゃくった。

 扉が内側から押されて、軋む音もなく静かに開く。

 

 入ってきた男は、海軍の軍装に身を包んでいた。

 長身で、潮風に焼かれた浅黒い肌をしている。左の手首から前腕にかけて、刃物でつけられたらしい古い傷跡が、袖口から覗いている。

 

 男は部屋に入ると、まず黒石、次に高杉、最後に真崎へと視線を流した。出口の位置と、机の上の拳銃と、真崎の右手の置き場所を、その一巡りで全部数えたような目だった。

 視線が真崎の上で止まったとき、真崎の背筋を冷たいものが走る。

 

「紹介しよう。秋月の身代わり――潮崎じゃ」

 

 男は、軍靴の踵をきっちりと揃え、短く一礼した。

 

「海軍軍令部第三班、潮崎拓馬(しおざきたくま)。中尉であります。秋月少佐の直属であり――現在は、少佐の『影』を拝命しております」

 

 声は低く、起伏がない。

 

 真崎は、応える前に一拍だけ間を置いた。幼馴染の秋月が「自分の身代わり」に送り込んできた男がどういう人間なのかを、その一拍で測ろうとした。

 潮崎のほうも、真崎を測っている。二人の視線が、地下室の真ん中で、無言のままぶつかった。

 

「真崎大尉。お話は、秋月少佐から伺っております」

 

 潮崎が、初めて口角をわずかに上げた。

 

「あなたの『計算』は、海軍のほうでも評判です」

「……それは、褒め言葉と受け取っていいのか」

「ご自由に」

 

 高杉が、低く笑った。

 笑いが収まると、高杉は真崎へ目を移した。

 

「真崎。潮崎が南洋へ向かうのと同じように、お前も陸軍の軍人として、表から青島へ行く算段をつけよ。手段は問わん」

「……切符の手配も、自分で、ということですか」

「当然じゃ。盤の外で動く者が、駒の運びまで人任せにしてどうする」

 

 高杉はそれだけ言うと、三味線の撥を手に取り、それ以上は何も言わなかった。

 

 地下室の片隅で、黒石が紙テープを引き出し続けている。

 真崎は、机の上の地図に目を落とした。上海から青島まで、およそ七百キロ。陸軍の正規の辞令もなく、そこへ乗り込む切符を、どこで買えばいいのか。

 

 答えは、大磯にいる老人の顔をしていた。




少しだけ種明かしを。
潮崎が向かうことになったヤップ島のドイツ無線局は、実在します。ミクロネシアに位置するヤップ島には、ドイツ帝国が太平洋・インド洋の通信網の要として建設した強力な無線中継局がありました。開戦直後の一九一四年十月、日本海軍はこの島を占領し、無線局を接収しています。
シュペー艦隊との通信が途絶えたのは、この占領が一因とも言われています。

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